世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


9月 26, 2022

新HPCの歩み(第109回)-1992年(f)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Intel社は超並列コンピュータParagon XP/Sを出荷し並列ビジネスに本格的に参入した。MasPar社はMP-2をTMC社はCM-5を出荷、Cray Research社はT3Dを発表する。DEC社はRISC CPUであるAlpha 21064を、Hewlett-Packard社はPA-7100を発売開始する。

アメリカの企業の動き

1) Intel社(Paragon)
Intel社は1992年Paragon XP/Sを出荷した。発表は前年のSC’91のころと思われる(要確認)。これはCaltechのTouchstone Deltaの商品版であり、ノードは2個のi860XPからなり、一方はアプリケーション・プロセッサ、もう一方はメッセージ・プロセッサである。2次元メッシュ接続であった(トーラスではない)。メッシュの終端にはI/Oノードが置かれた。QCDPAXのようなトーラス結合では、分割運転ができないからである。1993年には下位のParagon XP/Eが発表された。最大32ノードまで搭載できる。

1993年6月のTop500によると、それまでに設置されたのは以下の通り。なおSSDはSupercomputer Systems Divisionである(Solid State Diskではない)。

順位

設置場所

機種

コア数

Rmax

Rpeak

69tie

Intel SSD Development Centers

XP/S15

208

3.3

10.4

NASA Ames

XP/S15

208

3.3

10.4

Intel SDD

XP/S10

140

3.3

 7.0

126tie

Boeing

XP/S5

66

1.9

3.3

FZJ

XP/S5

66

1.9

3.3

Intel SSD

XP/S5

66

1.9

3.3

NASA/Langley

XP/S5-32

66

1.9

3.3

ORNL

XP/S5

66

1.9

3.3

Prudential

XP/S5

66

1.9

3.3

RWCP

XP/S5

66

1.9

3.3

Stuttgart大

XP/S5-32

66

1.9

3.3

 

その他10カ所(XP/S4, XP/A4など、56プロセッサ)。このTop500のリストを見ると、Rmaxはちゃんと計っているとも思われない。Intel社やNASAにあるXP/S15のRmaxは4.9 GFlopsぐらいまで行くはずで、本当は45位あたりになると思われる。

なお、MPノードもあり、アプリケーション・プロセッサが2個設置されている(合計3個)。1996年11月のTop500からParagonのその後の設置状況を示す。LINPACK測定の場合はメッセージ・プロセッサも演算に利用することがある。日本の航空宇宙技術研究所(JAXAの前身のひとつ)にも導入されたが、松尾裕一の報告によると、時期尚早で使いこなせなかったとのことである。日本国内でも、これ以外にRWCP(66 CPU)、東京大学物性研究所(66 CPU)や広島大学INSAM(56 CPU)などにも設置された。

設置機関

機種

プロセッサ数

Rmax

設置年

SNL

XP/S140

3680

143.4

1993

ORNL

XP/S-MP 150

3072

127.1

1995

(日)原子力研究所

XP/S-MP 125

2502

103.5

1996

(米)空軍研究所

XP/S-MP 41

816

33.7

1995

(スイス)ETH

XP/S-MP 22

450

18.7

1995

Caltech

XP/S35

512

15.2

1994

ORNL

XP/S35

512

15.2

1992

(仏)ONERA

XP/S-MP 15

294

12.25

1995

ORNL

XP/S-MP 14

288

12

1995

SDSC

XP/S30

400

11.9

1993

(日)航空宇宙技術研究所

XP/S25

336

10

1994

(米)NRAD

XP/S25

336

10

1994

岡山大学

XP/S20

256

7.6

1994

DoD ASC

XP/S20

256

7.6

1994

 

 

ちなみParagonとはギリシャ語の砥石(akonē)で研ぐ(parakonaō) に由来し、鋭いもの、優れたもの、逸品を意味するようである。各地の地名の他、バンコックやシンガポールのショッピングモールの名前にもある。写真はSNLのParagon(Top500のページから)。

