世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


6月 13, 2022

新HPCの歩み(第96回)-1990年(d)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

ISCの前身であるMannheim Supercomputer Seminarではフォルクスワーゲン社のSeiffertは「自動車産業におけるスーパーコンピュータ応用」という基調講演を行った。第1回のSupercomputing in Nuclear Applications国際会議が、水戸パークホテルで開催された。

国際会議

1) ISSCC 1990
第37回目となるISSCC 1990(1990 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1990年2月14日~16日に、San Franciscoで開催された。主催はIEEE Solid-State Circuits Council、IEEE San Francisco Section、Bay Area Council、University of Pennsylvaniaである。組織委員長はW. Pricer (IBM)、プログラム委員長はC. Gwyn (SNL) であった。これまでは開会式を会議の途中に行っていたが、この回からは初日の最初に置いている。以下の基調講演、招待講演が行われた。

Supercomputers for the nineties: making the powerful accessible

S. Nelson (Cray Res., Chippewa Falls)

The new joint R&D

W. G. Ouchi (California Univ., Los Angeles)

The present state of high definition television and its impact on solid state circuits

F. W. P. Vreeswijk (Philips Res. Lab., Eindhoven, Netherlands)

 

IEEE Xploreに会議録が置かれている。

2) ARCS 1990
第11回目となるARCS 1990(Architektur von Rechensystemen, Tagungsband, 11. ITG/GI-Fachtagung)は、1990年3月7日~9日に西ドイツのMünchenで開催された。

3) SNA 90
第1回のSupercomputing in Nuclear Applications国際会議が、3月12~15日に水戸パークホテルで開かれた。運営は日本原子力研究所(当時)。どういうわけか筆者も参加した。Kahanerの報告がある。参加者の内訳は、日本608名、アメリカ18名、フランス15名、イギリス6名、その他ベルギー、デンマーク、西ドイツ、フィンランド、イタリア、ポルトガル、スペイン、スイスなど。所属は、大学関係者42名、政府関係者256名(内原研180名)、会社306名(内展示スタッフ110名)。この会議は世界持ち回りで何年かに一度開かれ、2000年と2010年には再び日本に戻り東京で開かれている。

4) CHEP 1990
第4回のCHEP 1990 (1990 Computing in High Energy Physics)が、1990年4月9日~13日に、アメリカ・ニューメキシコ州のSanta Feで開催された。詳細は不明である。

5) Mannheim Supercomputer Seminar
第5回目のセミナーは、1990年6月21日~23日にMannheim大学で開催された。2001年からはISC (the International Supercomputing Conference)と呼ばれることになる。基調講演はVolkswagen AGのUlrich Seiffertらによる“Einsatzgebiete von Supercomputern in der Automobilindustrie”(自動車産業におけるスーパーコンピュータ応用)であった。会議録“Supercomputer‘90: Anwendungen, Architekturen, Trends”がSpringer社からInformatik-Fachberichte book series (INFORMATIK, volume 250)として出版され、18編の論文が掲載されている。内15編はドイツ語である。アーキテクチャ関係では、Transputer、iPSC、SUPRENUM、TX3 (?)、Alliant FX、VAXなどに関する講演があった。

6) ICPP 1990
第19回目となるICPP 1990(International Conference on Parallel Processing)は1990年8月にイリノイ州Urbana-Champaignで開催された。会議録は3巻に分けてPennsylvania State University Pressから出版されている。Tier大学のdblpには題目だけが置かれている(Volume 1: Architecture, Volume 2: Software, Volume 3: Algorithms and Applications)。

8月14日に次のようなパネル討論が企画された。どんな議論になったのか記録はないが、テーマは時代を感じさせる。

テーマ:「大規模並列プロセッサはいったいいつになったら商品になるのか」

司会

Allan Gottlieb(New York大学)

