世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


6月 5, 2023

新HPCの歩み(第142回)-1996年(h)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Cray Research社はT90、T3Eを発売するなど順調に見えたが、SGIに買収された。IBM社はチェス専用コンピュータDeep Blueを製造し、Kasparovに挑戦した。MasPar、nCUBE、Chen Systems、Weitek、Meikoなどかつてのビッグネームがまた終焉を迎える。

アメリカの企業の動き

1) Cray Research社(SGI社に買収)
前年1995年、Cray Research社はベクトルではT90を、超並列ではT3Eを発表し、順風満帆と思われた。実際、1995年の最終四半期には黒字に転じ、年末には$437Mもの注文残があった。

1996年2月26日(アメリカ東部時間)に突然発表があり、SGIとの間に合併の合意ができ、Cray Researchの株式の19,218,735株(75%)を$576M(すなわち、1株$30)で買収するとのことであった。残りの株はSGIの株と一対一で交換される。順風満帆のうちに売り払うのがアメリカ流か。ただし、日本クレイ株式会社の堀義和社長からのメッセージでは、「今回の発表は友好的公開買い付けの開始宣言でもあり、その実現は100%保証されているものではありません。」とあった。この直前、2月6日、Cray Research社は、Chippewa Fallsのプリント基板工場をロンドンに本社を置くJohnson Matthey Plc.に$40Mで売却し、350人の従業員も同社に移るという報道(CNN Financial News (February 6, 1996))があった。ただし今後もCray Research社のためのプリント基板の製造は継続する、これは経費節減のためである、とのことであった。このニュースを見た時ちょっと不思議な感じがしたが、まさか20日後にSGIに吸収されるとは思わなかった。前準備だったのだろうか?

SGIの会長CEOであるEdward R. McCrackenは、「両社の組み合わせにより世界をリードするHPCの会社を創造するであろう」と強気の発言を行った。合併後は$4B近い売り上げの大企業になるという触れ込みであった。計画としては、2000年ごろまでにプロセッサをMIPSに統一し、uniformでスケーラブルなSMPを開発すると発表した。多くの技術的・経営的な困難を指摘する議論があった。

同日のニュースグループcomp.sys.superには、早速次のような記事が載っていた。

「[Crayという]名前はしばらく残るだろうが、そのうちに忘れ去られる。SGIが大きなベクトル機を製造するなんて信じられない。まあ、J90やその後継には未来があるかも知れないが。多分、T3Eは“ゆりかご”の中で絞め殺され、メモリや相互接続の技術はMIPSの箱に合わせられるだろう。

 アメリカのスーパーコンピュータ産業はうまくいっている間はおもしろかった。しかし“うたげは終わった(The party’s over.)”この状況に慣れるしかない。」(Stephen O. Gombosi)

 

でも幸い宴は終わらなかったようだ。買収が完了したのは7月である。その後、Sun Microsystems社は、Cray Business Systems部門をSGIから買収した(意向表明は5月)。Cray Business Systems部門は、FPS社の遺産を継承したCS6400を製造販売していた。当時Starfireのコード名で開発中の後継機はSun Enterprise 10000となった。T3Eの後継として、MIPSのR10000を用いたT3Fが出るなどの噂もあったが、実現しなかった。合併発表の3日前の2月23日、筆者は日本クレイ社の正田秀明氏と偶然会い、Starfire複数台を高速ネットワークで結合したシステムの話を聞き、近いうちに技術者と伺いますとのことであったが、夢と消えてしまった。

この買収によりSGI社はSHMEMの権利を取得し、SGIのmessage passing toolkitに統合した。

2) Cray Research社(T3E)
同社は1995年に300 MHzのDEC Alpha 21164 RISC processorを搭載したCray T3E-600を発表した。買収処理の途中であったが、3月末にはT3E (512 processors)をPittsburgh Supercomputer Centerに設置し4月には稼動した。8月には正式に引き渡し、披露式典が開かれた。また月は不明であるが、ドイツJülich研究所にもIDRIS(フランス)にもCray T3E(512 processors)を設置した。

