世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

3月 2, 2015

HPCの歩み50年(第29回)-1988年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Cray社はY-MPを発売する一方、Convex社はC1をクロスバで結合したX-MP互換のC2を出荷。他方、Steve ChenはCrayを退社し、IBMの支援のもとにSupercomputer Systems Inc. (SSI)を設立する。インド政府の電子省は、C-DACを設立。またこの年、インターネットを揺るがすworm事件が起こった。

Convex C1

アメリカの企業の動き

1) Convex Computer社
Convex Computer社(1982年創業)は、C1に続いて、これをクロスバで結合したX-MP互換のC2を12月に出荷した。最大4プロセッサまで構成できる。Convexの製品としてもっとも成功したものと言われる。

2) Cray Research社
Cray Research社はCray Y-MPを発売。プロセッサのベクトル演算パイプラインは1本で、クロック(6 ns)ごとに浮動小数演算が2個可能。最大8プロセッサ。ピークは2.67 GFlops。1993年6月のTop500のリストにはY-MPが122件ある。当時非常に多く設置されていたことが分かる。

つくば市にある工業技術院情報計算センターが購入したCray X-MP/2は(前記のETA10とは対照的に)順調に納入され、3月に引き渡された。5月25日開所式が行われた。経緯は知らないが、IBM 3090も導入され、ファイルサーバとして使われたとのことである。

一方、同じつくば市にある高エネルギー物理学研究所では、スーパーコンピュータの導入手続きを行っていたが、1988年6月24日開札され、日立がS820/80で落札した。最終段階までCray Research社の Y-MP/832と競っていたが、受注残を抱えるCray社は納期を守れない恐れがあるとして辞退した、と日本経済新聞(1988年6月25日朝刊)は伝えている。筆者はこの調達に多少関係していたので個人的なコメントは差し控える。

3) IBM社
IBM社は、IBM3090-Sシリーズの10機種を発表。

4) Floating Point Systems社
Floating Point Systems社(1970年創業)は、Celerity Computing社(1983年創業)を買収してFPS Computingと改名し、Celerity 6000をFPS Model 500として販売した。これは最大8プロセッサ(8個のスカラか、4個のスカラと4個のベクトル)をもつミニスーパーコンピュータである。

5) Encore Computer社
Encore Computer社(1983年創業)は、1988年、日本鉱業が所有していた Systems Engineering Laboratories社(1961年創業の制御用ミニコンピュータの会社)を買収した。背景はよくわからない。日本鉱業は現在のJX日鉱日石エネルギーの源流の一つ。

6) ETA Systems社
東京工業大学へのETA 10の引き渡しが2ヶ月以上遅れたことは前号に述べた。文部省幹部は、「日本企業なら突貫工事ででも納期に間に合わせるんだろうが。こんなことだからアメリカは製品競争で日本に負けるんですよ」と論評したと、朝日新聞(1988年6月7日朝刊)が伝えている。

ベンチャー企業の創立

1) Supercomputer Systems Inc.
CrayのSteve Chen(陳世卿)は、X-MPの後Y-MPの開発に取りかかったが、1985年にそれをLester Davisに委ね、次のマシンCray MPに取りかかった。Y-MPの次はCray Z-MPかと思ったが、”crazy MP”と聞こえるので、唯の“Cray MP”にとしたそうである。ところが、余りに開発費がかかるので、CEOのRollwagenは1987年末Cray MPの開発計画を中止した。1988年1月にSteve Chenは自分のチームとともにCrayを退社し、IBMの支援のもとにSupercomputer Systems Inc. (SSI)を設立した。ある時、「なんでまた新しい会社を作ったのか」という質問に対し、”My wife kicked me out.”などと言っていた。皆が「何を出すのか」と固唾を呑んだが、結局、製品は出さずに1993年倒産した。

