世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


4月 19, 2021

新HPCの歩み(第40回)-1968年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

日本の各社は引き続き汎用コンピュータの開発を競っている。メモリは磁気コア、演算素子はICという組み合わせが多い。湯川秀樹先生の後押しにより、Isingモデルのコンピュータシミュレーションの映画が完成した。

社会の動き

1968年(昭和43年)は世界中が激動の一年であった。1/5プラハの春始まる、1/17エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争、1/21韓国青瓦台襲撃事件(朴大統領暗殺未遂)、1/23アメリカ海軍のプエブロ号拿捕事件、1/29東大医学部自治会無期限スト、1/30ベトナム戦争でテト攻勢、2/6グルノーブル冬季オリンピック大会開幕(2/18まで)、2/21金嬉老が寸又峡に立てこもる、2/21えびの地震(M6.1)、2/26成田空港阻止三里塚闘争集会、3/16ソンミ村虐殺(ベトナム戦争)、3/28東大全共闘が安田講堂を一時占拠、翌日の卒業式中止、3/31北爆停止、ジョンソン米大統領不出馬表明、4/1日向灘地震(M7.5)、4/1国際勝共連合発足、4/1物理学者Lev Davidovich Landau死去、4/4キング牧師暗殺、4/7神戸高速鉄道開業、私鉄相互乗り入れ、阪急神戸駅(現神戸三宮駅)を三宮駅に改称、4/12霞が関ビル竣工、4/14日本大学20億円使途不明発覚、5/16十勝沖地震(M7.9)、5/21フランス五月革命始まる、6/2九州大学箱崎キャンパスで建設中の大型計算機センター建屋に米空軍のファントム偵察機が墜落、6/5ロバート・ケネディ暗殺、6/15文化庁設置、6/15東大全共闘、安田講堂占拠、6/26小笠原日本復帰、7/1日本で郵便番号制度実施(3桁または5桁)、7/17電電公社が東京23区でポケットベルサービス開始、7/7参議院議員選挙、石原慎太郎、青島幸男、横山ノックなど当選、7/14プラハの春、ワルシャワ会談、8/8和田心臓移植事件、8/18飛騨川バス転落事故、8/19物理学者George Gamow死去、8/20チェコ事件(ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事介入)、8/24フランスがサハラ砂漠で水爆実験、10/3テレビ版『男はつらいよ』放映開始(翌年3月27日まで)、10/11アポロ7号打ち上げ、10/11カネミ油症事件、10/12メキシコ夏季オリンピック開幕(10/27まで)、10/13~31中国共産党第八期中央委員会第12回全体会議、劉少奇を除名、10/17川端康成ノーベル文学賞受賞が発表される、10/21新宿騒乱事件(国際反戦デー、学徒出陣の記念日)、10/20ジャックリーヌ・ケネディがオナシスと再婚、10/23明治百年記念式典、11/5米大統領選挙でニクソン当選、11/22日航機サンフランシスコ湾着水事故、12/10三億円事件、12/21アポロ8号発射、月を10回周回して27日帰還、12/29文部省が次年度東大、東教大の入試中止決定、など。

流行語・話題語としては、「ベビーブーマー」「昭和元禄」「タレント選挙」「ゲバ」「五月病」「ズッコケル」「大衆団交」など。

チューリング賞は、数値解析、自動プログラミング、誤り検出と誤り訂正符号における業績に対してRichard Wesley Hammingに授与された。

ノーベル物理学賞は、水素泡箱による素粒子物理学の研究に対し、Luis Walter Alvarezに授与された。化学賞は、不可逆過程の熱力学(Onsagerの相反定理など)の研究に対しLars Onsagerに授与された。筆者の目から見れば化学というより物理学の業績である。生理学・医学賞は、遺伝暗号とそのタンパク質合成における機能の解明に対して、Robert W. Holley、Har Gobind Khorana、Marshall Warren Nirenbergの3名に授与された。

