世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


2月 27, 2023

新HPCの歩み(第129回)- 1995年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

アメリカのDOEはASCI計画を開始し、1 TFlopsを皮切りに3、10、30、100と18ヶ月毎に順次高性能の並列コンピュータを傘下の3研究所に設置していくことになった。当初の目的は核兵器の維持管理のために大規模なシミュレーションを実行することであったが、次第に高度なシミュレーションにより学問的・社会的な問題を解決すること自体に重点が移る。

日本の企業の動き

1) 富士通(VPP300、PCW、GS8000シリーズ、Sparc64)
富士通は1995年2月、CMOSテクノロジーを採用したVPP300シリーズを正式に発表した。VPP500の流れをくむ高並列ベクトルであるが、CMOSのみで開発した。クロックは7 nsで単一PEのピーク性能は2.2 GFlopsであり、空冷である。驚異的な価格性能比と注目を集めていた。並列度は最大16PEまでである。いくらなんでもVPP500と比べて並列度が低いと思っていたら、翌1996年3月に最大512並列まで可能なVPP700が発表される。

VPP300は、国内はもとより、Western Geophysical (Houston)や、ドイツのAachen University、Karlsruhe University、Darmstadt Universityなどからも注文を受けた。また、ヨーロッパのECMWF (European Centre for Medium-Range Weather Forecasts)は、それまでCray ResearchのC90やT3Dが入っていたが、1996年に更新を計画していた。この商談にはCray、富士通、日本電気などが競ったと伝えられている。結局、富士通が、12月8日、将来新しいスーパーコンピュータ(今から思えばVPP700)に更新することも含めて契約した。1996年にはCray C916の5倍、1998年には25倍の実効性能を保証した。

1998年6月のTop500におけるVPP300のエントリは以下の通り。

設置組織

機種

Rmax

Rpeak

初出とランク

日本原子力研究所(関西研究所)

VPP300/16

34.1

35.20

1996年11月46位

科学技術振興事業団

VPP300/16

34.1

35.20

1997年6月71位tie

動燃

VPP300/16

34.1

35.20

1997年6月71位tie

Scientific Supercomputing Center Karlsruhe

VPP300/16

34.1

35.20

1997年6月71位tie

Australian National University

VPP300/13

27,7

28.60

1996年11月59位

日本原子力研究所

VPP300/12

25.6

26.40

1997年6月94位

FDK株式会社(日本)

VPP300/10

23.0

24.0

1998年6月220位

ECMWF (UK)

VPP300/9

19.2

19.80

1997年6月147位

関西大学

VPP300/8E

18.6

19.20

1998年6月318位tie

大阪ガス

VPP300/8E

18.6

19.20

1998年6月318位tie

日本大学

VPP300/8

17.1

17.60

1996年11月91位tie

Aachen工科大学

VPP300/8

17.1

17.60

1996年11月91位tie

Western Geophysical(米)

VPP300/8

17.1

17.60

1997年11月233位tie

 

上記ECMWFのVPP300は9ノードとなっているが、ECMWFのページには、1996年に16ノードのVPP300を導入したと書かれている。1プロセッサではTop500に入らないが、1995年末にDarmstadtに設置されたとのことである。また、1996年1月、国立天文台にVPP300/16R(Rpeak=25.6 GFlops)が導入されたが、Top500には出ていない。富士通は、1998年5月8日、ドイツのAudi社からVPP300/16Eを受注したと発表している。Eシリーズは、上の表にもあるが、1997年2月4日に公表される、ピーク性能を2.4 GFlops/PEに高めた新シリーズである。

1992年から川崎工場で開いてきたPCW (Parallel Computing Workshop)を、1995年はImperial College, Londonでも開催した。

1995年、メインフレームM-1000シリーズの後継としてFujitsu GS8400およびGS8200を1995年5月発表した。1996年1月にはGS8600を発表した。最大8台のCPUの構成まで可能。

