世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


12月 5, 2022

新HPCの歩み(第118回)-1993年(h)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

いよいよ1024ノードのCM-5が動き出す。KSR-2も登場したが株価が急落し、将来が危ぶまれた。T9000が出ないので、ドイツのParsytec社はT800とPowerPCを搭載したマシンを売り出す。台湾出身のJen-Hsun Huang(黄仁勲)がNVIDIA Corporationを創設する。Supermicro社も台湾出身者により創設。

アメリカの企業の動き(続き)

11) Silicon Graphics社(Onyx、POWER Challenge)
スーパーコンピュータ市場への足がかりとして、OnyxシリーズとPOWER Challengeシリーズを発売した。CPUはMIPSのR4400SC(150MHz)を使用している。SGIは1994年6月のTop500で初めて登場した。性能の単位はGFlopsである。

順位

設置場所

機種

コア数

Rmax

Rpeak

351tie

北陸先端大学

Challenge R4400SC 150 MHz

36

1.28

2.7

351tie

GFTA社(ドイツ)

Challenge R4400SC 150 MHz

36

1.28

2.7

351tie

GFTA社(ドイツ)

Challenge R4400SC 150 MHz

36

1.28

2.7

351tie

Lockheed社(アメリカ)

Challenge R4400SC 150 MHz

36

1.28

2.7

351tie

SGI社(アメリカ)

Challenge R4400SC 150 MHz

36

1.28

2.7

358tie

NCSA(アメリカ)

Challenge R4400SC 150 MHz

32

1.25

2.4

358tie

SGI社(アメリカ)

Challenge R4400SC 150 MHz

32

1.25

2.4

358tie

SGI社(アメリカ)

Challenge R4400SC 150 MHz

32

1.25

2.4

401tie

SGI社(アメリカ)

Challenge R4400SC 150 MHz

28

1.15

2.1

401tie

SGI社(アメリカ)

Challenge R4400SC 150 MHz

28

1.15

2.1

413

SGI社(スイス)

Challenge R4400SC 150 MHz

24

1.01

1.8

474tie

BMW AG (ドイツ)ほか12台

Challenge R4400SC 150 MHz

20

0.87

1.5

 

なお、順位は現在公開されている表に基づくが、当時発表された順位とは20番ほど違っているようである。また現在の表では製造会社はHPEとなっているが、この当時はまだSGI社であった。

12) MIPS Technologies社(社長)
SGI社が1992年3月子会社化したMIPS Technologies社は、1993年8月、IBM社のRISC Processor Developmentの責任者であったTom Whiteside(40歳)を社長に据えた。

13) Thinking Machines社(CM-5)
TMC社(Thinking Machines Corporation)はLANLに1024ノードのマシンを出荷しLINPACKで59.7 GFlopsを記録した(5/5)。1993年の前半で、23台のスーパーコンピュータを販売したと発表した。1993年11月のTop500の上位では以下の通り。性能の単位はGFlopsである。

順位

設置場所

機種

コア数

Rmax

Rpeak

2

LANL

CM-5/1024

1024

59.7

131.3

3

Minnesota Supercomputer C.

CM-5/544

544

30.4

69.63

4tie

NSA

CM-5/512

512

30.4

65.54

4tie

NCSA

CM-5/512

512

30.4

65.54

10tie

アメリカ某政府機関

CM-5/256

256

15.1

32.77

10tie

Naval Research Laboratory

CM-5/256

256

15.1

32.77

10tie

Thinking Machines社

CM-5/256

256

15.1

32.77

36tie

American Express

CM-5/128

128

7.7

16.38

36tie

アメリカ某政府機関

CM-5/128

128

7.7

16.38

36tie

Institut de Physique du Globe de Paris(フランス)

CM-5/128

128

7.7

16.38

36tie

MIT

CM-5/128

128

7.7

16.38

36tie

Mobil/Technical Center

CM-5/128

128

7.7

16.38

36tie

NASA Ames

CM-5/128

128

7.7

16.38

36tie

Schlunberge Well Service (アメリカ)

CM-5/128

128

7.7

16.38

82tie

AMOCO他7台

CM-5/64

643.8

3.8

8.19

 

