HPCの歩み50年(第15回)-1980年-
小柳義夫(神戸大学特命教授)

この年、星野力はPAX-32 を製作し、筑波大学への異動に伴い筑波大学に移送し、そこで稼動させた。筆者の並列処理の原点となったコンピュータである。また、ベクトルコンピュータとしては、この年Cray-1が2台日本に設置された。センチュリー リサーチ センタ(CRC)と三菱総合研究所である。アメリカでは、CDC社がCyber 203の改良型であるCyber 205を発表し、翌年出荷した。しかし当時の筆者達にとって、ベクトルスーパーコンピュータはなお雲の上の存在であった。
この年も社会では色々なことが起こった。4/25一億円拾得事件、5/19ハプニング解散、6/12総選挙中大平首相急死、6/22衆参同時選挙、自民党圧勝、7/17鈴木善幸、首相に、8/16静岡駅前地下街ガス爆発事故、8/19新宿バス放火事件、8/27全斗煥将軍、大統領就任、9/22ポーランドで「連帯」結成、10/1富士見産婦人科病院理事長逮捕、10/5山口百恵引退、10/21巨人長嶋監督辞任、11/4レーガン、カーターを破り米大統領当選、11/20川治温泉ホテル火災、12/8ジョン・レノン射殺。
筆者の関係では、この年の1月10日、培風館の「物理学辞典」の最初の編集委員会がホテルグランドパレスで開催された。大げさに言うと培風館の社運をかけた大企画であり、4年以上の歳月を掛けて84年9月に初版が出版された。筆者は編集委員の一人として、コンピュータ分野を担当した。一番大変だったのは項目選びである。足繁く市ヶ谷の培風館に通ったことを覚えている。1992年に改訂版、2005年に三訂版が出ている。改訂版からは常任編集委員の末席を汚している。
日本の動き
1) 数値解析研究会
自主的に企画している第9回数値解析研究会(1972年発足、後の数値解析シンポジウム)は、名古屋大学二宮研究室の担当で、1980年6月5日(木)~7日(土)中津川研修センター夜明けの森で開催された。これまではほとんど2日間のプログラムであったが、この回からは3日間が定例になった。参加者51名。
筆者はこの年初めてこの「数値解析研究会」に参加した。前に書いたように、1979年に名古屋大学が主催を引き受けてから、全国的な大シンポジウムになった。2日目の夜に開かれるその名も「大シンポジューム」は、なかなか盛会である。このシンポジウムは現在まで毎年6月頃開催されている。
2) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、1980年11月13~15日に高橋秀俊(慶應義塾大学)を代表者として、「数値計算のアルゴリズムの研究」という研究集会を開催した。第12回目である。報告は講究録No.422に収録されている。数理的な研究が多いが、「対称帯行列固有値解析:ページスワップに注目して」(村田健郎)が仮想記憶を意識した数値計算を論じている。
3) PAX-32(京都大・筑波大)
筆者にとって忘れられないことは、星野力(当時、京都大学)がPAX-32 (当初はPACS-32と呼んでいた)を製作したことである。同年、筑波大学への異動に伴い筑波大学に移送し、そこで稼動させた。これは、CPUとしてMC6800、数値演算プロセッサとしてAM9511を用い、8×4の2次元トーラス状に接続したものである。ピーク性能は0.5 MFlopsであった。汎用プロセッサを利用した高並列コンピュータとしては、CalTechのCosmic Cube (1981~3)よりも早く、先駆的である。
日本の企業の動き
1) Cray-1の導入
1980年、Cray-1が2台日本に設置された。前年1979年6月に日本法人の日本クレイ(株)が設立されたが、1月にセンチュリー リサーチ センタ(CRC)に、6月には三菱総合研究所に設置された。なおCRCは、2006年10月に伊藤忠テクノサイエンスに合併された。
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ACOSシステム1000 |
2) 日本電気
日本電気は9月にACOSシステム1000を発表した。これは元々GE技術の系統を引く36ビットマシンである。日本電気では初めて統合アレイプロセッサ(ベクトル演算器)を採用した。ピーク28 MFlopsであった。日立のIAPに比べてあまり知られていないのは残念である。筆者も使ったことはない。
この時点で日本のベクトル演算器としては、富士通の75 APU (1977)、日立の180 IAP (1978), 200H IAP (1979)、三菱電機のMELCOM COSMO 700III(1979)、日本電気のACOS 1000 (1980)が上げられる。なお、世界的にはSperry-Univac社が、メインフレームUNIVAC 1100/80の拡張としてAPS (Array Processor Subsystem)を1977年に出荷している。詳細は不明である。
アメリカの企業の動き
1) CDC社
CDC社(1957年創業)は、Cyber 203の改良型であるCyber 205を発表し、翌年出荷した。今度はECLゲートアレイを用いてベクトルパイプラインを設計し直した。冷却にはフレオンを用いた。最初の顧客は英国の気象庁であった。Cyber 205にはベクトルパイプラインが2本のものと4本のものがあり、4本の版は、64ビットで400 MFlops、32ビットで800 MFlopsのピーク性能をもつ。メモリバンド幅が9600 MB/sだったということであろうか。
2) Burroughs社
他方、Burroughs社は1980年、並列コンピュータBSP(1977発表)の開発を中止した。
3) Data General社
ミニコンピュータでは、Data General社(1968年創業)が1980年Eclipse MV/8000を発表した。筆者のいた筑波大学の数値解析研究室(森正武教授、池辺八洲彦教授)のメインマシンとなったコンピュータである。数値計算用としては価格性能比のよいマシンであった。
3) MC68000
Motorola社(1928年創業)は、2月、マイクロプロセッサMC68000を量産出荷した。
ベンチャー企業の創業
1) Apollo Computer社
Apollo Computer社は、Prime Computerの創立者であるWilliam Poduskaによって1980年にマサチューセッツ州Chelmsfordで創立された。Apollo/Domainワークステーションを生産し、グラフィック・ワークステーションの草分けの一つである。最初はMolorolaのMC68000を利用し、ワークステーションやサーバを販売した。電気系や機械系のCADマシンとして愛用されたが、1989年Hewlett-Packard社に買収された。
次回1981年、通産省はいわゆる「スーパーコン大プロ」を始める。これにはベクトルも並列もデータフローもGaAsも超伝導も入っている。アメリカではCalTechのFoxがcosmic cubeプロジェクトを始める。
(タイトル画像 PAX-32 出典:筑波大学計算科学研究センター )
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