1996年には、450 MHzの21164A processorを搭載したT3E-900を発表した。ノード当たりピーク性能900 MFlopsで、ノード数は6~2048である。1997年11月のTop500より、主要なT3E-900を示す。

設置場所

プロセッサ数

Rmax

Rpeak

初出とランク

米国政府某所

1248

634.00

1123.20

1997年11月2位

英国気象庁

840

430.30

756.00

1997年11月3位

NERSC(米)

512

264.80

460.80

1997年11月5位

ERDC DSRC(米陸軍)

312

166.28

280.80

1977年11月15位

FZJ(独)

256

138.70

230.40

1997年11月19位tie

Minnesota Suercomputing C.

256

138.70

230.40

1997年6月13位tie

Naval Oceanographic Office

256

138.70

230.40

1997年6月13位tie

Edinburgh大学(英)

256

138.70

230.40

1997年11月19位tie

Konrad Zuse-Zentrum fuer Informationstechnik(独)

152

82.30

136.80

1997年11月39位

 

1997年には、さらに高速な600 MHzの21164A processorを搭載したノード当たりピーク性能1200 MFlopsの T3E-1200が導入される。

3) Cray Research社(T90とJ90の増強版)
1996年5月、Cray Research社はT90およびJ90の増強版を発表した (HPCwire 1996/5/10)。一つはT90のメモリの改良である。CMO3と呼ばれる新メモリにより、T90はメモリバンド幅が3.5倍となり、全体としてのシステムの性能が40%増強される。もう一つは、T90プロセッサの選択肢としてIEEE浮動小数点数標準をサポートすることである。また、J90システムとしては、新しいJ90seノードを発表した。これは、スカラー性能が倍増されている。この新ノードは、従来のノードと自由に組み合わせることができる。

さらに、T90およびJ90はCray社のGigaRingをサポートする。GigaRingは、1995年11月、T3Eシステムのための、I/Oおよびネットワーク技術であるが、これをT90やJ90にも結合することができる。

 
   

4) Silicon Graphics社(Origin 2000)
SGI社は10月7日、Origin 2000を発表した。Cray Researchの買収終了の直後であった。SGI ChallengeやPOWER Challengeの後継機であるが、対称マルチプロセッサではなく、cc-NUMA (cache coherent Non-Uniform Memory Access)アーキテクチャであり、論理的には共有メモリであるが、メモリによってアクセス時間が異なっていた。CPUはMIPSのR10000(1996年1月発売、当初のクロック180 MHz)で、ノード当たり1個または2個搭載していた。写真は、Origin 2000とグラフィックス機能を強化したOnyx2 (Wikipediaより)。販売された最大のOrigin 2000は128個のCPUを搭載していた。512個のCPUを搭載したシステムは3モデルあったが一般には販売されなかった。最大のシステムはLANLのASCI Blue Mountainで、128個のCPUを持つシステムをHIPPIにより48台結合したものである。

1999年11月のTop500のリストには、ASCIを別にして65台のOrigin 2000(クロックを上げたものも含む)が掲載されている。主なものは以下の通り。

設置場所

clock

コア数

Rmax

Rpeak

初出と順位

NCSA

195/250

1024

264.90

327.90

1999年6月27位

NASA Ames

300

512

195.60

307.20

1999年11月51位

Air Force Research Laboratory

195

512

152.00

199.68

1999年11月60位

Centre Informatique National (CINES)(France)

300

256

101.40

153.60

1999年11年98位tie

東北大学流体科学研究所

300

256

101.40

153.60

1999年11年98位tie

NASA Ames

250

256

101.40

128.00

1998年11年54位tie

SNL

198

208

63.10

81.12

1999年6月98位

 

256コアのマシンで、250 MHzと300 MHzが同じRmaxなのはおかしい。CINESのOriginは、2001年6月からはRmax=121.00に上昇している。

