世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

6月 15, 2015

HPCの歩み50年(第43回)-1993年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

ついにIBM社とCray Research社は満を持して超並列コンピュータSP1とT3Dを発表し発売した。TMCやKSRなど1980年代に生まれた多くの並列ベンチャーは、これにより結局舞台から姿を消すことになる。IntelはPentiumを発売した。

世界の企業の動き

1) IBM SP1
IBM社は、1964年のS/360以来、メインフレームとWSとPC (1981)に力を入れて来た。初期のベクトル処理や、メインフレームに付加するVFなどはあったが、超並列コンピュータについては、商品の発表はなかった。研究所では積極的に研究開発を行ってきた(GF11、RP3など)。

IBM社の主力であるメインフレームはダウンサイジングの流れにより大きな影響を受けた。1993年1月19日、IBMは1992年度会計で$4.97B(レートは急激に変動していたが$1=110円として、5500億円弱)という空前の損失を発表した。1993年4月、ナビスコ社から引き抜かれたLouis V. Gerstner, Jr.がCEOに就任し、オープンシステムへと舵を切った。

いろいろ噂は流れていた(わざと流した?)が、IBM社は2月2日、SP1を大々的に発表した。当時の正式名称はThe Scalable POWERparallel System 9076 SP1であった。ノードには62.5 MHzのPOWER1++プロセッサ(マルチチップ)に、64ないし256 MBのメモリがついている。相互接続ネットワークはHigh Performance Switchという多段接続網であり、最大128台のノードが接続できた。POWER1には64KBのデータキャッシュがあるが、SP1では無効にしたようである。

その翌日、2月3日、APRはSP1に対するFORGE 90 Distributed Memory PareallelizerとxHPF77 batch parallelizerが利用可能になったと発表した。

日本でも、確か2月5日(金)に白金の都ホテルでSP1のお披露目が開かれ、統計数理研究所での講演を終えて駆けつけた記憶がある。懇親会で、突然壇上に上げられたので、「IBMという会社はいつも出遅れる。コンピュータ自体もそうだし、PCもそうだし、今度の並列もそうだ。でも、その後市場を席巻する(つまり後出しじゃんけんで勝っている)。」などと北城社長の前で言ってしまった。

1994年6月のTop500リストには、以下のマシンが載っている。

設置組織 機種 ノード数 Rmax 設置年
Argonne National Lab.(米) 9076-005 SP1 128 4.8 1993
Cornell Theory Center 9076-005 SP1 64 4.8 1993
Pennsylvania State Univ. 9076-003 SP1 32 2.4 1993
UCLA 9076-003 SP1 24 1.8 1994

これ以下は、16ノードが6件、14ノードが1件ある。上記のArgonneのRmaxは9.6ぐらいになるはずで、誤記もしくは全ノードで測定しなかったのではないか。

8月、POWER2 CPU (RIOS2)が登場し、これを用いたSP2は翌年登場する。POWER2は4 wayの32ビットスーパースカラで、最大71.5 MHzで動作した。8個のチップから構成される。

CrayT3D
Cray T-3D

2) Cray Research社
T3Dについては、1992年10月に予告していたが、1993年9月正式発表。PSC (Pittsburgh Supercomputer Center)に出荷した。32個から2048個の Processing Elements (PE) で構成され、各PEは150MHzの DEC Alpha 21064 (EV4) プロセッサ(T3D用に改良されたもの)1個と16MBから64MBのDRAMから成る。

T3D はホストとして Cray Y-MP Model E、M90 または C90シリーズをフロントエンドに使用するよう設計されている。UNICOSオペレーティングシステムと入出力やシステムサービス機能はほぼ全てフロントエンドで動作する。各 PE で動作するのは、UNICOS MAX と呼ばれる単純なマイクロカーネルである。

