新HPCの歩み(第135回)-1996年(a)-
第1期科学技術基本計画(5年間)が閣議決定され、科学技術振興における国の最優先課題を定め、学内LANにATMを推奨した。また、科学技術庁は、『地球変動予測の実現に向けて』と題する報告書をまとめたが、これが地球シミュレータへと向かう。東大大型計算機センターの日立のSR2201が6月のTop500でトップを取るなど、大学へのスーパーコンピュータ設置が進む。 |
社会の動き
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社会では、1/5村山首相が退陣表明、1/7つくば市上広岡の自動車修理工場の屋根に隕石落下、周辺に広く落下(つくば隕石)、1/11橋本龍太郎内閣成立(自社さ連立)、1/11スペースシャトルEndeavour打ち上げ、若田光一が乗船、1/30オウム真理教に対する解散命令への特別抗告を最高裁が棄却、2/1自衛隊、ゴラン高原へPKO派遣(2013/1/15まで)、2/9菅直人厚生大臣、厚生省エイズ研究班の資料発見を公表、2/10豊浜トンネルで岩盤崩落、2/12司馬遼太郎死去、2/16羽生善治、七冠独占、2/28チャールズ皇太子、ダイアナ妃と離婚へ合意、2/28大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件で、アメリカの司法当局と司法取引、3/14薬害エイズ訴訟でミドリ十字謝罪、3/23台湾の総統直接選挙で李登輝が当選、4/1東京ビッグサイト開場、4/1東京三菱銀行発足、4/3ユナボマー(Theodore John Kaczynski)逮捕、5/10住専処理を含む予算成立(公的資金投入)、5/29岡山県で集団食中毒、O157と判明、7月堺市でも、6/8中国核実験、7/5イギリスでクローン羊ドリー誕生、7/12英国のチャールズ皇太子、ダイアナ妃と離婚の条件について合意(8/28確定判決)、7/20最初の「海の日」(日本)、7/20アトランタ五輪開幕、8/4まで(有森裕子、2大会連続メダル)、8/4渥美清死去、8/29薬害エイズ事件で、安部英元帝京大学副学長を逮捕(2001/3/28に一審無罪、認知症のため公判停止)、9/10国連総会でCTBTを採択、9/17旧民主党結成、9/27タリバンがアフガニスタンのカブールを掌握、10/6巨人、リーグ優勝、「メークドラマ」、10/20初の小選挙区比例代表並立制選挙、11/5第2次橋本内閣発足、11/5アメリカ大統領選挙でクリントン再選、11/23バンダイから『たまごっち』発売、12/4厚生省汚職事件、前事務次官逮捕、12/5原爆ドームと厳島神社が世界遺産に登録される、12/17ペルー日本大使公邸がゲリラに占拠される、12/26アメリカでジョンベネ殺害事件、など。写真は、神戸ポートアイランドのO2 HIMAWARIから。
流行語・話題語としては「自分で自分をほめたい」「いい仕事してますねぇ」「援助交際」「ルーズソックス」「チョベリバ・チョベリグ」「アムラー」「メークドラマ」「不倫は文化」「O157」「ジミ婚」など。
チューリング賞は、計算機科学に時相論理を導入した独創的業績とプログラムやシステムの検証への多大な貢献に対してAmir Pnueli(Weizmann研究所/New York大学)に授与された。
エッカート・モークリー賞は、命令レベル並列処理やスーパースカラープロセッサの設計に寄与したYale Patt(University of Texas at Austin)に授与された。
1996年の京都賞先端技術部門(情報分野)はDonald Ervin Knuth教授(Stanford大学)に授与された。
ノーベル物理学賞は、ヘリウム3の超流動の発見に対しDavid M. Lee、Douglas D. Osheroff、Robert C. Richardsonの3名に授与された。化学賞は、フラーレン (C60) の発見に対しRobert Floyd Curl Jr.、Harold Walter Kroto、Richard Errett Smalleyの3名に授与された。生理学・医学賞は、細胞性免疫防御の特異性に関する研究に対し、Peter C. DohertyとRolf M. Zinkernagelに授与された。
珍しく情報処理学会年会(大阪工業大学)での原著講演の座長(9月6日)を依頼されたのでほいほい引き受けたが、発表者の一人であるK大学のJY氏に年会後メールで絡まれて往生した。会場では筆者が一番氏の理論に好意的であったつもりであったが。
日本政府関係の動き
1) 科学技術基本計画