ワークステーションとしては、Sun Microsystems社のSun Ultra 1のOEM提供を受けて、1995年11月、S-7/300U model 140/170/170Eを発表した。CPUはUltraSPARC(143/167 MHz)である。

1995年、富士通とHAL Computer Systems社は、マルチチップでSPARC64を開発した。

2) 日本電気(SX-4、PPC)
日本電気は、前年1994年11月に発表していたSX-4を1995年7月に初出荷した(どこかは不明)。ニュースによると、4月にはDutch National Aerospace LabがSX-4/32を、5月にはHARC (Houston Area Research Center)がSX-4/2Cを発注した。(1996年6月にはRamx=4.30 GFlopsで369位、11月にはSX-4/4に更新してRmax=7.67 GFlopsで256位。)

10月には、ヨーロッパ最初のSX-4が、スイスの計算科学センターCSCSに近々納入されると発表された。1996年11月のTop500では、CSCSのSX-4/16が、コア数16、Rmax=30.71 GFlops、Rpeak=32.00 GFlopsで、48位tieにランクしている。主要な設置先については、1994年の記事に記した。

日本電気は1995年1月から「並列処理センター(PPC)」を開設し、Cenju-3を大学の研究者等に提供し始めた。筆者の研究室では建部修見らがユーザ登録した。国内会議のところに記したように、PPCのユーザ会である「NEC・HPC研究会」が始まった。ユーザでないものも多数出席した。

3) 日立(HITACHI SR2201)
日立製作所は、筑波大学と共同開発していたCP-PACSの商用版であるHITACHI SR2201を7月31日に発表した。CPUは日立独自の擬似ベクトル処理機構を搭載したPA-RISCベースのRISCプロセッサを用い、ネットワークは3次元クロスバである。32~1024のプロセッサ構成が可能(後に2048まで拡張)で、最大は300MFlops(1024プロセッサの場合)。ユーザ空間から直接データを転送するRemote DMAを採用した。通信のミドルウェアとしては、ParallelWARE(ParaSoft社のExpress)、PVM、MPIなどが使える。

1998年6月のTop500によると、SR2201のエントリは以下の通り。性能の単位はGFlops。

設置組織

機種

Rmax

Rpeak

初出とランク

東大大型計算センター

SR2201/1024

232.4

614.40

1996年6月1位

新情報処理開発機構(RWCP)

SR2201/256

58.68

76.80

1997年6月46位

東大ヒトゲノム解析センター

SR2201/256

58.68

76.80

1998年6月65位tie

University of Cambridge (UK)

SR2201/224

51.13

67.20

1997年11月65位

日立機械技術研究所

SR2201/128

29.64

38.40

1998年6月164位

 

 
   

この他、64ノードのマシンが電力中央研究所、日本原子力研究所、スズキ株式会社、日立社内の計4件掲載されている。またTop500には含まれないが、北海道大学大型計算センターは可視化支援装置(malt)としてSR2201/128を保有し、運用を行っていた。写真は日立製作所のニュースリリースから。

日立製作所は、メインフレームM-880の後継機として、MP5800プロセッサを1995年4月に発表し、10月に出荷した。最大8プロセッサ構成まで可能。BipolarとCMOSを混載することができる。

ワークステーション/サーバでは、HITACHI 9000シリーズの後継として、HITACHI 9000Vシリーズが1995年7月に発表された。HP社のPA7200 (120 MHz)が搭載されている。ワークステーションは1995年9月、サーバは10月に出荷された。

4) Sony (NEWS)
Sonyは1995年12月、R10000を搭載したNWS-7000を発売した。

5) 日本IBM(鈴木則久)
鈴木則久氏が、1月31日付けで日本アイビーエム東京基礎研究所の所長を退職し、2月1日、SONY Semiconductor Companyの副社長に就任した。31日夕方5時過ぎにこのニュースが一斉にメールで流れると、各所から驚きの声が上がった。1998年にザクセル・システムズ社を創業し、現在、株式会社ザクセル代表取締役。

