新HPCの歩み(第31回)-1963年(b)-
日本では、富士通信機製造がFACOM 231を、日立製作所がHITAC 4010)を、沖電気がOKITAC 5090Hを開発。アメリカでは、MITがProject MACを発足させ、オペレーティングシステム、人工知能、計算理論などの先駆的研究成果を生み出した。Seymour CrayはCDC 3600を設計し出荷した。 |
日本の大学センター等
1) 東京大学(大型計算機設置)
1959年のところに書いたように、東京大学では1959年3月17日に「高速計算機委員会」という全学組織が設置され、全学のコンピュータ環境について議論する最高機関となっていた。以下の記述は、『東京大学大型計算機センター10年のあゆみ』所収の有馬朗人教授の記事による。
大型計算機設置に関する実行小委員会 委員長 小谷正雄(理) 委員 有馬朗人(理)、高橋秀俊(理)、森口繁一(工)、 佐藤泰夫(地震研)、藤崎博也(工)、猪瀬博(工)、 元岡達(工)、清水留三郎(工)、 |
東京大学では、1962年12月24日、大型計算機の設置に関する実行小委員会を高速計算機委員会の下に発足させた(年表では5月となっているが、有馬の記事では12月。おそらく第1回会合が12月なのであろう)。メンバーは右の通り。1963年7月25日まで計14回の会合を行って、概算要求の具体化を行った。
実行小委員会は、1963年3月下旬に、国産大型機開発状況を調査するために、日立、富士通、日本電気、沖、FONTAC(富士通、日本電気、沖電気の三社連合)を招いて聴取した。有馬の記録によれば、HITAC 5020は8語のメモリで演算の試験段階という状態であり、三社連合(FONTAC)は設計に掛かったばかりで、命令体系も未定ということであった。小委員会は、国産は無理と判断し、外国機に向かった。IBM社の7094、7090、7044、UNIVAC 1107、Burroughs B5000が話題に上ったが、結局IBM 7044を予算要求の機種として選定した(予算書を書くための前提で、実際の機種選定とは別)。外国機を導入することはほぼ暗黙の前提であった。また、購入か借用かについては、5年以内に容易に新機種と交換できるように借用という考え方を採用した。
1963年5月13日、日本学術会議から、「学術研究用大型高速計算機の設置と共同利用体制の確立について」という勧告が政府に出された。その答申に基づき、東京大学高速計算機委員会は、1963年5月には、この学術会議勧告に呼応して、1964年度概算要求に大型計算機の設置計画を入れた。一応東大で利用するという前提で予算請求したが、上記の学術会議の議論を受けて全国共同利用の要求に応じることも考えていた。この時の概算要求がどのような費目でなされたかは確認していないが、その後の流れでは、コンピュータのレンタル費用は国立学校特別会計の附属施設経費として要求されている。これは他の目的には流用できないいわゆる「紐付き予算」であり、レンタル費用を安定的に支弁することが保証されていた。
文部省は、これを修正し、全国の共同利用を前提として、東京大学への大型計算機予算を大蔵省に要求した。1964年度国庫債務負担行為(年度内に契約はしたが支出は翌年度以降になるという場合に用いられる)として、1966年1月以降1966年度末(1967年3月)までの大型計算機の借料など、合わせて総額518、347、000円の予算が承認された。これに関連して、文部省大学学術局長より東京大学総長あてに全国の研究者の共同利用のため大型計算機を設置することに関して依頼があり、東京大学総長より異存のない旨回答がなされた。われわれは当たり前のように思っているが、各大学が別法人となっている現在だったらどうなるだろうかと心配になる。
初期の歴史やシステム構成は、アメリカのMountain ViewにあるComputer History Museum にアーカイブされている1965年のパンフレットに詳しい。
2) 京都大学
1963年、工学部計算センター設立準備委員会が発足した。
3) 大阪大学(NEAC-2206)
1963年3月、NEAC-2206を設置、使用開始。
4) 九州大学(OKITAC 5090)
1963年、中央計数施設にOKITAC 5090を設置。1年後、OKITAC 5090H導入。