Intel社は、1992年秋に予定していた新しいプロセッサ(コード名P5)の発表を1993年初めまで延期することを7月明らかにした。パソコン市場の回復が遅れているためとみられる。実際、1993年1月にPentiumとして発表され、3月発売される。

2) MasPar Computer社(MP-2)
MP-2を出荷した。自主開発のPEチップは32個のPEを含み、各PEは32ビットのALUと浮動小数レジスタとバレルシフタを持つ。浮動小数ユニットは、単精度と倍精度の実数演算を実行できる。32チップを1枚の基板に搭載し、16枚の基板を並べることにより16384個のPEを搭載できる。MP-1と合わせて200システム以上を売ったと言われる。1993年6月の最初のTop500にはMP-1を含め18台掲載されている。Coresの定義は不明であるが、プロセッサ数はこの8倍で、例えばLockheed社のMP-2は16384プロセッサ(最大構成)である。

順位

機種

設置場所

cores

Rmax

Rpeak

180tie

MP-2216

Lockheed Missiles and Space Company

2048

1.60

2.40

180tie

MP-2216

National Cancer Institute

2048

1.60

2.40

331

MP-2208

Arizona State University

1024

0.77

1.20

415tie

MP-1216

9件

2048

0.47

0.55

453tie

MP-1

6件

2048

0.44

0.55

 

MP-3を開発していたが、完成する前に1996年6月にハードウェアのビジネスを停止する。MasPar社はデータ・マイニングのソフトウェアの会社Neovistaに転向した。

3) IBM社(PowerPC 601)
日本経済新聞2月14日夕刊によると、IBM社は13日、1 TFlopsを目指す次世代スーパーコンピュータの研究開発拠点として、新しい研究所を設立すると発表した。今から思えば1993年に登場するSP1を目指していたのであろう。

IBM社、Apple Computer社、Motorola社の3社(いわゆるAIM連合)は、32ビットRISC microprocessorであるPowerPC601を共同開発し、1992年10月にプロトタイプを出荷した。初めてのPowerPC CPU (single chip)である。このチップはSMP (Symmetric Multi-Processor)のためのmemory coherency機構をもつ。601シリーズのコアはPOWERアーキテクチャと互換性をもつが、初期のPOWERとは異なりSMPマルチプロセッサに対応していた。1993年10月にはIBM RS/6000 workstationに、1994年3月にはAppleのPower Macintoshに搭載される。

4) Cray Research社(Y-MP M90, EL90)
Cray Research社は、1992年、Y-MPのSRAMメモリを遅いが容量の大きいDRAMに置き換えてメモリを32 GBまで拡大したY-MP M90ファミリを発表した。プロセッサ数に応じてM92、M94、M98の3種類があった。日本の航空宇宙技術研究所では可視化用にM92を導入した。1993年6月の第1回のTop500に掲載されているものは以下の通り。

順位

機種

設置場所

プロセッサ数

Rmax

Rpeak

166

Cray Y-MP M98

Cray

8

1.73

2.67

250tie

Cray Y-MP M94/4512

FZJ

4

1.11

1.33

250tie

Cray Y-MP M98/41024

U Alaska

4

1.11

1.33

292

Cray Y-MP M98/31024

GE

3

0.85

1.00

410tie

Cray Y-MP M92/2256

Bell Labs

2

0.55

0.67

410tie

Cray Y-MP M92/21024

Minnesota S.C.

2

0.55

0.67

 

また1992年、すべてをCMOSで設計し直したCray Y-MP EL90(Entry Level)を出荷した。I/OはY-MPとは異なりVME busを使い、空冷で安価であった。これは1990年に買収したSupertek Computers社の遺産である。プロセッサ当たりのピーク性能は133 MFlopsである。Cray EL90にはCray EL92, EL94, EL98がある。後にCray J90に発展する。

5) Cray Research社(APP)
スカラ機としては、Intel i860に基づくCray APP (Attached Parallel Processor)を発売した。これは買収したFPS Computingの遺産の一つで、FPS MCP-784と呼ばれていたものである。84プロセッサまで拡張することが出来た。

