世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


12月 27, 2021

新HPCの歩み(第74回)-1984年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

アメリカではコンピュータ・ベンチャーの企業が相次いだ。CPUではMIPS Computer Systems社が、Stanford大学のHennessy教授を中心に設立された。Multiflow Computer社も、Cydrome社もDell社もこのころ創立。Cisco SystemsやXilinxもこの年創立である。

量子色力学専用機

このころいくつかのQCD (quantum chromodynamics, 量子色力学)専用並列コンピュータを開発するプロジェクトが始まっている。ほとんどの性能は32ビット演算の数値である。

1) Columbia University
ニューヨークのColumbia大学では、Norman Christを中心としてマシンを開発している。ノードは、Intel 80286/287とTRW社製の22ビットDSPと1 MBのメモリから成り、全体は16ノードで256 MFlopsである。完成は1985年。その後、1987年には、Weitekチップを用いて、64ノードで1 GFlopsのマシンを完成した。1989年には、256ノードで16 GFlopsのマシンを完成している。

 
   

2) APE Project
イタリアのRome大学では、INFN (Istituto Nazionale di Fisica Nucleare 国立原子核物理学研究機構) の協力のもと、QCD計算のためのAPE (Array Processor Experiment、「アペ」) プロジェクトを推進していた。初代のマシンは、1984年頃はじまって1988年に完成したAPEで、3081/Eプロセッサ(IBMの3081のエミュレータ)がドライバ。Weitekチップ12個(WTL1066 (register file)×4、WTL1032 (multiplier)×4、WTL1033 (adder)×4)を組み合わせたノードは、複素数のmultiply-and-addを64 MFlopsで実行する。16個のノードを1次元のループに接続しSIMDとして駆動する。このSIMDは命令のみならずアドレスも同一である。QCDはステンシル計算なので、これで十分というわけである。写真はAPE Projectのページから。Fortranに似たApeseという言語を開発し、コンパイラにより実行効率の高いコードを生成できたとのことである。

次のAPE100 (APE cento) は、1989年に開発が始まり1994年に完成したが、これは2048個までのノードを3次元隣接接続したマシンで、ピーク100 GFlopsである。

APEmilleは1995年から2000年にかけて開発され、1.6 TFlopsのピーク性能をもつ。

3) GF11
IBMのWatson研究所のDon Weingartenは、GF11プロジェクトを1984年に始めた。これは576台のPEと再構成型非閉塞Memphisスイッチから構成され、各PEは4個のWeitek FPU(WTL1032×2、WTL1033×2)、1個の固定小数演算器、256語のレジスタファイル、SRAM (64 KB)、DRAM (256 KB)から構成されている。これらは180ビット長の命令によって制御される。名前の通りピークで11 GFlopsの性能である。SRAMにはaddress relocation registerが付いており、SIMDと言っても高機能の制御が可能である。

4) ACPMAPS
アメリカの高エネルギー研究所であるFermi国立研究所(Chicago近郊)ではQCDのためにACPMAPSプロジェクトを1987年に始めた。これはMIMDで、ノードは20 MFlopsのWeitek XL-8032チップを持つ。1989年に16ノード、1991年に256ノードを製作。改良型(1993年)はノード当たりi860を2個使い、306ノードで50 GFlopsのピーク性能をもつ。

5) QCDPAX
筑波大のこのマシンについては後述。

国際会議

1) ISSCC 1984
第31回目となるISSCC 1984 (1984 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1984年2月22日~24日にSan Francisco Hilton Hotelで開催された。29回と同じである。主催はIEEE Solid-State Circuits Council、IEEE San Francisco Section、Bay Area Council、University of Pennsylvaniaである。組織委員長はJ. A. A. Raper (General Electric)、プログラム委員長はPeter W.J. Verhofstadt (Fairchild uProc. Div.)であった。G. Madland (Integrated Circuit Engineering Corp.) が“A Positive Program for World Cooperation”と題して基調講演を行った。IEEE Xploreに会議録が置かれている。日立製作所は、”An experimental 1Mb DRAM with on-chip voltage limiter”(K. Itoh et al.)という講演を、日本電気は”A 128K word × 8b DRAM”(S. Suzuki et al.)という講演を行っている。翌1985年のISSCCは1 Mb DRAMのオンパレードである。

2) ARCS 1984
第8回目となるARCS 1984(Architektur und Betrieb von Rechensystemen, 8. GI-NTG-Fachtagung)は、1984年3月26日~28日にドイツのKarlsruheで開催された。

