世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


11月 28, 2022

新HPCの歩み(第117回)-1993年(g)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

ついにIBM社とCray Research社は満を持して超並列コンピュータSP1とT3Dを発表し発売した。TMCやKSRなど1980年代に生まれた多くの並列ベンチャーは、これにより結局舞台から姿を消すことになる。Intel社はPentiumを発売した。

アメリカの企業の動き

1) 汎用マイクロプロセッサの進展
このころのアメリカにおけるスーパーコンピュータ市場の特徴は、カスタムCPUよりも、汎用品として生産されたCPUを採用するMPPメーカが増え、クラスタコンピューティング用のハードウェアを販売するメーカが台頭していることである。今や、HPCの主要な役割を担い始めたマイクロプロセッサ技術の特徴をあげれば、

(a) 64ビットアドレス、64ビット演算
(b) スーパースカラ
(c) チップ上のキャッシュの設置
(d) キャッシュコヒーレンシ
(e) プリフェッチ機能
(f) キャッシュコヒーレンシの強化
(g) 通信機能の強化

などがある。

2) IBM社(CEO交代)
IBM社は、1964年のS/360以来、メインフレームとWSとPC (1981)に力を入れて来た。初期のベクトル処理や、メインフレームに付加するVFなどはあったが、超並列コンピュータについては、商品の発表はなかった。研究所では積極的に研究開発を行ってきた(GF11、RP3など)。

IBM社の主力であるメインフレームはダウンサイジングの流れにより大きな影響を受けた。1991年は$118Mの黒字、1992年は$2818Mの欠損であったが、1993年1月19日、IBMは1992年会計で$4965M(当時レートは急激に変動しているが$1=110円として、5500億円弱)というアメリカ産業史上空前の損失を発表した。IBM株価は半年で半値に下落、しかも配当金は55%の減額と発表された。John Fellows Akers CEOはこれまで続投を表明していたが、投資家たちの非難の前に前言を翻し、「株主と大衆は変化を望んでいる。誰か他のしかるべき人物が経営を行うべき」と決意し、1月25日に後継者を指名しないで退任を申し出た。(bit誌1993年4月号の栗田昭平『View』)

7人の社外役員からなる役員指名・報酬委員会が構成され、選んだ新CEOは、大方の予想に反し、たばこやビスケットなどの食品メーカであるナビスコ社のCEOのLouis V. Gerstner, Jr.(51歳)であった。これまで、Watson 1世/2世はもちろん、それ以降の歴代のCEOは一貫して社内出身で、特にマーケティング部門から選ばれた。Garstnerは社外であるばかりか、コンピュータ産業の外からの起用であった。そのGarstnerが苦境に立つ巨人IBMを再建できるか、懐疑的な記事も多かった。1993年4月、John Fellows Akersに代わってCEOに就任すると、4月26日、フロリダ州Tampaにおいて怒れる株主を前に演説し、会社の業績回復のために大胆な措置を取るので、しばしの猶予をくれ、と言明した。

Gerstnerはオープンシステムへと舵を切った。IBM社は、1991年から1993年までの3年間で$15Bの累積赤字を抱えていたが、Gerstnerは人員削減や支出削減により経営再建した。1994年1月26日に発表された1993年度第4四半期の決算は、1年半ぶりに黒字となった。まだ通年では赤字である。

1993年12月31日、IBM社を世界一のコンピュータメーカに育て上げたThomas J. Watson, Jr.名誉会長が、80歳の誕生日を14日後に控えて、脳卒中後の合併症のために死去した。

3) IBM社 (SP1、POWER2)
以前からいろいろ噂は流れていた(わざと流した?)が、IBM社は2月2日、SP1を大々的に発表した。当時の正式名称はThe Scalable POWERparallel System 9076 SP1であった。ノードには62.5 MHzのPOWER1++プロセッサ(マルチチップ)に、64ないし256 MBのメモリがついている。相互接続ネットワークはHigh Performance Switchという多段接続網であり、最大128台のノードが接続できた。POWER1には64KBのデータキャッシュがあるが、SP1では無効にした。日本でも、前述のように2月5日(金)に白金の都ホテルでSP1のお披露目が開かれた。

