新HPCの歩み(第142回)-1996年(h)-
Cray Research社はT90、T3Eを発売するなど順調に見えたが、SGIに買収された。IBM社はチェス専用コンピュータDeep Blueを製造し、Kasparovに挑戦した。MasPar、nCUBE、Chen Systems、Weitek、Meikoなどかつてのビッグネームがまた終焉を迎える。 |
アメリカの企業の動き
1) Cray Research社(SGI社に買収)
前年1995年、Cray Research社はベクトルではT90を、超並列ではT3Eを発表し、順風満帆と思われた。実際、1995年の最終四半期には黒字に転じ、年末には$437Mもの注文残があった。
1996年2月26日(アメリカ東部時間)に突然発表があり、SGIとの間に合併の合意ができ、Cray Researchの株式の19,218,735株(75%)を$576M(すなわち、1株$30)で買収するとのことであった。残りの株はSGIの株と一対一で交換される。順風満帆のうちに売り払うのがアメリカ流か。ただし、日本クレイ株式会社の堀義和社長からのメッセージでは、「今回の発表は友好的公開買い付けの開始宣言でもあり、その実現は100%保証されているものではありません。」とあった。この直前、2月6日、Cray Research社は、Chippewa Fallsのプリント基板工場をロンドンに本社を置くJohnson Matthey Plc.に$40Mで売却し、350人の従業員も同社に移るという報道(CNN Financial News (February 6, 1996))があった。ただし今後もCray Research社のためのプリント基板の製造は継続する、これは経費節減のためである、とのことであった。このニュースを見た時ちょっと不思議な感じがしたが、まさか20日後にSGIに吸収されるとは思わなかった。前準備だったのだろうか?
SGIの会長CEOであるEdward R. McCrackenは、「両社の組み合わせにより世界をリードするHPCの会社を創造するであろう」と強気の発言を行った。合併後は$4B近い売り上げの大企業になるという触れ込みであった。計画としては、2000年ごろまでにプロセッサをMIPSに統一し、uniformでスケーラブルなSMPを開発すると発表した。多くの技術的・経営的な困難を指摘する議論があった。
同日のニュースグループcomp.sys.superには、早速次のような記事が載っていた。
「[Crayという]名前はしばらく残るだろうが、そのうちに忘れ去られる。SGIが大きなベクトル機を製造するなんて信じられない。まあ、J90やその後継には未来があるかも知れないが。多分、T3Eは“ゆりかご”の中で絞め殺され、メモリや相互接続の技術はMIPSの箱に合わせられるだろう。 アメリカのスーパーコンピュータ産業はうまくいっている間はおもしろかった。しかし“うたげは終わった(The party’s over.)”この状況に慣れるしかない。」(Stephen O. Gombosi) |
でも幸い宴は終わらなかったようだ。買収が完了したのは7月である。その後、Sun Microsystems社は、Cray Business Systems部門をSGIから買収した(意向表明は5月)。Cray Business Systems部門は、FPS社の遺産を継承したCS6400を製造販売していた。当時Starfireのコード名で開発中の後継機はSun Enterprise 10000となった。T3Eの後継として、MIPSのR10000を用いたT3Fが出るなどの噂もあったが、実現しなかった。合併発表の3日前の2月23日、筆者は日本クレイ社の正田秀明氏と偶然会い、Starfire複数台を高速ネットワークで結合したシステムの話を聞き、近いうちに技術者と伺いますとのことであったが、夢と消えてしまった。
この買収によりSGI社はSHMEMの権利を取得し、SGIのmessage passing toolkitに統合した。
2) Cray Research社(T3E)
同社は1995年に300 MHzのDEC Alpha 21164 RISC processorを搭載したCray T3E-600を発表した。買収処理の途中であったが、3月末にはT3E (512 processors)をPittsburgh Supercomputer Centerに設置し4月には稼動した。8月には正式に引き渡し、披露式典が開かれた。また月は不明であるが、ドイツJülich研究所にもIDRIS(フランス)にもCray T3E(512 processors)を設置した。
1996年には、450 MHzの21164A processorを搭載したT3E-900を発表した。ノード当たりピーク性能900 MFlopsで、ノード数は6~2048である。1997年11月のTop500より、主要なT3E-900を示す。
設置場所 |
プロセッサ数 |
Rmax |
Rpeak |
初出とランク |
