世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

5月 18, 2015

HPCの歩み50年(第39回)-1992年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Intel社は超並列コンピュータParagon XP/Sを出荷した。MasPar社はMP-2を出荷。DECはRISC CPUであるAlpha 21064を発売開始。翌年、IBM社とCray社が大々的に超並列市場に乗り出すと、だれが予感したであろうか。

日米貿易摩擦

1) 官公庁のコンピュータ調達制度変更
1年がかりで進められていた日米コンピュータ協議が、ブッシュ大統領訪日中の1992年1月9日に最終合意に達し、政府系機関が入札を実施しなければならない最低金額を2200万円から1700万円に引き下げ、また制度的にも、調達するシステムの仕様作成段階に直接関与したベンダを入札に参加させないこと、価格だけではなく技術や機能などを総合評価して決定する方式をとることなどを決めた(日経コンピュータ1月27日号)。この時点では米国製品のシェアに対する数値目標などは決められていない。

しかし、8月3~5日にワシントンで行われた事後点検会合では、米国側はコンピュータの政府調達について予算の増額を求め、日本の市場開放について具体的な数字の提示を求めた。

2) VP2600寄贈拒否事件

VP2600

対象となったFUJITSU VP2600

出典:Computer History Museum

1985年にNCARはSX-2を購入しようとして政治的圧力により断念したことはすでに述べた。1991年に、富士通は温暖化研究のためVP2600をMECCA (Model Evaluation Consortium for Climate Assessment)に寄贈することを申し出ていたが、ブッシュ政権からの政治的圧力で断念したことが1992年初頭に明らかになった。MECCAは米国、カナダ、日本、イタリア、フランスの気象研究機関の国際的なコンソーシアムであり、民間の資金で運営されている。日本側の機関の代表が日本のベンダ各社と接触して寄贈の話がもちあがった。アメリカ側のメンバーがブッシュ政権にこの話を伝えると、DOC(商務省)はCray Research社に意見を求め、当然同社は強硬に反対した。Rollwagen CEOは1991年9月19日、UCARに書簡を送り、「富士通は慈善のふりをして、不当な貿易を行おうとしている」と述べた。「これは1990年の日米スーパーコンピュータ協議の合意に反する。」

1991年10月中旬、Richard Gephardt下院議員(民主党、ミズーリ州選出)は、ブッシュ政権の科学アドバイザや日本大使に書簡を送り、富士通の提供を考慮し直すよう申し入れた。「アメリカの観点からは、$20Mのスーパーコンピュータを対価なしで受理することは、日米スーパーコンピュータ合意や米国の貿易法から問題となるであろう。」「日本のスーパーコンピュータ・ベンダは、日本国内で大幅な値引きや寄贈によってアメリカのベンダを排除してきたが、富士通はこのやり方をアメリカに輸出しようとしている。」Cray Research社は、「富士通は、アメリカの進んでいるスーパーコンピュータ・ソフトウェアを盗もうとしている。」とまで述べている。

関係者は「この批判は、スーパーコンピュータが連邦の予算で運営される組織が使うものであるという誤解に基づいている」と述べ、温暖化研究のために大きな寄与ができたのにとコメントした。以上Supercomputer Review, January 1992に基づく。 MECCAは結局Y-MPをNCARに設置した

3) 核融合科学研究所
核融合科学研究所(1989年、名古屋大学プラズマ研究所を改組)は、岐阜県土岐に設置するスーパーコンピュータを調達した。1992年4月21日に公告し、6月11日にクレイ社(Cray Research社を指す。この項ではカタカナで表記)、日本電気、富士通、日立が応札した。6月29日に開札し、日本電気のSX-3/24Rを中核とするスーパーコンピュータが落札した。ピーク性能12.8 GFlops、主記憶4 GB、磁気ディスク160 GB、光磁気ディスク1.6 TBのシステムであった。

