世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


10月 20, 2014

HPCの歩み50年(第13回)-1978年-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

小柳 義夫(神戸大学特命教授)

汎用プロセッサを使った並列コンピュータの日本での元年である。星野力と川合敏雄はMC6800を使って3×3の格子状結合の並列計算機PACS-9を製作した。メインフレームでは、Mシリーズの最上位機種FACOM M-200とHITAC M-200Hとが発表された。後者はIAPというベクトル演算器を内蔵し、筆者も愛用した。Cray-1出荷後2年の時点で、富士通と日立がベクトルコンピュータを実現したことは注目すべきである。この年、FORTRAN 77がANSI規格として制定された。

筆者は、任期が切れそうになったので、関係者のご尽力により1978年8月に高エネルギー研から筑波大学電子・情報工学系に講師として転任した。情報分野の業績ゼロでよく採ってくださったものと思う。当時の筑波大学の住所は、「茨城県新治郡桜村」(そこまではよい)、続いて、「大字妻木(さいき)無番地」、なんと番外地だったのである。当時の本部は今の体芸棟に置かれていたが、たぶん元々湿地で無主の地だったのではないか。

成田空港問題に明け暮れた年であった。3/26に反対過激派が成田空港管制塔に乱入し機器を破壊したため開港が延期になり、5/20にやっと開港した。筆者は、8月22日~30日に新宿京王プラザホテル開かれる”International Conference on High Energy Physics”「高エネルギー物理学国際会議」(2年に1回、偶数年)の事務局を担当していたが、参加者へのサーキュラーに、成田が使えるとか使えないとか混乱した情報を書くことになった。もちろん、当時webどころか電子メールさえなかった。今から思えばメールもなしに国際会議を組織するなんて想像できませんね。御陰さまでTELEXの名手になりました。

たまたまこの会議が、中国と台湾の参加者が同席する初めての(学術的な)国際会議であったので、内容よりもそこにマスコミの注目が集まった。名札にも国名を書かず、所属と都市名だけにした。筆者が前日たまたまホテルの事務局控え室にいたら、香港のWashington Postから電話が掛かってきた(もちろん英語で)。「中国と台湾の双方が出席するというが本当か?」「本当だ」「実際に同席したのか?」というあたりでカチンと来たので、”I have seen physicists both from China and Taiwan. I do not know if they met together or not. I would like to stress that we gather here as scientists, not representing countries.” とか電話に向かって怒鳴った。翌日、この筆者のコメントが(幸い「スポークスマン曰く」ということで名前は出なかったが)AP電で世界を駆け巡った。まあ、とっさにしては上手く答えたというべきか。

1978年末に筑波大学情報学類はHITAC M-170を学生演習のために購入した。翌年4月からの演習のために、使い方をマスターし、教材をつくる必要があった。HITAC 8800のOS7に慣れていた筆者は、HITAC MシリーズのVOS3に初めて触れてびっくりした。バッチ処理はTSSとは全く別で、先頭の//JOBと末尾の//ENDの他には、プログラムを起動する//EXECと、I/Oを定義する//DDしかなかった。TSSでもびっくりした。ファイルをコピーしたり、プリントしたりするコマンドが用意されていなかったのである。後に、有償のプログラム・プロダクトとして提供された。東大のHITAC M-200Hでは、バッチでもTSSと同様なコマンドが使えるようなシステムを用意した。

さてこの年、3/18原宿に「ブティック竹の子」がオープン(いわゆる竹の子族)、4/6サンシャイン60開業、5月、アメリカのユナボマーがNorth Western大学に小包爆弾を送付、6/12宮城県沖地震(3.11の前の前)、8/12日中平和友好条約調印、10/17靖国神社、A級戦犯合祀、12/7大平正芳、首相に。

アメリカの動き

1) FORTRAN 77
言語では、4月に、ANSI(アメリカ国家規格協会)がFORTRAN 77を標準として承認した。主要な変更点は、以下の通り。

a) 文字列型の導入
b) 配列の下限の指定が可能になった。
c) DO loopが、while型となり、先頭で条件判断する(66までは末尾で判断するので、1回は実行)。この点は66と上位互換ではない。制御変数に実数型も使えた(これは全く邪道)。
d) if-then-else の構文が導入され、少し構造的になった。

などなど。マニアックであるが、FORMATがnon-writableになった。66まではHollerith field(つまり3HABCなど)に、write文で読み込み可能であった。これを知っている人はかなりのオタクである。
ISOでは、ISO 1539-1980として規定され、日本では4年後、JIS C 6201-1982として制定された。

