世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

7月 27, 2015

HPCの歩み50年(第49回)-1994年(d)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

標準化関係では、MPI 1.0の正式規格が発表された。HPFもVer 1.1が公表されたが議論は混沌としている。標準化とは言えないがBeowulf Clusterの概念が提唱されたのもこの頃である。並列ベンチャーの雄とも言うべきTMCとKSRはついにChapter 11の保護に入った。

標準化関係

1) MPI
分散メモリ上の並列処理の通信記述規格MPI (Message Passing Interface)は1991年から議論が始まった。MPIの規格の予備的原案は、1992年11月のMinneapolisのSC92で開かれたMPI Working Groupにおいて公表されたが、より公的なプロセスによって制定することになった。その後、6週間毎に会議を行い、1993年11月のPortlandのSC93でMPI1が公表された。パブリック・コメントを求め、これに基づいて修正したMPI 1.0は1994年6月に公表され、正式規格となった。

2) HPF
SC94の直前、11月10日、HPF1.1が公表された。SC94のなかでは15日(火)の夕刻6時にHPF Forumが開かれた。この晩は各社のパーティが開催されていたので、出席者は多くなかった。主要な講演は以下の通り。

a) Ken Kennedy
状況報告を行った。現在、APR、DEC、Intel、KAI (Kuck and Associates)、Meiko、PGIがHPF製品を出荷。開発中なのは、ACE、Convex、Cray Computer、富士通、日立、IBM、Lahey、MasPar、NAG,NASoftware、日本電気、nCUBE、Pacific-Sierra、TMCなど。その他、ACSET、Cray Research、HP、Sun、SGIなどが興味を示している。
うまくいかない可能性として、よいコンパイラはできるかも知れないが、複雑で遅くなる。機能を追加する必要があるが、欲張るとよくない。

b) Robert S. Schreiber, “HPF2: Scope of Activeties”
そもそもHPF2なんてものを作るかどうか決まっていないが、いろんな提案がある。

c) Ian Foster, “Computational Control/Task parallelism”
タスク並列も書けるようにという提案。

d) Paul Havlak (Maryland), “HPF2 motivating applications”
18件のアプリをHPFで書いて分析した話。

1995年1月30~31日に次のHPFFミーティングが開かれることが発表された。いよいよ状況は混沌としてきた感じであった。

この時点で有力なHPFコンパイラ・ベンダとしてはPGI (Portland Group Inc.)とAPR (Applied Parallel Research)が挙げられる。PGIは11月にHPFコンパイラpghpfを発売し、翌1995年6月にはORNLの計算科学センターにサイトライセンスを販売した。日本ではソフテック社が代理店となった。Pacific-Sierra Research Corporationはよく分からない会社(軍事会社?)であるが、Computer Products Group (Santa Monica)ではVASTという一連のソフトを売っていた。1993年頃にはVAST-90というFortran 77とFortran 90との相互変換ソフトを売っていたが、1994年ごろにはVAST-HPFやVAST/77toHPFというソフトを販売していた。

前にも述べたが、ドイツGMD (German National Center for Mathematics and Computer Scinece)のThomas BrandesとFalk Zimmermannは、HPFコンパイラであるADAPTOR (Automatic Data Parallelism Translator)を開発し無償で配布している。いつ頃から始めたかは分からないが、1994年にスイス南部のMonte Veritàで開かれた会議”Programming Environments for Massively Parallel Distributed System”において”Adaptor – A Transformation Tool for HPF Programs”という発表を行っている。前後関係は不明だが、前述のようにSup’Eur 94においてParallel Toolsの賞を受賞している。その後も開発を続け、1998年12月にはVer. 6.1 を公開している。2000年頃、GMDがFraunhofer Gesellschaft(フラウンホーファー教会)に統合されてからはそこのSCAIで公開されているようである。

3) HINT Benchmark
10月、John Gustafson (Ames Laboratory, Iowa State University)らはHINTベンチマークを提案した。Hierarchical INTegrationから来ている。SLALOMと同じ思想で、一定時間にコンピュータが実行できる仕事の量で評価する。システムの全体的なバランスを評価するというふれこみであった。

4) Fibre Channel
1994年、Fibre Channelの規格がANSIによって承認された。Fibre Channelは高速なネットワークであり、HIPPIを簡素化するために1988年ごろから検討されていた。