発表の翌日、2月3日、APR社(Applied Parallel Research)はSP1に対するFORGE 90 Distributed Memory PareallelizerとxHPF77 batch parallelizerが利用可能になったと発表した。 

1994年6月のTop500リストには、以下のマシンが載っている。

設置組織

機種

ノード数

Rmax

設置年

Argonne National Lab.(米)

9076-005 SP1

128

4.8

1993

Cornell Theory Center

9076-005 SP1

64

4.8

1993

Pennsylvania State Univ.

9076-003 SP1

32

2.4

1993

UCLA

9076-003 SP1

24

1.8

1994

 

これ以下は、16ノードが6件、14ノードが1件ある。上記のArgonneのRmaxは9.6ぐらいになるはずで、誤記もしくは全ノードで測定しなかったのではないか。

8月、POWER2 CPU (RIOS2)が登場し、これを用いたSP2は翌年登場する。POWER2は4 wayの32ビットスーパースカラで、最大71.5 MHzで動作した。これも8個のチップから構成されている。

メインフレームでは、1993年2月、ES/9000-982が発表された。水冷で、8プロセッサまで搭載できる。

4) Cray Research社(T3D、SHMEM)
T3Dについては、1992年5月に予告していたが、1993年9月27日正式発表した。32個から2048個の Processing Elements (PE) で構成され、各PEは150MHzの DEC Alpha 21064 (EV4) プロセッサ(T3D用に改良されたもの)1個と16MBから64MBのDRAMから成る。相互接続網は3次元トーラスで、レイテンシが小さいという特徴がある。9月2日、PSC (Pittsburgh Supercomputer Center)に32 PE構成の1号機を出荷した。このための資金は、ペンシルベニア州、NSF、 ARPA、NIHから提供された。1994年初めには512 PEにアップグレードされる。超並列コンピュータのソフトウェアについてはCray社も経験が浅く、ボトルネックになっていた。1992年10月にDOEはCray社とソフトウェアを共同開発する意向を表明していたが、エネルギー省長官が変わると1993年3月この合意は破棄された。またCray社はユーザであるPSCなどともアプリケーション・ソフトウェアの共同開発を進めていたようである。

Cray Research社のRichard Smithは、1993年、T3DのためにLibsmaライブラリを開発し、one-sided-communication(一方向通信)として“shmem get”と“shmem put”の機能を提供した。これにより、コヒーレントではないが一種の共有アドレス空間を実現した。この機能はT3Eにも引き継がれ、その後、SHMEM (Symmetric Hierarchical MEMory)としてPGASを実現するソフトウェアとなった。

T3D はホストとして Cray Y-MP Model E、M90 または C90シリーズをフロントエンドに使用するよう設計されている。UNICOSオペレーティングシステムと入出力やシステムサービス機能はほぼ全てフロントエンドで動作する。各 PE で動作するのは、UNICOS MAX と呼ばれる単純なマイクロカーネルである。1つの筐体にY-MPと256個までのPEを搭載するSC(Single Cabinet)モデルや、ホストと別の水冷の筐体を使うMC (Multi Cabinet)モデルなどがある。

1993年11月16日、Cray Research社は、128 PEのT3D(Rpeak=19.20 GFlops)がLinpackで9.4 GFlopsを達成した(N=12000)と発表した。ピーク比は49%で若干低い。1994年6月のTop500では、Rmax=10.70 (N=20736)で53位tieとなっている。1993年のTop500には登場していない。1996年11月のTop500リストによると、以下の組織に設置されている。

設置組織

機種

Rmax

設置年

アメリカ某政府機関

T3D MC1024-8

100.5

1994

LANL

T3D MC512-8

50.8

1994

NASA Goddard Space Center

T3D MC512-8

50.8

1996

Network Computing Service Inc.(米)