この調達に対して、C90/16で参加したクレイ社が不服を申し立てた。同社は、1992年6月30日に核融合研に質問状を提出し、7月11日(東部時間)Rollwagen CEOは米下院の小委員会で、「核融合研が意図的にクレイを落とした」と証言した。7月8日に回答書が出されたがクレイ社は納得せず、9日、総理府外政審議室スーパーコンピュータ調達審査委員会に対して苦情を申し立てた。Rollwagen CEOは、ベンチマークの評価方法が不適正であるなど6項目の疑問を提示している。核融合研は、「選定は公正である」と反論した。

手元にある同審査委員会の「平成4年第1号審査案件に関する報告書」(1992年10月7日付け)によれば、7月16日クレイ社から苦情申し立ての詳細を受理、8月7日に核融合研からの説明文や関係資料の提出、8月14日にクレイ社の意見書提出のあと、8月26日から10月7日まで6回会合を開催した。報告書はクレイ社の主張する問題点について、すべて却下し、「今回の調達手続きには、これまでの調達過程を覆さなければならないような大きな問題は認められなかった。したがって、クレイ社の苦情申し立ては認めることができない。」と結論している。

1993年3月1日に核融合研はSX-3の異例の公開デモを行った。13時30分、6人のクレイ社関係者、在日米大使館員、日本電気社員、報道陣20人などが見守る中、デモが始まった。クレイ社が実現不可能と主張していた「5 GBのデータを主記憶または拡張記憶装置から8分35秒以内に光磁気ディスク装置に書き込むデモ」では、8分19秒で終了した。関係者の話によると、当時日本電気はテレビ放送局用のAV機器を手がけており、この分野には自信があった。また、磁気流体解析や陰解法粒子解析プログラムなどのデモも行われた。クレイからはソースが修正されているなどの批判があり、日本電気社員が必死でソースをチェックする一幕もあった(日経コンピュータ1993年5月3日号)。

クレイ社は3月23日に、「デモには不満が残るがこれ以上は追求しない」と一応の決着を表明し不服を取り下げた。

4) 豊田中央研究所
トヨタ自動車の子会社である豊田中央研究所は、日本電気のSX-3/14Rを導入し1992年6月から稼働させた。Cray Research社とアメリカ大使館が豊田中央研究所にクレームをつけていたが、ベンチマーク結果を基に批判をはねのけた。トヨタ関係ではこれまでCray Research社から 2台、富士通から4台のスーパーコンピュータを購入している。SXは初めてであった。

5) 大阪大学
大阪大学大型計算機センターは、1986年にSX-1、1988年にSX-2を設置してきたが、3代目のスーパーコンピュータとして、1992年8月に開札し、SX-3/14Rを選定した。時節柄、Cray Research社のY-MPと激しく争ったとのことである。

6) アメリカ国内の日本機
1992年中頃時点で、アメリカ国内にある日本製のスーパーコンピュータは、HARC (Houston Area Research Center)のSX-3/22、ノルウェーの会社(Geco-Praklaか)の米国子会社が1987および1988に購入した2台の富士通機、およびSan Joseの富士通アメリカにあるVP2400(Top500ではVPX240/20と記されている)のみが知られている。米国内への販売が困難だったのは、政治的な理由もあるが、産業界の場合、多くの商用ソフトがCray機をベースに開発されていることもあった。しかし、HARCのSX-3は3D地震波イメージングにより油田やガス田の開発に活躍したとのことである。

7) アメリカのビジネスモデル
日本経済新聞11月2日夕刊によると、「Cray Research社は、超並列スーパーコンピュータの開発について、DOEの全面的な協力を取り付けた。研究開発の資金援助を受けるとともに、DOE傘下の研究所が開発を支援する。官民共同開発プロジェクトに昇格させ、次世代スーパーコンピュータで日本勢に水をあけるのが狙い。」と書かれている。アメリカ政府の資金援助で日本の3社を凌駕しようというビジネスモデルのようである。これはいいのか?