筆者は4月博士課程に進学したが、東大は騒然としていた。それでも東大大型計算機センターのHITAC 5020Eを使って、Regge pole現象論など細々と研究を進めていた。同時に愛用したのが高橋・後藤研究室のミニコンFACOM 270-20であった。わずか16 KW (32 KB)の磁気コア主記憶(キャッシュではない!)の弱小マシンであったが、FORTRAN IVが使えた。アキューミュレータやプログラムカウンタのランプが目で読める(ほど遅い)ので、何を計算しているのかが一目瞭然であった。メモリさえ節約すれば、大型計算機センターのHITAC 5020Eで30秒のジョブ(一番小さいジョブクラス)が一晩で実行できた。しばしば高橋・後藤研(の川合慧さん)に頼み込んで一晩占有利用させてもらった。当時、大型計算機センターの30秒のジョブのターン・アラウンドは1週間と長かったし、ミニコンの占有利用ではプログラムのエラーがすぐ修正できるので、大変便利であった。ただ、Xが複素数のとき、X**2(二乗)と書くと、CEXP(2.0*CLOG(X)) と変換されてしまい、めちゃくちゃ遅くなった。しかも実数部が負であるとソフトのバグにひっかかり往生した。X*Xと書き直して解決した。実験データ解析のため、非線形最小二乗法のMarquardt法のプログラム(OYAMIN)を作ったがどうしても32 KBに収まらないので、オーバーレイ(プログラムを分割してドラムやディスクに収納し、そこから必要なものを出し入れして実行する手法)を駆使して32 KBの主記憶に収めた。このオーバーレイ版のOYAMINが、50年近く経った今でもどこかで使われているそうである。もちろんオーバーレイはしていないが。

ドラムのwrite-protectを外して使っていて、時々プログラムの暴走でOSを壊してしまい、川合さんには大変ご迷惑をおかけした。

日本政府関係の動き

1) 電気試験所(ETSS)
MITのCTSSやMulticsに刺激されて、電気試験所でもETSS (ETL’s Time Sharing System)と呼ばれるタイムシェアリングシステムが研究されていた。1966年から始まった通産省大型プロジェクト「超高性能電子計算機の研究開発」の一環であった。1966年からHITAC 8400の上で計画され、1968年春に稼働した。(淵一博『時分割共同利用システム――ETSSについて』情報処理 Vol.11, No.4 (Apr. 1970))

2) 理化学研究所
1960年に発足した情報科学研究室の高橋秀俊主任研究員(兼務)は1968年退任し、後藤英一が東大と兼任で情報科学研究室の主任研究員となった。研究室は、前年開設された和光市のキャンパスに移転した。後藤英一が理研に赴任して最初に取り上げた研究テーマは高精度ブラウン管の開発で、高エネルギー実験で使われる泡箱写真の解析が当初の目的であった。この高精度ブラウン管は東京芝浦電気との共同研究により1975年に完成し、高エネルギー物理学研究所で使用される。またこの電子線操作技術は、次世代LSI製造用の電子ビーム露光装置にも応用される。

3) 電子計算機利用技術研究会
1968年8月、26省庁の担当者が電子計算機利用技術研究会を結成した。詳細およびその後については不明。1987年まで多くの研究成果を公表しているようである。

4) 産業構造審議会
1968年9月7日、産業構造審議会情報産業部会は、中間報告「情報処理および情報産業の発展のための施策について」を発表。

日本の大学センター

1) 京都大学(FACOM 230-60)
京都大学計算機センターは1968年12月、FACOM 230-60を設置した。大型計算機センターとして全国共同利用が始まるのは、1969年4月。

2) 埼玉大学(TOSBAC-3400/21)
1968年3月、埼玉大学において電子計算機室発足、TOSBA-3400/21システム導入。

3) 宇都宮大学(FACOM 270/?)
1968年4月、宇都宮大学に電子計算機室発足、FACOM 270システムを導入。

4) 東京商船大学
1968年、東京商船大学に電子計算機室発足。

5) 奈良女子大学
1968年10月、奈良女子大学電子計算機室を発足し、FACOM270-20を設置。後にFACOM230-28に更新。

6) 香川大学
1968年4月香川大学に計算センター設置。

7) 東京大学原子核研究所(計算機専門委員会)
東京大学原子核研究所では、研究所の計算機計画の推進を強力にするため、1968年3月、研究所内外の研究者から構成される計算機専門委員会が設立された。この委員会で、各研究部が独自に進めてきたデータ収集を主目的とする小型計算機システムの設立または増強計画と、中央に設置されるべき時期計算機計画とを有機的に結び付け、研究所全体の計算機計画として一本化した構造にまとめ上げられ、「実時間データ処理システム」の表題の下に、1969年度概算要求を提出した。この計画は1970年度予算として認められ、1971年2月にTOSBAC-3400/41を導入した。オンライン実験解析とバッチ処理に同時利用するのに、多少苦労をしたようである。

