新HPCの歩み(第44回)-1970年(a)-
日本の各社はメインフレームの開発を続けたが、1970年にIBM System/370が発表され、対抗策としてその後国産6社が3つの企業連合に編成される。富士通はFACOM 230-75を発表した。米軍機墜落で建設を中断した九州大学大型計算機センターの建物が完成し、センターが開所した。 |
社会の動き
1970年(昭和45年)の社会の動きとしては、1/4 NHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』始まる、2/3日本が核拡散防止条約に調印、2/11日本初の人工衛星「おおすみ」打ち上げ、3/5核拡散防止条約が発効、3/14大阪で日本万国博覧会が開幕(9/13まで)、3/18カンボジアでロン・ノル将軍のクーデター、内戦始まる、3/20平凡出版が「an・an ELLE JAPON」を創刊、3/29北ベトナムがカンボジアを攻撃、3/31日航「よど号」ハイジャック事件、3/31八幡製鐵と富士製鐵が合併し、新日本製鐵が発足、4/5「よど号」羽田帰着、4/8大阪天六交差点でガス爆発事故、4/10ビートルズ解散、4/13アポロ13号酸素タンク爆発事故、4/19 Charles Mansonに死刑判決、4/24中国初の人工衛星東方紅1号打ち上げ、5/12ぷりんす号シージャック事件、5/19筑波研究学園都市建設法公布施行、6/10日本の救急車のサイレンが「ピーポー」に変更、6/22安保条約自動継続、6/22-24 Washington D.C.で日米繊維交渉、決裂、6/26プラハの春終焉、7/1パロアルト研究所(PARC)開設、7/17家永教科書裁判、第二次訴訟、東京地裁で家永全面勝訴、7/18日本で初めて光化学スモッグ発生の報道(東京環七通り近く)、8/2東京で歩行者天国、9/22アメリカでマスキー法可決、9/28エジプトのナセル大統領死去、10/1寝台特急「あけぼの」が上野青森間運行開始、10/1国鉄が京阪神地区で新快速を運行開始、10/8ソルジェニーツィンのノーベル文学賞受賞発表、10/16物理学者坂田昌一死去、10/18大森勧銀事件、10/25国連総会でアルバニア決議通過、中華人民共和国が国連で中国を代表、11/9フランスCharles de Gaulle 元大統領死去、11/25三島由紀夫事件、12/3新華社通信が「尖閣諸島は中国領」と報道、12/15ソ連の宇宙探査機ベネラ7号が金星着陸、12/20コザ暴動、など。大森の勧業銀行で宿直していて殺害された行員Mは、筆者の高校の同級生であった。特急「あけぼの」は2014年の3月14日に定期便としては廃止された。このころ東京の「はとバス」に「コンピュータ・コース」があり、火曜と金曜に東京駅から出て、「日本情報処理開発センター」「日本橋三越(美容診断)」「日本不動産取引情報センター」「東京インキ(全自動写植)」「富士通ショールーム」と7時間かけて回ったそうである(bit誌1970年10月号)。
1970年の話題語・流行語としては、「情報化社会」「脱工業化社会」「男は黙ってサッポロビール」「どういうわけかキリンです」「ディスカバー・ジャパン」「ウーマン・リブ」「三無主義」「しらける」「人類の進歩と調和」「芸術は、バクハツだ!」「日本人とユダヤ人」など。
チューリング賞は、数値解析に関する研究と線形代数と誤差解析の処理に関する深い洞察に対してJames Hardy Wilkinson(イギリス国立物理学研究所)に授与された。
ノーベル物理学賞は、プラズマ物理における功績に対しHannes Olof Gösta Alfvénに、反強磁性に研究に対しLouis Eugène Félix Néelに授与された。化学賞は、糖ヌクレオチドの発見と糖生合成におけるその役割に関する研究に対し、Luis Federico Leloirに授与された。生理学・医学賞は、神経末梢部における液性伝達物質の研究に対して、Bernard Katz、Ulf von Euler、Julius Axelrodの3名に授与された。なお文学賞はソ連の反体制作家Alexandr Isaevich Solzhenitsynに授与された。
日本政府関係の動き
1) IBM対策
後述のように、1970年、IBM社はSystem 370を発表した。日本では国産メーカ保護のため、大型プロジェクトや補助金だけではなく、輸入制限、高率関税などの障壁を設けていたが、この政策は海外から強い非難を受けるようになり、田中角栄通産大臣は1971年以降これらの障壁を順次取り除くことにした。1972年、これに対応するため通産省は行政指導を行い、国産6社を3つの企業連合(富士通・日立、日本電気・東芝、三菱・沖)に構成し、技術研究組合を創立する。メーカに国際競争力を付けるための補助金制度を設け、1976年までに約570億円の補助金を受けて、富士通・日立はMシリーズ(IBM互換)、三菱・沖はCOSMOシリーズ(IBM非互換)、日本電気・東芝はACOSシリーズ(IBM非互換)をそれぞれ1974年に発表する。
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電子技術総合研究所 出典:「ぼくの近代建築コレクション」 |
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2) 電子技術総合研究所
1970年7月、通商産業省の電気試験所を電子技術総合研究所と改名した。本部は永田町の首相官邸のそばである。写真は、つくば移転後の1986年に撮影されたもの。
3) 通商産業省(情報処理振興事業協会、情報処理研修センター)
