世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

9月 27, 2021

新HPCの歩み(第61回)-1979年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

CDC社はSTAR-100の改良版であるCyber 203を発表する。イギリスではICL社が、1ビットプロセッサを64×64に結合した並列コンピュータDAPを開発し出荷する。ベンチャーではLSI Logic社やElxsi社が創立される。

標準化

1) BSD Unix
UCBでは1978年に1BSDをリリースしたが、1979年5月にはSecond Berkeley Software Distribution (2BSD)をリリースした。この最終版は2.11 BSD (1992)である。

また、2BSDをVAXアーキテクチャ(の仮想記憶機能)に移植した3BSDが開発され、1979年末にリリースされた。

2) UUCP
Unixマシン同士でデータ転送を行う通信プロトコルUUCP (Unix to Unix Copy Protocol)は、もともとAT&T Bell LaboratoryのMike Leskによって作成され、Bell研の内部で使われていたが、1979年のVersion 7 Unixの機能として公開された。

3) ネットニュース
ネットニュース(Usenet) なるものが1979年に登場した。WikipediaのUsenetの項によると、Duke大学のTom TruscottとJim Ellisは、近くのNorth Carolina大学とUUCP dial-upを用いてリンクを張り、情報を共有する実験を行った。これがネットニュースの始まりといわれている。彼らはそのためのソフトを公開した。ちなみに、マシンをまたぐ電子メールが始まったのは1971年である。

1980年には、UC BerkeleyでUsenetはARPANETにもつながった。多数のNews Groupsができ、その上で玉石混淆の議論がなされた。WWWが提案されるのは1989年、普及するのは1990年代半ばのことである。それまでは、ネットニュースが、現在のwebやブログやSNSに似た役割を果たした。最初のTop500(1993年)は、Webがまだ普及していなかったのでネットニュース上で発表された。日本でネットニュースが始まったのは、1984年にJUNETが始まってからである。

4) C++
1979年、Bell研究所のBjarne StroustrupがC言語の拡張として“C with Classes”の開発を始めた。1983年にC++に名前を変更した。1985年には“The C++ Programming Language”の初版が出版される。

5) GML
IBM社のCharles Goldfarbは、1960年代から、Edward MosherおよびRaymond Lorieらとともに、マークアップ言語を開発してきたが、1979年、「GML」(Generalized Markup Language) と名付けて発表した。この略号は3人のイニシャルでもあった。GoldfarbはIBM社を退職し、GMLの後継言語であるSGML (Standard Generalized Markup Language)を開発する。SGMLは1986年にISO規格となるが、それ以前に、アメリカでの日本でもヨーロッパでも公的機関や出版関係を中心に広く使われていた。その後、XMLやHTMLの基となった。

ヨーロッパの政府関係の動き

1) 西ドイツ
日本の超LSI技術研究組合に刺激されて、1979年4月、西ドイツの研究技術省は、2カ年$300Mの超LSIプロジェクトを発表した。このほか、1980年代前半にかけて、アメリカ、イギリス、フランスなども官民共同による超LSI開発計画を推進しようとした。

世界の学界の動き

1) Eckert-Mauchly Award
ACMとIEEE/CSは共同してエッカート・モークリー賞(ACM-IEEE CS Eckert-Mauchly Award)を創設し、コンピュータ・アーキテクチャの分野で顕著な貢献があったものへ送られることになった。第1回の1979年は、Burroughs社のコンピュータ・システム研究部長でB5000の設計者であるあるRobert S. Bartonに授与された。授賞式は、4月にPhiladelphiaで開催されたISCA (the 6th Annual Symposium on Computer Architecture)の席上で行われた。

国際会議

1) ISSCC 1979
第26回目となるISSCC 1979 (1979 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1979年2月14日~16日に開催された。開催場所はPhiladelphiaに戻ったようであるが不明。主催はIEEE Solid-State Circuits Council、IEEE Philadelphia Sections、University of Pennsylvaniaである。組織委員長はJohn d. Heightley (SNL)、プログラム委員長はWalter F. Kosonocky (RCA Labs)であった。Gordon E. Moore (Intel)が“Are We Really Ready for VLSI?”と題して基調講演を行った。会議録はIEEE Xploreにおかれている。

2) ICPP 1979
Sagamore Computer Conference on Parallel Processingから通算して第8回目となるICPP 1979 (International Conference on Parallel Processing 1979)が開催された。日時、場所は不明である。