アメリカの企業の動き

1) DEC社
前年発表されたVAX 11/780が2月に出荷を始めた。Virtual Address eXtensionからその名を付けたといわれるように、ページ方式の仮想記憶であった。インタフェースが公開され実験装置などと接続することが容易だったので、科学技術用のマシンとしても広く使われた。

2) Intel社
6月にIntel社が16ビットマイクロプロセッサ8086を発表した。その後パソコンに広く採用されたCPUチップである。

日本の動き

1) PACS-9(京都大)
筆者としてまず挙げたいのが、並列計算機PACS-9の開発である。当時、京都大学原子エネルギー研究所にいた星野力と、日立にいた川合敏雄が、MC6800(1974年開発)を使って製作した3×3の格子状結合の並列計算機である。名前は、Processor Array for Continuum Simulationに由来する。その後、多目的性を強調するためにPAX (Processor Array eXperiment)に改名した。PACS-9のピーク性能は7 kFlopsだったとのことである。原子力の炉心シミュレータを目標としていたが、連続体を記述する偏微分方程式の時間発展や平衡状態の計算に適したものとなった。星野力が筑波大学に転任した後、PAX-32、PAX-128などと発展していく。筆者が並列処理に興味を持ったのもPAXからであった。筆者がPAXに本格的に係わったのは1982年からで、PACS番号10を頂いている。

2) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、1978年11月20~22日、高橋秀俊を代表者として、「数値計算のアルゴリズムの研究」という研究集会を開催した。第10回目である。報告は講究録No.373に収録されている。講演のタイトルは数理的なものが多い。

3) 漢字コード
HPCではないが、1978年1月1日、通産大臣は「JIS C 6226-1978 情報交換用漢字符号系」を制定した。日本ではじめて日本工業規格の漢字体系であった。その後、何度か改定されている。

FACOM-M200
FACOM M-200
HITAC-M200H
HITACH M-200H
(上記2画像出典:一般社団法人 情報処理学会 Web サイト「コンピュータ博物館」)

日本での企業の動き

1) 富士通・日立
1972年、通産省の行政指導により、国産6社を3つの企業連合(富士通・日立、日本電気・東芝、三菱・沖)を構成し、技術研究組合を創立したことは前に述べたが、富士通・日立連合は、1979年、Mシリーズの最上位機種を発表した。1月、富士通はFACOM M-200を発表した。最大4台までのマルチプロセッサを構成することができた。一方日立は、9月8日にHITAC M-200Hを発表した(『情報処理』2000年10月号の高橋茂の記事によると、通産省と腹に据えかねるやりとりがあったようである)。後者は1980年1月に東大の大型計算機センターに導入され、筆者も愛用した。ベクトルプロセッサであるIAP (Integrated Array Processor)を搭載することができた。ただし大規模なベクトルレジスタを持たず、仮想空間上のデータに対してベクトル演算をおこなうもので、スカラの演算に対する性能向上は数倍程度であったが、高度な自働ベクトル化方式のコンパイラを装備し、間接参照はもちろん、総和、内積、1次漸化式など当時のCray-1のコンパイラが完全にはサポートしていなかった機能を有していた。ピーク性能は48 MFLops。TSSでも使えるなど使い勝手は非常によかった記憶がある。IAPを有効に働かせるために、高度なメモリインターリーブを行うなど、メモリシステムに相当な物量を投入していた。そのためIAPを使わなくても(メモリアクセスが)速いというユーザの評判であった。なお、最初のIAPはHITAC M-180(1974年発表)に搭載されたが、性能向上はそれほどではなかったと言われる。

2) 日本語ワードプロセッサ
1978年9月、東芝は初の日本語ワードプロセッサJW-10を発表し、翌年2月出荷した。筆者も筑波大で愛用したが、事務机ほどの機械で、500万円以上(当時で)したという記憶がある。外部記憶は8インチのフロッピディスクであった。情報処理学会の2008年度の情報処理技術遺産として認定された。

ベンチャー企業の創業

1) Inmos社
1978年11月、イギリスの半導体会社Inmos Limitedがブリストルで設立された。SRAMの製造では一時世界の60%のシェを持っていた。1980年代に一世を風靡したマクロプロセッサTransputerシリーズを開発製造した会社である。1994年12月、Inmos社はSTMicroelectronicsに吸収され、ブランドは消滅した。

次回1979年、CDC社はベクトルコンピュータCyber 203を発表する。イギリスではICL社が1ビットプロセッサを64×64の格子状に結合した超並列コンピュータDAPを出荷する。

(タイトル画像 PACS-9 画像提供:筑波大学計算科学研究センター)

 

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