3) Gauge Theory on a Lattice
スーパーコンピュータの普及とともに、格子ゲージ理論の数値シミュレーションが世界中で行われるようになった。1984年4月5日~7日に表記の国際ワークショップがアメリカのANL (Argonne National Laboratory)で開催された。最初は単発の会議のつもりだったかも知れないが、その後、類似のタイトルの会議が場所を変えながら毎年開催されるようになった(1985年には2回)。次第に格子ゲージ理論の分野の中心的国際会議に発展し、として現在まで継続的に世界各地を廻って開催されている。1991年にはつくばで開催され、筆者も組織委員および募金委員を務めた。2015年6月には神戸で第33回が開催された。

4) Symposium on Recent Developments in Computing Processor and Software Research for High-Energy Physics
表記のシンポジウムが、1984年5月8日~11日にメキシコのGuanajuato(グァナフアト)で開催された。三浦謙一の報告によると、「加速器実験とオンラインプロセッサ」「IBM汎用機のエミュレータとその応用」「超並列計算機」「ベクトル計算機」などについて議論された。同様な会議は、1980年にBologna大学で、1981年にCERNで、1983年にPadovaで開催されてきたが、1985年からはCHEP (Computing in High Engergy Physics)という国際会議シリーズとして約1年半間隔で開催されることとなる。

5) VAPP II
1981年の第1回に続き、VAPP II (The Second International Conference on Vector and Parallel Processors in Computational Science)は、1984年8月28日~31日に、Oxfordで開催された。会議録は、Computer Physics CommunicationsのVol 37 (1985)として出版されている。編集者は、Iain S. Duff and John Ker Reidである。VAPP IIIは1987年。

6) ICPP 1984
トリーア大学のdblpにはないが、1984年にもICPPが開催されたのではないかと思われる(要確認)。

アメリカの企業の動き

1) Cray Research社(X-MP、日本への輸出)
1984年7月9日、Cray Research社は、Cray X-MPの新機種を発表した。2 CPUモデルも1982年発表モデルの改良版であり、4 CPUモデルのX-MP/4に加えて、エントリモデルの1 CPU型も加えた。これらには、gather-scatter命令や、圧縮インデックスベクトル命令も初めて導入した。X-MP/4のピーク性能は840 MFlopsである。

 

1 CPU

2 CPU

4 CPU

メモリ

MOSメモリ

1, 2, 4 MW

ECL bipolarメモリ

2, 4 MW

ECL bipolar メモリ

8 MW

バンク数(メモリに対応)

16, 16, 32

16, 32

64

SSD

8, 16, 32, 128 MW

8, 16, 32, 128 MW

32, 128 MW

 

日本クレイは、1980年に日本にCray-1を2台販売したが、その後しばらく売れなかった。1984年になって、8月に電電公社にCray X-MP/22を、11月に東芝にCray X-MP/22を設置した。ただし東芝は諸般の事情によりCrayのスーパーコンピュータを保有していることを公表しなかった。数字の1桁目はCPU数を、その後ろはメモリのMW数を示す。もちろん1 W = 8 B である。

2) CDC社(Cyber 180)
CDC社は1984年4月、汎用コンピュータCyber 170ファミリーの後継である、Cyber 180ファミリーを発表した。Cyber 180/xxxを短縮して、Cyber 8xx/9xxモデルとも呼ばれる。

3) DEC社(VAX 8600)
Digital Equipment Corporationは、1984年10月19日、ミニコンピュータVAX 8600を発表した。これはVAX 11/785の後継機であり、もともとVAX 11/790と呼ばれていたが、発表前にこの名前に変えた。日本では11月1日に発表。1986年1月にはVAX 8800やVAX 8700が登場する。

同社は、VLSI技術を用いた低コストミニコンピュータも開発した。MicroVAX I(コード名Seahorse)は、1983年に発表しているが、1984年10月に発売した。KA610 CPUモジュールは、ALUおよびFPUの2個のカスタムチップから構成される。他のチップはTTLである。

4) NAS社
NAS (National Advanced Systems)社は、1984年8月、エントリレベルのスーパーコンピュータAS91XOシリーズを発表した(日立のS810対応であろう)。9月にはIBM4381-2対抗のAS6660を発表した。

5) IBM社(PC/AT)
IBM社は、1984年8月14日IBM PC/ATを発売した。CPUはIntel 80286、メモリは256KB~16 MBであった。標準価格は$3995から$5795であった。

6) Apple Computer社(Macintosh、Appletalk)
1984年1月24日、Apple Computer社(1977創立)は、初代Macintoshを発売した。8 MHzのMotorola 68000を搭載し、マウスとグラフィカルユーザインタフェースを採用した。書類やゴミ箱など現実世界のオブジェクトをアイコンとして画面に表示した。マウスを採用。

