世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


2月 8, 2021

新HPCの歩み(第30回)-1963年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

通産省は、富士通、日本電気、沖電気の3社に「電子計算機技術研究組合(FONTAC)」を結成させ、これに3年間で3億5千万円の補助金を与えた。日本学術会議は「学術研究用大型計算機の設置と共同利用体制の確立について」という勧告を政府に提出した。

社会の動き

1963年(昭和38年)の社会の動きとしては、1/1フジテレビ系で「鉄腕アトム」放映開始、1/23三八豪雪、2/8イラクで親エジプト派とバアス党の将校団のクーデター、2/10北九州市誕生、2/18インドネシアのアグン山噴火活動開始、2/28吉田巌窟王事件、50年目の無罪判決、3/1警視庁と大阪府警に交通情報センター開設、3/31吉展ちゃん誘拐殺人事件発生、4/1北九州市が6番目の政令指定都市に指定、4/7 NHKで初の大河ドラマ『花の生涯』が放送開始、4/11ローマ教皇ヨハネス23世、回勅“Pacem in Terris”発布、4/25大阪駅前に歩道橋設置(一般用としては日本初)、5/1狭山事件、6/3教皇ヨハネス23世死去、6/5黒部川第4発電所完成、6/12初の女性宇宙飛行士テレシコワが「ヤー・チャイカ(私はかもめ)」と発信、6/20日本初の外資系ホテル東京ヒルトンホテル開業、6/21パウロ6世教皇就任、7/2日清焼きそば発売、7/11老人福祉法制定、7/26スコピエ大地震(M6.1)、8/5米英ソが部分的核実験停止条約(PTBT)に調印、8/8ロンドンで大列車強盗事件、8/15政府主催の全国戦没者追悼式第1回、8/28ワシントン記念堂前で、Martin Luther King, Jr.が“I have a dream”演説、9/5草加次郎事件の始まり、9/10筑波研究学園都市建設が閣議了解、9/12最高裁で松川事件の被告全員が無罪、11/1新千円札(伊藤博文)発行、11/1南ベトナムでズオン・バン・ミン(Duong Van Minh、楊文明)のクーデター、ゴ・ジン・ジェム暗殺、11/9鶴見事故、三井三池炭鉱爆発事故、11/22アメリカのKennedy大統領がダラスで暗殺される、Lyndon Johnson副大統領が大統領に昇格、11/23初の日米間テレビ宇宙中継実験、12/7砂川事件、最高裁で確定判決、12/8力道山刺される、15日死去、12/17朴正煕(パク・チョンヒ)大統領就任、など。11月9日の横須賀線鶴見事故では150人しかいない筆者の高校の同期生のうち2名が死亡し、1名が重傷を負った。

話題語・流行語としては、「カワイコちゃん」「三ちゃん農業」「小さな親切」「へんな外人」「OL」「サインペン」「タッパーウェア」「なんである、アイデアル」など。

ノーベル物理学層は、対称性の基本原理に対しEugene Paul Wignerに、原子核の殻構造に対しMaria Goeppert-MayerとJ. Hans D. Jensenに授与された。化学賞は、新しい触媒を用いた重合法の研究に対し、Karl ZieglerとGiulio Nattaに授与された。生理学・医学賞は、神経細胞膜の末梢および中枢部における興奮と抑制に関するイオン機構の発見に対し、John Carew Eccles、Alan Lloyd Hodgkin、Andrew Huxleyの3名に授与された。

日本政府関係の動き

1) 日本学術会議(勧告「学術研究用大型計算機の設置と共同利用体制の確立について」)

a) 学術会議への申し入れ
『東京大学大型計算機センター10年のあゆみ』の小野周教授の記事に、学術会議をめぐる動きについて記されている。このころ、わが国の原子核研究(当時は素粒子物理を含む)は計算機利用に関する制約から精度が低く、物理的意義が少ないという批判を受け、研究者が強い衝撃を受けた。そこで、日本学術会議の長期研究計画調査委員会(福島陽一委員長)に「早急に大型計算機を使えるように」との申し入れ書を提出した。

b) 「計算センターに関する打ち合わせ会」
同委員会は、この申し入れに基づき、1963年2月23日、「計算センターに関する打ち合わせ会」を開催し、大型電子計算機の問題を検討した。この会議には北川敏男、後藤以紀、岡田実、福島要一、小谷正雄の各委員、また学術会議以外から、山下英男、小野周、森口繁一、城憲三、大泉充郎の出席を求めて種々の立場から検討した。長期研究計画調査委員会としては、原子核研究分野に対して資料の提示を求め、また原子核以外の分野において「大型計算機の欠如が研究に制約を与えている分野」についても調査することになった。当時直接問題になったのは、結晶学の分野で、国際専門誌Acta Crystallographicaでは、回折に関する論文については、要素解析を行わない論文は載せない、という規則ができ、日本からの論文は、大型計算機を使えないため、この規則によると掲載できなくなるという重大な問題があった。その他の分野でも、大型高速計算機を必要とする程度の研究が阻害され、このままで進むと国際的に著しく立ち遅れるようになるということが明らかになった。」

