世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

5月 11, 2015

HPCの歩み50年(第38回)-1992年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

HPFは精力的に開発や標準化が進められたが、早くも暗雲が立ちこめ始めていた。SC92ではNAS Parallel Benchmarkが発表された。Tim Berners-Leeが提案したWWW (World Wide Web)サーバが世界各地で立ち上がり始めた。そのデモを見た筆者は、WWWの意義を全く理解できなかった。

世界の学界の動き

1) SC92
第5回Supercomputing会議(Supercomputing ‘92報告)は、11月16日から20日、Minneapolisで”Voyage and Discovery”というタイトルの下に開かれた。奇しくもこの年は1492年のコロンブスの新大陸到着の500周年であった。全参加者4636人、technical registrationは1805人、展示は82件。

Cray Researchを辞めてIBMの支援の下にSSI (Supercomputer Systems Inc.)を1988年に設立したSteve Chen(陳世卿)が招待講演で、「SSI社は2000年までに並列処理を現実的なものとし、主流に押し上げる」と豪語したので、講演後、「SSIはいつ機械を製造するのか?」という厳しい質問が出た。彼は、”Soon, very soon!”と言い逃がれた。「IBMは独自にMPPを始めているようだが、あなたの会社を見限ったのではないか?」という質問には、「わたしはわたしのアーキテクチャを作る。他の誰にも影響されない。」と返した。実際には翌1993年に破産した。

Technical programのPerformance Evaluationのセッションは、大入り満員で立ち見も出るという状態だったそうである。NAS Parallel Benchmark(後述)の数値結果が発表されたからであろう。

この回からVirtual RealityのCAVE (Computer-Assisted Visual Environment) が登場している。企業展示では、Cray T3D、Meiko CS-2, MasPar MP-2などはSC92を目指して発表され、展示した。富士通が、出展ブース500番を取ってVPP-500を展示していた。また初めて展示の開会式(Gala Opening)が行われ、お祭り騒ぎを行った。またこのころから各社が顧客を集めるパーティが開かれるようになった。Intelは多くの人を集め、豪勢な二次会付きのパーティを行った。参加者はミネソタ州で有名なViking Helmetを被って酒を飲んだ。筆者も、角は取れてしまったが、その時のヘルメットを記念品として持っている。「だからスパコンは高いんだ」などというつぶやき(もちろんTwitterではなく、ネットニュース)も聞かれた。初めて会議録がCD-ROMでも受け取れるようになった。コンピュータの歴史の展示もあった。まぼろしのCDC8600の外形が、Cray-1とそっくりだったのが印象的だった。筆者は気づかなかったが、この回からK-12プログラム(幼稚園から高校まで)が始まっている。

最終日(11/20)に、会議をサボってCray ResearchのChippewa Falls工場の見学ツアーに参加した(クレイ社Chippewa Falls工場見学記)。片道2時間も掛かった。C90の組み立て工場、ECLゲートアレーチップの試作工場などを見た。量産はMotorolaに委託するが、サンプル・チップの試作は自前のラインで行った方が、ターン・アラウンドが短くて好都合とのことであった。T3Dの次期機種(T3E)用のルーターチップの配線図まで見せてくれたので、筆者が「次期機種もAlphaを使うのですか」と聞いたら、”You will see.”(そのうち分かるよ)とはぐらかされてしまった。工場の一角にCRI Corporate Computer Museumがあり、いろいろ面白いものも見た。

あと記憶に残っているのはHPFF (High Performance Fortran Forum)であるが、これは次項で。

2) HPF
データ並列言語の標準化を目指すHPFFは前回のSC91 (Albuquerque)で始まり、1年間精力的に活動した。1992年3月にはHPFF mailing listが一般向けに公開された。ヨーロッパでも高レベルプログラミングモデルに関してWorkshopが開かれた。8月にはVer.0.1が、9月にはVer. O.2が、10月にはVer.0.3が、11月にはVer. 0.4が作成された。Ver. 0.4はSC92で配られた。並列処理分野での主要な会社(ハード、ソフト)が加わっていることが特徴で、ひょっとしたら事実上の標準になるかとも思われた。SC92でのHPFFのBoFは参加者が予想を越え、部屋のパーティションを一つ外したほどであった。