5) 小樽商大
OKITAC 5090Hを設置する予定であったが、代替機としてOKITAC 5090Aを設置した。おそらく間に合わなかったのであろう。
6) 金沢大学
金沢大学は、1963年、理学部内に電子計算機室が発足。
7) 大阪電気通信大学(KODIC-402)
大阪通信大学は、1963年3月、光電製作所のパラメトロン計算機KODIC-402を導入した。愛称OTSUDAC-1。2014年現在展示されており、「昭和38年3月今日ほどコンピュータがまだ普及していない時代に 他大学に先がけて 文部省の理科助成を受け 本学に導入されたものです。」と書かれている。
Wikipedia「パラメトロン」によれば、日本大学工学部にもKODIC-402が設置されたとのことであるが、確認されていない。
8) 和歌山大学(MADIC-IIA)
1963年、松下通信工業社製MADIC-IIAシステムが、和歌山大学経済学部に設置され、計量経済学や統計学の分野における研究教育に活用された。現在、和歌山大学史展示室にあり、情報処理学会情報処理技術遺産に認定されている。
9) 慶応義塾大学
1961年に工学部(小金井)に計算センターが設置されたが、1963年4月、三田にも電子計算機室が設置された。1999年、三田ITC(インフォメーション・テクノロジー・センター)と改称した(要確認)。
10) 東京大学原子核研究所
1962年1月設置されたINS-1は、1963年6月にコアメモリの増設、浮動小数点関係の新設、高速紙テープ穿孔機の増設等が行われた。そして、主として宇宙線部のエアシャワーの編集・解析に大いに利用されたが、高エネルギー部、低エネルギー部等の研究者も利用するところとなった。1963年4月から1964年3月までの各部の利用時分は以下の通り。理論部の利用は記録されていない。
低エネルギー部 | 54:05 |
高エネルギー部 | 120:15 |
宇宙線部A(エアシャワー) | 627:30 |
宇宙線部B | 42:15 |
計算機室 | 37:00 |
合計 | 881:05 |
11) 統計数理研究所(HIPAC 103)
1950年代から統計数理研究所(1949年から文部省直轄の研究所、1955年から港区麻布富士見町に移転)は継電器式計算機TSK II(FACOM-128)やTSK I(FACOM-415)を設置して利用してきたが、1963年3月30日、新しい電子計算機TSK III(HIPAC 103)が設置された。日立最後のパラメトロン計算機で、30台ほど売れたベストセラーである。FORTRAN系のコンパイラHARP (Hitachi Automatic Rapid Program)は、日立が初めてを開発したものである。補助的に、アセンブラHISIP (Hitachi Symbolic Input Program)を使用した。SIPは、当時数社で共同して開発した仕様で、筆者もOKISIPをOKITAC 5090で使用した。計算機室ではより高機能のアセンブラを開発した。
また、このコンピュータにはAD変換機やXYレコーダとともに、ダイオードの熱雑音をコンパレータで比較する方式の物理乱数発生装置(日立製作所製)が付属していた。
翌年、アナログ計算機と接続して、全体をTSK IIIと名付ける。
国内会議
1) プログラミングシンポジウム
第4回のプログラミンシンポジウムは、1963年1月9日~11日に開催され、123名(大学関係64名、会社関係59名)が参加した。数理科学の科研費総合研究は1962年度で終了し、1963年には京都大学数理解析研究所が発足するが、参加者の要望により、このシンポジウムはその後も継続されることとなった。
これまでの運営委員会がプログラミングシンポジウム委員会と改称してその運営を担当することとした。 ただしこの時すでに情報処理学会が設立されていたため、同様の目的・内容を持つ研究活動が異なる母体の下で展開されることは将来にわたって望ましくないとの判断に基づき、同学会との間で話し合いが行われ、プログラミングシンポジウム委員会は情報処理学会の研究委員会の1つとなること、 ただし従来の運営方式を継続して独立採算制をとり、事務は慶応工学会に委託することで了解が成立した。1984年からは情報処理学会主催となっている。
日本企業
1) 富士通信機製造(FACOM 231)