パネリスト

Eugene Brooks from Livermore

Steve Colley from nCUBE

Tom Downey from BBN

Kei Hiraki from ETL (visiting this year at IBM)

Gary Montry from Myrias

 

当時、平木敬は電総研から1年間IBMに長期出張していた。

7) Hot Chips 2
第2回目となるHot Chips 2 (Hot Chips: A Symposium on High Performance Chips)は、1990年8月20日~21日にシリコンバレーのSanta Clara大学のMayer Theaterで開催された。1990年6月3日に死去したRobert Noyceを偲んで、Mooreの特別記念講演が行われた。NoyceはFairchild SemiconductorやIntelの共同創業者の一人である。

Special Memorial Presentation on Dr. Robert Noyce

Gordon Moore、Intel

 

8) ICCMM
ベルギーのKatholike Universiteit, Leuvenで2年に一度開催されているInternational Congress for Computational and Mathematical Methodsが、7月22日から28日に開催された。招待講演を頼まれたので出席した。別項に記す。

9) ICHEP 1990
2年に一度開催される高エネルギー物理学国際会議の第25回目(25th International Conference on High Energy Physics)が、8月2日から8日にRaffles City Convention Centerで開催された。シンガポールはこの年ちょうど独立25周年で、それに合わせて第25回のICHEPを招聘したらしい。筆者はベルギーの帰りに出席した。投稿論文が採択され、parallel sessionで“QCDPAX — A Parallel Vector Processor Array for Lattice QCD”という講演を行った。会議録は1991年4月にWorld Scientific Pubから発行されている。詳細は別項に記す。

10) CONPAR 90-VAPP IV
CONPAR 90-VAPP IV: Joint International Conference on Vector and Parallel Processingは、1990年9月10日~13日にスイスのZurichのETHで開催された。会議録はSpringerのLNCS 457として出版されている。

11) Lattice’90
第8回目となるInternational Symposium on Lattice Field Theory(通称Lattice’90)は、1990年10月8日~12日に米国フロリダ州Tallahasseeで開催された。会議録はNuclear Physics B – Proceedings Supplements 20 (1991)として出版されている。

12) SC90
1990年11月12日~16日にNew Yorkで開かれたSC90については項を改めて次回に記す。

13) SPDP 1990
第2回のSPDP 1990 (The 2nd IEEE Symposium on Parallel and Distributed Processing)は1990年12月9日~13日にテキサス州Dallasで開催された。主催はIEEE/CSである。会議録はIEEEから出版されている。

ヨーロッパ・アジア出張

ベルギーで2年に一度開催されるICCMM(International Congress for Computational and Mathematical Methods)にどなたか(多分森正武先生)の推薦で招待講演を行うことになり、またその直後にシンガポールでICHEPもあるので、併せて7月23日から8月12日まで出張した。

1) 南回りヨーロッパ便
これまでヨーロッパへ行くのに、北極回りかロシア上空経由(80年代後半から)の航空便を使っていたが、帰りにシンガポールに寄るので、旅行業者の勧めでシンガポール航空の南回り便を利用した。大昔は、ヨーロッパへ行く際は南回りが普通だったそうである。

23日成田を出て、香港を経由してシンガポールに夜到着。ロビーで少し待って、Brussels便に乗り換えた。途中UAEのドバイで給油した。その間空港内で休憩しようと、機内から一歩タラップに出たら、余りの熱気に驚いた。乗務員に「何度あるの?」と聞いたら、こともなげに「40度ぐらいでしょ」とのこと。夜中の2時である。ある乗客が「ヘアドライヤーの風を顔に受けたみたい」と表現していた。昼間ならどうなるのだ?もちろん空港内は冷房が効いて快適であった。

2) ICCMM
Brussels空港からは電車でLeuvenに向かった。大学は駅から歩ける距離ということだが道に迷った。怪しげなフランス語で道を聞いたのだが、あまり通じなかった。よく考えたらオランダ語圏であった。まあ、会議が開かれている大学にはどうにか到着した。宿泊はキャンパス近くの学生寮であった。

