世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

3月 30, 2015

HPCの歩み50年(第33回)-1990年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

SC90においてDaniel Hillis (TMC)は「最速のコンピュータ」を高らかに謳い上げたが、程なく業務を停止するとだれが予想したであろうか。同じくSC90で「キラー・マイクロの来襲」が語られ、マイクロプロセッサの性能が急速に向上しているので、スーパーコンピュータも対抗できないと指摘された。Intel社はiPSC/860を発売するとともに、実験機Touchstone Deltaを建設した。日本の株は下がり始めたがまだバブル気分であった。

日本の企業の動き

M-1800

FUJITSU M-1800

ACOS3800

NEC ACOSシステム 3800

上2画像出典

一般社団法人情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館

1) 富士通
富士通研究所は、この頃SPARCベースの超並列コンピュータCAP-IIを開発した。プロセッサはSPARC(25MHz)で、主記憶は16 MB。最大1024プロセッサまで拡張でき、その場合のピーク性能は12.5 GFlopsであった。この前に、1988年頃、CGや画像処理などを目的にCAP-256(最大性能16 MFlops)を開発していたようであるが、詳細は不明である。
7月、汎用機FUJITSU M-1800モデルグループを発表した。

このころ4並列の並列ベクトルコンピュータ(ピーク16 GFlops)を開発中という噂があったが、製品は出ず、次のベクトルはVPP500 (1992発表)となった。

2) 日本電気
7月、汎用コンピュータACOSシステム3800を発表した。12月、SX-3を出荷した。

3) アンリツ
筑波大学のQCDPAXを共同開発したアンリツは、QCDPAXを商用化したDSV 6450(最大16プロセッサ)を4月に販売した。4台売れたという記録があるが、そのうち一つは筑波大がQCDPAXのプログラム開発用に買ったものである。

4) 日本鋼管
日本鋼管は1983年にコンピュータ事業部を立ち上げ、LSI開発などを行っていた。PC-AT互換機にIntelのi860を4個付加したパーソナルスーパーコンピュータPIAXを1990年に発売した。流体解析や各種行列計算のための技術者用の専用コンピュータであった。

同社は自動制御のためのリアルタイム機の開発を構想し、1989年12月にConvex社と共同開発の契約を結んだ。これが1993年の超並列機Exemplar SPPの発表(1994年発売)へとつながって行く。

5) 任天堂
あまりHPCと関係はないが、11月スーパーファミコンを発売した。

世界の学界の動き

1) SC90
第3回のSupercomputing Conference(SC’90報告)はNew YorkのRockefeller CenterのHilton Hotelで1990年11月12日~16日に開かれた。参加者は2303人、展示は59件であった。基調講演はThinking Machines社のDaniel Hillisが「最速のコンピュータ」と題して講演した。今から思うと、TMCの最もよい時だったと思う。1年後にCM-5を発表するが、その時すでに頂上は過ぎていた。筆者は会議の途中抜け出してコロンビア大学の格子ゲージ専用マシンを見に行った。

終了後、CBSテレビ局の見学に行ったが、大きなスタジオではサイモンとガーファンクルがリハーサルをやっていた。

2) Attack of the Killer Micros
筆者の記憶にはないが、SC90においてEugene Brooksが”Attack of the Killer Micros”という講演を行い、マイクロプロセッサの性能が急速に向上しているので、ミニコンも、メインフレームも、スーパーコンピュータでさえ、”Killer Micros”の攻撃に対抗できない、と述べた。同名のかなり厚いレポートを1992年1月にKahanerから受け取った。予言の通り、その後、汎用プロセッサを用いた高性能コンピュータが主流を占めるようになった。特に、1993年に、IBMとSP1を、Cray ResearchがT3Dを発表したことは衝撃的であった。

この講演のタイトルは、娯楽映画の題名“Attack of the Killer Tomatoes”から来ているようである。

3) SNA 90
第1回のSupercomputing in Nuclear Applications国際会議が、3月12~15日に水戸パークホテルで開かれた。運営は日本原子力研究所(当時)。どういうわけか筆者も参加した。Kahanerの報告がある。参加者の内訳は、日本608名、アメリカ18名、フランス15名、イギリス6名、その他ベルギー、デンマーク、西ドイツ、フィンランド、イタリア、ポルトガル、スペイン、スイスなど。所属は、大学関係者42名、政府関係者256名(内原研180名)、会社306名(内展示スタッフ110名)。この会議は世界持ち回りで何年かに一度開かれ、2010年には再び東京で開かれている。

4) ICS会議
ICS (International Conference on Supercomputing)の第4回は、6月11~15日にオランダのAmsterdamで開催された。ACMからプロシーディングスが発行されている。

5) World Wide Web
CERNのTim Berners-Leeは、1990年11月12日に”WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project”を発表し,WWWを提案した。直ちに実装された。同じころ、archieと呼ばれる検索エンジン(1990年、McGill大学、ファイル名を検索)やGopherと呼ばれるテキストベースの検索システム(1991年、ミネソタ大学)などが開発されている。WWWやサーチエンジンの発展により事実上消滅した。筆者は、archieやgopherが前にあってWWWが提案されたのかと思っていたが、逆のようである。