1970年、情報処理振興事業協会等に関する法律に基づき、特別認可法人情報処理振興事業協会(IPA)が設立された。IPAでは、電子計算機利用の促進、プログラムの開発の促進、プログラム流通の円滑化、情報処理サービス業の育成を図ることとなった。前年始まった情報処理技術者認定試験は、IPAによる国家試験「情報処理技術者試験」となった。11月8日に全国8都市で実施された。前年と同様、第一種および第二種があった。1971年から特種が加わる。プログラムの作成能力の科目で出題されるプログラム用言語は以下のように規定されている。
プログラム用言語名 |
第一種 |
第二種 |
FORTRAN |
JIS水準7000 |
JIS水準3000 |
ALGOL |
JIS水準5050 |
JIS水準3030 |
COBOL |
COBOL 65 |
COBOL 65(ただし、分類、報告書記法、大記憶等を除く) |
PL/I |
水準は特に規定しない。(第一種、第二種の差は問題の難易による) |
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アセンブリー言語 |
仕様は問題の中で規定する。 |
下級の第二種だからFORTRAN水準3000(FORTRAN II相当)とはとういう神経なのであろう。論理IFの使えないFORTRANなんて、かえって難し過ぎるのではないだろうか。
情報処理振興事業協会は、情報処理の促進に関する法律により、2004年1月、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)に業務を継承する。
財団法人日本情報処理開発センター(JIPDEC)をベースに、1970年3月、財団法人情報処理研修センター(IIT)が設立され、世界貿易センタービルに事務所を設置した。
4) 日本電信電話公社(DIALS)
前に述べたように、通信回線と情報処理装置を直結し、データ伝送をおこなうデータ通信サービスが1966年5月に、当時の郵政省から公衆電気通信役務として承認された。また、1967年8月には、情報処理を行うサービスも承認された。1970年9月26日、DIALS (Denden Kosha Immediate Arithmetic and Library System)という電話サービスが東京地区で、1971年3月に大阪地区で開始された。商用化されたのは世界初であった。プッシュホン契約をしていれば誰でも使え、010-0111で起動し、12個のボタンの組み合わせで計算を指示する。計算結果は音声で返って来るが、その声は下重曉子(元NHKアナウンサー、当時はルポライター)の声を基に合成されたものであった(bit誌1975年2月号)。21秒ごとに7円課金された。6次までの高次代数方程式や連立1次方程式など多数のライブラリも用意されていた。プッシュホンで手軽に計算できることを売りにしたが、入力が煩雑で表示窓もなく、ほどなく電卓やパソコンと競合し、1982年10月にサービスを終了した。(bit誌は全文デジタル化が進められている)
日本の大学センター等
1) 北海道大学(大型計算機センター設立、FACOM 230-60)
1970年4月に、第6番目の大型計算機センターとして、北海道大学大型計算機センターが設立され、富士通のFACOM 230-60が設置された。9月開所式。
2) 東北大学(大型計算機センター、TSS)
昨年、大型計算機センターが発足したが、1970年からTSSの実用サービスが始まった。石田晴久によると、大学センターではこれが初めてとのことであるが、1968年に大阪大学では日本電気と大阪大学との共同研究で開発されたMACと呼ばれるTSSのサービスが行われている。ただし大型計算機センター発足以前であった。
3) 九州大学(大型計算機センター、建物竣工)
九州大学大型計算機センターの建物は、米軍機墜落のため中断を余儀なくされていたが、建設工事は1969年12月25日に再開され、1970年3月に竣工した。4月に仮設センターから移転し、4月27日からは業務を再開した。5月8日に開所式が行われた。10月、センター外からのTSS処理の実験がはじまった。
3) 広島大学
1970年1月13日、広島大学計算センター発足。
4) 佐賀大学
1970年2月、佐賀大学は電子計算機室を設置した。
5) 鳥取大学(TOSBAC-3400/10)
1970年2月、鳥取大学は電子計算機室設置、TOSBAC-3400/10設置。
6) 慶応義塾大学
これまでコンピュータは小金井の工学部計算センターで運用していたが、工学部の日吉移転に先立って1970年4月には全学の組織「情報科学研究所」が日吉に新設され、TOSBAC-3400を工学部計算センターから移設した。また米国IBM社からは、IBM7040が無償貸与された。この研究所は1969年に設立が決定され、大型計算機のソフトウェア、学術上・経営管理上の計算機の応用と研究教育、さらには義塾全体への計算サービスの提供を目的としていた。また、全塾生を対象として、電子計算機に関する各種の講座も設置した。初年度だけで、869人の受講者があったとのことである。
なお、工学部は1972年、日吉(矢上キャンパス)に移転する。
日本の学界
1) 二重指数積分へ
高橋秀俊(東京大学理学部)と森正武(東京大学工学部)は、東京大学大型計算機センターニュース3巻(1970)に「解析関数の数値積分の誤差評価」という論文を発表し、従来のTaylor級数に基づく誤差評価ではなく、複素平面で評価する新しい手法を提案した。これを発展させて二重指数積分公式として発表したのは、H. Takahasi and M. Mori, “Double Exponential Formulas for Numerical Integration,” Publ. of RIMS, Kyoto Univ. 9 (1974) 721-741である。