会議では、”Convergence of the SOR-like Methods”という招待講演を行った。これは2次元Poisson方程式を差分法で離散化し、ベクトルコンピュータで辞書順のままSORを強制ベクトル化すると、一方向については更新前の古い値を使うことになり、SORとは異なるアルゴリズムとなる。その収束条件を数学的に分析したもので、杉原、藤野、森との共同研究である。流体力学分野では、そういうアルゴリズムを堂々とSORと称して発表していたので、どのくらい違うのか調べようと思ったのが発端である。当時はまだトランパレンシをOHP (overhead projector)で投影して講演を行ったが、何人かからトランスパレンシのコピーが欲しいと言われた。会議録がJCAM 35 (1-3) (1991)として出版されている。4人での共同研究は、日本語では発表していたが、この会議録が国際的なデビューとなった。

3) 遠足
ある日の午後遠足があり、貸し切りバスでBrussels市内などを回った後、Duvelのビール工場を見学した。アルコール濃度8%ほどの強いビールで、最近は日本でもよく見かける。ビン詰めする際に糖分を追加し、二度(double)発酵させるのでDuvelと聞いたが、Wikipediaによると「悪魔(英語のdevil)」という意味だそうである。試飲があったが、当然軽食が出るものと思っていたのに、出たのはパン切れだけで、それをつまみとしてすきっ腹に何杯も飲んだらすっかり酔ってしまった。悪魔にやられた! バスで帰ったはずであるが記憶がない。翌朝、宿舎の自分の部屋のベッドに寝ていたので、正しく帰ったようである。

4) Bonn訪問
シンガポールのICHEP 1990まで少し時間があったので7月29日にドイツのBonnに列車で移動し二泊した。壁の崩壊したBerlinに行こうかとも思ったがBerlinはあまりに遠かった。Bonnのホテルに荷物を置き、どこかで夕食を取ろうと駅前広場をぶらぶらしていたら、両膝から下がなく車いすに乗っている中年のおっさんにつかまり、車いすを押せという。よっぽど暇人に見えたのか。しばらく、車いすを押しながら英語や片言のドイツ語で会話を楽しんだ。日本に行って見たい、とか言っていた。「日本は車椅子で旅行しやすいか」というので、「(バリアフリーの)整備は遅れている」と言わざるをえなかった。

Bonnの町では、「Bonnを(再統一)ドイツの首都に」というスローガンを掲げた自動車がたくさん走っていた。残念ながら、1991年6月20日にベルリンが首都になることが決まってしまう(首都機能移転が完了したのは2001年5月2日)。翌日は、筑波大学社会工学系の山本芳嗣氏が滞在していた、郊外にあるBonn大学の数理計画関係の研究所を訪問した。山本氏には大変お世話になった。

5) Zürich
Zürich発の飛行機に乗るので、31日に列車でZürichまで行って適当に駅近くの安ホテルを取ったが、夜暑いのに、冷房はなく窓も開かず閉口した。8月1日朝、Zürichからシンガポール行きの飛行機に乗った。帰りの途中寄港地はUAEではなくモルジブのMaléで、ヨーロッパからの観光客がたくさん降りて行った。今から思うと、そのとき下ではフセインのクウェート侵攻が始まっていた。下手をすると人質になるところであった。実際、その後航空機の乗客や乗務員が人間の盾になった例もあった。筆者は、8月2日に無事シンガポールに到着した。

6) ICHEP 1990
シンガポールでは、Raffles City Convention Centerで開かれていた高エネルギー物理のICHEP国際会議(25th International Conference on High Energy Physics、8/2~8/8)に参加した。1986年(Berkeley)、1988年(München)と3回連続出席になる。シンガポールには家内もやってきた。