6) LSIロジック社
1984年LSI Logic社の日本法人として東京で設立されたLSIロジック社は、1985年、川崎製鉄との合弁会社日本セミコンダクターを設立したが、1995年につくば市北部工業団地(つくば市北原10、住友化学の西隣)に$100Mでウェハー製造工場を建設した。2003年に撤退する。その後はロームつくば㈱が半導体の製造を行ってきたが、2013年解散した。

7) NTT(DEMOS終了)
NTT(日本電信電話)は、電信電話公社時代の1971年に開始した科学技術計算向けのサービスDEMOSを、1995年12月の横浜センターの廃止とともに終了した。

8) Sony Computer Entertainment社(PlayStation)
1994年に日本で発売された初代PlayStationが、1995年9月1日には北米で、9月29日にはヨーロッパで、11月15日にはオセアニアで発売された。

標準化

1) HPF
HPF Forumは精力的に作業を続けた。1995年1月30日~31日には、Doubletree Hotel Houston at Intercontinental Airport, Houston, Texasでこの年初のHPFFが開催された。出席したわけではないが、手元にプログラムがある。Rice大学に滞在中の妹尾義樹(日本電気)はHPFFの常連であるが、今回はCenju-3での結果を発表している。

Monday Jan 30 – 8:30am – 5:30pm  (Continental breakfast: 8:00)

Session 1 (1.5 hrs) Introduction and Implementor Reports

   Introduction – Ken Kennedy

   Digital Report, David Loveman, Digital

   IBM Report, Henry Zongarro, IBM

   APR’s High Performance Fortran Compilation System, John Levesque  APR

   NASoftware HPF -> F90 code mapper, Adam Marshall, U. Liverpool

   ANDF for Distributed Memory MIMD Targets, Michael Weiss, OSF

Session 2 (1.5 hours) – Environments

Toward an Open HPF Tool Framework, Larry Meadows, PGI

The PREPARE HPF environment, Henk Sips, TU Delft

Prototype HPF Compiler Implementation and its Preliminary Benchmarking Results on Cenju-3, Yoshiki Seo,C&C Rsh Labs, NEC

Conference Lunch

Session 3 (1.5 hours) – Implementations and Proposals

PDDP, A Data Parallel Programming Model, Karen Warren, NERSC/LLNL

Scalable Runtime Support for HPF, Sanjay Ranka, Syracuse

An HPF-2 Infrastructure:  Establishing the boundary between compiler and run-time support in HPF-2, Scott Baden, UCSD

Session 4 (2 hours) – Proposals

An Overview of I/O requirements, Alok Choudhary, Syracuse

Experience in out-of-core algorithm design and a proposal for supporting parallel I/O in HPF, Chua-Huang Huang, Ohio  St. U

Vienna Fortran language features for HPF-2, Barbara Chapman, U. Vienna

Task parallelism in an HPF environment, Jaspal Subhlok, CMU

A Kernel HPF2 for 1995 – Rob Schreiber, Ian Foster

Tuesday Jan 31 – 8:30am – 12:00   (Continental breakfast: 8:00)

Session 5 (2 hours) – Benchmarks and User Experience

   HPF Benchmarks and Motivating Applications – Paul Havlak/Ken Hawick

   HPF Benchmark Report, John Levesque, APR

   Experiences of HPF Compilers on NAS Supercomputers, Subhash Saini

   Supporting Irregular DoAcross Loops in HPF, P. Sadayappan, Ohio St

   Converting some applications to HPF David Presburg, Cornell

   Experiences on Data-parallel Programming, Terry Clark, Rice U.