3位のMinnesota Supercomputer CenterのRmaxは512台のデータの借用で、実測ではないと推測される。

経営陣には混乱が広がっていた。1992年中にCM-5は1台も売れず、年末の決算では$19Mの赤字に転落し、給料も払えなくなった。4月上旬Boston Globe紙は、「超並列市場の競争が激しくなる中で、paranoid companyであるTMCは大規模な組織変更を迫られている」と論じていた。3月にはレイオフにより人件費を3-4%削減したが、1993年8月23日、Thinking Machines社は、1993年初めから会長兼COOであったHarvey L. Weissが個人的な理由で会社を去ったと発表した。実は共同創立者でCEOのSheryl Handler女史が彼を追い出したと報じられた。8月30日、彼女の友人である弁護士Richard P. Fishmanを次期の会長兼COOに指名し9月2日着任した。これに伴い、共同創立者でありながら、数々の問題を起していたSheryl Handler女史は10月7日CEOの職を辞した。

Fishmanは、協力会社を捜した。Sun MicrosystemsやIBMが興味を示したが、巨大な負債を引き継ぐ気はなかった。特に、Handlerが1989年に年$6Mで10年契約してしまったビルの賃料が巨大だった。すぐ近くのLotus Development Corp.と比べて床面積あたり4倍以上高額だったと言われている。Fishmanは共同創立者のDaniel Hillisとともに、1994年は輝かしい年になるだろうと予言したが、現実には破綻を迎えることになる。

11月、CM-5のCPUを新しいSuperSPARCに置き換えて性能を倍にした新型CM-5Eを予告した。

14) nCUBE社(nCUBE 2S)
クロックを25MHzから30MHzに改良し、メモリを16 MBに拡張したnCUBE 2Sを発売した。日本での発売は1993年7月。

15) Kendall Square Research社(KSR-2)
1993年11月2日、同社はKSR-2を発表した。独自プロセッサは80 MFlopsで、最大5000ノードまで接続できる。KSR-1は1088ノードが最大であった。最初の2台は、Cornell Theory CenterとLRZ (Leibniz-Rechenzentrum, München)に納入する予定。クロックが倍になっただけで特に革新的なところはなく、Wall Streetはこの開発に懐疑的であった。チップセットはHewlett-Packard社が製作した。1995年11月のTop500 には以下のマシンが載っている。性能の単位はGFlops。

順位

設置場所

機種

コア数

Rmax

Rpeak

136

Mannheim大学

KSR2-110

110

6.38

8.8

175

PNNL

KSR2-80

80

4.77

6.4

213tie

Georgia工科大学

KSR2-64

64

3.91

5.12

213tie

Michigan大学

KSR2-64

64

3.91

5.12

213tie

Washington大学

KSR2-64

64

3.91

5.12

 

1993年4月頃、KSR社はARPA(旧DARPA)から$5.1MでKSR-1(256ノード)の契約を獲得しそうだというニュースがあったが、1993年6月のTop500では、US Army Research Laboratory (ARL)に設置されていて、66位tieである。KSR社は、並列業界は激しい競争が行われているが、自社は利益を出していると強気の発表を行っていた。1993年に株式上場を果たしたばかりだが、第3四半期が赤字と予想されると、株価は急落した。これまでの会計報告に粉飾があるのではないかという指摘もあった。

12月1日、取締役会は会長で最大の株主のWilliam I. KochはCEOも兼務し、CEOであったHenry Burkhardt IIIは、CEOを辞任したが、社長の称号は保持する。副社長だったPeter Appleton Jonesと、上席副社長でCFOであったKarl G. Wassmann IIIも、役員としては辞任しコンサルタントとして残ると発表した。その上でCEOのWilliam I. Kochは会社の再建策を打ち出した。「ハイテクビジネスの鍵はよい製品であり、我々はそれを持っている。KSR2を市場に出したばかりなので、経営を誤らなければ、成功するはずである。」

さて、どうなるでしょう?

16) MasPar Computer社
同社は9月9日、Teradata社の社長兼CEOであったKenneth W. Simondsを取締役会に加え、副会長に指名した。

17) NeXT Software社
NeXT Computer社は、1993年、ハードウェア事業から手を引き、社名をNeXT Software Incに変えた。ハードウェア事業はキヤノンに売却した。Sun Microsystems社のCEOであるScott McNealyは1993年、NeXT Softwareに$10Mを出資し、NeXTのソフトウェアをSunのシステムに将来採用する計画を発表した。NeXTはSunと共同でNeXTSTEPのカーネル部分を除いたOPENSTEPを開発した。

18) Ross Technology社(hyperSPARC)
Ross Technology社(1988年創業)は、SPARC V8 ISAを実装したhyperSPARC CPU(コード名Pinnacle)を1993年5月に発表した。

