世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


10月 14, 2014

HPCの歩み50年(第12回)-1977年-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

小柳 義夫(神戸大学特命教授)

Cray-1の出荷された翌年、日本初のベクトルコンピュータFACOM 230-75 APUが航空宇宙技術研究所に納入され運用が開始された。研究用コンピュータとしては、京都大学で萩原宏らが、VLIWの計算機QA-1を稼動させた。アメリカでは、Digital Equipment社が、32ビットのコンピュータVAX-11/780を発表した。Apple社が法人として成立したのもこの年である。

社会では、1/4青酸コーラ事件、1/20カーターが米大統領に、2/14毒入りチョコレート、5/2大学入試センター発足(12月に試行テスト実施)、8/7有珠山噴火、9/5王貞治に国民栄誉賞、9/5ボイジャー1号打ち上げ(2012年に太陽圏を脱出し、最も遠くまで到達した人工物体)、9/27横浜の住宅街に米軍戦闘機墜落、住民に死者、9/28日航機、赤軍派にハイジャック、超法規的措置で6人釈放、11/15新潟市で横田めぐみ行方不明など。

FACOM230-75APU

FACOM 230-75 APU

(画像出典:一般社団法人 情報処理学会

Web サイト「コンピュータ博物館」)

日本初のベクトル計算機

Cray-1が出荷された翌年の1977年8月、日本初のベクトルコンピュータであるFACOM 230-75 APU が航空宇宙技術研究所(NAL)で運用が開始された。これはFACOM 230-75のメモリ(1MW×36ビット)を、CPUとAPU (Array Processing Unit) が共有するマルチプロセッサ構成であり、ピーク性能は、単精度加算が22 MFlops、単精度乗算が11 MFlopsであった。STAR-100とは異なり、高速メモリで構成されたベクトルレジスタ(1792語)を内蔵していた。ベクトル記述としてはAP-FORTRANという拡張言語方式を用いている。Cray-1にはなかった間接参照のベクトル演算やgather/scatterによるIF文を含むDOループのベクトル化などをサポートしていた点は注目される。2機製作され、もう1機は社内に置かれていたが、後に原子力研究所に移設されたと聞いている。商業的には成功とは言えないが、画期的なコンピュータであった。

日本の動き

1) 数値解析研究会
自主的に企画している第7回数値解析研究会(後の数値解析シンポジウム)は、1977年6月15日(水)~16日(木)に、熱海の竜泉閣で開催された。参加者45名。

2) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、1977年10月31日~11月2日に、高橋秀俊(慶應義塾大学)を代表者として、「数値計算のアルゴリズムとコンピューター」という研究集会を開催した。タイトルに「コンピューター」が入っているところが以前と違っている。第9回目である。報告は講究録No.339に収録されている。

QA-1
京都大学 QA-1(画像出典:一般社団法人 情報処理学会Web サイト「コンピュータ博物館」)

3) QA-1(京都大)
京都大学では、萩原宏らが、(今で言う)VLIWの計算機QA-1を稼動させていた。これはCGの高速処理のために幾何変換の4×4行列を高速処理することを目的とし、4台の演算装置からなるコンピュータ (Quadruple ALUs) であった。命令語は160ビット長であり、これで4個の算術演算と、4個のメモリアクセス、1個の順序制御を指定した。QA-1は2014年3月11日に2013年度情報処理技術遺産として認定された。

4) N-1ネットワーク
1977年10月、7大型計算機センターの間でN-1ネットワークの実証実験が始まっている。正式運用を開始したのは1981年10月である。

5) 高エネルギー研
筆者のいた高エネルギー研では、2月に2台のHITAC 8800が導入され、計算能力が大幅に向上した。TSS端末もあったが、分散設置というアイデアはなく、計算機棟の端末室にまとめて置かれていた。当時の端末はかなり高価なもの(2~300万円?)であった。HITAC 8700/8800のOS7は、バッチジョブもTSS端末からも同一のコマンドを与えるというわかりやすい方式であった。あるとき筆者が端末室でプログラムの編集をしていたら、急に応答がなくなった。SE室からバラバラとSEが筆者のところにやって来て「小柳さん、何か珍しいコマンドを入れませんでしたか?」と。もちろん、単に編集をしていただけである。そのときシステムダウンしたとのことであるが、TSSを使っていたのは一人だけだったので、筆者がシステムダウンをわざと起こしたのかと疑われたようである。

アメリカの動き

1) LINPACK 100
Dongarraらは、サイズ100の線形方程式をLINPACKライブラリで解く時間により、MFlops値を計る性能評価手法を提案した。プログラムには手を入れないことになっている。

アメリカの企業の動き

1)IBM社
IBM社は3月にSystem/370シリーズの中大型機IBM 3033を発表した。

2) DEC社
10月、Digital Equipment社は、32ビットのコンピュータVAX-11/780を発表した。OSとしてVAX/VMS (Virtual Memory System)を提供した。このマシンは、コンピュータ科学者にも物理学者にも愛されたマシンである。1980年代にLBNLを訪問した時、計算センターには多数のVAX-11/780が設置されていたが、物理学者はVMSで動かし、コンピュータ科学者はUnix(BSDか?)で動かしているのが印象的だった。

3) Burroughts社
Burroughs社(1886年創業)は、アメリカの代表的なコンピュータ・メーカの一つであり、1960年代からメインフレームを製造してきた。1964年に始まったILLIAC IVの共同開発に加わった。ILLIAC IVのフロントエンドはBurroughs B6500であった。1977年、Burroughs社は、BSP (Burroughs Scientific Processor) を発表した。これは4×4の並列プロセッサと、これと独立のスカラプロセッサからなる。フロントエンドはB7800である。ピーク性能は50 MFlopsと言われる。しかし、着手が余りに遅かった。Cray-1の成功の中、このプロジェクトは1980年中止された。

apple-II

Apple II

画像提供:Computer History Museum

4) Apple Computer社
Steve Jobsらは、1976年4月にApple Iキットを発売していたが、1977年1月3日、Apple Computer社を法人として設立した。1977年6月10日、Apple IIを発売した。CPUはMOS Technology 6502 (1 MHz)、4 kBのRAM、オーディオカセットなどからなり、量産体制で製造した。

ヨーロッパの企業の動き

1) Siemens社
ドイツのSiemens社(1847年創業)は、128個の8080をバス結合したマルチプロセッサSMS-201を1977年9月のCOMPCONで発表している。一種のmaster-worker方式のようであるが、このような早い時期に汎用プロセッサを使った並列コンピュータを構想したことは画期的である。アーキテクチャの詳細は富田眞治著『並列計算機構成論』を見よ。どの程度売れたのかは不明である。

次回1978年、日本のメインフレームではFACOM M-200とHITAC M-200Hとが発表される。他方、京都大学ではMC6800を用いた並列計算機PACS-9が動き出す。

(タイトル画像 VAX-11/780 画像提供:Computer History Museum)

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