2) Wavetracer Inc.
デスクサイドのMPPコンピュータを開発製造するために、1988年6月、マサチューセッツ州Actonで創立された。1990年5月のNew Productsとして、また1991年2月25日~3月1日に開催されたCompcon Spring ‘91において、DTC (The Data Transport Computer)を発表している。DTCは1ビットプロセッサを3次元正方メッシュに結合したSIMDマシンである。目的は3次元の物理現象のシミュレーションである。Model 4は4096プロセッサ、Model 8は8192プロセッサ、Model 16は16384プロセッサであり、各プロセッサは2K bitsのSRAM、および8~32 KBの拡張メモリを付加できる。1990年6月11日号のComputerworld誌によると7月には商品として登場する、とある。1991年5月、住商エレクトロニクス社が日本国内総販売代理店契約を結んだ。1991年11月11日号のComputerworld誌によると、Zephyrという商品名で呼んでいる。

実はこの会社や製品については記憶がないが、1992年4月のSupercomputing Japan 92について筆者が実行委員長として紹介している新聞記事(日刊工業?)に、主要な並列計算機の表があり、何とZephyr-16も紹介されている。自分ではすっかり忘れていた。1993年1月までに業務を終了したようである。

parsys_sn9500
Parsys SN9500
提供:Jim Austin Computer Collection

3) Parsys Limited
Parsys社はイギリスで1988年にイギリスのThorn EMI(1979年10月創立)の中に創立されたMPPの会社であり、ヨーロッパで進められたSupernodeプロジェクトからのスピンオフである。SN1000 (SuperNode 1000 series)は、ノードあたり2個のtransputersを含み、一方(workers)は計算を、他方(support)はI/Oと通信を担当する。通常、ノードは16個のworkersを含むが、タンデムノードでは32個まで可能である。それらは、512 KBの高速なSRAMか、もしくは8 MBのDRAMを共有している。使われているtransputerはInmos社のT805-20であるが、より新しい版も利用可能になっている。64ノード(1152プロセッサ)のピーク性能は1.5 GFlopsである。

売れ行きが好調なので1990年に独立の会社となった。その後Parsys Holdings Ltd.の子会社となった。T9000を使ったSN9000を計画していたがT9000は出なかった。またi860を使ってConcertoも計画していた。現在の状況は不明。

ベンチャー企業の終焉

1) Cydrome社
1987年にCydra-5を出荷したCydrome社(1984年創業)は、9台製造したが、1988年活動を停止した。このVLIWによるソフトウェア・パイプライニングのアイデアはIntel Itaniumなどに引き継がれた。

ヨーロッパ他の学界の動き

1) ICS会議
ISC (International Conference on Supercomputing)の第2回目が、7月4~8日にフランスのSaint-Maloで開催された。この回からはACMの主催。ACMからプロシーディングスが出版されている。

2) Mannheim Supercomputer Seminar
2001年からISCとなるこのセミナーの3回目が開かれた(日付不明)。ここでHans Meuerは500 MFlops以上のピーク性能を持つベクトルコンピュータのリストを提示した。当時はこれがスーパーコンピュータの基準であった。後のTop500の片鱗を伺うことができる。

このセミナーでは、毎回、「スーパーコンピュータのプロテスタント(MPP派)とカトリック(ベクトル派)の熱いディベート」が行われたそうである。司会はHans Meuer自身。

3) Delft大学
1983年にIsing専用機を作ったが、このころ分子動力学専用機DMDP (Delft Molecular Dynamics Processor)を製作した。

4) APE project
イタリアでは、INFNのAPE projectが最初の格子ゲージ専用計算機APE(ピーク 1 GFlops)を完成した。1989年に見学したが、SIMDで、命令が同一であるばかりか、オペランドのアドレスも同一であった。格子ゲージ計算はステンシル計算なので、これで実用になるとのことであった。1次元リング接続であったが、メモリ領域を越えてアクセスしようとすると、隣のプロセッサのメモリがアクセスできるという機構があった。