6) Cray Research社(T3D)
日経産業2月14日によると、Cray Research社は、開発中の超並列コンピュータに、Digital Equipment社製のRISC CPU(すなわちAlpha 21064)を採用することを発表している。DEC社が、自社のRISCを外部企業に提供するのは初めてとのことであった。まあ、DEC社としては、マイクロプロセッサ・チップ自体が初めてであるが。

10月26日には、超並列コンピュータT3D (Tera 3D)を発表した。これはDARPAやDOEの支援の下に、国立研や大学と共同で開発されてきた。「開発は3つのフェーズに分かれ、T3Dは第1フェーズ、第2フェーズはT3E(名前も出ていた)、第3フェーズは最大3 TFlopsを目標に1997年出荷予定」だそうである。3次元トーラスは各フェーズを通して変更しないが、使用プロセッサがAlphaかどうかは限らない、という日本クレイ関係者のコメントが報道されている。

7) Cray Computer社(Cray-3、インサイダー取引疑惑)
1989年にCray Research社から分離したCray Computer社(Seymour Cray社長)は、GaAsを用いたCray-3の開発を進めていたが、予定していた1991年12月の出荷が大幅に遅れていること明らかになった。第1号機の購入を予定していたLLNLは、1991年12月、Cray-3の発注をキャンセルし、Cray Y-MP C90を発注した。このキャンセルはCray Computer社にとって大きな痛手となった。株価は急激に下降したが、二三週前の11月、Cray Research社は所有していたCray Computer社の株を売り抜けていた。アメリカ証券取引委員会(US Securities and Exchange Commission)はインサイダー取引の疑いで調査した。Cray Research社は、「1989年にCray Computer社がスピンオフしたとき、Cray Research社は株式の一部を引き受けたが、そのときの合意事項により1991年11月がその株を売ることのできる最初のチャンスであった。LLNLのキャンセルの件とは偶然の一致だ。」と言い訳した。この件は、1993年1月、Cray Research社のRollwagen CEOがクリントン政権のdeputy Secretary of Commerce(商務副長官)に指名されたとき再び問題となり、結局指名を辞退することになる。

8) TMC社(CM-5)
前年10月発表していたCM-5を出荷した。写真はLANLのCM-5(Top500のページから)。

 

1993年6月のTop500の表によると、1992年に設置したのは、以下の通りで、比較的小型のシステムが多い。

Institut de Physique du Globe de Paris (IPG), France

CM-5/128

SchlumbergerWell Service, USA

CM-5/128

Naval Research Laboratory (NRL), USA

CM-5/256

Mobil/Technical Center, USA

CM-5/64

RWCP, Japan

CM-5/64

 

初期の日本での設置は以下の通り(機種名の詳細は不明)。

RWCP

CM5-64V-32/256

1992

東京大学医科学研究所

CM5-32V-32/64

1993

北陸先端科学技術大学院大学

CM5-64V-32/256

1993

 

日経産業新聞11月2日号によると、CCC社(Cray Computer社、Seymourがスピンアウトして設立した会社)は、TMC社と提携し、両社が開発したスーパーコンピュータについて、共同で販売・宣伝活動を進めることで合意した、とのことである。しかしTMC社は1994年8月15日に、CCC社は1995年3月24日に経営破綻する。

9) Digital Equipment社(VAX 7000、VAX 10000、Alpha 21064)
Digital Equipment Corporation(1957年創業)は、1992年7月、ハイエンドのマルチプロセッサ・ミニコンピュータVAX 7000およびVAX 10000を発表した。VAXシリーズの最後であった。