3) COMDEX
コンピュータに関する展示会COMDEX (Computer Dealers’ Exhibition)の第1回が1979年11月Las VegasのMGM Grandで開催された。主催者はThe Interface Groupであった。展示は167件、参加者は3904名。1980年代後半に業界関係者以外にも公開され、参加者数は爆発的に増大した。2000年には展示2350件、参加者20万人を誇る世界最大級の展示会となった。2003年まで毎年11月にLas Vegasで開催された。SC会議と連続または一部重複する日程で、両者掛け持ち参加する日本人もいた。

4) 東京国際統計会議
1979年11月28日~30日に統計数理研究所で東京国際統計会議が開かれ、中川徹がSALSについて講演した。この会議に来たオーストラリア人の大先生と電車の中でしゃべっていて、バイジアンがなんとかというので、「バイジアンって?」と聞いたら、「お前は統計の国際会議に来ているのに、バイジアンも知らないのか」と怒られた。”Bayesian”のことであった。

第2回以降は太平洋地域統計会議という名前で開催され、1982年に第2回が、1986年に第3回が、京王プラザホテルで開催された。第4回は1991年に海外職業訓練協力センター(幕張)。筆者は2回以降には出ていない。

5) 第6回人工知能国際会議
IJCAI (International Joint Conference on Artificial Intelligence)は、1969年にアメリカのWashington, D.C.で開催されて以来隔年に開催されているが、第6回目のIJCAI-79が1979年8月20日~23日に、大手町の経団連会館において開催された。参加者550人、投稿論文430件、採択230件、日本からも66件の発表があった。会議録はOpen Accessとなっている。

アメリカの企業の動き

1) CDC社(Cyber 203)
CDC社(1957年創業)は1974年にCDC STAR-100を出荷したが、その改良版であるCyber 203を1979年1月に発表した。すべてLSIで実装し、168ゲートのECLチップ2400個でCPUを構成している。最初の3台がCDCのデータセンター、NASA Langley、米国海軍に納入された。NASA Langley Research Centerでの性能評価論文がある。STAR-100のリプレースで設置されたものであろうか。スカラプロセッサとI/Oは設計し直したが、ベクトルパイプラインはSTAR-100のものをそのまま使った(英語版Wikipediaによる)。ベクトルレジスタを持たないメモリ直結のベクトルコンピュータである。詳しいアーキテクチャは不明である。

2) Cray Research社(Cray-1S、日本クレイ)
Cray-1の改良型としてCray-1Sを1979年発表した。4096×1 bit bipolar RAMを用いることにより、主記憶を1, 2, 4 MWに拡大した。

また同社は、スーパーコンピュータの日本での販売と保守サービスの強化のため、1979年6月、日本法人「日本クレイ(株)」を設立した。9月17日付の発表によると、社長はCray Research本社のJohn A. Rollwagen社長(当時)で、資本金は2000万円。本社が100%出資した。同社は、すでにイギリスと西ドイツに子会社を設立しており、日本は3番目である。

3) IBM社(IBM 4300)
IBM社は1979年1月30日、System/370互換の中型機IBM 4300シリーズを発表した。超LSIにより64Kbメモリと高密度論理素子を実現し、小型で空冷だったので、オフィス環境でも設置できた。4331と4341は1979年1月に、4361と4381は1983年に発表された。

4) Texas Instruments社(DS990)
1979年5月、TI (Texas Instruments)社は、16ビットミニコンピュータDS990-20, 30を発表した。筑波大学の星野研究室で、PAX-32やPAX-128のホストコンピュータとして使われたので思い出深い。びっくりしたのは、書き込み中のファイルでも書き込まれたところまでディスプレイに表示されることであった。OpenやCloseはどうなっていたのだろう?青山にあったTI社の研修所に、研修を受けに行った記憶がある。

5) BBN社
BBN Technologies社は、Motorola社のMC68000を用いたBBN Butterflyの第一世代機を開発した。

6) Intel社
1979年、役員人事交代があり、Gordon Mooreが会長兼CEOに、Robert Noyceが副会長に、Andy Groveが社長兼COOになる。前述のように、1979年4月、嶋正利はZilog社からIntel社に戻り、東京にインテル・ジャパン・デザインセンターを設立し、CPUの開発などを行った。

7) Data General社(Xodiac)
1979年、Data General社は、Xodiacというネットワークシステムを発表した。これはCCITT勧告X.25規約に準拠したプロトコルを採用している。Xodiacは、Data General社のAOSおよびAOS/VSの下で稼働し、それらのシステムを相互接続することによって、データ交換および資源の共有を実現した。X.25に基づいているので、商用X.25サービスを介して接続することも出来た。1987年、Xodiacをやめ、OSIに移行する。