また、1984年にMacintoshやプリンタやファイルサーバなどを接続するAppletalkを開発した。面倒な設定が不要で、つなげばすぐ使えるのが魅力であったが、他社との互換性がなかった。TCP/IPの普及とともに使われなくなり、2009年のMac OS X v10.6で姿を消した。

7) Motorola社(MC68020、68881)
1984年7月、Motorola社(1928年創業)が32ビットマイクロプロセッサMC68020を発表した。また浮動小数コプロセッサMotorola 68881を発売した。1985年1月には量産を開始すると予告された。

8) National Semiconductor社(NS32032)
同社は、1981年に発表した32ビットマイクロプロセッサNS32016の外部データバスを32ビットに変更したNS32032を1984年に発売した。アドレスバスは24ビットのままである。

9) Intel社(セカンド・ソース契約)
Intel社は世界第2の日本市場を重視し、シェア拡大をねらって日本メーカとのセカンド・ソース契約を増やした。これまで、8086や8088については富士通、日本電気、沖電気と結んでいたが、1984年11月には富士通との間に80186、80286やその周辺チップのセカンド・ソース契約を締結し、発表した。

10) Microsoft社(MS-DOS 2.11)
1984年3月、MS-DOS 2.11を発表した。日本の多くのPCメーカがこれを採用した。8月には、IBM PC/XTの発表に合わせてMS-DOS 3.0を発表し、11月にはMS-DOS 3.11を発表した。

11) LSI Logic社
LSI Logic Corporationは、日本電気の海外戦略の司令官であった八幡恵介NEC Electronics (Mountainview)前社長を1984年にスカウトし、副社長兼日本LSIロジック社長とした。

12) AT&T社 (分割、UNIX System V)
1984年1月1日、AT&T社は長距離交換部門だけをもつ電話会社となり、それ以外の事業は会社分割された。特に地域電話部門は8つの地域電話会社に分割された。また、Bell Labs(ベル研究所)も、AT&T社の機材製造・研究開発子会社、AT&Tテクノロジーズ(旧ウェスタン・エレクトリック)の傘下に置かれ、AT&T本体から分離された。

AT&T社は、1984年4月にUNIX System V Release 2をリリースした。シェル機能とSVIDが導入された。

同社の国際担当子会社ATT International社は、1984年7月19日、Unixの販売およびライセンス業務を担当するため、「Unixシステム東京事務所」を設置した。

世界の企業の動き

1) サムスン電子工業
1969年1月設立された韓国のサムスン電子工業株式会社は、1977年に韓国半導体を買収して半導体事業に参入したが、1983年に日本から半導体製造装置の輸入を始めた。1984年にはマイクロン社から設計技術移転の支援を受け、6ヶ月で64KbのDRAMを開発した。これはマイクロンと東芝に続く世界で3番目であった。同年、光州電子を合併してサムスン電子に社名を変更した。

2) ICL社
イギリスのICL社(International Computers Limited)は、1984年7月、富士通の超大型機M-380/M-382の販売を中止するとともに顧客サービスをAmdahl社に移管した。8月5日には、富士通からの大型機OEM購入打切りを決めた。8月にはSTC社(Standard Telephone and Cable、ITT社の子会社)がICL社の買収で合意(£411.2M)し、9月10日に手続を完了した。1990年11月30日、富士通が株式の80%を£743M(約1850億円)で買収し、富士通の子会社となる。

3) Nixdorf Computer AG (8855/10)
1984年7月13日、Nixdorf Computer AGは、汎用コンピュータ並みの性能を持つ32ビットのスーパーミニコンピュータNixdorf 8855/10を開発した。

企業の創立

アメリカではベンチャーの創立が続いている。

1) Multiflow Computer社
1980年代初期に、Yale大学のJosh Fisherは、通常のプログラミング言語で書かれたプログラムを水平型マイクロコードに変換するコンパイラを研究していた。1984年4月、FisherはYale大学を離れ、VLIWに基づくミニスーパーコンピュータを開発するために、Multiflow Computer社をコネチカット州New Havenにおいて創立された。Multiflowは1988年頃からTRACEシリーズというミニコンを販売した。1990年3月に活動を停止するまでに、125台のミニスーパーコンピュータを、アメリカ、ヨーロッパ、日本に販売した。