1995年11月に科学技術基本法が制定されたが、これに基づき、1996年7月2日、第1期の科学技術基本計画(5年間)が閣議決定された。「内外の諸問題に対応するため、また人類共通の知的資産である基礎研究を進めるため、我が国は自ら率先して未踏の科学技術分野に挑戦していくことが必要である。しかし、日本の研究開発投資額は1993年以来減少し、特に政府研究開発投資が対GDP比で欧米主要諸国を依然として下回っている。」と指摘し、科学技術振興における国の最優先課題を定めている。
研究開発に関する情報化のために、高性能計算機の整備や応用ソフトウェア開発の必要を述べているのはいいとして、「全ての国立大学等の学内LANのATM(非同期転送方式)化を引き続き進めるとともに、国立試験研究機関においても必要に応じATM化を進める。」と学内LAN等のATM(非同期転送モード)化を推奨している点は技術の方向性を見誤った。コンピュータネットワークと遠隔授業等のマルチメディア通信をATMによって統合するという方向性は結局実現せず、むしろEthernetが広範囲にわたって利用されるようになった。
科学技術基本計画に基づき各大学にATMネットワークの予算が付いたが、活用されたであろうか。IP over ATMという可能性もあったが、あまり普及しなかった。例えば東京大学ではATMの予算でATMとIPの基幹ネットワークをキャンパス中に別々に引いたが、使われたのはIPの方だけであった。後のことであるが、ネットワークに詳しい会計検査院の検査官がやってきて、筆者の案内で理学部近くのノードを現場確認し、「ATM交換機が2台もあるのに、4個の接続口しか使われていない」と指摘した。学内のループに接続するために2個、2台の交換機をつなぐのに2個で、要するに何にも使われていないということであった。「ATMを推進するという国の方針が悪いんですけどね」と検査員もちゃんとわかっていて、対応に当たった筆者は胸をなで下ろした。
2) 『地球変動予測の実現に向けて』
この科学技術基本計画に基づき、地球規模の諸現象の解明と予測に向けての研究開発の重要性が指摘された。1996年7月、科学技術庁の「航空・電子等技術審議会 地球科学技術部会」は、『地球変動予測の実現に向けて』と題する報告書をまとめた。地球規模で起きるさまざまな現象・問題を、科学技術を活用して解明し、その成果を活用して精度の高い将来予測を行おうとする戦略的なプログラムであった。 これを受けて1997年3月から7月にかけて、科学技術庁において「計算科学技術推進会議地球シミュレータ部会」(部会長、松野太郎)が開催された。これが後の地球シミュレータ開発のきっかけの一つとなった。
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このコンピュータの名前として「ガイアシミュレータ」とか「地球環境シミュレータ」などの名前もあったが、「地球シミュレータ」という名称を付けたのは、三好甫氏(写真は三好甫先生記念計算科学シンポジウムから)の1996年12月の「地球科学の推進と地球シミュレータ開発計画」(下書き)ではないかと『地球シミュレータ開発史』(p.41)は述べている。日本電気は、製造に着手した1998年1月に「ウルトラコンピュータ」と呼んだこともあったが、1980年代前半にNew York大学のAllan Gottliebを中心に進められたプロジェクト名と同じなので結局この名前はあまり使われなかった。
この年3月、海洋科学技術研究戦略推進センターに、20ノードのSX-4/20を導入した。6月のTop500では25位tieにランクしている。
3) 日本学術振興会(未来開拓)
日本学術振興会は1996年度から未来開拓学術研究推進事業を始めた。これは、公募してピア・レビューで決定するのではなくいわばトップダウンで助成を行うものであり、大崎仁日本学術振興会理事長のイニシアチブによるものと言われている。初年度予算は110億円であった。この事業は、14人で構成される事業委員会があり、その下に、理工領域、生命科学領域、複合領域の各研究領域の研究推進委員会がある。各領域でいくつかの研究分野を設定し、研究分野の選考委員会が研究プロジェクトを選定する。研究期間は5年間、研究経費はプロジェクト当たり5千万円から3億円程度とした。当時は気づかなかったが、科学技術基本計画に始まる流れのなかで生まれた事業であった。
初年度の助成117件について、東大に偏るなど選考過程がフェアでないと批判がなされた。とくに、研究推進委員会委員98人のうち34人は自分で助成金を受けるリーダーとなっているという(Nature, Vol. 383, October 3, 1996)。科学技術庁傘下の新技術事業団(後のJST)はトップダウンの研究計画運営の長年のノウハウを持っていたが、当時の日本学術振興会はそのような経験がまだ乏しかったようである。計算科学分野が始まるのは2年目からである。
4) 日本原子力研究所