5) インド
インド政府の電子省は、C-DAC (Centre for Developmento of Advanced Computing)を設立した。インドは原子爆弾を作っているということで、Cray Researchのスーパーコンピュータが輸出禁止になったので、ロシアの協力のもとに自前のスーパーコンピュータの開発を始めた。理事長はVijay Bhatkar。PARAMシリーズと呼ばれ、後には神さまの名前がついている。
PARAM 8000 (1991):64個のT800 transputerをCPUとして用いた。
PARAM 8600 (?) :ノードはT800とi860からなる。256ノード。
PARAM 9900/SS (?):ノードはSuperSPARC II。最大200ノード。UltraSPARCを使ったPARAM 9900/USやDEC Alphaを使ったPARAM 9900/AAもある。
PARAM 10000 (1998):ノードはSun Enterprise 250サーバ(UltraSPARC II)
PARAM Padma (2003/4):ノードはIBM Power4のサーバ。ピークは1TFlops。ネットワークPRAMNet-IIは自主開発。

筆者は、2002年12月にBangaloreで開かれたHPC Asiaの際に、近くの研究所にあるこのマシンを見に行った。公式発表より前だったようである。なぜInfiniband等を買わずに相互接続ネットワークを自主開発したのか質問したら、「禁輸に備えて」ということを強調していた。でもノードも輸入品なのだが。

PARAM Yuva (2008):ピーク54 TFlops、LINPACKで38.1 TFlops。全体で4608コア。
その後も開発を続けているようである。

ネットワーク関係

1) BITNET
1988年、CSNETとBITNETが合併し、CREN (Corporation for Research and Educational Networking)として統合された。

2) WIDE
1988年、村井純らはインターネットに関する研究プロジェクトWIDEを設立した。WIDEは64 kb/sの国際専用線をハワイ大学に接続し、TCP/IPによるアメリカのインターネットの接続を実現した。

3) TISN
日本の初期の学術インターネット運営組織の一つであったTISN (Todai International Science Network、東大国際理学ネットワーク)への動きもこのころ始まった。オペレーションズ・リサーチ学会学会誌『オペレーションズ・リサーチ : 経営の科学』1992年12月号の「TISN(東大国際理学ネットワーク)について」(釜江常好、白橋明弘)によると、「1988年にNASAなどの支援を受けたハワイ大学計算機科学科のT.ニールセン助教授より東京・ハワイ間の専用回線料金を分担するから、基礎研究における汎太平洋ネットワークの日本での中心になってほしいとの提案が東大をはじめとする複数の機関になされた。」東大理学部では、和田昭允教授(当時評議員)を中心に検討を進めた。国際理学ネットワーク委員会を発足させ、富士通株式会社からの寄付を基金として、1989年8月にハワイ-東大間が接続され、ネットワークの運用を開始したとのことである。

4) Morrisワーム事件
1988年に、インターネットを揺るがす大事件が起こった。11月2日、Cornell大学コンピュータ科学専攻の大学院1年生であったRobert Tappan Morris, Jr.は、MITから自己増殖するプログラムwormをインターネットに投入した。これはたちまち増殖し、多くのコンピュータを利用不可能にしてしまった。ただし、コンピュータ内のデータを破壊したわけではない。Morris自身は損害を与えるためにやったわけではなく、インターネットの大きさを測るためだったということだが、数千台のVAXやSun-3に侵入し、多くのプロセスが起動され、一種のDDoS攻撃となってしまった。メールが使えないので、各機関のネットワーク管理者は電話で連絡を取りながら対策したという。なお、このとき、日本はまだメールだけでインターネットには接続されていなかったので損害はなかった。彼は「3年間の保護観察、300時間の社会奉仕、約1万ドルの罰金」の判決を受け、刑に服したが、その後会社を立ち上げるとともに、1999年にはMIT教授となり、2006年にはテニュア資格を取得した。筆者の記憶が正しければ、彼の父親はNSAでネットワークのセキュリティを担当していたそうで、「蛙の子は蛙」というべきか。

次回は1989年、日本電気はSX-3を発表し、Seymour CrayはCray Computer社を設立。nCUBE-2が発表される。

(タイトル画像: Convex C1 出典:Computer History Museum)

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