T3D MC512-8

50.8

1995

Pittsburgh Supercomputer Center

T3D MC512-8

50.8

1994

University of Edinburgh(英)

T3D MC512-8

50.8

1996

Bear Steams(米)

T3D MC256-8/464

25.3

1996

Caltech/JPL

T3D SC256-8/264

25.3

1994

Defense Research Agency(米)

T3D MC256-8

25.3

1994

ETH Lausanne(スイス)

T3D MC256-8

25.3

1994

LANL

T3D SC256-8/464

25.3

1994

NERSC/LLNL

T3D SC256-8/464

25.3

1994

石油会社(米)

T3D MC256-8

25.3

1995

Konrad Zuse-Zentrum(独)

T3D SC256-8/464

25.3

1995

 

これ以下は、128ノードが16件(動燃、東北大学流体科学研を含む)、64ノードが6件(三菱電機を含む)記載されている。

5) Cray Research社(T90、C90)
ベクトルコンピュータでは、Tritonというコードネームで1991年から開発されていたCray T90を発表した。出荷は1995年である。クロックは2.2 nsで、プロセッサは2組の加算・乗算パイプを持っているので、最大1.8 GFlops。最大32台の並列が構成でき、最大57.6 GFlopsのピーク性能をもつ。

C90シリーズについては3月23日、廉価版を発表した。

機種

プロセッサ数

 

C92A

1-2

通常の空冷で設置可能、50/60Hzの電源可、電動発電機(MG)不要

C94A

2-4

 

1993年10月、三菱自動車が2プロセッサのC92A/2128を設置したことが報道された。Rmax=1.70 GFlops、Rpeak=1.91 GFlopsで、1993年11月のTop500では215位にランクしている。

6) Cray Research社(サーバなど)
また、FPSを買収して子会社としたCray Research Superserver社は、SuperSPARC(TI製、60 MHz)を用いた共有メモリ並列サーバCray CS6400 (Cray Superserver 6400)を出荷した。これはFPS Model 500EAに由来するCray S-MP(1992年)を改良したもので、16ノード、64プロセッサまで拡張できた。伝統的なCrayの路線からは異質であり、競合他社も多く別種のビジネスであった。OSも、同社が開発してきたUnicosではなく、Solarisであった。Seymourならば、けして取らない途であった。工場も、FPS社の跡地のオレゴン州Beavertonである。後に1996年Silicon Graphics社がCray Researchを買収したとき、このSuperserverのビジネスはSun Microsystemsに売却される。

Cray Research社は1993年8月10月、SSLP (Supercomputer Systems Limited Partnership、Steve Chenの破産したSSI (Supercomputer Systems Inc.)の知的財産を保有する会社)から、「ある種の技術」への権利を買い取った、と発表した。技術の内容は公開されていない。Cray社のスポークスマンのFrank Parisiは、「1992年にFPS社を買収した時には、SPARCベースのSuperServer部門を創設したが、今回はそのような計画はない」と述べた。

空冷の小型ベクトル計算機としては、Cray EL92(2プロセッサまで)、Cray EL94(4プロセッサまで)、Cray EL98(8プロセッサまで)を7月に発表した。千葉大学では、Cray CS6400をファイルサーバに、Cary EL92を8台Xクライアントサーバとして使用していた。1994年4月、大正製薬はCray EL92を設置し、日本の製薬業界で初のCrayユーザとなった。1994年8月にはELをマレーシア大学に売り、東南アジアで最初のビジネスとなった。1994年2月のニュースによると、それまでに新規顧客120社から220台の注文を受けたということである。Cray ELシリーズはさらに発展し、Cray J90として1994年9月発表される。