2) MIPS Computer Systems社
1984年、MIPS Computer Systems社が、Stanford大学のJohn L. Hennessyを中心とする研究者によってRISC CPUチップの設計製造会社として創立された。MIPSの語源は計算速度の単位ではなく、“Microprocessor without Interlocked Pipeline Stages”の省略形である。最初のチップR2000は1986年1月に発表され、後継のR3000は1988年6月に発表される。SGI社は、1987年にIRIS-4DシリーズにおいてMotorolaに代わってMIPSのマイクロプロセッサを使用し始めた。1992年、同社はSGI社に吸収され、MIPS Technologiesという子会社となった。アーキテクチャは他社にもライセンスしている。MIPSチップやMIPSアーキテクチャは組み込みシステムに広く用いられているが、サーバやHPC分野では、SGIの他、NECのEWS4800, UP4800やCenju-3/4、Concurrent Computer、Pyramid Technologyなどで使われている。また、中国がMIPSアーキテクチャに基づいたCPU(Godson、別名は龍芯 Loongson)を開発している(2002以降)ことも知られている(後述)。

3) Cydrome社
Cydrome社は、1984年、San Jose, CaliforniaにおいてBob Rauらによって創立された。目的はVLIWによって並列数値計算を実現することであった。今で言うsoftware pipeliningである。翌年のPresident’s Day(2月の第3月曜日)にCalifornia州Santa Clara郡のMilpitasに移転した。1987年、Prime Computersから出資を受け、Cydra-5を開発した。1988年、Prime ComputerはCydromeを買収しようとしたが、これに応じなかったので活動を停止した。

筑波大は1992年頃CP-PACSのためにslide window (一種のsoftware pipelining手法)を開発したが、このときCydromeに似ているという話があり、初めてこの会社の名前を知った。IntelのItaniumのrotate命令もこれに似ている。

4) Guiltech Research Company, Inc.
消えたコンピュータ・ベンチャーとして名前だけはよく出てくるGuiltech社は、Peter GuilfoyleによりSanta Claraで、いつの頃かに設立された。はじめ、光で相互接続したsystolic arrayを作ろうとしていたが、後に光を諦め通常のシリコン技術に変更した。2台ほど製造され、JPLなどにテスト用に出荷されたらしい。オリジナルのアイデアを記述したPeter S. Guilfoyle, “Systolic Acousto-Optic Binary Convolver” Opt. Eng. 23(1), 230120 (Feb. 91, 1984) という論文があるので、会社の設立はこれより前であろう。

後にSAXPY社と名前を変更した。その後の運命は不明。

5) Cisco Systems社
ネットワーク機器の製造会社である Cisco Systems Inc.は、1984年12月、Stanford大学のLeonard BosackとSandy LernerによってSan Joseで設立された。

6) Xilinx社
FPGAを中心としたプログラマブルロジックデバイスを開発する半導体企業ザイリンクス社(Xilinx, Inc.)は、Zilog社にいたRoss Freeman, Bernard Vonderschmitt, James V Barnett IIらにより、1984年に同じくSan Joseで創立された。翌1985年、世界初のFPGA XC2064を製品化した。

7) Dell社
Texas大学Austin校の学生であったMichael Dellが1984年PC’s Limitedの名前で創立した。1987年、名称をDell ComputerCorporationに変更した。2003年にDell Inc.に変更。

8) MathWorks社
数学計算ソフトウェアMATLABは、1970年代後半、New Mexico大学のコンピュータ科学教室の主任であったCleve Molerによって開発されたが、Stanford大学の院生であったJack Littleが1983年にこのツールの有効性を見出し、Steve BangertとともにMATLABをCで書き換えた。1984年、かれらはMoler教授とともにMathWorks社を設立した。

9) 聯想集団 (Legend)
中国でも新会社が設立された。11月、中国科学院計算機研究所の11名の研究員が「中国科学院計算所新技術発展公司」を設立した。1988年、香港連想集団公司、1989年北京聯想計算機集団公司を設立。聯想集団はLegendというブランドを使用していたが、2003年4月、商標および英語社名をLenovoに改めた。「新しい(novo) Legend」を意味するのであろう。2004年12月、Lenovo社はIBMからPC部門を買収することを発表し、世界を驚かせた。そればかりか、2014年1月23日、Lenovo社はIBMのx86サーバ事業を買収すると発表しさらにびっくりさせた。

Lenovo社はスーパーコンピュータも製作している。例えば、2008年11月のTop500において、Lenovo社製のDeepComp 7000(中国互聯網絡信息中心、北京)は、102.8 TFlopsで19位を獲得している。

次回は1985年、世界中でベクトルコンピュータの性能は上昇を続ける。同時に、日米の性能競争が貿易摩擦にまでこじれることになる。IntelはやっとiPSC/1により並列市場に参入する。Meikoも創立される。

(アイキャッチ画像:Multiflow Computer TRACE mini Supercomputer 出典:Computer History Musuem)

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