富士通信機製造は、IBM 1401の発表に刺激され、トランジスタ式小型汎用コンピュータFACOM 231を開発した。従来の小型機が固定長ワード指向で、主記憶に磁気ドラムを使用していたのに対し、可変長ワード指向で、主記憶には磁心メモリを使用した。1963年3月に完成した、4月には1号機が神奈川大学に納入された。これに先立つ1962年11月、JECCが晴海で主催した第1回日本電子計算機ショウに、FACOM 241とともに出展した。また、1964年4月22日から65年10月17日にQueensで開かれたニューヨーク世界博覧会に、日本政府より国産コンピュータの代表として推薦され、日本政府館に展示された。FACOM 231はその後100台販売された。
2) 日立製作所(HITAC 4010)
日立製作所は、オンライン・リアルタイム処理機能を備えたHITAC 4010を1963年10月に発表した。RCA 3301 (Realcom、RCA 301と互換で、リアルタイム機能を増強)を国産化したものである。主記憶は字(6+1ビット)単位で、4万字から16万字まで可能。また、3台のHITAC4010またはHITAC3010を直接結合して、マルチプル・システムを構成できる。日本電信電話公社や、三和銀行の為替オンライン等に用いられた。
3) 沖電気(OKITAC 5090H)
1963年、沖電気はOKITAC 5090Hを発売した。これはA~DやM型とアーキテクチャが全く異なり、大型化汎用化を目指して設計された。特にタイムシェアリングシステム(TSS)の実現が主目的であった。
1963年6月、沖電気はアメリカのRemington Rand社(Univac部門)と技術提携の契約を結んだ。同年11月、沖ユニバック株式会社を合弁で設立し、OUK-1004、OUK-1050などの生産および販売を行った。競合のおそれから5090の生産を中止することとした(1965年から急減するも、実際には1967年度まで販売している。後継機の開発を中止したということか)。
4) 日本レミントン・ユニバック社
1963年、野村證券、山一證券にUNIVAC IIIを設置した。
5) 日本電気(NEAC-2400、3400、2800)
1963年4月、日本電気はHoneywell H-400、1400、800の3機種を国産化し、NEAC-2400、3400、2800として発表した。
6) 三菱電機
三菱電機は1962年にTRW社と技術提携契約を結んだが、この契約により1963年、TRW 530というコンピュータを汎用中型コンピュータMELCOM 1530として製品化した。マイクロプログラム方式であるが、マイクロコードは磁心の主記憶上に配置されている。
7) 光電製作所(KODIC-402)
光電製作所は、パラメトロン計算機の試作機KODIC-401をもとにKODIC-402を開発した。励振2 MHz、十進16桁固定小数、磁気ドラム4000Wである。数台製作された。1963年11月に晴海で開催された第2回国産電算機ショウで公開された。社内、日本大学工学部(要確認)、大阪電気通信大学(1963/3)に納入された。
8) 横河電機
1963年8月、米国のHewlett-Packard社との合弁で横河ヒューレット・パッカード株式会社(YHP)を設立した。Wikipedia “Hewlett-Packard”によると、1960年代のソニーや横河電機との連携が、米HP社にとって高品質の製品の開発に非常に有効であったとのことである。
9) 日本IBM社
1963年4月、1962年に発表されたIBM1440を東京の千鳥町工場で現地生産することを発表し、1964年3月に1号機が完成した。
世界の学界
1) Project MAC
MIT(マサチューセッツ工科大学)は、1963年7月1日、DARPAの$2Mの資金により、Project MACを発足させた。プロジェクト自体は1961年ごろから始まっていたらしい。MACは最初“Mathematics and Computation”の略であったが、その後“Multiple Access Computer”、“Machine Aided Cognitions”、“Man and Computer”など多様な解釈が生まれた。Project MACは、オペレーティングシステム、人工知能、計算理論などの先駆的研究成果が生み出されたプロジェクトである。1970年には恒久的組織であるMITコンピュータ科学研究所(MIT Laboratory for Computer Science、LCS)となった。LISP言語の一種MACLispは Project MAC の一環として開発された。 コンピュータ科学研究所となって以降も様々な先駆的研究が行われ、特にインターネット発展への寄与が大きい。第1次人工知能ブームの一幕であった。