米国政府某所 |
1248 |
634.00 |
1123.20 |
1997年11月2位 |
英国気象庁 |
840 |
430.30 |
756.00 |
1997年11月3位 |
NERSC(米) |
512 |
264.80 |
460.80 |
1997年11月5位 |
ERDC DSRC(米陸軍) |
312 |
166.28 |
280.80 |
1977年11月15位 |
FZJ(独) |
256 |
138.70 |
230.40 |
1997年11月19位tie |
Minnesota Suercomputing C. |
256 |
138.70 |
230.40 |
1997年6月13位tie |
Naval Oceanographic Office |
256 |
138.70 |
230.40 |
1997年6月13位tie |
Edinburgh大学(英) |
256 |
138.70 |
230.40 |
1997年11月19位tie |
Konrad Zuse-Zentrum fuer Informationstechnik(独) |
152 |
82.30 |
136.80 |
1997年11月39位 |
1997年には、さらに高速な600 MHzの21164A processorを搭載したノード当たりピーク性能1200 MFlopsの T3E-1200が導入される。
3) Cray Research社(T90とJ90の増強版)
1996年5月、Cray Research社はT90およびJ90の増強版を発表した (HPCwire 1996/5/10)。一つはT90のメモリの改良である。CMO3と呼ばれる新メモリにより、T90はメモリバンド幅が3.5倍となり、全体としてのシステムの性能が40%増強される。もう一つは、T90プロセッサの選択肢としてIEEE浮動小数点数標準をサポートすることである。また、J90システムとしては、新しいJ90seノードを発表した。これは、スカラー性能が倍増されている。この新ノードは、従来のノードと自由に組み合わせることができる。
さらに、T90およびJ90はCray社のGigaRingをサポートする。GigaRingは、1995年11月、T3Eシステムのための、I/Oおよびネットワーク技術であるが、これをT90やJ90にも結合することができる。
4) Silicon Graphics社(Origin 2000)
SGI社は10月7日、Origin 2000を発表した。Cray Researchの買収終了の直後であった。SGI ChallengeやPOWER Challengeの後継機であるが、対称マルチプロセッサではなく、cc-NUMA (cache coherent Non-Uniform Memory Access)アーキテクチャであり、論理的には共有メモリであるが、メモリによってアクセス時間が異なっていた。CPUはMIPSのR10000(1996年1月発売、当初のクロック180 MHz)で、ノード当たり1個または2個搭載していた。写真は、Origin 2000とグラフィックス機能を強化したOnyx2 (Wikipediaより)。販売された最大のOrigin 2000は128個のCPUを搭載していた。512個のCPUを搭載したシステムは3モデルあったが一般には販売されなかった。最大のシステムはLANLのASCI Blue Mountainで、128個のCPUを持つシステムをHIPPIにより48台結合したものである。
1999年11月のTop500のリストには、ASCIを別にして65台のOrigin 2000(クロックを上げたものも含む)が掲載されている。主なものは以下の通り。
設置場所 |
clock |
コア数 |
Rmax |
Rpeak |
初出と順位 |
NCSA |
195/250 |
1024 |
264.90 |
327.90 |
1999年6月27位 |
NASA Ames |
300 |
512 |
195.60 |
307.20 |
1999年11月51位 |
Air Force Research Laboratory |
195 |
512 |
152.00 |
199.68 |
1999年11月60位 |
Centre Informatique National (CINES)(France) |
300 |
256 |
101.40 |
153.60 |
1999年11年98位tie |
東北大学流体科学研究所 |
300 |
256 |
101.40 |
153.60 |
1999年11年98位tie |
NASA Ames |
250 |
256 |
101.40 |
128.00 |
1998年11年54位tie |
SNL |
198 |
208 |
63.10 |
81.12 |
1999年6月98位 |
256コアのマシンで、250 MHzと300 MHzが同じRmaxなのはおかしい。CINESのOriginは、2001年6月からはRmax=121.00に上昇している。