Session 6 (1 hour) – HPFF Business Meeting, Ken Kennedy

 

4月10日~12日にはHPFに関するOne/Three day WorkshopがイギリスのSouthampton大学で開催された。初日は初心者向けであるが、後半は実習を含む詳論である。コースの内容は以下の通り。

Day 1     Overview of HPF:

           The HPF model

           Distribution and Alignment of data

           Data Distribution across boundaries

           Using Fortran90 Array Syntax

           Loops and FORALL

           Case studies:  How to Write and Develop an HPF Program

Day 2     Morning:  How to use the NA Software Mapper and HPF Debugger

          Afternoon:  Hands-on exercises

Day 3     Porting Fortran77 codes to HPF

           Further hands-on experience

           Timing and tuning HPF

          Post Mortem Session:  What to do and what not to do

 

また、DEC社がHPFコンテストを企画したり、PGI社が協定大学にコンパイラを提供するプログラムなどもあった。

この後のHPFFは、5月11日~12日、7月17日~19日、9月20日~22日にコロラド州Denverで、11月1日~3日にはテキサス州Arlingtonで開催された。

SC95ではHPFのWorkshopがドタキャンになったが、HPF ForumはBoFとして開かれた。SC95の章を参照。

2) Ethernet
それまでのイーサーネットの10倍の100 Mbpsで通信が可能ないわゆるFast Ethernet規格が、IEEE 802.3u-1995として制定された。その際、FDDIから符号化技術(4b/5b符号)などを借用した。

3) IPv6
1995年1月、IETF (The Internet Engineering Task Force)のRFC 1752において、SIPPをベースにアドレスを128ビットとしIPngをIPv6と命名。

4) Java
Javaプラットフォームおよびプログラミング言語Javaの開発は、1990年からSun Microsystems社内で始まっているが、1995年5月23日のSunWorld Conferenceにおいて初めて公式に発表された。その後、Microsoftとの間でJavaを巡って訴訟合戦が続く。

5) CORBA
1989年、OMG (Object Management Group)が、異機種にまたがる分散オブジェクト標準を策定するために11社によって設立されたが、1995年にCORBAがVer. 2.0が発行された。

6) Ada
Ada言語は、1987年にISO/IEC規格として標準化されたが、1990年からタスキング仕様の改善およびオブジェクト指向の導入を目的として改訂作業が始まった。1995年2月15日にISO標準として改訂が承認され、オブジェクト指向言語として、史上初の国際標準となった。JISではJIS X 3009:2002に対応する。

7) Fortran 95
1995年制定を目指していたFortran 95は、予定の1995年より遅れ、1997年にISO/IECで、1998年にJISで制定される。

インターネット

 
   

1) Kevin Mitnick事件
コンピュータの不正アクセスについては、Dalton校事件(1981)、414グループ事件(1983)、Morrisワーム事件(1988)、イギリスの16歳少年の事件(1994)などお伝えしてきたが、この年には、SDSCの主席特別研究員の下村努が、不正アクセス者として有名なKevin Mitnickの逮捕に協力するという事件があった。なお、下村努は、2008年に緑色蛍光タンパクの研究でノーベル賞を受賞するボストン大学名誉教授、ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員下村侑博士のご子息である。1994年のクリスマス休暇の最中、下村努の友人が下村のコンピュータのログがおかしいことに気づいて連絡した。下村はそこから徹底的に調査して、TCP/IPのセキュリティホールを使って侵入したことを検知し、Kevin Mitnickを徹底的に追い詰め、FBIと協力して、1995年2月15日に逮捕に至った。この事件の経過は協力者のJohn Markoffとの共著で“Takedown: The Pursuit and Capture of Kevin Mitnick, America’s Most Wanted Computer Outlaw-By the Man Who Did It”という書籍(Hyperion Books、1996年1月発行)にまとめられ、映画化もされた。日本版映画の題は『ザ・ハッカー』。

2) 日本のインターネット
JPNICの調査によると、1995年6月現在、日本でインターネットに接続されているマシン数は以下の通り。2月にIMnetが稼働し、公的セクターは増えているが、企業関係がまだ少ない。年14%で増加しているとのことである。

ドメイン

マシン数

ac.jp

116,199

co.jp

9,701

ad.jp

1,831

or.jp

16,350

go.jp

5,579

others

9,632

Total

159,292

 

アメリカ政府関係の動き

 
   