19) Microsoft社(Windows 3.1日本語版、NT 3.1)
5月18日、Windows 3.1日本語版が発売された。7月27日、Windows NT 3.1の英語版を発売。日本語版は1994年1月25日発売。Windows NTは、Windows 2000やWindows XPやその後のMS Windowsの源流となった。Windows 9xとは全く別系統である。設計者David Neil Cutlerは元DEC社でVMSを開発しており、一緒にMicrosoft社に入社したDECの開発者の影響があり、VMSの要素技術が反映していると言われている。

1993年、Novell社はMicrosoft社が反競争的行動により競争相手を市場から閉め出していると主張したため、翌年Microsoft社はライセンス規定を一部変更して和解する。

20) IBM社(OS/2)
1993年5月、IBM社はOS/2 2.1を発表し、7月末に出荷した。これまでのOS/2 2.0は、IBM固有のアーキテクチャであるマイクロ・チャネルに依存するなど独自性を強めていたが、OS/2 2.1はオープン性を強め、IBM PC/AT互換機でも動くようになった。

また、1993年11月、IBM社はOS/2 for Windowsを発表し、出荷した。

21) Adobe Systems社(PDF)
1982年に創業されたAdobe Systems社(2018年からはAdobe Inc.)は、1993年6月15日、PDF (Portalbe Document Format)の初版を公開した。PDF 1.7は、2008年7月2日に、国際標準化機構(ISO)によって新たな標準ISO 32000-1:2008として認証される。

22) HPCwireの配布ソフト
このころWWWはまだ普及していなかったので、HPCwireは1992年の創業以来、電子メール経由でニュースを配布していた。昨年のところに書いたように、HPCwireは、毎週、購読者に数ページの目次(一部概要付き)を送り、購読者が興味あるニュースの番号を返送すると、自動的に記事全文が送られてくる。このプロセスはInfo Selectというソフトウェアで管理されていたが、HPCwireを発行するTabor-Griffin Communications社は、このソフトウェアを売り出した。最初に買ったのは何とAPS(アメリカ物理学会)だったとのことである。HPCwireは2008年ごろからはWeb-baseになる。

23) Hewlett-Parckard社
1972年からHewlett-Packard社の取締役会長を務めていた、共同創立者のDavid Packard氏は、同社から引退した。1996年3月26日に死去する。

ヨーロッパの企業の動き

1) Parsytec社(Xplorer、GC)
1985年に西ドイツで設立されたParsytec社は、4月、T9000を用いたXplorer Parallel Desktop Systemと並列スーパーコンピュータGC (GigaCluster)を発表した。発表によると、GCは64台から16384台のT9000プロセッサを搭載でき、スケーラブルな性能を実現する。しかしT9000が結局商品として出荷されなかったのでこれらの構想は実現しなかった。

Xplorerは5月に正式発表され、8台から16台までのT800またはPowerPCとノード当たり8~32MBのメモリを搭載し、最大4台のXplorerを相互接続することもできる。

1993年6月の第1回Top500には、ドイツのKöln大学とPaderborn大学のParsytec GCel 3/1024が、T800とPowerPC 30 MHzを用いて、コア数1024、Rmax=0.97 GFlops、Rpeak=1.54 GFlopsでそれぞれ261位タイとなっている。ドイツ国内では22位であった。このほか、コア数512、Rmax=0.45 GFlops、Rpeak=0.77 GFlopsのGCeL 3/512がオランダのSARA (Stichting Academisch Rekencentrum、Academic Computer Centre Utrecht)に設置され、414位である。

2) Parsys社(SN9000)
1993年頃、イギリスのParsys社はT8000を用いたSN9000シリーズを開発した。英国のComputer Museumには、1993年12月にYork大学が購入したSN9500があり、32個のT9000を含む。この他SN9800およびSN9400がある。

同社はその後、演算にDEC Alpha 21064プロセッサ、通信にT9000を用いたTransAlpha TA9000シリーズを開発した。相互接続にはMeiko CS-2にも使われたC104という多段クロスバスイッチを用いている。このマシンがどの程度売れたか、Parsys社がその後どうなったかはつまびらかでない。

3) Transtech Parallel Systems社(Paramid Supercomputer)
イギリスのTranstech Parallel Systems社は、8月、Paramid Supercomputerを発売した。これは64個のIntel i860 XPを、InmosのT805 transputerで接続したものである。各ノードは32MBのメモリを有し、i860とT805で共有されている。最大性能は1.6 GFlops。