前項で述べたように、1996年5月には、SGIとCray Researchの両社は、2000年を目途に、MIPSチップに基づく、ユニフォームでスケーラブルなSMP製品に統一していくという記者発表を行った。しかし現実は別の方向に向かった。早くも10月には、SGI/CrayがSMPを棄て、スケーラブルなNUMAを採用する方向であるとの観測記事が出ている(HPCwire 1996/10/11)。
5) Sun Microsystems社(Ultra Enterprise、Java)
Cray ResearchのSGIによる合併が発表されて間もなくの4月23日に、Sun Microsystems社はUltra Enterprise X000 (3000, 4000, 5000, 6000)シリーズを発表した。最大の6000では30個のUltraSPARCプロセッサを接続できる。上に述べたように、Cray Business Systems部門をSGIから買収し、開発されていたStarfireを最上位機種Enterprise 10000と位置づけた。
Sun Microsystems社は1991年ごろからJavaを開発していたが、1995年5月にアルファ版が社内公開され、5月23日のSunワールドカンファレンスで、JavaランタイムとHotJavaブラウザが社外初披露された。1996年1月9日に同社は、正式にJavaソフトウェア部門を立ち上げた。
6) IBM社(Deep Blue、PowerPC 604e、X704)
IBM社は1989年からチェス専用コンピュータ”Deep Blue”を開発してきた。これは30プロセッサのRS/6000 SP Thin P2SCシステムに、特別に開発したチェス専用のチップを480個付加したものである。写真はWikipediaから。1996年2月10日にチェスチャンピオンのGarry Kasparovと初対戦し初戦ではDeep Blueが勝利したが、結局Kasparovが3勝1敗2引き分けで勝利した。翌1997年にも対戦し、結果は1勝2敗3引き分けでDeep Blueが僅差で勝利した。
CPUでは1996年7月にPowerPC 604eを発売した。これは32 KBの L1キャッシュを命令とデータにそれぞれ用意し、分岐予測を導入した。これにより604に比べて25%の性能向上を実現した。0.35μmプロセスで製造され、スピードは166~233 MHzで、233 MHzでは16-18Wを消費した。1997年8月に導入されるPowerPC 604ev, 604r, “Mach 5”は、0.25μmプロセスにより250~400 MHzで動作する。
1996年7月23日、PowerPC 604ベースのIBM Scalable POWERparallel (SP)が発売された。
1996年10月、Appleが出資していたExponential Technology社が、BiCMOS技術により500 MHzの高速なPowerPCであるX704を1997年初期に出荷すると発表した(HPCwier 1996/10/4)。これを搭載した次期Power Macintoshプロトタイプが展示会でAppleによって公開されたが、高価なうえ消費電力が大きく、特別な冷却装置が必要であった。1997年5月、安価なPowerPC 750やPowerPC 604evとの性能差がないとして、Power Macintoshへの採用が中止されたため、X704は量産化されずに終わることになる(Wikipedia)。
7) Sequent Computer Systems社(Chen Systems社を買収、NUMA-Q)
6月、Sequent Computer Systems社はChen Systems社を買収した。また、これまでのSMP (Symmetric Multiprocessor)の路線を離れて、cc-NUMAアーキテクチャに基づくNUMA-Qを開発した。IntelのPentium Proプロセッサと高速接続網IQ-Linkを用いる。Netscape社は大容量のweb serverとしてSequent社の技術に目を付けたと報じられている。
なお、1999年9月にIBMに買収され、名前が消える。
8) Hewlett-Packard社(PA-RISC 2.0、PA-8000、Exemplar)
1996年1月、Hewlett-Packard社は、64ビットの命令セットアーキテクチャPA-RISC 2.0を発表した。この版からmultiply-add混合命令や、MAX-2 SIMD拡張が導入された。このアーキテクチャの最初のCPUとして、1月にPA-8000が出荷された。