前項で述べたように、1996年5月には、SGIとCray Researchの両社は、2000年を目途に、MIPSチップに基づく、ユニフォームでスケーラブルなSMP製品に統一していくという記者発表を行った。しかし現実は別の方向に向かった。早くも10月には、SGI/CrayがSMPを棄て、スケーラブルなNUMAを採用する方向であるとの観測記事が出ている(HPCwire 1996/10/11)。

5) Sun Microsystems社(Ultra Enterprise、Java)
Cray ResearchのSGIによる合併が発表されて間もなくの4月23日に、Sun Microsystems社はUltra Enterprise X000 (3000, 4000, 5000, 6000)シリーズを発表した。最大の6000では30個のUltraSPARCプロセッサを接続できる。上に述べたように、Cray Business Systems部門をSGIから買収し、開発されていたStarfireを最上位機種Enterprise 10000と位置づけた。

Sun Microsystems社は1991年ごろからJavaを開発していたが、1995年5月にアルファ版が社内公開され、5月23日のSunワールドカンファレンスで、JavaランタイムとHotJavaブラウザが社外初披露された。1996年1月9日に同社は、正式にJavaソフトウェア部門を立ち上げた。

 
   

6) IBM社(Deep Blue、PowerPC 604e、X704)
IBM社は1989年からチェス専用コンピュータ”Deep Blue”を開発してきた。これは30プロセッサのRS/6000 SP Thin P2SCシステムに、特別に開発したチェス専用のチップを480個付加したものである。写真はWikipediaから。1996年2月10日にチェスチャンピオンのGarry Kasparovと初対戦し初戦ではDeep Blueが勝利したが、結局Kasparovが3勝1敗2引き分けで勝利した。翌1997年にも対戦し、結果は1勝2敗3引き分けでDeep Blueが僅差で勝利した。

CPUでは1996年7月にPowerPC 604eを発売した。これは32 KBの L1キャッシュを命令とデータにそれぞれ用意し、分岐予測を導入した。これにより604に比べて25%の性能向上を実現した。0.35μmプロセスで製造され、スピードは166~233 MHzで、233 MHzでは16-18Wを消費した。1997年8月に導入されるPowerPC 604ev, 604r, “Mach 5”は、0.25μmプロセスにより250~400 MHzで動作する。

1996年7月23日、PowerPC 604ベースのIBM Scalable POWERparallel (SP)が発売された。

1996年10月、Appleが出資していたExponential Technology社が、BiCMOS技術により500 MHzの高速なPowerPCであるX704を1997年初期に出荷すると発表した(HPCwier 1996/10/4)。これを搭載した次期Power Macintoshプロトタイプが展示会でAppleによって公開されたが、高価なうえ消費電力が大きく、特別な冷却装置が必要であった。1997年5月、安価なPowerPC 750やPowerPC 604evとの性能差がないとして、Power Macintoshへの採用が中止されたため、X704は量産化されずに終わることになる(Wikipedia)。

7) Sequent Computer Systems社(Chen Systems社を買収、NUMA-Q)
6月、Sequent Computer Systems社はChen Systems社を買収した。また、これまでのSMP (Symmetric Multiprocessor)の路線を離れて、cc-NUMAアーキテクチャに基づくNUMA-Qを開発した。IntelのPentium Proプロセッサと高速接続網IQ-Linkを用いる。Netscape社は大容量のweb serverとしてSequent社の技術に目を付けたと報じられている。

なお、1999年9月にIBMに買収され、名前が消える。

8) Hewlett-Packard社(PA-RISC 2.0、PA-8000、Exemplar)
1996年1月、Hewlett-Packard社は、64ビットの命令セットアーキテクチャPA-RISC 2.0を発表した。この版からmultiply-add混合命令や、MAX-2 SIMD拡張が導入された。このアーキテクチャの最初のCPUとして、1月にPA-8000が出荷された。

