世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

4月 20, 2015

HPCの歩み50年(第36回)-1991年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Thinking Machines社はSIMDのCM-1/2とは全く異なるCM-5を発表した。これはTMCの発展の鍵か失敗の予兆か? CrayはMPPに参入するという動きを示す。Convex社も、Cray互換のベクトルコンピュータではなく、RISCを用いた超並列コンピュータに参入すると報道された。KSR1も発表される。

世界の企業の動き

1) Thinking Machines社
10月29日、CM-5が発表された。東京でも発表会があり、筆者は行けなかったが手元には12月に入手したTechnical Summary(10月付け)がある。SIMDからMIMDに変わり、ネットワークもfat treeになった。Fat treeはCharles E. Leiserson (MIT/TMC)が考案したもので、CM-5が最初の大規模な適用であった。これとは別に制御用の完全二分木ネットワークをもち、放送、同期、reductionの機能がある。ノードは、SPARC CPUの下に4個のvector unit(自主開発)があり、それぞれに8 MBのメモリがぶら下がっている。Vectorの代わりにmemory controllerを置く選択もある。Vector unitは独立した命令decoderと64語(64 bits)のレジスタファイルを持つ。メッセージパシングインタフェースとしては、CMMDというライブラリが用意されている。8192ノードのマシンを作れば1 TFlopsが実現すると豪語していた。1号機(32 nodes)は1993年4月にNCARに納入された。

筆者の第一印象は、こんなマシンを作ってTMCは大丈夫だろうか、という心配であった。Vector 1台は32 MFlopsでメモリバンド幅は128 MB/s、つまりB/F=4 で十分なように見えるが、メモリが4分割されているのでプログラミングの複雑さは想像を絶する。1992年9月に格子ゲージの計算で97 MFlops(ピークの75%、ただし単精度)を出したというアセンブリ・プログラムを入手し、どうにか解読したが、リストベクトルでスカラを指定するなど、かなりの技巧を使っていた。

1993年6月の第1回のTop500のリストでは、1位から4位までをCM-5が占めた。1位はLANLのCM-5/1024で、Rmax=59.7 GFlops、RPeak=131 GFlops(ピーク比45.6 %)である。ちなみに5位、6位はSX-3であった。

月は不明であるが、CM-2の改良版であるCM-200を出荷した。2kから64kまでのノード構成が可能で、最高ピーク性能は40 GFlops。

少し前になるが、日経産業1989年12月の記事によると、1989年頃DARPAはTMCと、既存のスーパーコンピュータの500倍の性能の超スーパーコンピュータを開発するという契約を結び、90年半ばに開発を完了し、92年にモデル機を納入するという内容であった。おそらく、CM-5のことであろう。

1991年頃、Cray Research社やIBM社から、 DARPAが不当にThinking Machines社に援助を与えており不公平だという訴えがあった。このような批判はその後も続く。

Convex C3800
Convex C3800
KSR-1
KSR-1

上記2画像出典:

Computer History Museum

2) Convex Computer社
Convex Computer社(1982年創業)は、Cray-1互換のC1(1985)、Cray X-MP互換のC2(1988)に続いて、C3を発表した。最大8プロセッサまで構成できる。クロックを高めるために、集積度の低い、GaAsのFPGAを用いた。しかし市場はすでに高性能な汎用マイクロプロセッサの時代に入っており、営業的には失敗であった。

これと同時に、日経コンピュータ9月23日号には、Convex Computer社が、RISCチップを用いた超並列コンピュータの開発に着手したことが報道されている。Exemplar SPPが発売されたのは1994年であった。

3) Kendall Square Research社
1986年に創業したKSR (Kendall Square Research)社は、 KSR1を出荷した。COMA (cache-only memory architecture)と呼ばれる共有メモリアーキテクチャである。ALLCACHEとも呼ばれたが、現在の用語でいえばcoherent cacheであろう。CPUは自主開発の64ビットRISCプロセッサであった。最大1088台のCPUまで拡張できた。チップセットはシャープが製造した。

4) Cray Research社
Cray Research社は、1991年11月19日、SC91に合わせてCray Y-MP C90を発表した。Y-MPと異なり各プロセッサは2本のベクトルパイプラインを持ち、クロック(4.1 ns)ごとに4個の浮動小数演算が可能である。4台、8台、16台のプロセッサ構成が可能である。最高、約16 GFlops。単にCray C90とも呼ばれた。工業技術院には1994年3月に16 CPUのC90(メモリ8 GB, SSD 8 GB)が設置された。

Pittsburgh Supercomputer Centerは、11月20日に、同センターはすでに16プロセッサのC90を発注し、1992年第4四半期に設置される予定であることを発表した。

1995年6月のTop500では、16プロセッサ(Rmax=13.7)が27台、8プロセッサ(Rmax=6.85)が6台、6プロセッサ(Rmax=4.63)が2台、4プロセッサ(Rmax=3.275)が2台掲載されている。