1996年11月のTop500リストによると、以下の組織に設置されている。

設置組織 機種 Rmax 設置年
アメリカ某政府機関 T3D MC1024-8 100.5 1994
LANL T3D MC512-8 50.8 1996
NASA Goddard Space Center T3D MC512-8 50.8 1996
Network Computing Service Inc.(米) T3D MC512-8 50.8 1995
Pittsburgh Supercomputer Center T3D MC512-8 50.8 1994
University of Edinburgh(英) T3D MC512-8 50.8 1996
Bear Steams(米) T3D MC256-8/464 25.3 1996
Caltech/JPL T3D SC256-8/264 25.3 1994
Defense Research Agency(米) T3D MC256-8 25.3 1994
ETH Lausanne(スイス) T3D MC256-8 25.3 1994
LANL T3D SC256-8/464 25.3 1994
NERSC/LLNL T3D SC256-8/464 25.3 1994
石油会社(米) T3D MC256-8 25.3 1995
Konrad Zuse-Zentrum(独) T3D SC256-8/464 25.3 1995

これ以下は、128ノードが16件(動燃、東北大学流体研を含む)、64ノードが6件(三菱電機を含む)記載されている。

ベクトルコンピュータでは、Tritonというコードネームで開発されていたCray T90を発表した。出荷は1995年である。クロックは2.2 nsで、プロセッサは2組の加算・乗算パイプを持っているので、最大1.8 GFlops。最大32台の並列が構成でき、最大57.6 GFlopsのピーク性能をもつ。

また、FPSを買収して子会社としたCray Research Superserver社は、SuperSPARC(TI製、60 MHz)を用いた共有メモリ並列サーバCray CS6400 (Cray Superserver 6400)を出荷した。これはFPSに由来するCray S-MPを改良したもので、16ノード、64プロセッサまで拡張できた。後に1996年Silicon Graphics社がCray Researchを買収したとき、このSuperserverのビジネスはSun Microsystemsに売却された。

空冷のベクトル計算機としては、Cray EL92(2プロセッサまで)、Cray EL94(4プロセッサまで)、Cray EL98(8プロセッサまで)を7月に発表した。千葉大学では、Cray CS6400をファイルサーバに、Cary EL92を8台Xクライアントサーバとして使用していた。1994年4月、大正製薬はCray EL92を設置し、日本の製薬業界で初のCrayユーザとなった。Cray ELシリーズはさらに発展し、Cray J90として1994年9月発表された。

Cray User Group (CUG) Conferenceが9月20~23日に京都で開催された。基調講演は矢川元基(東大工)であった。参加者は約200人。筆者は参加しなかった。

Cray-3

Cray-3とSeymour Cray

出典:

Computer History Museum

3) Cray Computer社
Seymour Crayの設立したCray Computer社(1989年創業)は、GaAs素子を用いたCray-3の最初で最後のマシンを1993年3月までにNCARに設置した。4 CPUでメモリ1GBであった。ところが、1台のCPUの平方根演算にバグがあり、安定に動かなかったので、代金支払を保留した。会社の行く末が危ぶまれたが、Seymour Crayは強気であった。3月、Wall Street Journalに対し、”I know when I’m done, But it isn’t yet.” と述べている。(「完成したと思ったときのことは覚えているが、実はまだだ。」ということか、それとも「万事休すと言うときが来れば分かる。まだその段階ではない。」ということか。筆者の英語力ではわかりません。”done”の解釈ですが。)予定では、最大16 CPUで2048 MW=16 GBのメモリまで設置可能のはずであった。

1994年8月には、NSAとCray-3/SSS (Super Scalable System)の共同開発契約を結んだ。ベクトルとSIMDのハブリッドマシンのようで、暗号解読用であろう。しばし息をつけるか?