2) Schoonschip(数式処理システム)
オランダ出身の理論物理学者Martinus Justinus Godefriedus Veltmanは、アメリカのSLAC滞在中に、数式処理システムSchoonschip(オランダ語で「美しい船」という意味)をIBM 7094の上で設計し、1963年12月に稼働した。1966年にCDC 6600に移植した。公開は1967年。もっとも古い数式処理システムである。だいぶ後のことであるが、CDC 6600のアセンブリ言語で書かれたSchoonschipを入手し、友人に頼んで6600の上で動かしてもらった記憶がある。なおVeltmanは、1999年、Gerardus ‘t Hooftとともに「物理学における電弱相互作用の量子構造の解明」によりノーベル物理学賞を授与された。Veltmanは、2021年1月4日、89歳で亡くなられた。
3) IEEE
1963年1月1日、IEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers)が、アメリカ電気学会AIEE (American Institute of Electrical Engineers)と、アメリカ無線学会IRE (Institute of Radio Engineers)との合併により発足した。
国際会議
1) ISSCC 1963
10回目となるISSCC 1963 (1963 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1963年2月20日~22日に、Pennsylvania大学Irvine AuditoriumとUniversity Museum、およびPhiladelphia Sheratonホテルを会場に開催された。1963年1月にIEEEが正式発足し、会議名にIEEEを冠した。主催はIEEE Professional Technical Group on Circuit Theory、IEEE Philadelphia Sections、IEEE Electronic Circuits and Systems Committee、University of Pennsylvaniaである。組織委員長はFranklin H. Blecher (Bell Labs)、プログラム委員長はS. Ghandhi (Philco Scientific Lab)である。電子版の会議録はIEEE Xploreに置かれている。
アメリカの企業
1) IBM社(IBM 7094II)
IBM社は7094を改良して、クロックを上げ、2系統のメモリバンクを用い、命令のパイプライン実行を実現した7094IIを開発した。性能は7094の二倍近くとなった。1964年4月に出荷された。
2) Sperry Rand社
同社は、リアルタイム用のコンピュータUNIVAC 490 (M-490とも呼ばれるらしい)を1963年に発売した。13819個のトランジスタと37543個のダイオードを使用している。30ビット語で、主記憶は16KWまたは32KWの磁気コアを搭載できる。設計者はCDCに移籍(1958年)する前のSeymour Crayであった。だから、UNIVACというよりERA社の技術である。少なくとも47台が製造され、内6台はNASAに納入されてGemini計画やApolla計画で活躍した。1963年5月9日付のCIA秘密文書があるので、それ以前に出荷されたとは思うが、正確な出荷年は不明である。
3) CDC社(CDC 3600)
CDC社のSeymour CrayはCDC 3600を設計し、1963年6月出荷した。これはCDC 1604と同様に1語48ビットのマシンであった。
4) Honeywell社(H-200)