世界の企業の動き

1) MIPS Computer Systems社
3月、Silicon Graphics社(1982年創業)は、MIPS Computer Systemsを買収し、MIPS Technologiesとして子会社化すると発表。4月、R8000の詳細を発表。

2) Digital Equipment社
これまでPDPやVAXを開発してきたDigital Equipment社(1957年創業)は、2月、CPUチップ Alpha 21064 (EV4)を発表し、9月から量産出荷した。DEC社の初めてのCPUチップ商品である。150 MHzという高い周波数で動くスーパーパイプラインプロセッサで、2命令同時発行であった。整数、浮動小数、アドレス、分岐の4個のユニットに対して、クロック毎に最大2個の命令を発行できたが、整数は7段、浮動小数は10段などとパイプラインは深かった。とにかくメモリアクセスが速かったという印象がある。POWER2が出るまで最速のプロセッサであった。

3) Intel社
Paragon XP/Sを発表。これはCaltechのTouchstone Deltaの商品版であり、ノードは2個のi860XPからなり、一方はアプリケーション・プロセッサ、もう一方はメッセージ・プロセッサである。2次元メッシュ接続であった(トーラスではない)。メッシュの終端にはI/Oノードが置かれた。QCDPAXのようなトーラス結合では、分割運転ができないからである。

1993年6月のTop500によると、1992年のうちに設置されたのは以下の通り。なおSSDはSupercomputer Systems Divisionである(Solid State Diskではない)。

Intel SSD Development Centers(XP/S10、140プロセッサ)
NASA Ames(XP/S15、208プロセッサ)
Boeing, FZJ, Intel SSD, NASA/Langley, ORNL, Prudential, RWCP, Stuttgart大(XP/S5、66プロセッサ)
その他10カ所(XP/S4, XP/A4など、56プロセッサ)

このTop500のリストを見ると、Rmaxはちゃんと計ったとは思われない。なお、MPノードもあり、アプリケーション・プロセッサが2個設置されている(合計3個)。

1996年11月のTop500からParagonのその後の設置状況を示す。Linpack測定の場合はメッセージ・プロセッサも演算に利用することがある。

設置機関 機種 プロセッサ数 Rmax 設置年
SNL XP/S140 3680 143.4 1993
ORNL XP/S-MP 150 3072 127.1 1995
(日)原子力研究所 XP/S-MP 125 2502 103.5 1996
(米)空軍研究所 XP/S-MP 41 816 33.7 1995
(スイス)ETH XP/S-MP 22 450 18.7 1995
Caltech XP/S35 512 15.2 1994
ORNL XP/S35 512 15.2 1992
(仏)ONERA XP/S-MP 15 294 12.25 1995
ORNL XP/S-MP 14 288 12 1995
SDSC XP/S30 400 11.9 1993
(日)航空宇宙研究所 XP/S25 336 10 1994
(米)NRAD XP/S25 336 10 1994
岡山大学 XP/S20 256 7.6 1994
DoD ASC XP/S20 256 7.6 1994

ちなみにParagonとはギリシャ語のpara+akone に由来し、砥石(akone)で研いだ鋭いもの、優れたものを意味するようである。バンコックやシンガポールのショッピングモールの名前にもある。

4) MasPar Computer社
MP-2を出荷。自主開発のPEチップは32個のPEを含み、各PEは32ビットのALUと浮動小数レジスタとバレルシフタを持つ。浮動小数ユニットは、単精度と倍精度の実数演算を実行できる。

MP-1と合わせて200システム以上を売ったと言われる。MP-3を開発していたが、完成するまえに1996年6月にハードウェアのビジネスを停止した。MasPar社はデータ・マイニングのソフトウェアの会社に転向した。

5) IBM社
日本経済新聞2月14日夕刊によると、IBM社は13日、次世代スーパーコンピュータの研究開発拠点として、新しい研究所を設立すると発表した。今から思えば1993年に登場するSP1を目指していたのであろう。

IBM社、Apple Computer社、Motorola社の3社(いわゆるAIM連合)は、32ビットRISC microprocessorであるPowerPC601を共同開発し、1992年10月にプロトタイプを出荷した。初めてのPowerPC CPU (single chip)である。このチップはSMD (Symmetric MultiProcessor)のためのmemory coherency機構をもつ。601シリーズのコアはPOWERアーキテクチャと互換性をもつが、初期のPOWERとは異なりSMPマルチプロセッサに対応していた。1993年10月にはIBM RS/6000 workstationに、1994年3月にはAppleのPower Macintoshに搭載された。