日本原子力研究所計算科学技術推進センターは1995年度に設置された。また同研究所の原子力コード委員会の下に、1996年1月から森正武(東大工)を部会長として並列計算ライブラリ専門部会が設置された(既述)。センターは3月11日に中目黒の金属材料技術研究所内に移転し、VPP300/16、Cray T94/4、SX-4/2C×3、SR2201/64、SP2/48の5種の並列コンピュータを設置した。専門部会は3回開催し、センターで開発中の並列数値計算ライブラリプログラムの開発状況を検討し、それに基づいてプログラムの修正改良を行った。具体的には、前処理付共役勾配法、Block-Lanczos法、線形最小二乗法、行列計算精度評価、sub-space法、密行列のLU分解法、マルチグリッド前処理共役勾配法などである。 12月4日の第3回並列計算ライブラリ開発専門部会の会合でマシンを見学した。部会員やその指導する学生がセンターの並列コンピュータを実際に使用して、作業することになった。
また、那珂研究所において、核融合のための超並列計算機シミュレーション研究を目指す「数値トカマク研究会NEXT (Numerical Experiment of Tokamak)」が発足し、核融合に限らず種々の分野の超並列計算機利用の現状と将来を捉えるために研究集会を企画した。世話人は徳田伸二。当時、茨城県の原子力研究所にはVPP500/42とParagon XP/256が設置されていた。
第1回研究集会は1996年2月8日~9日に那珂研究所で開かれ、筆者にもお誘いがあった。核融合プラズマ、天体プラズマ、流体力学など10件ほどの発表があった。プラズマ核融合学会誌では、8・9月号に小特集「超並列計算機を用いたプラズマのシミュレーション」が企画された。その後毎年開催されている。
これとともに原子力コード研究委員会の下に数値トカマク専門部会がつくられ、筆者も参加した。年度内に5回開催された。プラズマのシミュレーションコードのひな形を日本のコンピュータメーカに提示して、技術的な検討を行った。実質的な中心人物は、1993年に航空宇宙技術研究所を定年退職し、1995年から高度情報科学技術研究機構の副理事長となっていた三好甫であったと思われる。
5) 航空宇宙技術研究所
1993年の記事で述べたが、1996年6月のリストの2位は航空宇宙技術研究所のNWT(数値風洞)で、166コア、Rpeak=279.58、Rmax=170.0となっている。1995年11月までは140コア、Rmax=170.0となっていて、コア(プロセッサ)を増強したのに、LINPACK性能は変更していない(再計測しなかったのであろう)。筑波大学のCP-PACSが首位をとる1996年11月では、167コア、Rpeak=281.3、Rmax=229と出ている。LINPACKを計り直したと思われる。コア数が167に増えているが、I/Oノード2台のうち1台を演算に駆り出したのであろう。既に書いたように、これにより、東大大型センターのSR2201(1024)の220.4を越えて2位を保った。なお、NWTのクロスバは56プロセッサが単位で、I/Oノードを含めて168は3単位の上限であった。詳細はSC96の項で。
6) 科学技術振興事業団
1996年10月、科学技術庁傘下の日本科学技術情報センター(JICST)と新技術事業団(1989年までは新技術開発事業団JDRC)が合併し、科学技術振興事業団(JST)が設立された。2003年10月からは独立行政法人科学技術振興機構。2015年4月からは、国立研究開発法人科学技術振興機構。戦略的基礎研究推進事業(CREST)は1995年度から始まっている。
7) 通商産業省(eコマース助成)
HPCとは直接関係ないが、このころから、PCの普及やインフラの整備によりインターネット利用者が増加し、ウェブショッピングサイトが数多く出現している。通商産業省は、この分野での日本の遅れを痛感し、諸外国に追いつくために約100億円の予算を19のプロジェクトに投じる計画であると、HPCwireの2月16日号が報じている。ちなみに、日本エム・ディー・エム(現楽天グループ)は1997年2月7日に設立され、楽天市場が始まっている。
8) TISN解散
東大理学部の運営するTISN(東大国際理学ネットワーク、1989年運用開始)は、大学や政府機関にネットワークサービスを行ってきたが、1995年2月、JST がIMnet(省際ネットワーク)を構築したので、文部省関係以外の組織はそちらに移った。大学など文部省関係はSINETに移行。TISNは1996年7月24日に、TISN解散記念パーティを挙行した。
これに伴い、TISN および JAIN の関係者が中心となり、日本学術振興会の産学協力研究委員会の一つ「インターネット技術第163委員会」(ITRC、委員長 大阪大学 宮原秀夫教授)が発足した。筆者は2002年3月まで委員として協力した。ITRCは産学協力研究委員会としては、2022年3月に解散し、4月からは産学協力研究コンソーシアム インターネット技術研究会 として再出発する。