QCDPAXについての論文を投稿しておいたが、会場に来て口頭発表に採択されたことがわかった。当時のICHEPでは、会議はRapporteur talkと呼ばれる主要テーマごとの総合講演(plenary)と、分科会形式の口頭発表から成っていた。投稿された論文は、会議直前に何日か行われる総合講演者の会議(むしろ合宿に近い)で精読され、Rapporteur talkの材料となるとともに、何編かを口頭発表に選ぶ。だから直前にならないと採択かどうかわからないのである。Rapporteur talkは、その分野の投稿論文のまとめということになっているが、どの程度講演者個人の意見を入れるかはケースバイケースである。大先生だとほとんど個人講演となることが多い。また、すべての投稿論文のリストが参加者に配布され、論文のコピーが会場に展示される。希望者は複写費だけでコピーを入手できる。

筆者は、トランスパレンシはちゃんと用意してあり、“QCDPAX — A Parallel Vector Processor Array for Lattice QCD”という講演を行った。講演では一つだけ質問があった、「QCDPAXは分割利用ができるか?」もちろん答えはNoである。それはtorusを分割するとtorusでなくなってしまうからである。これを解決したのが「京」コンピュータで開発された富士通のTofu接続網(物理的には2×3×2×nx×ny×nzの6次元torus)である。

7) シンガポール独立25周年
前にも書いたように、1990年はシンガポール独立25周年なので、がんばって25回目のICHEPを誘致したようである。会議の開会式に政府を代表してLee Hsien Loong大臣(リー・シェンロン、李顕竜、当時は貿易・工業大臣、その後副首相、2004年から首相)があいさつした。フロアでは、「あれはLee Kuan Yew(リー・クアンユー、李光耀)首相の息子で、いずれ首相になる実力者だ」などとささやかれていた。その通りとなった。ISCやSCでは市長や州知事などが挨拶することもあるが、高エネルギー物理の会で政治家が出てくることは珍しい。

会議終了の翌日8月9日は建国25周年記念式典なので、宿泊を1日延長しようとしたが、ホテルが満員で大変であった。ようやく、添乗員用の部屋みたいなタバコ臭い部屋をとることができた。前晩から街中は大騒ぎであった。家内と見物に出かけ、まずディナークルーズ(といっても小さな船)に乗って海と川を遊覧した。そのあと市内の中心部に行ったら、道という道が日本の通勤ラッシュ並みの混雑でホテルまで帰るのに苦労した。

8) Bangkok訪問
シンガポールまで来たならBangkokにも足を延ばそうと、森正武先生の紹介でKassesart大学を訪問することにしていた。8月9日の夕方、25年式典をテレビで見た後Bangkokに飛んだ。旅費も謝金も要らないから宿だけ取って、と大学の方(お名前は忘れた)にお願いしておいたら、Dragon Hotelとかいうドブ川の臭う一泊20ドルの安ホテルを予約してくださった。あまりに設備が悪いので、2日目からは中心街に近い豪華なホテル(といっても100ドルちょっと)に替えていただいた。天国と地獄であった。その方は同僚から「日本の先生を、どうしてそんな安ホテルに泊めたのか」とびっくりされていた。なるべく安く、と思ったのであろう。大学で驚いたのは学部長など大学の幹部に女性が多いことでああった。

8月10日にKassesart大学で学生相手にセミナーを行った。ベルギーでの会議での講演をわかりやすく話したが、どれだけ理解されたかは疑問である。11日には私たち二人を自家用車に乗せ、バンコック市内を案内してくださった。12日には、シンガポール経由で帰国した。

さて次回はSC90と世界の企業の動きである。SC90では、Thinking Machines社(TMC)のDaniel Hillisが「最速のコンピュータ」という基調講演を行った。Cray Computer社のCray-3の開発が遅れ、LLNLから発注をキャンセルされる。一方、Intel社はiPSC/860を開発し、翌年Caltechに超並列機Touchstone Deltaを設置する。

 

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