a) Lovemen (DEC)がオーガナイザとして、全体の背景を説明した。
b) Ken Kennedy (Rice)は、実装を予定している会社として、Intel、TMC、DEC、MasParを挙げた。
c) Guy Steele (TMC)は、データ並列の特徴として、fairly uniform, single conceptual thread of control, global name space, loosely synchronous parallel computationの4つを挙げた。議論になったのは”template”の扱いで、Ver. 0.4で格下げになったことについて、”A template is like a Cheshire cat.”と「不思議の国のアリス」の神出鬼没のネコに例えた。
d) C. Koelbel (Rice)は、FORALL文、PURE directive、INDEPENDENT directiveについて説明し、その基本的概念について議論があった。
e) R. Schreiber (NASA Ames)は、51個のIntrinsic functionsについて解説
f) M. Snir (IBM)は、Extrinsic procesuresについて解説。
g) R. L. Knightenは、I/Oについて議論
h) Mary Zosel (LLNL)は、COMMON, EQUIVALENCE, 引数対応などのstorage associationについて議論

この後も精力的に作業が進められ、Koelbel C. H. et al.: The High Performance Fortran Handbook, 329 p., The MIT Press (1991)という教科書まで発行された。1993年のSC93 (Portland)前にはVer. 1.0が公開されることになる。

3) 日本でのHPFの動き
このような動きを受けて、1992年の9月12日に、村岡洋一(早稲田)から、「HPFについて勉強して,できればこちらからも意見を言えればいいのではないかと思っています。もしそのような勉強会に興味のおありの方がお近くにおられましたら、ご一報下さい。」というお誘いが筆者に送られて来た。

第1回のHPF勉強会は、10月14日にゼロックスアカデミックサロン(虎ノ門)で開かれ、村岡、妹尾、金田、進藤@flab、建部、筆者などが参加した。第2回 HPF勉強会は、11月10日に同じ場所で開かれた。前述の島崎眞昭の総合研究班でも勉強が始められた。

4) ICS会議
ICS (International Conference on Supercomputing)の第6回目は、7月19~24日にアメリカのワシントンDCで開催された。アメリカは初めてである。ACMからプロシーディングスが出版されている。Steve Cookは基調講演で、「今後のMPPの普及の鍵は標準化だ」と述べたとのことである。

5) Sidney Fernbach Award
米国LLNLの計算部門の長としてHPCを推進し大規模計算を進めてきた物理学者Sidney Fernbachは1991年2月15日に73歳で死去した。IEEE Computer Societyは1992年、彼を記念してSidney Fernbach Awardを創設した。最初の賞は1993年、David H. Baileyに与えられた。

6) LAPACK
線形計算のためのライブラリLAPACK (Linear Algebra PACKage)は1992年に初版が公開された。LINPACK (1974)やEISPACK (1972-3)の後継ソフトであるが、LAPACKはその後のアーキテクチャの発展にあわせて、キャッシュや仮想記憶を意識したものとなっている。初版はFORTRAN 77で実装されていたが、現在はFortran 90で書かれている。

7) DASH
Stanford大学のLenoskiら、CC-NUMAに基づく16プロセッサのDASHマルチプロセッサを開発。

8) 格子ゲージ専用計算機
1984年、IBMのWatson研究所のDon Weingartenが格子ゲージ専用計算機のためのGF11プロジェクトを始めたことはすでに述べたが、予定よりかなり遅れ、8年後にやっと稼動した。1993年1月付けの日本IBM社からの発表によると、QCDにおいて10.2 GFlopsの性能を記録した他、地震波の差分法で9.3 GFlops、PAM-CRASH(10000要素)で5.5 GFlops、浅水波方程式で7.5 GFlops、Sandiaの波動力学で5.0 GFlops、NASA Amesの4色並列緩和法で4.3 GFlops、Gauss消去法(6000元)で10.2 GFlopsなどが報告されている。すべて単精度だと思う。

前述したように、9月にはアムステルダム大学でのLattice 92 (9/15-19)と、フランスのAnnecyでのCHEP 92 (9/21-25)に出席した。その時に収集した格子ゲージ専用計算機の現状をまとめた。

中国政府

1) 銀河2号
1983年に銀河1号を開発した中国国防科学技術大学(NDU)は、1992年11月、銀河2号(Ying-he II)を開発し、3台製造した。ピーク性能は1 GFlops。NDUでは国防関係のアプリの他、航空、石油、電力、水源保護のために使われる。他の2台は(中国の)気象庁や中国工程物理研究院に提供した。気象庁では中期気象予報のために利用される。