1) ASCI計画開始
1995年に、アメリカ政府エネルギー省(DOE)はASCI (Accelerated Strategic Computing Initiative)を開始した。これは、1992年にブッシュ大統領(父)が地下核実験のモラトリアムを宣言したので、核実験を行わずに、シミュレーションによって核兵器の維持管理(stewardship)を行うためにスーパーコンピュータとその応用を推進しようということであった。1995年8月11日に、Clinton大統領は「核軍縮実現のため、今後実際の核実験は行わず、コンピュータシミュレーションによって、現在保有する核兵器を管理する」と宣言した。プログラムとしては、DOE傘下のLANL、LLNL、SNLの3研究所が、スーパーコンピュータ・ベンダを支援しつつスーパーコンピュータの開発を進めることとなった。これにより、米国政府が米国ベンダに莫大な研究投資を行うことが、国家戦略的必要の名目で正当化されることになった。当初は10年の計画で開始された。画像は2000会計年度のレポートDOE/DP–99-000010592の表紙。当初のロードマップは以下の通り。

演算性能   

主記憶

完成年

1+ TFlops

0.5 TB

1997   

3+ TFlops

1.5 TB

1998

10+ TFlops

5  TB

2000

30+ TFlops

10  TB

2001

100+ TFlops

30  TB

2003

 

9月、エネルギー省のHazel O’Leary長官は、最初のテラフロップスマシンはSNL (Sandia National Laboratory)に設置され、Intel社次世代のP6チップ(Pentium Pro)により建設されるであろうと述べた。

2004年にはASC (Advanced Simulation and Computing Program)と名称変更され、計15年間続けられた。

2) Lawrence Berkeley National Laboratory
1995年、DOE関係の研究所にNational(国立)の語を加えることになり、LBL (Lawrence Berkeley Laboratory)は、Lawrence のフルネームを加えて、Ernest Orlando Lawrence Berkeley National Laboratoryと改名された。翌年12月にLBLに出かけたが、長たらしい名前の看板が出ていてびっくりした。その後、あまり長いということで、単にLBNL (Lawrence Berkeley National Laboratory)と呼ばれている。

3) PetaFLOPS Initiative
1995年2月、Frontiers ’95が、IEEE後援で開催された。また8月には、ARPA、DOE、NASA、NSFの後援により、PetaFLOPS Computing Summer School/Workshop: Application and Algorithm Challenges for PetaFLOPS Computingが開催された。

4) Hayes Panel
アメリカのアカデミアのスーパーコンピュータセンターは再編成の時期を迎えていた。1984年からスタートしたNSF Supercomputer centers(元々5か所あったが、Princetonが廃止になり、Cornell、Pittsburgh、Illinois、San Diegoの4カ所)は、10年計画であり、10年後には見直しが行われることになっていた。本当に、見直してしまうところがアメリカのすごいところである。

1994年10月に、NSFはとりあえず4センターに2年間の延長を認め、その間に Task Force を組織して、継続するか、リストラするか、現プログラムを終結させるか、他のモデルを作るかなどについて検討を始めた。

NSFはEdward F. Hayes(Ohio州立大学)を座長とするTask Forceを組織しNSFのスーパーコンピュータセンターのあり方について検討を加えてきた。メンバーは以下の通り。

Arden L. Bement, Jr.

Purdue University

Peter A. Kollman

UC San Francisco

Edward F. Hayes- Chairman

The Ohio State University

Mary K. Vernon

University of Wisconsin

John Hennessy

Stanford University

Andrew B. White, Jr.

Los Alamos National Laboratory

John Ingram

Schlumberger, Austin

William A. Wulf

University of Virginia

Nathaniel Pitts

National Science Foundation

Robert Voigt

National Science Foundation

Paul R. Young

National Science Foundation

 

1995年9月15日、報告書 ‟Report of the Task Force on the Future of the NSF Supercomputer Centers Program”を公開した。この報告書(Hayes Report)については、SC95のRound Tableでも取り上げられた。NSFスーパーコンピュータセンターのこれまでの10年間の成果を総括し、次の10年への展望を述べている。具体的には以下の通り。

 
   