わたくし事ではあるが、筆者も1970年代に、原子核研究所の計算機専門委員会の委員を務めた記憶がある。

日本の学界の動き

1) Ising Model長時間シミュレーション
1968年9月京都で開催された統計力学国際会議において、当時世界最大規模の2次元Ising Model Monte Carloシミュレーションを可視化した映画を16ミリで上映した。Ising modelのサイズは128×128(スピンは各辺の中点に置いたのでスピン総数は32768個)。NHKや岩波映画の協力を得た。長さは30分20秒。作成したのは、荻田直史(理研)、上田顕(京大工)、松原武生(京大物)、松田博嗣(京大基研)、米沢富美子(京大基研)の通称「計算機実験グループ」であった。富士通のF6233Aグラフィックディスプレイにより可視化した。この映画は筆者も後に見たことがある。

この企画を後押ししたのは湯川秀樹京都大学基礎物理学研究所長であり、当時湯川はコンピュータを利用した新しい研究、当時の言葉で計算機実験、現在の計算科学に強い関心を持っていた。シミュレーションの計算を主として実行した荻田直史は、理化学研究所の板橋分所の湯川秀樹研究室の研究員かつ計算機室長であった。NHKや岩波の協力を取り付けたのは湯川の人脈によるところが大きかった。使用したコンピュータは、湯川主任研究員の意向により当時理研板橋分所に設置されていたOKITAC 5090Hのようである(上田顯「分子シミュレーション研究会20周年を迎えて」)。余談であるが、映画では米沢氏のミニスカートが印象的であった。なお米沢富美子氏は、慶応義塾大学教授となり日本物理学会会長(1996年9月~1997年8月)を務めた(当時筆者は学会理事の一人)が、2019年1月22日に80歳で亡くなられた。

日本の企業の動き

日本では引き続き各社が汎用コンピュータの開発を競っていた。

 
 

FACOM 230-60システム

出典:一般社団法人 情報処理学会Web サイト「コンピュータ博物館」

   

1) 富士通(FACOM 230-60、FACOM 230-25, 35, 45)
富士通は、1968年3月大型汎用機FACOM 230-60を完成した。メモリは磁気コア、素子は全面的にICを採用、2 CPUの共有メモリのマルチプロセッサを可能とした。日本初の対称型マルチプロセッサである。世界的に見ても大型機のマルチプロセッサはUNIVAC 1108などまだ数少ない。これまでのFACOM 230-10/30/50とは異なる製品系列である。FACOM 230-60は総計130台以上が出荷された。1969年、2台のFACOM 230-60が京都大学大型計算機センターに納入された。1969年3月には九州大学大型計算機センター(仮設)に設置された。1970年4月には北海道大学大型計算機センターに、1971年4月には名古屋大学大型計算機センターに設置された。

1968年8月には、中~大型汎用機FACOM 230-25, 35, 45を発表した。これはメモリにもICを採用した。仮想記憶も採用。

2) 日本電気(NEAC-2200 model 700)
日本電気は1968年11月、NEAC-2200 model 700を発表した。メモリは磁気コア、素子はICで、少容量ながらキャッシュメモリを実装していた。高速のTSSを実現した。

3) 日立製作所(HITAC 5020 TSS)
日立はHITAC 5020 TSSを開発していたが、1968年3月ほぼ完成した。HITAC 5020はバッチ処理のために設計されており、仮想記憶もマルチジョブもTSSもなかったが、MULTICSに倣って2次元番地(セグメントとロケーション)をHITAC 5020の上に実験的に実装した。これを実現するためにハードウェアDAT (Dynamics Address Translator)を付加した。詳細は、本林繁、益田隆司、勝枝嶺雄、高橋延匡「2次元番地付方式によるHITAC 5020 TSSの特徴」情報処理、Vol.9、No.6 (Nov. 1968)参照。この実装は東京大学大型計算機センターの副システム上で行われたが、この実験のため、副システムの主記憶が32KWから64KWに増強され、ライブラリを開発していたわれわれ副システムのユーザは余禄をいただいた。なお、この副システムは、使用終了後、東京大学理学部情報科学科の初代のマシンとなった。

4) 東京芝浦電気(TOSBAC-5400)
東京芝浦電気は、1964年10月にGeneral Electric社と締結した技術援助契約により、GE-400シリーズをTOSBAC-5400シリーズとして1968年に発表した。GE-600シリーズは1970年にTOSBAC-5600として発表。

5) 日本レミントン・ユニバック社
1968年、日本レミントン・ユニバック株式会社は、日本ユニバック株式会社に社名変更した。

アメリカ国防省は全米にまたがる「多機種のコンピュータ」をつなぐネットワーク計画を作成し、提案を公募し、ARPANETの構築が始まる。IBM社は初めてキャッシュメモリを搭載したコンピュータを開発した。

 

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