C90に続いてクロック1 nsのプロセッサを64台結合したC95 (256 GFlops)が開発されるという報道(日経コンピュータ1989年10月23日号)もあったが製品とはならなかった。

一方、日経コンピュータ1991年8月26日号の記事によると、そのころCray Research社の超並列コンピュータ開発が明らかになったことを伝えている。別の報道によると、CrayのMPPプロジェクトは1990年の10月に始まったとのことである。第1号機(T3Dとなった)を1993年に出荷するという計画である。これはCray Y-MPと密結合で動作し実効性能は100 GFlopsのMIMDとある。第2世代のマシン(T3Eであろうか)は1995年に出荷しTFlopsレベルに達するとある。以上2種のマシンは「限られたユーザ」に対して提供するが、1997年に出荷する第3世代のマシンは一般向けに発売する、と書かれている。

また、9月9日号では、32CPUの「トライトン(コードネーム)」の開発を始めたことが書かれている。T90のことであろうか。

5) Encore Computer社
COTS (commodity off the shelf)で超並列コンピュータを製造するため1983年創業したEncore Computer社は、Multimax (1985)、Multimax 500 (1989) に続き、1991年末、Motorola 88000を用いたEncore-91を発表した。プロセッサ数は4まで。

6) BBN Advanced Computers社
1948年に創立されたBBN Technologiesは、ネットワークのためのパケットスイッチ技術で有名であり、ARPANETやInternetで利用された。1981年、512以内のプロセッサ(MC68000)をButterfly Networkで結合したBBN Butterfly(TC2000と同一?)という並列マシン(最大512プロセッサ)を開発し販売していた。『日経コンピュータ』の8月12月号によると、BBN Advanced Computers社は、1992年か93年に、200 GFlopsの超並列マシン(コード名Coral)を発売する予定とのことである。プロセッサ数は最大2048、相互接続はButterfly Switchである。日本の代理店はアルゴグラフィックス。しかし、程なく、この会社は本社に合併され、開発計画は中止された。

7) Parsytec
1985年にドイツで創業されたParsytec社は、transputer T9000を採用した、最大400 GFlopsのGCシリーズを1992年から発売する(日本の代理店は松下電器産業)と予告されていたが、T9000の開発が遅れたので、Motorola MPC 601とtransputer T805を用いて構成し、T9000が出荷されればそれにアップグレードできるという触れ込みであった。応用としては、PHOENICSやFASTESTなどの流体力学計算用ソフトや、PAM-CRASH/STARTやPERMASなどの有限要素法ソフトを移植することになっていた。

8) Intel
1991年5月、”Intel Inside”ロゴ(日本では『インテル、入ってる』)を発表。Wikipedia(日本語)によると、これは日本発のブランド戦略で、日本からアメリカ本社に提案されたものとのことである。関係者によると、当時日本ではインテルの知名度が低く、新卒採用に苦慮したため発案されたそうである。

ベンチャー企業の創業

1) Applied Parallel Research
John M. Levesqueはカリフォルニア州Placervilleにおいて、ソフトウェア会社Applied Parallel Research, Inc.を1991年11月20日に設立した。翌1992年1月に、Pacific-Sierra Research社から FORGEとMIMDizerというソフトウェアを買収することに合意し、2月25日支払いを終えた。この会社は、FORGE 90や FORGE Xなどのソフトとともに、HPFコンパイラで大活躍する。Levesqueは、その後IBMを経て、the Director of the Cray’s Supercomputer Center of Excellence based at Oak Ridge National Laboratoryの職に就いている。

2) ソフテック
元クレイ・ジャパンの武田喜一郎により、1991年3月25日株式会社ソフテック(SofTek Systems, Inc.)が創業された。HPC関連ではソフトウェアの輸入販売などを行っているが、1994年にはPGIのHPFコンパイラを販売した。

ベンチャー企業の終焉

1) Stardent Computer
1989年、Ardent社とStellar社が合併してできた Stardent Computer社は倒産し、クボタがすべての権利を引き継いだ。

2) FPS Computing社
1991年10月、FPS Computing社は連邦破産法第11章の保護を申請した。11月、Cray Research社に$3.25Mで買収され、Cray Research社の子会社のCray Research Superservers社となった。Model 500はCray S-MPと改名、FPS MCPはCray APPとなりCray Research本社が発売。コンパイラ部門は The Portland Groupが買収。

次回は1992年、第3世代のベクトルスーパーコンピュータが揃いつつあると同時に、超並列の技術も発展しつつあった。NAS Parallel Benchmarkが提案された。日本では3つの超並列研究プロジェクトが走り出した。

(タイトル画像: Thinking Machine Corporation CM-5 出典:Computer History Museum)

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