10月、PA-8000を搭載した2種類のcc-NUMA並列コンピュータを発売した。HP Exemplar S-Classはクロスバスイッチで結合したSMPサーバで最大16 CPUまで搭載でき、ピーク性能は11.5 GFlopsである。HP Exemplar X-Classは最大64 CPUまで搭載でき、ピーク性能は46 GFlopsである。1997年11月のTop500リストによると、X-Classの設置機関は以下の通り。128 CPUまで搭載できる。64CPUのマシンについて、1997年6月のRmaxは32CPUの値を流用しており、11月には約倍に訂正されている。6月から27.56 GFlopsを出していれば93位tieにランクされていたはずである。

組織

CPU数

Rmax

Rpeak

初出と順位

Caltech/JPL

128

51.30

92.16

1997年11月63位 tie

Hewlett-Packard CXTC

128

51.30

92.16

1997年11月63位 tie

Naval Research Laboratory(米)

64

15.01

27.56

46.08

1997年6月173位tie

1997年11月107位 tie

NCSA

64

15.01

27.56

46.08

1997年6月173位tie

1997年11月107位 tie

HTC(ドイツ)

64

15.01

27.56

46.08

1997年6月173位tie

1997年11月107位 tie

Caltech/JPL(2台)

64

15.01

27.56

46.08

1997年6月173位tie

1997年11月107位 tie

Mainz大学(ドイツ)

48

22.31

34.56

1997年11月141位tie

Leipzig大学(ドイツ)

48

22.31

34.56

1997年11月141位 tie

東北大学

48

22.31

34.56

1997年11月141位 tie

Arnold Engineering Development Center(米)

48

22.31

34.56

1997年11月141位 tie

 

これ以下では、32 CPU(Rmax=15.01、257位tie)が10機関(日本では立命館大学、東京大学、京都大学基礎物理学研究所など)、24 CPU(Rmax=11.76、362位 tie)が5機関(シャープ社など)である。

 
   

9) Tera Computer社
1987年に創立されたTera Computer社は、1993年からSCの企業展示に出典してきたが、MTA (Multi-threaded Architecture)の製品はなかなか完成しなかった。1995年にはGaAsのCPUとスイッチのチップを展示したので、完成も近いと思われた。1996年11月、UCSD (the University of California, San Diego)は、NSFから$4.2M、カリフォルニア州からも研究資金を得てMTAをSDSC (the San Diego Supercomputer Center)に設置し、性能検証を行うことになった。発表の時点では、プロトタイプが同社のSeattleの工場で動いており、一号機MTA-1を1997年の早い時期にUCSD/SDSCに設置する予定である。写真はSDSCのMTA-1(SDSCのTwitterから)。

MTAのプロセッサはキャッシュを持たず、サイクルごとにスレッドを切り替えてコア当たり128までの複数のスレッドを同時実行し、メモリレイテンシを隠蔽する。

関口智嗣の情報によると、SC96の直前、11月11日~14日にColorado Convention Center (Denver)で、Society of Exploration Geophysicists(米国物理探査学会)という学会があり、計算機ベンダも多数出展していた。IBM、Sun Microsystems、Hewlett-Packardなどのアメリカ企業、富士通や日本電気のような日本企業に加えて、Tera Computer社もブースを設置し、「いやぁ、動いたんですよ」と嬉しそうに話していたとのことである。創立以来、10年近く経過していて、製品も出さずよく潰れなかったものである。そこがBurtonの魔力であろうか。

 
   

10) MIPS Technologies社(R10000)
1996年1月、SGIの子会社となっていたMIPS Technologies社はR10000を発売した。製造は日本電気と東芝。1月には175 MHz版と195 MHz版を製造し、1997年には150 MHz版が登場する。1997年には0.25μmプロセスによる250 MHz版を発売した。R10000は4-way superscalarでregister-renamingとout-of-order実行を可能にしている。写真はNEC VR10000(Wikipediaから)。

1996年9月25日、SGIは日本電気が3月から7月の間に製造したR10000には欠陥があり、電流が流れすぎることがあると発表、10000個のチップを回収した。

11) Intel社(Paragon終了、Pentium Pro、Windows NT)
同社はプロセッサi860を用いたParagonを製造してきたが、1996年3月、Intel社はこの路線を終了すると発表した。”Paragone” (Paragon is gone!)と皮肉を言われた。次世代マシン(とくにASCI Redの技術によるもの)が予想されたが、Intel社は別会社で開発する方針を示唆した。