結局、クロック1 nsのCray-4を予告しながら、1995年3月Cray Computer社は3億ドルの負債を抱えて倒産し、NCARは翌日Cray-3の利用を公式には停止した。NCARは代金を払わなかったのではないか。

4) Intel社
Paragonは順調に出荷を続けていたが、OSが不安定だという批判があった。7月26日、OSF/1に基づく安定でスケーラブルなOS (OSF/1 AD MK)を提供する、と発表した。

1993年11月のTop500リストでは、512ノードのParagon XP/SがORNLとSNLにあり15.2 GFlopsで8位タイであった。これらを含めXP/SやXP/Aは20台を越えている。1993年10月28日の発表によると、SNLのParagonは1840ノードに拡大し(XP/S140)、複素LU分解で102.05 GFlopsを出したとのことである。このマシンが、1994年6月のTop500でRmax=143.4を記録し、一時的にNWTを追い抜いて首位に輝いた。その次のTop500ではNWTがチューニングで抜き返した。

またIntel社は、3月にPentiumを発表し、5月から出荷した。80586とかi586では商標として認められないので、5を意味する数詞pentaにラテン語風中性語尾-umを付けたようである。1994年11月に、Pentiumの浮動小数除算命令にハードバグがあることが報告され、大騒ぎとなった。非常にまれなケースであるが、有効数字のかなり下の方に誤差が出得る。「インテル入ってる」でなく、「インテル狂ってる」と揶揄された。原因は除算用内部テーブルのバグらしい。これは非常に特殊な数値に対し起こるエラーであり、Intel社は「確率的に影響は少ない」と弁解したが、再現性のあるエラーなので、たまたまその数値の除算を実行した人にとっては100%の確率で起こる。Intel社の言い訳は厳しく批判された。同社は無料交換を余儀なくされた。

筆者は「数値計算法」の講義をしていて、この話題に触れた。

5) Convex Computer社
Convex Computer社は、Hewlett-Packard社とともに、これまでのベクトルコンピュータ路線を離れて、1993年4月27日、128プロセッサ(25 GFlops)までのスケーラブルな超並列コンピュータ(Exemplar SPP)を開発していると発表した。Hewlett Packard社および日本鋼管と共同開発していた。出荷は1994年前半の予定。CPUはHewlett-PackardのPA-RISC 7100を採用し、HP社はHP-UX OSの使用を許諾すると発表した。発表によると、SPPのOSは、HP-UXとConvexOS環境と、OSF 1/AD Machマイクロカーネルの3要素からなる。その一方で、第2四半期には$41.8Mの損失を出し、185名のレイオフを余儀なくされた。

これより前、前年1992年10月にMeta Seriesと呼ばれる一種のクラスタの構想を発表していた。これはHP PA-RISCワークステーション8台とC3ベクトルマシンとを結合したもので、並列とベクトルの長所をいいとこ取りしようとするもののようである。1993年3月頃詳細が公表され、6月にはNCSAに9月にはKentucky大学に導入されたようであるが、その後商品化されなかったと思われる。Cray ResearchのT3DもY-MPと密結合で動く構成になっており、いずれも並列をベクトルからのオフロードとして位置づけているように見える。当時、並列はまだ海のものとも山のものともつかない段階であった。

6) Silicon Graphics社
スーパーコンピュータ市場への足がかりとして、OnyxシリーズとPOWER CHALLENGEシリーズを発売した。CPUはMIPSのR4400SC(150MHz)を使用している。SGIは1994年6月のTop500で初めて登場した。

a) 331位tie (Rmax=1.284 GFlops):36ノードのChallengeが、北陸先端大、ドイツのGFTA(2台)、ロッキード、SGI
b) 338位tie (Rmax=1.254 GFlops):32ノードのChallengeが、NCSAとSGI(2台)。

30ノード以下も数多く登場している。

7) MIPS Technologies社
SGIが1992年3月子会社化したMIPS Technologies社は、1993年8月、IBM社のRISC Processor Developmentの責任者であったTom Whiteside(40歳)を社長に据えた。

8) Thinking Machines社
CM-5が多数出荷された。LANLには1024ノードのマシンが出荷されLINPACKで59.7 GFlopsを記録した(5/5)。1993年の前半で、23台のスーパーコンピュータを販売したと発表した。