同社は、2月、CPUチップ Alpha 21064 (EV4)を発表し、9月から量産出荷した。Kenneth Olsen社長は、1991年11頃からAlphaの構想について匂わせていた。DEC社の初めてのCPUチップ商品である。150 MHzという高い周波数で動くスーパーパイプラインプロセッサで、2命令同時発行であった。整数、浮動小数、アドレス、分岐の4個のユニットに対して、クロック毎に最大2個の命令を発行できたが、整数は7段、浮動小数は10段などとパイプラインは深かった。とにかくメモリアクセスが速かったという印象がある。POWER2が出るまで最速のプロセッサであった。DEC社は1992年から、Alpha 21064を搭載したワークステーションDEC 3000 AXPシリーズを発売した。

10) Digital Equipment社(社長交代)
DEC社は、スーパーミニコンピュータVAXシリーズにより、世界第2位のコンピュータメーカにのし上がったが、IBMはAS/400やUnix系のRS6000を登場させ、Sun Microsystems社やHewlett-Packard社もRISCを搭載したUnix系ワークステーションで追い上げ、1992年度決算では約$2.9Bの欠損を出してしまった。DEC創立以来、社長として君臨してきたKenneth Olsenが、業績不振の責任をとる形で6月に社長の座をRobert B. Palmerに譲り、取締役会はPalmerにCEOの肩書を与えた。

11) SSI社 (Supercomputing Systems, Inc.)
Steve Chenは自分のチームとともにCrayを退社し、1987年4月にIBMの支援のもとにSupercomputer Systems Inc. (SSI)を設立し、CEO兼会長となったが、1992年12月末でIBMとの契約は終了し、SSI社は他に資金を探す必要が生じた。SSI社はドアを閉じ、活動を停止しているとも伝えられた。1993年1月26日に破綻が発表され、300人の従業員が路頭に迷うことになる。この年、IBMはSP1を発表する。

12) Silicon Graphics社
同社は、MIPS社の64ビットプロセッサR4000を搭載したワークステーションCrimsonを発売した。また、1992年3月、Silicon Graphics社は、資金難に陥ったMIPS Computer Systems社を$333Mで買収し、MIPS Technologies社として子会社化すると発表。4月、R8000の詳細を発表。

13) Hewlett-Packard社(PA-7100)
HP社は1992年初期(月は不明)に、PA-RISC 1.1に基づくPA-7100を発表した。コード名はThunderbird。これは同一のダイにALUとFPUを初めて統合したPA-RISCプロセッサであった。2-way superscalarで5-stageのパイプラインで、SMP構成が可能である。MMUとキャッシュコントローラはチップ上に含まれる。33 – 100 MHzで動作する。HP9000ワークステーションやStratus Computer社のContinuumサーバなどで使用された。

HP社は、PA-RISCアーキテクチャを発展させるため、1992年にPrecision RISC Organizationという企業グループを創設した。参加メンバは、日立、Redbrick Software、Allegro Consultants、三菱電機、日本電気、沖電気、Stratusであった。

14) Sun Microsystems社(SuperSPARC)
1992年1月23日、Sun Microsystems社は、Cray Research社と、SPARCをベースとしたネットワーク・スーパーコンピューティング実現に向けて、ソフトウェアとハードウェアの両分野において、技術提携することを発表した。Cray Resarach社は、1991年、SPARCベースのミニ・スーパーコンピュータ・ベンダーのFloating Point Systems社を買収し、Cray Research社の100%出資子会社、Cray Research Superservers Inc.を設立した。

1992年2月24日、Sun Microsystems社は創立10周年を迎えた。同社のCEOのScott McNeay氏は、2月10日に経団連会館で開かれた「創立10周年記念記者会見において、「2000年になれば、残るMPUはIntel社のx86と、IBM社のRS6000と、Sun Microsystems社のSPARCの3つのみである。」と述べた。たしかにx86とPOWERは残ったが、SPARCはどうなるか。

1992年、Sun Microsystems社はSuperSPARCシリーズを発売した。SPARC V7より改良されているが、32ビットである。33 MHzと40 MHzとがある。製造は、茨城県美浦のTexas Instruments社である。