Cray User Group (CUG) Conferenceが9月20日~23日に京都で開催された。基調講演は矢川元基(東大工)であった。参加者は約200人。開催企画はCRC総研が担当した。参加者の最大の関心は、Cray社の新しいMPP(T3D)とその将来計画であった。T3Dの正式発表は9月27日であった。Kahanerの観察(cug.993)によると、日本では、企業からの参加者は並列処理に興味は持っているが、自分で利用を試みるより、政府の研究所や大学の人がちゃんと安定に使えるアプリを作ってくれるまで待とう、という態度である。したがって、PVM, HPF, Fortran 90, C++のような言語やミドルウェアへの関心は低く、NASTRANやGaussianのようなパッケージに興味を持っていた。日本製のソフトもあるが、多くは欧米のソフトウェアパッケージを使っているようである。

Cray Research社で、最初から開発に関わり、Seymour CrayとともにCray-1、Cray-2、X-MP、Y-MP、C90、T3Dと6世代のマシン開発を指導してきた同社のCOOであるLester Davisが来日し、10月6日、ユーザや報道陣を招き、「テクノロジの変革と未来の展望」と題する講演会を行った。全訳がbit誌1994年2月号に掲載されている。

アメリカ政府の動きのところで述べたように、Rollwagen CEOはアメリカ商務副長官に指名されてCEOを辞任した(結局商務副長官には着任せず)が、その後任として16年間Cray Research社で働いてきたベテランのJohn F. Carlsonが指名された。しかし業績が回復せず、1994年辞任し、1995年J. Phillip Samperが指名される。

7) Cray Computer社(Cray-3)
Seymour Crayの設立したCray Computer社(1989年創業)は、GaAs素子を用いたCray-3の最初で最後のマシンを1993年3月24日にNCARに設置した。4 CPUでメモリ1GBであった。写真はCray Historyのページから。ところが、1台のCPUの平方根演算にバグがあり、安定に動かなかったので、代金支払を保留した。会社の行く末が危ぶまれたが、Seymour Crayは強気であった。3月、Wall Street Journalに対し、”I know when I’m done, But it isn’t yet.” と述べている。(「いつ完成するかはわかっている。まだその段階ではない。」ということか)また1993年5月にはこう述べている。

“I knew it would work. I think we’re going to be able to make some rapid strides [with gallium arsenide]. Its time has not yet come. We’re going to be pioneers in this.”(Cray-3がちゃんと動くことはわかっていた。私はGaAs素子がもっと大きく進歩できると考えていたが、その時はまだ来ていない。我々はパイオニアだ。)

 
   

予定では、最大16 CPUで2048 MW=16 GBのメモリまで設置可能のはずであった。9月9日、同社は、東芝製の4 Mb SRAMを採用し、メモリ容量を4倍に増大すると発表している。

翌年の1994年5月末には資金が尽きそうだということで、6月頃、同社は金策に走り回っていた。ニュースによるとCongress Financialから$17.5Mのクレジット、Chase Manhattanから$5Mのクレジットを得た。

Portlandで開催されたSC’93でのCray社のパーティでSeymourはこうあいさつした。「もし今Cray-4が完成していればある程度売れるであろう。でも、しばらく掛かる。完成する頃、市場がどうなっているかは誰にもわからない。」ちょっと弱気が出ているようである。

結局、クロック1 nsのCray-4を予告しながら、1995年3月Cray Computer社は3億ドルの負債を抱えて倒産し、NCARは翌日Cray-3の利用を公式に停止する。NCARは代金を払わなかったのではないか。

8) Intel社(Paragon)
Paragonは順調に出荷を続けていたが、OSが不安定だという批判があった。7月26日、OSF/1に基づく安定でスケーラブルなOS (OSF/1 AD MK)を提供する、と発表した。

1993年11月のTop500リストの上位では、以下の通り。性能の単位はGFlops。前にも書いたように、現在のTop500のリストでは、8位tieは両方ともORNLとなっているが、公開されているExcel版では片方はSNLである。