2) 情報処理学会(歴史研究委員会)
情報処理学会は、1970年、歴史研究委員会を設けて、資料収集保存と整理の仕事を始めた。
3) 広中平祐
Harvard大学教授広中平祐氏は、9月2日にフィールズ賞を受賞した。1962年に「代数多様体の特異点の解消」、1964年に「解析多様体の特異点の解消」を発表し、4次元以上の一般解を与えた業績による。
国内会議
1) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、1970年11月11日~13日、高橋秀俊を代表者として「科学計算基本ライブラリのアルゴリズム」という研究集会を行った。このシリーズでは2回目である。報告は講究録No. 115に収録されている。産業応用に関する講演もあった。
日本の企業の動き
前年に引き続き、日本の各社はメインフレームの開発を続けた。
1) 東芝(TOSBAC-5600、TOSBAC-40A)
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TOSBAC-5600 出典:一般社団法人情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館」 |
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東芝は1970年2月、GE (General Electric)社のGE600シリーズを国産化したTOSBAC-5600/10, 30, 50(ICメモリ)を完成した(写真)。その後は日本電気と共同でACOSを開発することになり、当初東芝はGE系のACOS-6系(36ビット、ワードマシン)を担当した。1978年に東芝がメインフレーム事業から撤退したので、ACOS-6は日本電気が引き継ぐこととなる。
またミニコンピュータでは、米国Interdata社の技術を導入したTOSBAC-40Aを開発し、1970年9月に発表した。16個の汎用レジスタ、64KBまでの直接アドレッシング、マイクロプログラム制御などの特徴を有している。1970年12月には、機能を強化したTOSBAC-40Bが発表された。1973年にはTOSBAC-40C、1975年には40D、40Lと続く。
2) 三菱電機(MELCOM 7000)
三菱電機は1970年4月、XDS (Xerox Data Systems)社との技術提携による大型コンピュータMELCOM 7000シリーズ(仮想記憶方式)を発表した。Sigma 7対応のMELCOM 7700とSigma 5対応のMELCOM 7500である。TSSのための割込み機能が強化されている。XDS社は1961年9月にSDS社(Scientific Data Systems社)として創立され、1969年にXerox社に売却されXDSと呼ばれた。SigmaはSDS社が開発したコンピュータシリーズ。
3) 富士通(FACOM 230-75)
富士通は1970年5月、汎用機FACOM 230-75を発表した。これは高速素子CMLや超高速ICメモリを採用した。大型計算センターシステム、バンキングシステム、気象データ処理システムなどに広く使用された。1977年に日本初のベクトルプロセッサ75APUがこれに付加されることになる。
4) 日立(HITAC 8700)
日立製作所は、1970年11月5日、超高性能電子計算機プロジェクトの成果として、大型汎用機HITAC 8700を発表した。日立は通産省の大型プロジェクト研究組合の一員として、1966年度から国の委託を受けて開発を行ってきた。同社はこの技術を商用計算機に採用することを願い出ていたが、このたび工業技術院の承諾を得て、HITAC 8700システムの生産に着手する運びとなったものである。
東京工業大学情報処理センターでは1972年10月から、東大大型計算機センターでは1973年1月から稼動する。情報処理学会情報処理技術遺産に認定されている。なお、1971年、その高速化版HITAC 8800が発表される。
5) 早川電機工業
1970年1月1日、早川電機工業はシャープに社名変更した。
6) 伊藤忠電子計算サービス(CDC 6600)
伊藤忠電子計算サービスは1970年、CDC 6600を導入し、科学技術計算サービスを始める。翌年1971年、センチリリサーチセンタに社名変更。
7) 三菱総合研究所
三菱総合研究所は、1970年5月、三菱創業100周年記念事業として三菱グループ各社の共同出資により設立された。2009年9月東京証券取引所に上場。
標準化
1) Pascal言語
スイスのETHの教授であったNiklaus Wirthは、1968年からPascal言語の設計を行っていたが、1970年に公表した。名称はフランスの数学者・哲学者・物理学者のBlaise Pascalにちなむ。1983年にISO規格となる。
2) Unix時刻
Unix時刻は、協定世界時 (UTC) の1970年1月1日午前0時0分0秒を起点として表わされる。ただしこれを決めたのは1971年11月3日である。32ビット符号付整数を用い、秒単位で表現すると、2038年に桁あふれすることになる。
3) 日付
1970年4月1日、日付の表示、時刻の表示などのJIS規格が制定された。その後改定されている。
次回は世界の動き。IBM社はSystem/370を発表する。その衝撃でGE社はメインフレーム事業をHoneywellに売却し、、RCA社はコンピュータ事業撤退の道を歩み始める。DEC社は名機PDP-11を発表する。Xerox社はPalo Alto研究所を開設する。
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