10月、PA-8000を搭載した2種類のcc-NUMA並列コンピュータを発売した。HP Exemplar S-Classはクロスバスイッチで結合したSMPサーバで最大16 CPUまで搭載でき、ピーク性能は11.5 GFlopsである。HP Exemplar X-Classは最大64 CPUまで搭載でき、ピーク性能は46 GFlopsである。1997年11月のTop500リストによると、X-Classの設置機関は以下の通り。128 CPUまで搭載できる。64CPUのマシンについて、1997年6月のRmaxは32CPUの値を流用しており、11月には約倍に訂正されている。6月から27.56 GFlopsを出していれば93位tieにランクされていたはずである。
組織 |
CPU数 |
Rmax |
Rpeak |
初出と順位 |
Caltech/JPL |
128 |
51.30 |
92.16 |
1997年11月63位 tie |
Hewlett-Packard CXTC |
128 |
51.30 |
92.16 |
1997年11月63位 tie |
Naval Research Laboratory(米) |
64 |
15.01 27.56 |
46.08 |
1997年6月173位tie 1997年11月107位 tie |
NCSA |
64 |
15.01 27.56 |
46.08 |
1997年6月173位tie 1997年11月107位 tie |
HTC(ドイツ) |
64 |
15.01 27.56 |
46.08 |
1997年6月173位tie 1997年11月107位 tie |
Caltech/JPL(2台) |
64 |
15.01 27.56 |
46.08 |
1997年6月173位tie 1997年11月107位 tie |
Mainz大学(ドイツ) |
48 |
22.31 |
34.56 |
1997年11月141位tie |
Leipzig大学(ドイツ) |
48 |
22.31 |
34.56 |
1997年11月141位 tie |
東北大学 |
48 |
22.31 |
34.56 |
1997年11月141位 tie |
Arnold Engineering Development Center(米) |
48 |
22.31 |
34.56 |
1997年11月141位 tie |
これ以下では、32 CPU(Rmax=15.01、257位tie)が10機関(日本では立命館大学、東京大学、京都大学基礎物理学研究所など)、24 CPU(Rmax=11.76、362位 tie)が5機関(シャープ社など)である。
9) Tera Computer社
1987年に創立されたTera Computer社は、1993年からSCの企業展示に出典してきたが、MTA (Multi-threaded Architecture)の製品はなかなか完成しなかった。1995年にはGaAsのCPUとスイッチのチップを展示したので、完成も近いと思われた。1996年11月、UCSD (the University of California, San Diego)は、NSFから$4.2M、カリフォルニア州からも研究資金を得てMTAをSDSC (the San Diego Supercomputer Center)に設置し、性能検証を行うことになった。発表の時点では、プロトタイプが同社のSeattleの工場で動いており、一号機MTA-1を1997年の早い時期にUCSD/SDSCに設置する予定である。写真はSDSCのMTA-1(SDSCのTwitterから)。
MTAのプロセッサはキャッシュを持たず、サイクルごとにスレッドを切り替えてコア当たり128までの複数のスレッドを同時実行し、メモリレイテンシを隠蔽する。
関口智嗣の情報によると、SC96の直前、11月11日~14日にColorado Convention Center (Denver)で、Society of Exploration Geophysicists(米国物理探査学会)という学会があり、計算機ベンダも多数出展していた。IBM、Sun Microsystems、Hewlett-Packardなどのアメリカ企業、富士通や日本電気のような日本企業に加えて、Tera Computer社もブースを設置し、「いやぁ、動いたんですよ」と嬉しそうに話していたとのことである。創立以来、10年近く経過していて、製品も出さずよく潰れなかったものである。そこがBurtonの魔力であろうか。
10) MIPS Technologies社(R10000)
1996年1月、SGIの子会社となっていたMIPS Technologies社はR10000を発売した。製造は日本電気と東芝。1月には175 MHz版と195 MHz版を製造し、1997年には150 MHz版が登場する。1997年には0.25μmプロセスによる250 MHz版を発売した。R10000は4-way superscalarでregister-renamingとout-of-order実行を可能にしている。写真はNEC VR10000(Wikipediaから)。
1996年9月25日、SGIは日本電気が3月から7月の間に製造したR10000には欠陥があり、電流が流れすぎることがあると発表、10000個のチップを回収した。