4) Meiko Scientific社(CS-2)
イギリスのMeiko Scientific社は、Meiko CS-2を発表した。これはCPUとしてSuperSPARCまたはHyperSPARCを採用し、オプションとして富士通のμVPベクトルプロセッサチップを付加することができた。このチップは、倍精度でピーク200 MFLopsを実現。相互接続はElan-Elite Interconnectと呼ばれるMeiko製のfat tree networkであった。設計上は1024プロセッサまでスケールできたが、製造された最大システムは224プロセッサでLLNLに設置された。

この設置がアメリカの愛国者の神経を逆なでしたらしい。1993年3月、New York Times紙は、「国立研究所であるLLNLがイギリスのCS-2を買うことは、アメリカの経済競争力を損ない、国家的安全保障を危険にさらす」と批判した。日本製だけでなくイギリス製でもだめらしい。Jack Dongarraも、”I’m stunned that they would make this choice. Meiko doesn’t have an established track record compared to others in the field.”(かれらがこのような選択をしたことに驚いている。Meiko社は同業他社と比べて確立した実績はない。)という否定的意見を同紙に述べている (HCwire March 12, 1993)。Meiko Scientific社は直ちに反論した。

1993年11月、Meiko Scientific社とPGI (Portland Group Inc.)社は、PGIのHPFコンパイラと並列プログラミングツールをMeiko CS-2にライセンスする3年間の協定を結んだ。

5) Alenia Spazio社(Quadrics)
イタリアのAlenia Spazio社は、QCD専用のSIMD並列コンピュータであるAPE100の商用版をQuadricsの名前で発売した。Quadricsはその後独立し、高級相互接続ネットワークの専門メーカとなる。

6) SGS-Thomson
同社はフランスとイタリアの政府系企業が合併して成立したが、1989年にInmosを買収し、Transputerの開発を続けていた。日本のSGSトムソンは、東京と大阪で合計5回のT9000テクニカル・セミナー開催し、T9000、周辺デバイス、ハードウェア設計、開発環境などについて講義を行った。

7) NAG社
イギリスのソフトウェア会社NAG (the Numcrial Algorithms Group)は1993年6月、Fortran 90の技術をMicrosoft社にライセンスしたと発表した。NAG社はFortran 90コンパイラ技術の開発についてはパイオニアであった。

企業の創立

1) NVIDIA社
1993年1月(Wikipediaでは4月)、Jen-Hsun Huang(黄仁勲、台湾出身のアメリカ人、以前にLSI LogicやAMDに在職)とChris Malachowskyにより、NVIDIA CorporationがシリコンバレーのSanta Claraにおいて設立された。1995年にgraphic accelerator NV1を発売する。

2) ACC社(Red Hat)
1993年、Bob YoungはACC Corporationを創設し、LinuxやUnix関係のソフトウェアのカタログ販売を始めた。1994年11月3日、Marc Ewingは、独自に開発したRed Hat Linux 1.0 を配布した。Youngは、1995年Ewingのビジネスを買収し、Red Hat Softwareとなった。Red Hat社は1999年8月11日に株式公開し、Wall Street史上8番目の初日利益と報じられた。2018年10月、米国IBMに$34B(約3.8兆円)で買収される。

3) Super Micro Computers社
Super Micro Computers社(通称Supermicro)は、1993年11月1日、台湾出身のCharles Liang(梁見後)によってカリフォルニア州San Joseで設立された。PCサーバ、マザーボードおよび周辺機器のメーカである。

企業の終焉

1) Supercomputer Systems Inc.
Steve Chenが1988年1月に創業したSSI社 (Supercomputer Systems Inc.)はIBMの支援の下、SS-1スーパーコンピュータを開発していたが、IBMが資金提供を止めたので1993年1月26日に破綻が公表された。300人の従業員が路頭に迷った。Steve Chen本人は、あと二三週間支援の可能性を探ると言っていた。1993年7月、この会社が開発した技術を救済するために、SCI (SuperComputer International)という会社がChen自身によって作られた。1995年6月にはChen Systemsと改名し、Intelチップ(Pentium)を用いたSMPサーバCS-1000を9月18日発表した。1996年6月、Sequent Computer Systemsに吸収された。(LinkedInによると1996年1月に同社の製品開発担当副社長兼取締役となる。)1997年、Sequent Computer Systems社はChenをCTOに迎える。

2) リクルートISR
既に述べたように、リクルート社が1987年4月に創設した研究所 (Institute for Supercomputer Research)は、1993年3月に閉鎖された。

次回は1994年。IBMやCrayなど本命の超並列の登場により、これまでのベンチャーの行く末が危なくなり、ついにTMCとKSRがChapter 11の適用を申請する。

(アイキャッチ画像:CM-5 出典:TOP500 )

left-arrow   new50history-bottom   right-arrow