経営陣には混乱が広がっていた。1993年のはじめに新しい社長が招かれたが、共同創立者でCEOのSheryl Handler女史が彼を追い出した。前に書いたように、3月にはレイオフにより人件費を3-4%削減した。9月2日、弁護士のRichard P. Fishmanが社長兼COOに招かれ、Handlerは10月7日辞任した。Fishmanは、協力会社を捜し、Sun MicrosystemsやIBMが興味を示したが、巨大な負債を引き継ぐ気はなかった。特に、Handlerが1989年に年$6Mで10年契約してしまったビルの賃料が巨大だった。すぐ近くのLotus Development Corp.と比べて床面積あたり4倍以上高額だったと言われている。Fishmanは共同創立者のDaniel Hillisとともに、1994年は輝かしい年になるだろうと予言したが、現実には破産を迎えることになる。

11月、CM-5のCPUを新しいSuperSPARCに置き換えて性能を倍にした新型CM-5Eを予告した。

9) nCUBE社
クロックを25MHzから30MHZに改良し、メモリを16 MBに拡張したnCUBE 2Sを発売した。日本での発売は1993年7月。

10) Parsytec社
Parsytec社は、4月、T9000を用いたXplorer Parallel Desktop Systemと並列スーパーコンピュータGCを発表した。発表によると、GCは64台から数千台のプロセッサを搭載でき、スケーラブルな性能を実現する。Xplorerは5月に正式発表され、8台から16台までのT9000とノード当たり8~32MBのメモリを搭載し、最大4台のXplorerを接続することもできる。しかしT9000が結局商品として出荷されなかったのでこれらの構想は実現しなかった。

11) Parsys社
1993年頃、Parsys社はT8000を用いたSN9000シリーズを開発した。英国のComputer Museumには、1993年12月にYork大学が購入したSN9500があり、32個のT9000を含む。この他SN9800およびSN9400がある。

同社はその後、演算にDEC Alpha 21066プロセッサ、通信にT9000を用いたTransAlpha TA9000シリーズを開発した。相互接続にはMeiko CS-2にもつかわれたC104という多段クロスバスイッチを用いている。このマシンがどの程度売れたか、Parsys社がその後どうなったかはつまびらかでない。

12) Transtech Parallel Systems社
8月、Paramid Supercomputerを発売。これは64個のIntel i860 XPを、InmosのT805 transputerで接続したものである。各ノードは32MBのメモリを有し、i860とT805で共有されている。

13) Kendall Square Research社
KSR-2を発表。独自プロセッサは80 MFlopsで、最大5000ノードまで接続できる。KSR-1は1088ノードが最大であった。チップセットはHewlett-Packard社が製作した。1994年6月のTop500 では、128ノードのKSR2(社内)は、6.923 GFlopsで73位にランクされている。全体では、KSR-2は3件、KSR-1は23件である。

14) Meiko Scientific社
イギリスのMeiko Scientific社は、Meiko CS-2を発表した。これはCPUとしてSuperSPARCまたはHyperSPARCを採用し、オプションとして富士通のμVPベクトルプロセッサチップを付加することができた。このチップは、倍精度でピーク200 MFLopsを実現。相互接続はElan-Elite Interconnectと呼ばれるMeiko製のfat tree networkであった。設計上は1024プロセッサまでスケールできたが、製造された最大システムは224プロセッサでLLNLに設置された。

15) Alenia Spazio社
イタリアのAlenia Spazio社は、QCD専用のSIMD並列コンピュータであるAPE100の商用版をQuadricsの名前で発売した。Quadricsはその後独立し、高級相互接続ネットワークの専門メーカとなる。

16) Inspur社
中国の浪潮(Inspur、1945年創業)がIntelチップによる小型サーバを開発。Inspur社のWebページによると、中国で初めてのサーバであり、1996年以来15年連続で国産サーバの1位を保った。開発したのは、シンガポールInspurの技術者である。

17) Microsoft社
7月27日、Windows NT 3.1の英語版を発売。日本語版は1994年1月25日発売。Windows 2000やWindows XPやその後のMS Windowsの源流となった。

次回は日本の動きである。NALのNWT(数値風洞)が稼動し、11月のTop500では首位を占め、その後も3回トップ、1回2位であった。日本のアカデミアでも、HPCに関係した活動がいよいよ盛んになってくる。

(タイトル画像:IBM SP1 出典:Computer History Museum)

left-arrow 50history-bottom right-arrow