日本ではJCRNでインターネット管理組織をやっと考え始めたころ、世界ではインターネットを前提とした情報流通のシステムが始まっていたわけで、日本は全く遅れていた。

6) SUPRENUM project
ドイツのSUPRENUM国家プロジェクト(1985年から)ではSuprenum-1(256ノード)が稼働した。このプロジェクトはSuprenum-2に進むことなく1990年終了した。このころから、GMDはIntel i860を用いた次の並列計算機のプロジェクトMannaを計画していた。商用化のために設立したSUPRENUM Supercomputer GmbHは2010年7月12日業務を終了した。

SUPRENUM

SUPRENUM-1

出典:Wiki

S390

ESA/390アーキテクチャが搭載されたIBM S/390

出典:Wiki

世界の企業の動き

1) IBM社
9月、IBM社は 31ビットアドレス、32ビットデータのメインフレーム用アーキテクチャESA/390を発表した。

これとは別であるが、マルチチップのスーパースケーラの32ビットマイクロプロセッサPOWER1を発表した。このときのクロックは20, 25, 30 MHzであった。これまでメインフレームで使用されていたregister renamingやout-of-order実行などの機能をマイクロプロセッサに実装した。このため、初期の版(RIOS-1と呼ばれる)では10個ものチップから構成されていた。今から思うと、1990年代のIBMの並列コンピュータ攻勢の出発点でもあった。1991年にはクロックを最高41 MHzまで上げたPOWER1+が発表され、1992年には最高62.5 MHzのPOWER1++が発表された。これがSP1 (1993)に使われた。逆に機能を削減してシングルチップに詰め込んだRSCと呼ばれる版もある。

2) Intel社
月は不明だが、Intel社は前年に発表したiPSC/860 を発売した。日経産業新聞1991年4月12月号によると、伊藤忠テクノサイエンスは日本国内販売代理店契約を結び、1991年4月から出荷した。

このころ、実験機Touchstone Deltaを開発し、翌年1991年にCaltechに設置した。これはi860を用いたノードを、hypercubeではなく2次元メッシュに結合したマシンで、最終的に512 ノード(Top500による。576という数字もあるが、I/Oノード込みか?)の構成で、ピークは20.5 GFlops、Linpackは13.9 GFlopsである。最初の(1993年6月)のTop500では8位にランクされている。Deltaを商品化したのがParagonである。1991年6月1日号の日本経済新聞夕刊にLinpackで8.6 GFlops出したという記事がある。

3) Alliant Computer Systems社
12月、Alliant Computer Systems社(1982年創業)は、Intel i860 を用いたFX/2800 シリーズを発表した。

4) MasPar社
1987年に創業されたMasPar社は、MP-1を出荷した。これは4ビットのPEを結合しSIMDで動作させるもので、最大16384個までのPEを接続できた。相互接続網はX-Netとクロスバである。X-Netは、斜めを含め隣接する8個のPEに対してデータ通信を行う。グローバルルータは3段のクロスバスイッチで構成されている。フロントエンドは通常VAXであった。

5) NCR社
1884年に米国オハイオ州で設立された情報システムのグローバル企業であるNational Cash Register社(1974年からはNCR社)は、コンピュータの黎明期にBurroughs, Univac, CDC, Honeywellと並びBUNCHと称されていた。1990年にIntelの386や486 やPentiumを用いて、System 3000シリーズという、デスクトップから数百プロセッサの大型機までカバーするファミリー開発すると発表した。成功したという話は聞かない。直後の1991年にAT&Tに買収された。なお、1997年1月1日に再び独立を果たしている。

6) Windows 3.0
Microsoft社は、Windows 3.0(英語版)を5月22日に発売した。日本語版は1991年1月23日発売。

ベンチャー企業の終焉

1) Multiflow Computer社
1984年にVLIWアーキテクチャに基づくミニスーパーコンピュータのために創業されたMultiflow Computer社は、3月業務を終了した。

2) Myrias Research社
Myrias Research社(1983年創業)は、1990年10月、経営上の困難にもかかわらずMC68040を用いたSPS-3を完成し披露したが、その翌日活動を停止し、1991年に会社は閉鎖された。

3) Supertek Computers社
1985年Cray互換のミニスーパーコンピュータを開発するためにSanta Claraにおいて設立されたSupertek Computers社は、1989年にCMOSによりCray X-MP互換のSupertek S-1を製造し10台販売したが、1990年、Cray Researchによって買収された。そのころ、Cray Y-MP互換のSupertek S-2を開発中であったが、買収後 Cray Y-MP ELとして1992年にCray Research社から発表された。、

次回は1991年、超並列コンピュータのCM-5やKSR1が登場する。アメリカではHPCCが始まる。

(タイトル画像 Intel Touchstone Delta 出典:Computer History Museum)

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