次の打ち合わせ会では、東京大学、東北大学等における高速計算機利用の要求の調査また設置の計画が述べられた。計算機の需要の伸びは予想外で、大型計算機センターは複数を考えるべきこと、大型計算機は利用を中心とし、大型計算機そのものの研究(今の言葉で言えばコンピュータ科学)はこれと別に考えること、大型・中型・小型の計算機全体に通じる階層的な計算機体系を考えるべきことが議論された。また、東京大学高速計算機委員会において計画中の東京大学の案、およびUNICONについて説明があった。さらに、計算時間の購入ではだめで、大型計算機を設置することが必要であり、東京大学だけでも数年ならずして計算時間が足りなくなると指摘された。また、維持費や電力料金、消耗品、設備の増強などの予算も必要であり、定員を付ける必要も強調された。センターの指導員についても議論された。

c) 学術会議勧告
長期研究計画調査委員会は、これらの検討をもとに「学術研究用大型計算機の設置と共同利用体制の確立について」の勧告案をまとめ、1963年4月、第39回総会に提案した。この案は同総会で可決され、 1963年5月13日、日本学術会議から、「学術研究用大型高速計算機の設置と共同利用体制の確立について」を政府に勧告した。日本学術会議会長朝永振一郎から内閣総理大臣池田勇人宛に以下の要望が述べられている。

 学術研究の基盤として、計算機利用の重要性に鑑み、政府は、速やかに適切な政策と措置とにより、次記の趣旨において、学術研究用大型高速計算機の設置を根幹とする全国計算センター体系の確立を図られるよう要望する。

(1) 大型高速計算機を速やかに設置し、計算機利用のサービス機関としての全国共同利用施設を設立すること。

(2) 全国の大学、研究機関には、それぞれの規模に応じ、中型あるいは小型電子計算機を組織的に設置し、かつそれらの運営上遺憾なきよう要員の整備、保守および維持の諸経費に関して適切な対策を考究し、必要な措置を講ずること。

(3) 学界は、大、中、小各型を通じて全国各分野の研究者が最も有効に計算機装置を利用しうるよう、共同利用機構を確立すべきである。政府は、この実施のための所要の研究費等について十分の措置を講ずること。

(4) 以上の緊急措置とともに、学会の将来の研究における計算需要について、各分野における要望を質及び量の両面にわたり組織的に把握し、国産機開発に対しても、政府は学会の要望を十分に聴き、これを具体的に反映できるよう、適切な措置を講ずること。

 

 高速度計算機に関する問題は、その研究、開発および利用について多数の課題があり、しかもその各課題がたえず進展、変化している。

 今ここに勧告する部分は、とくにその利用を中心とした第一次のもので、本会議としては、今後も、この計算機の問題については引き続き検討をつづけ、それぞれの段階に応じた勧告を今後も行う予定である。

 

 理由

 (以下割愛)

 

この後には、膨大な添付資料が付けられている。

添 付 資 料

1.わが国における計算機導入状況

2.東大における計算需要調査

3.東北地区における大型電子計算機整備に関する案

4.大阪大学計算センター設置準備委員会資料

5.大型電子計算機の例

6.大型計算機共同利用施設案

7.IBM7090の共同利用方式の例[筆者注:UNICONのこと]

8.大型計算機を設置する場所を選定する条件とその理由

9.九州大学資料

10.長期研究計画調査委員会計算センター小委検討結果報告

要員構成

教授                  1
助教授または講師  2
助手        2
技官        3
パンチャー      20
事務官        1
事務員        3

計              32

 

添付資料6の要員の構成については、右のように書かれている。相当数のパンチャーが想定されているあたりは時代であろう。施設、予算、人員などについては詳しい検討がなされているが、全国共同利用の必要性は強調されているものの、制度設計という点はまだあまりアイデアがまとまっていないという印象である。資源の階層的配置が述べられている点は注目される。

この勧告の中で、「信頼度の高い一台の設置をまず行うべきで、その一台は必ずしも国産であることを要しない、とすべきである」と述べられている。これは、当時の国産の大型電子計算機開発の微妙な状況を反映しており、その後の東京大学で機種選定の議論と合わせて興味深い。

d) 文部省との議論
1963年6月10日に開催された、科学技術会議(総理大臣の諮問機関、1959年2月設置)の日本学術会議連絡部会において、学術会議側の小野周委員は、この勧告について政府側に説明した。その席でこの勧告は文部省において検討することになった。文部省側では、これに先立って6月3日に、研究所協議会委員と関係者で大型電子計算機についての懇談会を開催した。議論になったのは以下の点である。

  • IBM 7090をフルに稼働させる計算需要はあるか? ある。
  • サービス機関なのに、なぜ教授、助教授が必要か? 質の高いサービスをするには、高い水準の科学者が必要(文部省は納得せず)
  • 計算依頼の窓口はどうするか? 各地の中センターを通して依頼する形を検討(検討継続)
  • 国立大学の共同利用施設だから、公私立大学には使わせるべきでないのでは? それは学術会議の勧告の精神に反する。
  • 使用料金の算定の基準、とくに公私立大学を割高にすべきか?
  • 営利を目的とする計算は引き受けない。計算結果の報告は公表する。
  • 国立学校設置法に共同利用施設として明記するか、大学附置として実質的に共同利用にするか?