1968年のところに書いたように、1980年代に筆者のいた筑波大学数値解析研究室は、Eclipseが3台あり、Ethernetを介してXodiacで接続していた。どこのコンピュータから見ても、自分のルートディレクトリの下に、他のコンピュータのルートがぶら下がっているように見えた。TCP/IPが必要なら別に買ってくださいと言われた。

8) Prime Computer社
同社はミニコンピュータとしてPrime 200/100/300/400などを発売してきたが、1979年に50-seriesと呼ばれる、Prime 450/550/650/750を発表した。

9) Microsoft社
1979年1月1日、Microsoft社はワシントン州のBellevueに本社を移転した。1981年6月25日には組織の再編成を行い、Microsoft Inc.としてワシントン州の法人企業とし、Bill Gatesは社長兼会長、Paul Allenは副社長となる。

ヨーロッパの企業の動き

1) ICL (ICL DAP)
イギリスのICL社(International Computers Limited)は、1968年創業のコンピュータ企業であり、ハード、ソフト、サービスなどを提供していた。最も成功したのは、メインフレームのICL 2900 (1974/10)であろう。この会社が、1978年4月、ICL DAP (Distributed Array Processor)を発表し、1979年、Queen Mary Collegeに納入した。これは64×64の2次元に接続された1ビットプロセッサから構成されるSIMDマシンであり、(異色のSTARAN(1972)を別にすれば)世界初のMPP (Massively Parallel Processor) であった。各PUは4 kbのメモリを持ち、PU間は上下左右の4方向に1ビット幅で通信できる。各PUのもつメモリは、同時にホストのICL 2900の主記憶の一部となっており、ホストから見ると、アレイプロセッサが主記憶に埋め込まれており、一種のインテリジェントメモリになっている。

FORTRANを拡張したDAP FORTRANが提供され、これでプログラムを書いた。英国のEdinburgh大学ではICL DAPを設置し、格子ゲージ理論の計算を実行していた。手元には格子ゲージシミュレーションをどうやってICL DAPに移植したかというK.C. Bowlerのレポート(1983年3月にPadovaで開かれた会議での発表論文)がある。

DAPはその後AMT (Active Memory Technology)社に移り、AMTはCPP (Cambridge Parallel Processors)に買収された。CPP社は2004年に業務を終了した。日付がはっきりしないが、AMTはカリフォルニア州 Irvineの会社で、1990年頃には超高速計算機(DAPのことか?)を売っていた。(同名の会社が、1998年、カリフォルニア州のLake Forestで設立されている。)CPP社は Gamma IIPlusという名称で、1ビットプロセッサと8ビットプロセッサの両方を持つPEが1024個または4096個からなるシステムを売っていた。

なお、1978年5月11日、ICL社は日立製作所と技術交流で提携することを発表した。ICL社自体は2002年に富士通に買収される。

2) Nixdorf Computer AG (600/X5)
1979年8月、アメリカのNixdorf社はIBM 8100対抗のNixdorf 600/X5を発表した。

企業の創業

1) Elxsi社
1979年、Elxsi社がシリコンバレーの一角で設立された。今日では名前を知る人は少ないが、1983年に、ECLに基づくバス結合の並列サーバElxsi 6400 を発売した。1980年代アメリカの並列ベンチャー創業ブームの走りと言えよう。日本では聞いたことがなかったが、筆者は1988年に筑波大学からの視察団として中国を初めて訪問したとき、西安交通大学でも清華大学でもElxsiのマシンが設置されていたのでびっくりした覚えがある。日本での代理店は日商エレクトロニクス。

さらに、20年以上も後の2002年12月に、第6回HPC AsiaがインドのBangaloreで開催され出席したが、Tata Elxsiという企業がgold sponsorsの一つにあり、企業展示にも出展していたのでまたびっくりした。英語版Wikipediaによると、Tata Groupは最初からベンチャーキャピタルとして出資しており、1990年代にElxsiの名前を買収したとのことである。現在はハードでなく、ソフトやソリューションを売っているようである。

2) LSI Logic社
Fairchildセミコンダクタ社のCEOを辞したWildred Corriganが1979年にASIC半導体の製造企業として LSI Logic社を創設した。会社としての創設はカリフォルニア州Milpitasで1980年11月。日本法人としては1984年4月にLSIロジック株式会社として東京に設立される。のちに筑波大学のQCDPAXの半導体製造を委託したので思い出深い。この会社もいわゆるFairchildrenの一つだった。

