世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

6月 29, 2015

HPCの歩み50年(第45回)-1993年(e)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

このころ日本にも多くの米国製超並列コンピュータが設置されていた。しかし米国政府関係者はもっと買えと圧力を掛けた。日本でも遅まきながら超並列コンピュータの開発が進んでいたが、まだテストベッドとして位置づけられていた。

日本の超並列コンピュータ設置状況

日経コンピュータ1993年2月8日号に、田中一実記者(故人)による、日本に設置されているアメリカ製超並列コンピュータの設置状況が掲載されている。1993年6月の最初のTop500リストのデータと組合せて示す。備考欄の順位はそのTop500中の順位を示す。

a) TMC(機種の末尾の数字はノード数を示す。CM2では1ビットプロセッサ数)

ユーザ 機種 設置年 備考
ATR CM2-16k 1991 No. 213 (tie)
計算流体力学研究所 CM2-16k 1991 No. 213 (tie)
新情報処理開発機構(RWCP) CM5-64 1992 No. 57 (tie)
東京大学医科学研 CM5-32 1993 No. 126 (tie)
北陸先端科学技術大学院大学 CM5-64 1993 No. 57 (tie)
ATR CM5-64 1993 No. 57 (tie)
九州大学 CM5-16 1993 No. 253 (tie)

b) Intel(Paragonの括弧内はノード数)

ユーザ 機種 設置年 備考
ATR iPSC/2 M-6 1990
日本コロムビア iPSC/860 M-4 1991/92 2台
日立製作所 iPSC/860 M-8 1991
九州工業大学 iPSC/860 M-4 1991
三菱プレシジョン iPSC/860 M-4 1991
三菱電機 iPSC/860 M-16 1992
日本電信電話 iPSC/860 M-16 1992
新日本製鐵 iPSC/860 M-8 1992
奈良先端科学技術大学院大学 iPSC/860 M-8 1993
新情報処理開発機構(RWCP) Paragon XP/S5 (66) 1993 No. 145 (tie)
広島大学 Paragon XP/S4 (56) 1993 No. 177 (tie)

c) nCUBE

ユーザ 機種 設置年 備考
三菱電機 nCUBE-1 1989
成蹊大学 nCUBE-1 1990
東京電気 nCUBE-1 1990
京都産業大学 nCUBE-1 1990
ATR nCUBE-1 1991
高エネルギー物理学研究所 nCUBE-1 1991
電力中央研究所 nCUBE-1 1992
東京大学(部局?) nCUBE-2 1993
奈良先端科学技術大学院大学 nCUBE-1 1993
東京農業大学 nCUBE-2 1993
三菱電機 nCUBE-2/512 1991 No. 260 (tie)

d) MasPar

ユーザ 機種 設置年 備考
豊橋技術科学大学 MP-1/2048 1990 No. 453 (tie)
理経技術センター MP-1/2048 1990 No. 453 (tie)
住友金属工業 MP-1/2048 1991 No. 453 (tie)
東京大学生産技術研究所 MP-1/2048 1991 No. 453 (tie)
日本DEC MP-1/2048 1991 No. 453 (tie)

日米貿易摩擦

1) Mickey Kantor
1992年の大統領選挙で民主党の選対委員長を務め、ビル・クリントン大統領のもと、1993年からアメリカ合衆国通商代表となったMickey Kantorは、4月30日、「日本が日米スーパーコンピュータ協定を守っていないことに重大な関心を抱いている」と述べた。Kantorは、もし日本の購入方針がアンフェアと見られた場合は、貿易制裁を発動する、と強硬な発言をした。

Intel, KSR, MasPar, TMCの4社はこれを歓迎し、Kantorの計画を支持する共同声明を公開した。日本政府は1993会計年度中に少なくとも4台のスーパーコンピュータを買う(東北大学センター、分子研、宇宙航空研究所、気象研)と言っているが、補正予算もあるので、さらに10台以上買うはずと述べている。この4社は世界の高性能コンピュータ市場の71%を占めており、日本はもっと買うべきである。