順位

設置場所

機種

コア数

Rmax

Rpeak

8tie

ORNL

XP/S35 i860 50 MHz

512

15.2

25.6

8tie

SNL

XP/S35 i860 50 MHz

512

15.2

25.6

15

Caltech

Delta i860 40 MHz

512

13.9

20.48

28tie

UCSD

XP/S30 i860 50 MHz

400

11.9

20

28tie

UCSD

XP/S30 i860 50 MHz

400

11.9

20

48tie

NASA Ames

XP/S15 i860 50 MHz

208

6.25

10.4

48tie

NASA Ames

XP/S15 i860 50 MHz

208

6.25

10.4

48tie

NASA Ames

XP/S15 i860 50 MHz

208

6.25

10.4

65tie

Intel SSD Development Centers

XP/S10 i860 50 MHz

140

4.33

7.0

65tie

Intel SSD Development Centers

XP/S10 i860 50 MHz

140

4.33

7.0

 

上記を含めXP/SやXP/Aは20台を越えている。1993年10月28日の発表によると、SNLのParagonは1840ノードに拡大し(XP/S140)、複素LU分解で102.05 GFlopsを出したとのことである。このマシンが、1994年6月のTop500でRmax=143.4を記録し、一時的にNWTを追い抜いて首位に輝く。その次のTop500ではNWTがチューニングで抜き返す。

1993年8月19日、Intel SSDとPortland Group社(PGI)は、HPF (High Performance Fortran)、Fortran 90、C++などのソフトウェアをParagonのために共同開発すると発表した。

9) Intel社(Pentium)
Intel社は、3月にPentiumを発表し、5月から出荷した。80586とかi586では商標として認められないので、5を意味ギリシャ語の数詞pentaにラテン語風中性語尾-umを付けたようである。1994年11月に、Pentiumの浮動小数除算命令にハードバグがあることが報告され、大騒ぎとなる。なお、Intel社は2023年からPentiumやCeleronのブランド名を使用しなくなる。

10) Convex Computer社(SPP)
Convex Computer社は、Hewlett-Packard社とともに、これまでのベクトルコンピュータ路線を離れて、1993年4月27日、128プロセッサ(25 GFlops)までのスケーラブルな超並列コンピュータ(Exemplar SPP)を開発していると発表した。Hewlett-Packard社および日本鋼管と共同開発していた。出荷は1994年前半の予定。CPUはHewlett-PackardのPA-RISC 7100を採用し、HP社はHP-UX OSの使用を許諾すると発表した。発表によると、SPPのOSは、HP-UXとConvexOS環境と、OSF 1/AD Machマイクロカーネルの3要素からなる。技術担当上級副社長Steve Wallachは、こう豪語した(HPCwire 4月30日号)。

“I think personally we’re developing a model technology. I know where we’re going. If the other people don’t follow, they’ll die.”(私個人としては、定型的な技術を開発しているつもりである。技術の方向性はわかっている。その方向に行かない人は、死に絶えるであろう。)

これより前、前年1992年10月にMeta Seriesと呼ばれる一種のクラスタの構想を発表していた。これはHP PA-RISCワークステーション8台とC3ベクトルマシンとを結合したもので、並列とベクトルの長所をいいとこ取りしようとするもののようである。1993年3月頃詳細が公表され、6月にはNCSAに9月にはKentucky大学に導入されたようであるが、その後商品化はされなかったと思われる。Cray ResearchのT3DもY-MPと密結合で動く構成になっており、いずれも並列をベクトルからのオフロードとして位置づけているように見える。当時、並列はまだ海のものとも山のものともつかない段階であった。

早くも1993年6月末には、第2四半期の赤字のために従業員1160人の一部のレイオフを余儀なくされるだろうとの報道が流れた。実際には第2四半期に$41.8Mの損失となり、7月には185人(従業員の16%)をレイオフした。

Silicon Graphics社、Thinking Machines社、Kendall Square Research社などは次回に。ヨーロッパでは、Transputer T9000が商品化されないので、別の道を探す企業が出てくる。

 

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