Honeywell社は1963年11月、IBM 1401に対抗する小型コンピュータHoneywell 200 (H-200)シリーズを発表した。これはキャラクタ指向のアーキテクチャで、各文字は6ビットデータと2ビットの区切りビットと1ビットのパリティから構成されている。H-200はIBM 1401のエミュレーション・ソフトウェアを備えており、大成功した。日本電気は、1962年に同社とコンピュータに関する技術提携契約を結んでおり、日本電気は1964年、H-200シリーズをNEAC-2200シリーズとして発売した。NEAC-2201シリーズ(2201~2230)は、ETL Mark IVの技術を受け継いだもので別系統である。
5) General Electric社(GE-635、GE-625、GE-615)
同社は、1963年2月、1959年から軍用に開発していたM236を商用化することを決定した。M236は、アポロ計画のレーダー追跡システムのために開発された。これはデータをIBM 7094に送るので当然36ビットマシンであった。完成したマシンは大型のGE-635と、縮小版のGE-625とGE-615であった。1965年中に出荷が始まった。GE-635はDTSS (Dartmouth Time Sharing System)でも使われた。
6) SDS社(SDS 930)
SDS社(1961年設立)は、1963年12月SDS 930を発表し、1964年6月に出荷した。これはSDS 9 seriesの一つであり、1語は24bitsで、バイポーラ接合トランジスタを用いている。FORTRAN IIおよびALGOL 60が利用可能。
企業の終焉
1) Ferranti社
ICT (International Computers & Tabulators)社は、1963年、Ferranti社のコンピュータ部門を吸収した。
2) Bendix社
1963年、CDC社はBendix社のコンピュータ部門を買収した。
パラメトロン計算機一覧
このころまででパラメトロン計算機の開発はほぼ終了した。完成順に一覧を記す。[]は納入先と年次。
完成 |
開発者 |
機種 |
主記憶 |
備考 |
1956/10 |
日本電子測器、東京大学 |
なし |
15桁の十進レジスタを16個持つパラメトロン計算機 |
|
1957/3 |
電気通信研究所 |
MUSASINO-1 |
2周波磁心 32W→256W |
二進法並列、数値は40bit語 1958/3に256Wへ拡張 |
1957/9 |
東京大学 |
PC-1/4 |
なし |
PC-1の4分の1の予備実験機。9ビットで二進4桁の計算が可能。 |
1957/12 |
日立製作所 |
HIPAC MK-1 |
磁気ドラム 1024W |
固定小数点36bit語。
|
1958/3 |
日本電気 |
NEAC-1101 |
2周波磁心 256W |
二進法、浮動小数、数値語16bitと32bit 後に512Wに増強 |
1958/3 |
東京大学 |
PC-1 |
2周波磁心 256W |
数値語は18bitと36bit、命令語18bit |
1958/3 設置 |
日本電気、 東北大学 |
SENAC-1 (NEAC-1102) |
磁気ドラム 1024W |
固定・浮動小数48bit語。同年11月から計算センターで公開。 |
1958/9 |
富士通信機製造 |
FACOM 200 |
磁気ドラム |
十進、試作機 |
1958/11
|
日立製作所 |
HIPAC 101 |
磁気ドラム 2048W |
眼鏡型パラメトロン使用。42bit語固定小数。1959年6月にパリのUNESCO主催展示会に出品。 [日立製作所中研(1959/3)、日本科学技術研修所(1960/8)、日立製作所(1960/9)、日立製作所中研(1960/10)] |
1959/3 |
沖電気工業 |
OPC-1 |
磁気ドラム 1000W |
十進、固定浮動切り替え、試作機 |
1959/4 |
富士通信機製造 |
FACOM 212 |
磁心 32W |
十進12桁、IBMカード機器を接続する事務用として製品化。 [日本電子工業振興会(1959/4)、富士電機三重工場(1960/2)、関西電力(1960/10)、マニラ関税局(1960)など] |
1960/3 |