2) 補正予算

日本は1993年度補正予算により10カ所の公共セクターでスーパーコンピュータを導入することになった。具体的には、電総研、ATP (2台)、東北大学金研、筑波大学、航技研、理研、動燃、通総研、がんセンター、生物資源研である。8月、さるアメリカ政府関係者はこの入札について、日米協定に違反していると指摘し、合衆国は報復措置を講じるであろうと述べている。曰く、「ヨーロッパでアメリカのベンダが大きなシェアを持っていることを見れば、アメリカのスーパーコンピュータがいかに競争力をもっているかが分かる。日本がアメリカのスーパーコンピュータを買わない理由はない。そうでないのは、経済的でない理由があるからだ。」私見であるが、同様な論理でいえば、「ヨーロッパで日本製のスーパーコンピュータがある程度のシェアを持っていることを見れば、日本のスーパーコンピュータが一定の競争力を持っていることが分かる。アメリカが日本のスーパーコンピュータを買わない理由がない。そうでないのは、経済的でない理由があるからだ。」となるのだが、聞く耳はもたないでしょうね。

3) 苦情受け付け

1993年11月12日から始まるスーパーコンピュータの政府調達入札を前に、米通商代表部(USTR)は、日本の政府調達市場で不公正があるかどうか、入札に関係する米国メーカ各社から苦情受け付けを始めた。USTRの狙いは、米国メーカから日本たたきの材料を収集し、不公正の存在を日本側に突きつけ、入札を有利に運びたいことにある。しかし、毎日新聞11月12日号によると、USTRは同様の調査を8月から9月にかけて実施したが、米国メーカからの苦情申し立てが1件もなく、日本市場の公正さが裏付けられた形になってメンツ丸つぶれだったそうである。米国系企業としてはUSTRと組んで政治的な企業と見られるより、日本のメーカと連合を組む動きが見られる、とこの記事は述べている。

どうなったかは1994年のところで。

日本の企業の動き

1) 日本電気

日本電気は、並列処理マシンCenju(1988年)、Cenju II(1992年)の経験を元に、Cenju-3を発表した。これは超並列MIMDコンピュータの商品であるが、「当面はユーザに実験マシンとして使ってもらいながらソフト環境の整備を進める」ということでテストベッドの扱いであった。プロセッサとしてはMIPSのR4400のNEC版であるVR4400SC(1992年11月発表)を用いた。VR4400SCは75 MHzで動作し、最大50 MFlopsの演算性能をもつ。相互接続網は多段接続であり、最大256個のPEを接続できる(12.8 GFlops)。エントリモデルでは50 MHz動作で、最大33.3 MFlopsである。

日本電気は1995年1月、川崎市の中央研究所内に並列処理センターを設置し、大学や研究機関の研究者にCenju-3(64プロセッサモデル2台と32プロセッサモデル1台)の提供を開始した。

2) 富士通

昨年に引き続きPCW’93 (Parallel Computing Workshop)を川崎市中原の富士通川崎工場において11月11日に開催した。

ベンチャー企業の創立

1) NVIDIA社

1月、Jen-Hsun Huang(黄仁勲、台湾出身のアメリカ人、以前にLSI LogicやAMDに在職)とChris Malachowskyにより、NVIDIA社がシリコンバレーのSanta Claraにおいて設立された。1995年にgraphic accelerator NV1を開発した。

ベンチャー企業の終焉

1) Supercomputer Systems Inc.

Steve Chenが1988年1月に創業したSupercomputer Systems Inc.はIBMの支援の下、SS-1スーパーコンピュータを開発していたが、IBMが資金提供を止めたので破産に至った(月は不明)。300人の従業員が路頭に迷った。1993年後半、この会社が開発した技術を救済するために、SCI (SuperComputer International)という会社が作られた。1995年6月にはChen Systemsと改名し、Intelチップ(Pentium)を用いたSMPサーバCS-1000を9月18日発表した。1996年6月、Sequent Computer Systemsに吸収された。1997年、Sequent Computer Systems社はChenをCTOに迎えた。

次回は1994年。前年の本命の超並列の登場により、これまでのベンチャーの行く末が危なくなり、ついにTMCとKSRがChapter 11を申請する。

(タイトル画像: NEC Cenju-3 出典: 一般社団法人情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館」)

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