その後、6月18日に日本学術会議の長期研究計画調査委員会が開催され、7月8日、研究所協議会において、共同利用の趣旨で大型電子計算機を東京大学に設置するとの答申を決定した。

e) 長期研究計画調査委員会の見解
これに先立って、学術会議長期研究計画調査委員会に、文部省大学技術局研究助成課長から、「大型電子計算機の設置理由と設置機構について」意見を聞きたいとの問い合わせが口頭であり、長期研究計画調査委員会では、6月12日に計算センターに関する打ち合わせ会を開き、その回答案を検討し、長期研究計画調査委員会委員長名で文書により伝達した。そこでも最初は外国製品(具体的にはIBM 7090級)を輸入するのが妥当と述べられている。

引き続き長期研究計画調査委員会は、あらためてその見解を、8月15日に学術会議事務局長を通じ、研究助成課長に伝達した。その主要部分を下記に記す。

学術研究用大型高速計算機設置の条件について

1.本件に関する日本学術会議の態度は極めて明確であり、これが全国研究者に共同利用されることが勧告の前提である。よって大型電子計算機が設置される場合はそれがどこに置かれようと、その設置に際し疑義が生じないようにすべきである。

2.全国の研究者が機会均等に利用できなければならない。とくにその研究者が設置する機関に属しているかいないか、また国立大学に属しているかいないか、大学以外の研究機関に属しているかいないかなどの理由により利用上差別されてはならない。いずれの場合においても純粋な学術研究を目的とし、営利を目的としないものに限られることはいうまでもない。また実質的な機会均等を実現するために、大型計算機の設置場所から遠隔の距離にある研究者のための共同利用の旅費など特別の措置を講じなければならない。

3.また共同利用の実を上げるため、関係研究者の総意にもとづいて運営されなければならない。このため当該施設の代表者のほか、各研究分野の利用者代表、諸計算センターの代表などにより構成される運営委員会を置かなければならない。当該施設の代表以外は学術会議推薦によるべきである。当該施設の予算人事、運営規則の制定および変更などについては、運営委員会の議によるものとする。

4.学術研究用大型高速計算機は近い将来について複数台を必要とするであろう。複数台設置される場合においてもこれらの施設は設置機関固有の施設とすべきではなく、共同利用として運営されなければならない。

 ただ日、この場合地域的な分担あるいは専門分野の分担に関して、センターの役割が変わることはあり得るであろう。

 なお、上記の諸条件を満たすためには、法令の改正が必要と考えられる。

 大型計算機の設置、および運営方針の決定にあたっては設置される研究機関ならびに現在大型計算機設置に関して具体的な計画を持つ他の大学研究機関の計算機を使用する研究者が日本学術会議とも充分に連絡を取り科学者、研究者の意見が一致するよう指導されたい。

 

この文書は、学術会議が大型計算機センターの共同利用についての原則についての公式の見解を表明したものとして、非常に重要である。

2) 通産省(FONTAC)
日本の会社がアメリカから技術導入して開発した機種は事務用中型機種が主体で、IBM 7090/7094やUNIVAC IIIなどの大型機には対抗できなかった。日立が開発した大型機HITAC 5020/5020Eは画期的であったが、これは例外である。1962年9月(コンピュータ博物館によると7月)、通産省の指導の下で、富士通、日本電気、沖電気の3社に「電子計算機技術研究組合」を結成させ、これに3年間で3億5千万円の補助金を与えた。IBM 7090や7094レベル以上の国産コンピュータの開発を目標とした。3社の頭文字をとってFONTAC (Fujitsu Oki Nippondenki Triple Allied Computer)と呼ばれ、CPUは富士通、入出力制御用衛星計算機は日本電気、入出力装置は沖電気が担当した。1964年11月に総開発費11.3億円で完成し、日本電子工業振興協会に納入された。富士通は、このCPUを一部改良してFACOM 230-50として1966年に製品化する。

3) 日本電子計算機(JECC)
1963年11月25日、2回目の日本電算機ショウを国際貿易センターで開催した。OKITAC 5090H、FACOM 241D、TOSBAC-4200、MADIC III、HITAC 3010、MELCOM 1530、NEAC-2400が出品された。

4) 京都大学
1963年4月1日、京都大学に全国共同利用の研究所として数理解析研究所が設立された。1967年4月に計算機構部門が設置され、同年度、附属計算機構研究施設にTOSBAC 3400を設置する。

5) 航空宇宙技術研究所
1955年に総理府により設立された航空技術研究所は、1963年、科学技術庁所管の航空宇宙技術研究所となった。英語名はNAL (National Aerospace Laboratory of Japan)のままである。

次回、東京大学では1962年末に設置された「大型計算機設置時に関する実行小委員会」において機種に関する議論が始まる。定評のある外国機にするか、頑張って国産機にするか、喧々諤々の議論が行われた。第1次人工知能ブームが始まる。

(アイキャッチ画像:FONTACコンピュータ  出典:情報処理技術遺産 )

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