15) Encore Computer社
1992年3月、Encore Computer社は、並列ミニコンピュータEncore 93を出荷した。CPUはM88100 (25 MHz)を4~32個搭載できる。公称処理性能は最大640 MIPS。拡張スロットが11個のモデル9311と、20個のモデル9320とがある。キャッシュメモリは1152~9216 KB、主記憶は64~640 MB、ディスク容量は600 MB~133 GBの範囲で拡張できる。

16) Prime Computer社
同社はミニコン事業から撤退し、Sun Microsystems社やDigital Equipment Corp.と組んでCAD/CAM向きのソフトウェアのビジネスに切り替えたが、うまくいかず、1992年8月13日にChapter 11(連邦破産法第11章)の適用を申請した。社名をComputervision Corp.に変更して生き残りをはかった。Parametric Technology Corporationに買収されるのは1998年。

17) BBN社
BBN Technologies社は、MotorolaのMC88100を最大512個搭載できる並列コンピュータTC-2000を開発した。相互接続はButterfly Networkと呼ばれる多段ネットワークである。

18) Microsoft社(Windows 3.1)
Microsoft社は、Windows 3.1(英語版)を1992年4月6日に発売した。日本版は1993年5月12日(NEC版)と5月18日(Microsoft版)。

また、1992年9月、DOS用のVisual Basic 1.0を発売し、NEC PC-98用および富士通FMR用の日本語版も発売された。Visual Basic 2.0は1992年11月に発売したが、日本語版は1993年。

19) AT&T社(Hobbit)
AT&T社は、1980年代末にBell LabsのC Machineの研究の経験を基づいて開発されたCRISP (c-language Reduced Instruction Set Processor)を基に32ビットマイクロプロセッサを開発していたが、1993年1月から3月にHobbit 92010を出荷すると1992年10月に発表した。動作電圧3.3 V、20 MHzで動く。後継の92020は1994年発売される。Apple以外大口の採用はなく、生産は1994年で終了する。

企業の創業

1) SuSE社
1992年9月2日、ドイツのFürthにおいて、Roland Dyroffらによって“Gesellschaft für Software und Systementwicklung GmbH”(英語:Association for Software and System Engineering GmbH)が設立された。SuSEという略号は、“Software- und System-Entwicklung”(ソフトウェアおよびシステム開発)に由来する。緑のカメレオンのロゴで知られる。Linux distribution SUSE Linuxはドイツを中心として多く利用されている。2004年1月13日Novel社によって買収され、その一部門SUSE(大文字)となったが、2010年にNovel社がAttachmate社に買収され、SUSEは独立事業部門としてスピンアウトした。2014年11月20日、Attachmateと英国のMicro Focusが合併したため、SuSEはMicro Focus社の子会社となる。 (Wikipediaによる)

2) Platform Computing社
ソフトウェア会社のPlatform Computing社は、1992年、Songnian Zhou, Jingwen Wang, and Bing Wuらによりカナダのトロントで設立された。最初の製品はLSF (Load Sharing Facility)であった。2012年1月、IBM社によって買収される。

3) HPCwire
HPCwire英語版は1992年9月2日に、Tabor Communications Incから世界初のHPC専門の電子ジャーナルとして発刊された。当時はWWWが普及してなかったので、メールベースであった。毎週、簡単な概要付きの目次がメールで配布され、興味のある記事があったら、その番号を返送すると記事の本文が自動的に送付される仕組みであった。1年間の購読料は$195(かなり高い)であったが、購読者は無制限に記事を請求できた。筆者は購読料を研究費から出そうとして苦労した。2008年頃からweb-baseになり、無料となった。筆者は当初からの購読者である。

企業の終焉

1) Alliant Computer社
1982年に創業したAlliant Computer社は、1992年9月、倒産した。筆者は、筑波大学での最終年度に、特別設備費「高速数値シミュレーション装置」としてAlliantのFX/40を買って置いていったので、同僚には怒られた。CEDERプロジェクトに採用されていたので、まさかこんなに早くつぶれるとは思わなかった。甘かった。

次回は、1992年時点での日本におけるベクトルスーパーコンピュータの設置状況の一覧を示す。アメリカと異なり、民間への設置が多い。

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