日本の大学センター等
1) 「スーパーコンピュータ研究会」
1996年度大型計算機センター等のスーパーコンピュータ研究会の第一回が、1996年6月26日、東京大学大型計算機センターにおいて開催された。プログラムは以下の通り。
10:30 |
「計算科学技術推進センターの紹介」 |
日本原子力研究所計算科学技術推進センター長 浅井 清 |
11:00 |
「計算科学的手法による数値シミュレーション」 |
日本原子力研究所計算科学技術推進センター蕪木英雄 |
12:00 |
休憩 |
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13:30 |
「1996 Householder Meeting on Numerical Algebra 参加報告」 |
九州大学大型計算機センター島崎 眞昭 |
14:00 |
情報処理学会 JSPP96並列ソフトウェア・コンテストについて |
小柳義夫研究室の学生3名 |
2) 東京大学(HITACHI SR2201)
東京大学大型計算機センターは、1996年2月にHITACHI SR2201 (1024 PU、256 MB/node)を設置し、5月から正式運用した。1996年6月のTop500においてRmax=220.4GFlops、Rpeak=307.2 GFlopsで首位を占めた。大学の共同利用センターがトップを取るなんて初めてで、おそらく今後もないであろう。
メインフレームでは、この年、HITACHI MP5800/320 (MS + ES : 10 GB)に変更した。
3) 名古屋大学(VPP500/42)
名古屋大学大型計算機センターは、1996年1月、VPP500/42を導入した。CPUは42台(+2 GSP)、メモリは42+2 GBである。1995年11月のTop500では、Rmax=54.5 GFlops、Rpeak=67.2 GFlopsで11位tieにランクしている(同位は、日本原子力研究所の同型機)。メインフレームとしては、1996年3月にM-1800/30Eを導入した。CPUは3個で、メモリは1 GB、SSUは512 MBである。
4) 京都大学(S-4/2000E)
京都大学大型計算機センターは、1996年5月、S-4/2000E(16CPU、2 GB)の運用を開始した。OSはSolaris 5である。3月には300bps、1200bpsの公衆回線を廃止した。
5) 筑波大学
1996年9月、高速ネットワーク装置ATMの2回目の導入を行った。
6) 千葉大学(HITAC M-640/20E+ S-3800/160)
千葉大学総合情報処理センターは、1996年3月、HITAC M-680Hを、HITAC M-640/20EとHITAC S-3800/160に更新した。S-3800は千葉大学として初めての本格的なベクトル計算機である。
7) 岡山大学
1996年5月、総合情報処理センター設置。
8) 早稲田大学
1996年6月、電子計算機室を基にメディアネットワークセンターを設置した。他大学に先駆けて教育にICTを導入してきた。2014年3月末に廃止され、教育に関する機能はグローバルエデュケーションセンターに移管され、情報システムに関する機能は情報企画部に移管される。
9) 高エネルギー物理学研究所
筆者が1978年まで在職した高エネルギー物理学研究所の共通計算機システムは、所内の全体的な計算のために設置されているが、1996年1月、メインフレームのHitachi M-880から、25ノード、75 CPUのUNIXサーバマシン群にダウンサイジングされた。
1995年1月に導入されたFujitsu VPP500/80は、1995年度には「数値シミュレーションを用いた理論物理」を募集して所外に資源を提供した。1996年2月8日~9日に、「KEKSCワークショップ 並列計算機による計算物理の進展」を開催した。1996年度から共同研究型の「大型シミュレーション研究」を開始した。
10) 統計数理研究所(HITAC S3800/162)
統計数理研究所は、HITAC S3600/120からHITAC S3800/162(主記憶 1 GB、拡張記憶 4 GB)に更新した。また、IBM SP2(48ノード、主記憶12 GB)も導入した。SP2/48は、1995年12月のTop500において、Rmax=8.60、Rpeak=12.77で127位にランクしている。
次回は日本の学界の動きと、国内会議。筑波大学のCP-PACS(2048)が完成し、11月のTop500でトップを獲得する。日立、日本電気、日本IBM、富士通などが公開のフォーラムを開催する。
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