性能評価

1) NAS Parallel Benchmarks
NAS (NASA Advanced Supercomputing部門)のDavid Bailyらは、高並列コンピュータのためのベンチマークを開発し、1992年にNPB 1を公開した。前述のようにSC92で発表があった。これはNASA Ames研究所の典型的なアプリケーションから抽出した以下のプログラムから構成されている。

a) MG (Multigrid)
b) CG (Conjugate Gradient)
c) FT (Fast Fourier Transform)
d) IS (Integer Sort)
e) EP (Embarassingly Parallel)
f) BT (Block Tridiagonal)
g) SP (Scalar Pentadiagonal)
h) LU (Lower-Upper symmetric Gauss –Seidel)

これは並列アルゴリズムであり、アーキテクチャに関して中立であり、結果や性能数値の正しさが簡単にチェックでき、将来の高性能コンピュータにも適応できるとしている。基本は”paper-and-pencil” benchmakrという方式で、アルゴリズムだけを規定し、実装の手法は一定の限定の中で自由という考え方である。小さなクラスの問題に対してはFORTRAN 77のサンプルコードが添付されている。その後、NPB 2 (1996)、NPB 3 が公開されている。NPB 3.1では、

i) LA (Unstructured Adaptive)
j) DC (Data Cube operator)

が、NBP 3.2では

k) DT (Data Traffic)

が加えられている。“Embarrassingly Parallel”は、その後、トリビアルな並列性の代名詞ともなった。

2) SPLASH Benchmark
J. P. Singh, W.-D. Weber, A. Gupta (Stanford Univ.)は、Computer Architecture News 20 (March, 1992), pp. 5-44において、SPLASH: Stanford parallel application for shared-memoryを提案した。これは、共有メモリ型並列コンピュータの性能を評価するための、実用アプリケーションによるベンチマークである。内容は、Ocean(海洋シミュレーション)、Water(分子動力学)、MP3D(PIC)、LocusRoute(VLSI CAD)、PTHOR(論理シミュレーション)、Cholesky(疎行列の分解)である。

WWWの話

CERNのTim Berners-Leeが、1990年11月12日に”WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project”を発表し,WWWを提案したことは前に述べた。かれは直ちに実装するとともに、宣伝活動を精力的に行った。筆者は1992年1月中旬に、南仏の保養地コート・ダジュールの一角で開かれたAIHENP 92 (2nd International Workshop on Software Engineering, Artificial Intelligence and Expert Systems, 1/13-18) La Londe Les Maures, Franceに参加したが、ここでTimがデモを行っていた。PCでも、Macでも、X terminalでも、Nextでも(時代ですね)、dumb端末でも、どんな端末からでもアクセスできることを強調していた。その時のビラのコピーは今でも持っている。そこにはこう書いてある(ビラ写真参照)。

It is possible today to weave different existing sets of information into a single web presenting a uniform access interface from a variety of browsing platforms, even if the data on incompatible systems and in different formats.

www-catalog
当時配布されたWWWのビラ

また9月にはヨーロッパに出張し、2つの国際会議でCP-PACSプロジェクトについて講演した。アムステルダム大学(オランダ)でのLattice 92 (9/16-20)と、Annecy(フランス)でのCHEP 92 (Computing in High Energy Physics, 9/20-25) である。Annecyはスイス国境に近く、まるで中世の都市がそのまま残っているような街であった。飛行機でジュネーブに飛びバスで山越えした。このAnnecyでの会議でもTimはデモを行った。その時のビラでは、ヨーロッパとアメリカの10近い高エネルギー用のWWWサーバがすでに存在すること、インド、日本(KEK、高エネルギー研)、オーストラリア(ANU)などで何カ所かWWWサーバの立ち上げを準備していることが書かれている。

しかし筆者は、両方とも見に行ったものの、その意味を全く理解出来なかった。線でつながっているんだから、データが表示されるのは当たり前ではないか、という程度の認識しかなかった。それから数年で、WWWがインターネットを完全に変貌させるなどとは全く予感できなかった。これにはMosaicを嚆矢とするブラウザの発展が大きく寄与した。まあ筆者としては、理解しなかったにもかかわらず、そのビラを後生大事に持って帰ったことが不思議である。

なお、日本最初のWWWのホームページは、高エネルギー物理学研究所の森田洋平(現在、沖縄科学技術大学院大学)が作成し、CERNが1992年9月30日にリンクを張り、世界に公開された。

続きは次回。日本国内の某研究所のスーパーコンピュータ調達にクレームが付いた。これまでミニコンを開発してきたDEC社は、CPUチップ Alpha 21064 (EV4)を発表し、9月から量産出荷した。

(タイトル画像: 当時発売された「The High Performance Fortran Handbook」)

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