5) Beowulf cluster
この年、Thomas SterlingとDonald BeckerらはBeowulf clusterの概念を提唱した。汎用品のハード、汎用品のネットワーク、オープンなOSやミドルウェアによって構成されたWS/PCクラスタのことである。Beowulfとはイギリス文学最古の伝承の一つで、英雄Beowulfの冒険を語る叙事詩のことである。なぜこの名前を付けたかは分からない。

翌年のICPP 95 (International Conference on Parallel Processing, Urbana-Champain, USA, August 14-18, 1995)において、Donald J. Becker、Thomas Sterling等は、”BEOWULF: A parallel workstation for scientific computation” という発表を行っている。

 

 ベンチャー企業の創業

1) Myricom社
Caltech(カリフォルニア工科大学)からのスピンオフとしてChuck SeitzらによりMyricom社が創立され、光ファイバを使った、クラスタのための高速相互接続ネットワークMyrinetの製造を始めた。軽量プロトコルにより実効バンド幅の高さを誇った。日本のRWCPにおいて多く使われた。
2005年6月のTop500において、500中141はMyrinetを使っていたが、11月には101に、2006年11月には79に、2007年11月には18に減少した。
2005年末に出荷された第4世代のMyri-10Gは、10 Gb/sのバンド幅を実現し、10 Gb Ethernetと相互運用可能であったが、HPCの相互接続ネットワークとして再び主流となることはなかった。
2013年、CSP Inc.に買収された。

 

 ベンチャー企業の終焉

並列ベンチャーの雄とも言うべき2社が相次いで破綻した。

1) Thinking Machines社
1993年のところで述べたが、借りていたビルを高額で10年契約してしまい、経営不振に陥り人員整理などを行った。案の定と言うべきか、1994年8月15日、連邦破産法第11章(通称Chapter 11、日本の民事再生法に相当)の適用を申請し、Fishmanは辞任した。この背景には、競争激化(IBMとCray Researchの進出)や東西の壁の崩壊による米政府の軍事予算の削減が考えられる。それにもかかわらず、ビルに多額の投資をして借金を増やすなどのミスマネジメントがあった。Daniel Hillis自身も会社を去った。

しかし、日本法人の日本シンキング・マシンズ(1990年設立)は、国内の営業・保守体制は従来通り継続し、94年度の政府調達案件にも積極的に応札すると強気の態度を表明し、関係者を困惑させた。

結局、ハードウェア部門はSun Microsystemsが買収し、TMC自身は小規模なソフトの会社として再生したが、1996年12月にはこの並列ソフト開発ビジネスもSun Microsystemsによって買収された。TMC自体はデータ・マイニングのソフトウェア(Darwin)の会社としてしばらく存続したが、1999年Oracle Corporationに買収された。ずっと後のことになるが、Sun Microsystemsは2009年にOracle Corporationに買収される。

2) Kendall Square Research社
KSR社は粉飾決算で破産した。1992年および1993年前半の会計報告に不正があると1993年に問題になった。販売予定を販売台数に入れてしまったと言われる。1993年8月、会社の経理不正が明らかになる前に、経営陣がKSRの株式を売却し、インサイダー取引を行った。1994年1月、会計監査法人をPrice Waterhouseから、Coopers and Lybrandに変更し、経理を再調査した。1994年2月インサイダー取引が発覚し、株式市場で上場廃止となった。ただ、同じ2月に、KSR1-96を京都のATRに販売している。3月にはKoch社長が$25M多く払うことにより株主からの訴訟を解決した。

8月、製品の製造と販売を停止し、9月には破産の危機が報じられるが、180人の従業員を50人に減らしてやり過ごした。

ついに12月30日、Kendall Square Research社、連邦破産法第11章の適用を申請し、W.I. Kochは社長を辞任した。

新聞記事(New York Times, April 30, 1996)によると、1996年4月にSECはかつてのKSRの経営陣3名を訴追した。元CEOのBurkhardtは$1.1M、Wassmannは$242K(実際には$40Kに軽減)を払うことに同意した。Jonesは無罪を主張しているとのことである。

次は1995年。アメリカのDOEはASCI計画を開始し、1 TFlopsから3倍ずつ高性能のスーパーコンピュータを建設することとなった。日本では、阪神淡路大震災とオウム事件が起こる。アメリカは爆弾犯ユナボマーのテロ。

(タイトル画像: Beowulfクラスタ Wikipediaより )

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