2007年4月にAgere Systemsと合併し、LSI社となる。後に富士通が「京」の商用版であるPRIMEHPC FX10のためのプロセッサSPARC64 IXfxを設計したとき、LSI社と協力したことが公表されている。2013年12月16日、Avago Technologies社がLSI社を買収すると発表し、2014年5月6日買収を完了。2015年5月28日、Avago Technologies社はBroadcom社を買収すると発表し2016年2月買収を完了、社名をBroadcomに変更した。

3) Ungermann-Bass, Inc.
Ralph Ungermannと、Stanford大学教授Charlie Bassによって、ネットワーク機器の製造販売のため、カリフォルニア州Santa Claraで設立された。イーサーネットスイッチや、LANカードで活躍した。1988年、Tandem Computersによって買収され、子会社となる。1997年、フランスAlcatel(現Alcatel-Lucent)に買収される。1983年1月日本法人が設立され、親会社のAlcatelによる買収に伴い1997年解散したが、1990年代以降の日本国内LAN市場やネットワークインテグレーターを発展させた実業家、技術者を多く輩出した。

4) 3Com Corporation
ネットワーク関連機器の3Com製造販売企業である3Com Corporationは、PARCにいたRobert Metcalfe(Ethernetの共同発明者の一人)らによって設立された。2010年4月12日、Hewlett-Packard社により買収された。

5) KAI (Kuck and Associates Inc.)
UIUC (University of Illinois at Urbana-Champaign)のDavid Kuck教授(1965~1993)は並列化の業界標準コンパイラを開発するために、1979年にKAIを創立した。KAIは2000年3月にはIntel社に買収され、KuckはIntel Fellowとなる。

6) Novell社
ユタ州OremにおいてNovell Data Systems社を設立した。最初はCP/Mを搭載したマイコンを製造していたが、価格や性能で競争力がなかったので、複数のマイクロコンピュータをつないでプログラムを走らせるシステムNetWareの開発に力を入れた。1991年、CP/Mで知られたDigital Research社を買収した。1993年、社名をNovell社に短縮した。同年、Novell社はMicrosoft社が反競争的行動により競争相手を市場から閉め出していると主張したため、翌年Microsoft社はライセンス規定を一部変更して和解した。2010年11月、Attachmateグループによって買収されたが、2014年9月14日、AttachmateグループがMicro Focus International社と合併し、Micro Focus社の兄弟企業となった。

7) Santa Cruz Operation社
SCO社(The Santa Cruz Operation, Inc.)は、1979年、Larry Michelsと息子Doug Michelsによってカリフォルニア州Santa Cruzにおいて、Unixの実装やコンサルティングの会社として創業された。Intel社のx86プロセッサのためのUnix OS(Zenix, SCO Unix、UnixWare)を販売した。1993には公益団体となった。1998年にはProject Montereyに参加した。その後、Windows NTやその後継OSとともにLinuxにも押され、2001年、Santa Cruz Operation社はUnixの権利をCaldera Systemsに売却し、自身はTarantella, Inc.と社名変更した。

8) ジャストシステム社
1979年7月、浮川和宣・初子はジャストシステム社を徳島で創業した。1981年には株式会社となった。

9) 生活構造研究所
1979年5月、前身である第一技研株式会社を引き継ぎ、余暇開発センターの客員研究員が中心となり、田尾陽一により設立。「横浜こども科学館」の構想・計画へ参画を機に、北米標準(NAPLPS)方式ビデオテックス(双方向画像通信システム)に関する資料収集・検討を行い、業務を展開した。PC-9801用のNAPLPSソフトウェアとしてデコーダを10万円、グラフィックス・エディタを20万円で発売した。

企業の終焉

1) Itel社
Itel社は、National Semiconductor社や日立とのOEMにより1978年までは上昇を続けていた。1979年にはIBMの次期コンピュータHシリーズを先取りする、AS/8 model 7034を発表し、これについても日立とOEM契約を結んだ。ところがIBMの新機種が出るというのでユーザが購入を手控えるようになり、Itel社や日立は販売を控えようとした。ところがNational Semiconductor社は強気で、1979年、創業者のRedfield CEOを辞めさせ、Itel社を買収して同社のNAS (National Advanced Systems)部門とした。IBM 4300と互換のAS/3 model 5を発表した。

                            

次回1980年、2台のCray-1が日本に設置される。CDC社はCyber 203の改良型であるCyber 205を発表する。

(アイキャッチ画像:Cray-1s 出典:Computer History Museum)

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