11) Intel社(Paragon終了、Pentium Pro、Windows NT)
同社はプロセッサi860を用いたParagonを製造してきたが、1996年3月、Intel社はこの路線を終了すると発表した。”Paragone” (Paragon is gone!)と皮肉を言われた。次世代マシン(とくにASCI Redの技術によるもの)が予想されたが、Intel社は別会社で開発する方針を示唆した。
Pentium Proは発表されていたが、P5アーキテクチャに基づくPentiumの開発も進められた。1996年1月4日には、0.35μmプロセスによる150 MHzと166 MHzのPentium、6月10日には200 MHzのPentiumが発売された。
EPIC(IA64)については、Microsoft社とIntel社は共同して、MercedのためのWindows NTを開発していることが1996年9月に公表された。
12) Digital Equipment社(Alpha21264)
同社は10月、第2世代のAlpha21264(コード名EV6)を発表した。クロック500 MHz~750 MHz、L1は命令・データ各64KB (2-way)、L2は統合で2 MB~8 MB (direct map)、4命令同時発行、最大6命令同時実行、TLBは命令・データ各128 (full set associative)でページサイズは最大4 MBまで設定可能。 ピークではあるが、チップ当たり1 GFlopsの時代に入った。
同社は高い演算性能により高度なグラフィックの分野にも進出し、SGI社が得意としてきた分野に狙いを定めた。
13) Microsoft(Windows NT 4.0)
Microsoft社は、1996年9月3日にWindows NT 4.0英語版を発売した。日本語版は12月10日。
14) Portland Group社
このころThe Portland Group社 (PGI)は、x86用のコンパイラをASCI Redのために開発した。翌1997年には一般のLinuxシステムのためのx86コンパイラを発売する。
1996年3月7日、Cray Research社とThe Portland Group社は、Cray社のシステムのためのHPFコンパイラpghpfを共同で開発しており、最終段階に到達したと発表した。とくに、プラットフォーム間のポータビリティを重視し、Crayの共有メモリのシステムでも、T3DやT3Eのような分散メモリのシステムでも動くプログラムをサポートする。またPGIはCray社のCRAFTプログラミングモデルの機能をコンパイラに導入するとともに、その機能を増強する。
15) Thinking Machines社
1995年のところに書いたように、TMC社は、1995年12月に連邦破産裁判所に再建計画書を提出した。2月中旬に、この計画が認められ、破産法11章の保護から脱却し、コモディティクラスタやかつての競争相手の並列コンピュータための並列ソフトウェアやデータマイニングの会社として再登場した。同社の社長兼CEOのRobert L. Dorettiは、こう述べている。「「かつて世界最速のコンピュータを作ったこの会社は、成長を維持するに十分でなかった」と市場は大声で叫んでいた。(しかし、ちゃんと立ち上がったぞ)」
しかし、並列ソフトウェア部門は1996年12月にSun Microsystems社に買収され、残ったデータマイニングの会社も、1999年にOracle社に買収される。
16) HPCwire
これまではメールベースでニュースを有償配信していたHPCwireは、今後webで配信する計画であることを明らかにした。その第1弾として1996年5月の初めの2週間に限ってHPCwireのニュースを無償で解放した。
ヨーロッパでの企業
1) 富士通
富士通は、1996年10月、London郊外のStockley Park, Uxbridgeに、FECIT (the Fujitsu European Centre for Information Technology)を設置した。$2Mを投資して、並列処理に関連した技術開発を行う。特に、Readingにある (the European Centre for Medium Range Weather Forecasts)には富士通のスーパーコンピュータが設置されており、密接な共同研究を行う。(HPCwire 1996/10/25)FECITは2002年までにFujitsu Laboratories of Europeに改組される(時期要確認)。
企業の創立
1) SRC Computers社
これまで超並列コンピュータに否定的だったSeymour Crayは、1996年8月SRC Computers社を設立し、5人の従業員を雇って彼自身の超並列コンピュータの設計を始めた。SRCはかれのフルネームSeymour Roger Crayのイニシャルである。すでに70歳であった。かれはこう言っている、「われわれはコンピュータを作ろうとしているが、どんなものをいかに作るかは誰もわからない。これからよく相談すれば、プランができるだろう。」