Pentium Proは発表されていたが、P5アーキテクチャに基づくPentiumの開発も進められた。1996年1月4日には、0.35μmプロセスによる150 MHzと166 MHzのPentium、6月10日には200 MHzのPentiumが発売された。

EPIC(IA64)については、Microsoft社とIntel社は共同して、MercedのためのWindows NTを開発していることが1996年9月に公表された。

12) Digital Equipment社(Alpha21264)
同社は10月、第2世代のAlpha21264(コード名EV6)を発表した。クロック500 MHz~750 MHz、L1は命令・データ各64KB (2-way)、L2は統合で2 MB~8 MB (direct map)、4命令同時発行、最大6命令同時実行、TLBは命令・データ各128 (full set associative)でページサイズは最大4 MBまで設定可能。 ピークではあるが、チップ当たり1 GFlopsの時代に入った。

同社は高い演算性能により高度なグラフィックの分野にも進出し、SGI社が得意としてきた分野に狙いを定めた。

13) Microsoft(Windows NT 4.0)
Microsoft社は、1996年9月3日にWindows NT 4.0英語版を発売した。日本語版は12月10日。

14) Portland Group社
このころThe Portland Group社 (PGI)は、x86用のコンパイラをASCI Redのために開発した。翌1997年には一般のLinuxシステムのためのx86コンパイラを発売する。

1996年3月7日、Cray Research社とThe Portland Group社は、Cray社のシステムのためのHPFコンパイラpghpfを共同で開発しており、最終段階に到達したと発表した。とくに、プラットフォーム間のポータビリティを重視し、Crayの共有メモリのシステムでも、T3DやT3Eのような分散メモリのシステムでも動くプログラムをサポートする。またPGIはCray社のCRAFTプログラミングモデルの機能をコンパイラに導入するとともに、その機能を増強する。

15) Thinking Machines社
1995年のところに書いたように、TMC社は、1995年12月に連邦破産裁判所に再建計画書を提出した。2月中旬に、この計画が認められ、破産法11章の保護から脱却し、コモディティクラスタやかつての競争相手の並列コンピュータための並列ソフトウェアやデータマイニングの会社として再登場した。同社の社長兼CEOのRobert L. Dorettiは、こう述べている。「「かつて世界最速のコンピュータを作ったこの会社は、成長を維持するに十分でなかった」と市場は大声で叫んでいた。(しかし、ちゃんと立ち上がったぞ)」

しかし、並列ソフトウェア部門は1996年12月にSun Microsystems社に買収され、残ったデータマイニングの会社も、1999年にOracle社に買収される。

16) HPCwire
これまではメールベースでニュースを有償配信していたHPCwireは、今後webで配信する計画であることを明らかにした。その第1弾として1996年5月の初めの2週間に限ってHPCwireのニュースを無償で解放した。

ヨーロッパでの企業

1) 富士通
富士通は、1996年10月、London郊外のStockley Park, Uxbridgeに、FECIT (the Fujitsu European Centre for Information Technology)を設置した。$2Mを投資して、並列処理に関連した技術開発を行う。特に、Readingにある (the European Centre for Medium Range Weather Forecasts)には富士通のスーパーコンピュータが設置されており、密接な共同研究を行う。(HPCwire 1996/10/25)FECITは2002年までにFujitsu Laboratories of Europeに改組される(時期要確認)。

企業の創立

 
   

1) SRC Computers社
これまで超並列コンピュータに否定的だったSeymour Crayは、1996年8月SRC Computers社を設立し、5人の従業員を雇って彼自身の超並列コンピュータの設計を始めた。SRCはかれのフルネームSeymour Roger Crayのイニシャルである。すでに70歳であった。かれはこう言っている、「われわれはコンピュータを作ろうとしているが、どんなものをいかに作るかは誰もわからない。これからよく相談すれば、プランができるだろう。」