  • 指数関数的に増大する計算能力により魅力的な応用が広がる。例えば
    - より現実的なモデルにより物理系の理解が深まる - 薬剤やタンパク質の設計のための計算ツールが進歩する
    - 科学的また商業的に重要な材料の計算機による予測が可能になる
    - 物理系の連成モデル(例えば心臓の流体力学と電磁気モデルの連成)
    - スーパーコンピュータと大規模測定器との相互接続の発展
    - 人々の健康に資する解剖学的・生理学的モデルの発展
  • 予想もしなかった領域での定量的な計算結果
  • 計算科学や計算工学のパラダイムの諸要素間の交流が爆発的に増大する。
  • プログラム開発においても、ポータブルであり、かつユニークな並列アーキテクチャを活用できるコードを開発するために、新しいツールや方法論を進歩させる。

計算科学や計算工学の世界的指導力を保持するために、NSFは先進的科学計算センタープログラムを推進しなければならない。そのミッションは以下の通り。

  • 科学工学界の先進的コンピューティングインフラへのアクセスを提供する。
  • このアクセスを増強するために大学、国、産業を連携させる。
  • 訓練や相談窓口のような支援サービスにより、このようなインフラの有効的な利用を支援する
  • 計算科学工学を進歩させる可能性のある新しい実験的な高性能化技術を、進んで試みる
  • 世界的な指導力を保持するために必要な、知的財産を発展させるよう支援する

一方、今後の見通しについては悲観的な展望を述べている。「これまでARPAの支援があったので、4センターに最先端の並列システムを導入することができた。予算の増額か新たな連携なしには、NSFが4つのセンターを世界トップクラスに維持することはできないであろう。」(6.4節)

これに基づいて、PACI (Partnership in Advanced Computational Infrastructure) というプログラムが公表された。年間予算は65Mドル、約70億円である。これでは、2つないし3つのセンターの運営がやっとと思われる。

5) NSFのネットワーク
NSFは1995年4月、vBNS (Very high-speed Backbone Network Service)の運用を開始し、NSFのスーパーコンピュータセンターと関連機関を高速に結合した。1998年までにvBNSは100の大学と研究所とをDS-3 (45 Mbit/s), OC-3c (155 Mbit/s), and OC-12c (622 Mbit/s)により結合した。

6) SDSC (Sid Karin辞任?)
SDSC (the San Diego Supercomputer Center)の創立者所長であるSidney Karin氏は1996年春に退任する意向であることを1995年11月20日に発表した。「信じてもらえないかもしれないが、今のところ何をするか計画を持っていない。しばらく熟考したい。」とHPCwireに語った。彼はSDSCを運営するGeneral Atomics社(最初はGA Technologies社)に22年間所属しており、1984年にSDSCを創設して以来センター長を務めている(HPCwire 1995/11/20)。実際に辞任したのは2001年のことになる。

7) 輸出規制
国防省長官William Perryの指示により、Bill Clinton大統領は1995年10月、米国のスーパーコンピュータ輸出規制を緩和した。従来は、1500 MTOPSを超えるコンピュータを輸出するには商務省の許可が必要であったが、新しい規制では、相手国により7000から10000 MTOPSに緩和される。相手国は4つのレベルに分けられる。1996年1月25日から有効になる。

レベル1

西欧、日本、オーストラリア、ニュージーランド

一切制限なし

レベル2

南米、南アフリカ、韓国、東欧の一部

一定の能力以下のスーパーコンピュータは輸出可

レベル3

旧ソ連邦、中東、南アジア

より厳しい規制

レベル4

イラン、イラク、リビア、北朝鮮などいわゆる「テロリスト国」

一切禁止

 

これにより今後3年間に$2Bの販売増が期待される。

次回は、アジアの動き、世界の学界、および国際会議である。Globus Projectが始まる。別府でのSWoPPに先立ち、国際会議PERMEANを開催する。ISCとSCでのTop500の行方は?ビッグネームの訃報が続く。

 

left-arrow   new50history-bottom   right-arrow