その矢先、9月22日(日)午後、コロラドのInterstate 25で1995年型Cherokeeジープに乗って1人で走行中別の車に衝突され、3回転して大破した。3台の自動車で10人が移動しているところであったが、他にけが人はいなかった。Seymourは重傷でPenrose病院のICUに担ぎ込まれたが、意識が戻ることはなかった。71歳の誕生日(9月28日)を病床で迎え、10月5日午前2時53分息を引き取った。写真はIEEE/CSから。
なお、SRC Computers, LLCは、動的リコンフィギュラブルの分野で現在でも活動している。
2) Dawning Information Industry
曙光信息産業有限公司(Dawning Information Industry)は、1996年、中国科学院コンピュータ技術研究所からのスピンオフとして設立された。すでに述べたように、同研究所は1993年に曙光一号を、1995年に曙光二号(Dawning 1000)を開発している。
曙光はピンインではShuguangであるが、Sugonというロゴを用いている。
3) ヤフー株式会社
1996年1月11日、アメリカ法人のYahoo!とソフトバンクとの合弁により、ヤフー株式会社が設立された。4月1日から国内初のポータルサイトYahoo! Japanがサービスを開始した。
企業の終焉
1) MasPar社
MasPar社は3年にわたってMP-3の開発を続け、あと6ヶ月で完成するところであったが、1996年2月に開発を中断することを発表した。完成すればMP-2の5倍の性能を出すはずであった。人員の50%に当たる40名をレイオフし、MP-1/MP-2の保守を続ける他はソフトウェアビジネスに方針転換した。6月、Hewlett-Packard、Informix、Perot Systemsの支援の下、NeoVista Software, Inc.というデータマイニングと意志決定のソフトウェア会社に変身した。余談であるが、このPerot SystemsのRoss Perot社長は1992年と1996年の米国大統領選挙に無所属で出馬したことで有名である。
2) nCUBE社
1996年、大株主Ellisonは nCUBE を縮小(上場廃止)させ、CEO代行に就任してオラクル社のネットワークコンピュータ部門に編入した。その後、nCUBE社は完全にストリーミング配信サーバのメーカとなる。
3) Chen Systems社
1995年、SCI (Supercomputer International)はChen Systemsと社名変更したが、1996年6月Sequent Computer Systems社に買収され、Steve ChenはSequent社のCTOとなった。
4) Weitek社
1981年創立したWeitek社は、各社のCPUがFPUを含めて設計されるようになるとFPUチップは売れなくなった。1995年には倒産寸前となり、1996年Rockwell社の半導体部門に買収され、その名前は消えた。
5) Meiko Scientific社
1985年に設立されたイギリスのMeiko Scientific社は、Transputer CPUを用いてMeiko Computing Serfaceを発売し、1993年にはMeiko CS-2を発売した。Meiko Scientific社は、1996年、Alenia Spazi社とMeiko Scientific社との合弁会社としてQuadrics Supercomputer World社をブリストルとローマで設立し、Meiko Scientific社の技術者はQuadrics社に移転した。Quadrics社は、その後、ハイエンドの並列コンピュータの相互接続網で有名になった。Quadrics社はCray/SGIのSHMEMにならい、QSnet相互接続網の最適化されたAPIであるQCHMEMを開発した。
6) BIT社
1983年創業のBIT (Bipolar Integrated Tchnology)社は、CMOS技術の進歩に押されて、通信分野に活路を見出そうとしたが、1996年、ファブレス半導体メーカのPMC-Sierra社に$10Mで買収された。
7) NeXT Software社
1985年にSteve Jobsによって創業されたNeXT社の流れをくむNeXT Software, Inc.は、1996年、Apple社に$429Mで買収された。1997年、Steve JobsはコンサルタントとしてAppleに復帰し、1997年7月4日には暫定CEO、2000年には正式なCEOとなる。Steve Jobsは古巣に戻ったことになる。
1997年、日本では情報科学技術部会が、アメリカではPITACが設置される。地球シミュレータの開発もいよいよ本格化する。