その矢先、9月22日(日)午後、コロラドのInterstate 25で1995年型Cherokeeジープに乗って1人で走行中別の車に衝突され、3回転して大破した。3台の自動車で10人が移動しているところであったが、他にけが人はいなかった。Seymourは重傷でPenrose病院のICUに担ぎ込まれたが、意識が戻ることはなかった。71歳の誕生日(9月28日)を病床で迎え、10月5日午前2時53分息を引き取った。写真はIEEE/CSから。

なお、SRC Computers, LLCは、動的リコンフィギュラブルの分野で現在でも活動している

2) Dawning Information Industry
曙光信息産業有限公司(Dawning Information Industry)は、1996年、中国科学院コンピュータ技術研究所からのスピンオフとして設立された。すでに述べたように、同研究所は1993年に曙光一号を、1995年に曙光二号(Dawning 1000)を開発している。

曙光はピンインではShuguangであるが、Sugonというロゴを用いている。

3) ヤフー株式会社
1996年1月11日、アメリカ法人のYahoo!とソフトバンクとの合弁により、ヤフー株式会社が設立された。4月1日から国内初のポータルサイトYahoo! Japanがサービスを開始した。

企業の終焉

1) MasPar社
MasPar社は3年にわたってMP-3の開発を続け、あと6ヶ月で完成するところであったが、1996年2月に開発を中断することを発表した。完成すればMP-2の5倍の性能を出すはずであった。人員の50%に当たる40名をレイオフし、MP-1/MP-2の保守を続ける他はソフトウェアビジネスに方針転換した。6月、Hewlett-Packard、Informix、Perot Systemsの支援の下、NeoVista Software, Inc.というデータマイニングと意志決定のソフトウェア会社に変身した。余談であるが、このPerot SystemsのRoss Perot社長は1992年と1996年の米国大統領選挙に無所属で出馬したことで有名である。

2) nCUBE社
1996年、大株主Ellisonは nCUBE を縮小(上場廃止)させ、CEO代行に就任してオラクル社のネットワークコンピュータ部門に編入した。その後、nCUBE社は完全にストリーミング配信サーバのメーカとなる。

3) Chen Systems社
1995年、SCI (Supercomputer International)はChen Systemsと社名変更したが、1996年6月Sequent Computer Systems社に買収され、Steve ChenはSequent社のCTOとなった。

4) Weitek社
1981年創立したWeitek社は、各社のCPUがFPUを含めて設計されるようになるとFPUチップは売れなくなった。1995年には倒産寸前となり、1996年Rockwell社の半導体部門に買収され、その名前は消えた。

5) Meiko Scientific社
1985年に設立されたイギリスのMeiko Scientific社は、Transputer CPUを用いてMeiko Computing Serfaceを発売し、1993年にはMeiko CS-2を発売した。Meiko Scientific社は、1996年、Alenia Spazi社とMeiko Scientific社との合弁会社としてQuadrics Supercomputer World社をブリストルとローマで設立し、Meiko Scientific社の技術者はQuadrics社に移転した。Quadrics社は、その後、ハイエンドの並列コンピュータの相互接続網で有名になった。Quadrics社はCray/SGIのSHMEMにならい、QSnet相互接続網の最適化されたAPIであるQCHMEMを開発した。

6) BIT社
1983年創業のBIT (Bipolar Integrated Tchnology)社は、CMOS技術の進歩に押されて、通信分野に活路を見出そうとしたが、1996年、ファブレス半導体メーカのPMC-Sierra社に$10Mで買収された。

7) NeXT Software社
1985年にSteve Jobsによって創業されたNeXT社の流れをくむNeXT Software, Inc.は、1996年、Apple社に$429Mで買収された。1997年、Steve JobsはコンサルタントとしてAppleに復帰し、1997年7月4日には暫定CEO、2000年には正式なCEOとなる。Steve Jobsは古巣に戻ったことになる。

1997年、日本では情報科学技術部会が、アメリカではPITACが設置される。地球シミュレータの開発もいよいよ本格化する。

 

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