6) Cray Research社

Cray-YMP-EL

Cray Y-MP EL

出典:Computer History Museum

Cray Research社は、Cray Y-MP ELを出荷(Supertek Computers社の遺産)。後にCray EL92, EL94, EL98、さらにCray J90に発展する。またIntel i860に基づくCray APP (Attached Parallel Pocessor)を発売した。これはFPS Computingの遺産の一つで、FPS MCP-784と呼ばれていたものである。84プロセッサまで拡張することが出来た。

日経産業2月14日によると、Cray Research社は、開発中の超並列コンピュータに、Digital Equipment社製のRISC CPU(すなわちAlpha 21064)を採用することを報じている。DEC社が、自社のRISCを外部企業に提供するのは初めてとのことであった。まあ、マイクロプロセッサ・チップ自体が初めてであるが。

10月26日には、超並列コンピュータT3D (Tera 3D)を発表した。これはDARPAやDOEの支援の下に、国立研や大学と共同で開発されてきた。開発は3つのフェーズに分かれ、T3Dは第1フェーズ、第2フェーズはT3E(名前も出ています)、第3フェーズは最大3 TFlopsを目標に1997年出荷予定、だそうである。3次元トーラスは各フェーズを通して変更しないが、使用プロセッサがAlphaかどうかは限らない、という日本クレイ関係者のコメントが報道されている。

7) Cray Computer社
1989年にCray Research社から分離したCray Computer社(Seymour Cray社長)は、GaAsを用いたCray-3の開発を進めていたが、予定していた1991年12月の出荷が大幅に遅れていること明らかになった。第1号機の購入を予定していたLLNLは、Cray-3の発注をキャンセルし、Cray Y-MP C90を発注した。このキャンセルはCray Computer社にとって大きな痛手となった。

8) TMC社
前年10月発表されていたCM-5を出荷した。1993年6月のTop500の表によると、1992年に設置したのは、以下の通りで、比較的小型のシステムが多い。

Institut de Physique du Globe de Paris (IPG), France CM-5/128
SchlumbergerWell Service, USA, CM-5/128
Naval Research Laboratory (NRL), USA, CM-5/256
Mobil/Technical Center, USA, CM-5/64
RWCP, Japan, CM-5/64

9) DEC社
Digital Equipment Corporationは、1992年7月、ハイエンドのマルチプロセッサ・ミニコンピュータVAX 7000およびVAX 10000を発表した。VAXシリーズの最後であった。

10) Windows 3.1
Microsoft社は、Windows 3.1(英語版)を4月6日に発売した。日本版は1993年5月12日(NEC版)と5月18日(Microsoft版)。

11) HPCwire
HPCwire英語版は1992年9月2日に、世界初のHPC電子ジャーナルとして発足した。当時はWWWが普及してなかったので、メールベースであった。毎週、簡単な概要付きの目次がメールで配布され、興味のある記事があったら、その番号を返送すると記事の本文が自動的に送付される仕組みであった。1年間の購読料は$195(かなり高い)であったが、購読者は無制限に記事を請求できた。いつの頃からかweb-baseになり、無料となった。筆者は当初からの購読者である。

ベンチャー企業の終焉

1) Alliant Computer社
1982年に創業したAlliant Computer社は、1992年9月、倒産した。筆者は、筑波大学での最終年度に、特別設備費「高速数値シミュレーション装置」としてAlliantのFX/40を買って置いていったので、同僚には怒られた。CEDERプロジェクトに採用されていたので、まさかこんなに早くつぶれるとは思わなかった。甘かった。

次回は、1992年当初時点での日本におけるベクトルスーパーコンピュータの設置状況の一覧を示す。量が多いので、リストだけで1回使います。

(タイトル画像 DEC Alpha 21064 出典:Computer History Museum)

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