電気通信研究所、 |
MUSASINO-1B |
2周波磁心 256W? |
MUSASINO-1の改良版。眼鏡型パラメトロン使用、二進40bit語、固定小数
|
1960/3 |
富士通信機製造 |
FACOM 201 |
|
MUSASINO-1Bの製品化。 [東京理科大1960/6] |
1960? |
日本電気 |
NEAC-1103 |
磁心1024~2048W |
NEAC-1102の改良版、磁気テープやラインプリンタを追加。 [防衛庁技研(1960/3)、日本電気多摩川事業所(1960/3)] |
1960/7 |
日立製作所 |
HIPAC 101 |
磁気ドラム 2048W |
42bit語、固定小数、。 [日立中研(1959/3試作)、日本科学技術研修所(1960/8)、日立本社(1960/9)、日立中研(1960/10)、日本ビジネスコンサルタント(1961/3)] |
1960/8 |
東京大学、富士通信機製造 |
PC-2 |
2周波磁心 容量不明 |
48bit浮動小数、8台の磁気テープ装置を駆動 |
|
富士通信機製造 |
FACOM 202 |
|
PC-2の商品化。ALGOLIPが使えた。 [東大物性研1961/3] |
1960 |
光電製作所 |
KODIC-401 |
磁気ドラム |
科学計算用。試作実験機。 |
1960 |
電電公社 |
CM-1 |
|
電話料金計算用 |
1961/8 |
日立製作所 |
HIPAC 103 |
磁心1024/4096W 磁気ドラム 8192W |
48bit語、二進固定/浮動、科学技術計算用。FORTRANコンパイラ(HARP)を開発 [関西電力(1961/12)他30台] |
1962/1 |
東京大学原子核研究所、 沖電気工業 |
INS-1 |
磁心512W |
40bit語、翌年拡張(磁心1024W、浮動小数演算装置、紙テープ穿孔機など)、1965年磁気ドラム2台追加。 |
1962? |
工学院大学 |
|
|
PC-1の写し? 詳細不明 |
? |
防衛大学校 |
|
|
PC-1の写し? 詳細不明 |
1963 |
光電製作所 |
KODIC-402 |
磁気ドラム4000W |
KODIC-401の製品版、十進16桁固定小数、 [社内、大阪電気通信大学(1963/3)、日本大学工学部?] |
1964/9 |
日本電気 |
NEAC-1210 |
磁心500W 磁気ドラム2500W |
十進、長語12桁、短語6桁、電子会計機 [700台販売] |
パラメトロンを使用した汎用コンピュータ以外の機器を完成(納入)順に記す。調査は進んでいない。
|
開発者 |
|
1955/12 |
電気通信研究所 |
半電子交換機α |
? |
日立製作所 |
半電子交換機(日本電信電話公社の指導のもと) |
1956/10 |
国際電信電話 |
計数型統計機 |
1957/6 |
電気通信研究所 |
ZZZ装置(時間帯域登算装置) |
? |
日立製作所 |
ZZZ装置 |
1957/12 |
国際電信電話 |
モールス5単位符号変換機 |
1958/8 |
電気通信研究所 |
CAMA(集中式自動通話記録)装置 |
1958 |
国際電信電話 |
2L-5L変換機 |
1959/1 |
電気通信研究所 |
半電子交換機β |
1959/10 |
電気通信研究所 |
全電子交換機ω |
1959 |
国際電信電話 |
電信再生中継器 |
1960/1 |
国際電信電話 |
ARQ式自動誤字訂正印刷電信端局装置 |
1960/3 |
東大原子核研究所・三菱電機 |
空気シャワー自動記録装置(MELCOM 3409か?) |
1961/2 |
電気通信研究所 |
CAMAタイパ装置 |
1963 |
沖電気工業 |
ACP-2203交換機(半電子交換機) |
1963 |
沖電気工業 |
パラメトロン式全電子電信交換機(国際電電納) |
次回は1964年、私事ではあるが3年生となった筆者はコンピュータなるものを始めて使った。入力は紙テープであった。東大大型計算センターは国産機の導入を決断する。
(アイキャッチ画像:CDC 3600 出典:Computer History Museum)
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