世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

8月 3, 2015

HPCの歩み50年(第50回)-1995年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

アメリカのDOEはASCI (Accelerated Strategic Computing Initiative)計画を開始し、1 TFlopsを皮切りに3、10、30、100と順次高性能の並列コンピュータを傘下の3研究所に設置していくことになった。当初の目的は国防上重要な核兵器の維持管理のために大規模なシミュレーションを実行することであったが、次第に高度なシミュレーションにより学問的・社会的な問題を解決すること自体に重点が移り、2004年にASC (Advanced Simulation and Computing Program)と名称変更された。

日本では、西は阪神淡路大震災、東はオウム事件で混乱した。1/1讀賣新聞、上九一色村でサリン残留物が検出されたと報道、1/17阪神淡路大震災、2/8野茂英雄、ドジャーズとマイナー契約(5/1メジャーデビュー)、3/20地下鉄サリン事件、3/22上九一色村等教団施設強制捜査、3/30警察庁長官狙撃、4/9統一地方選、青島都知事、横山大阪府知事当選、4/19 米国オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件、4/23オウム真理教幹部村井秀夫刺殺、5/16麻原彰晃逮捕、5/16東京都庁小包爆弾事件、6/?住専の不良債権問題が浮上、6/21羽田発全日空機ハイジャック、6/29ソウルで三豊デパート崩壊、死者500人以上、7/30官官接待、報道される、8/15村山談話、9/4米兵少女暴行事件、9/6-10坂本弁護士一家遺体で発見、9/19アメリカの爆弾犯ユナボマーが要求した文書を、New York TimesとWashington Postが掲載、11/9野茂英雄、大リーグで新人王、12/8もんじゅ、ナトリウム漏れ事故、など。いよいよ世紀末か!?

筆者はオウム事件に大きな関心を寄せると同時に、報道の姿勢に対して不満を持っていた。それは、オウムへの批判が宗教一般に向かい、およそ宗教的なるものへ差別的で冷笑的な報道が満ちあふれていたからである。同時に、キリスト教を含む既成宗教が、「あれは邪教だけれども、うちは安心ですよ」と言わんばかりの態度をとっていたことにも腹を立てていた。なぜなら、オウムに対する批判の多く(拝金主義、権威主義、盲従主義、対話拒否など)は自分たちにも当てはまるからである。そこに、金曜夜、フジテレビの『報道2001』のスタッフから電話があり、「明後日(4月9日、日曜日)朝の番組に出ませんか?」というお誘いがあった。オウム真理教関係者が来ないこと、オウムを直接のテーマにしないことを確かめた上、怖いもの見たさに、OKしてしまった。

当時、竹村健一がコメンテータ、男性司会は黒岩祐治(現神奈川県知事)で、その日は「現代社会と宗教」というテーマであった。ゲストは、宗教側からは、琉球の宗教「いじゅん」の創始者高安龍泉総主、日蓮宗現代宗教研究所の所員(名前は忘れた)、大本教の教祖の子孫という人(ただ、番組中に抗議があり、大本教との関係はないのこと)であった。なんでこういう人に声を掛けたのかは分からない。大学関係者としては國學院大學井上順孝教授(宗教社会学)と筆者であった。「宗教者で科学者の東大教授」というたいそうな触れ込みであった。1時間ほど生出演したが、不慣れもあり言いたいことも言えなかった。「宗教の反社会性」が話題に上ったので、「宗教というものは社会の大勢の価値観とは違うものを持っているはずで、社会の既成の価値観をただ承認するだけなら、宗教は現代にメッセージを伝えることはできない。それを反社会性というのは間違っている。」と反論した。まあまあおもしろかった。この番組はアメリカの日本語ケーブルテレビでも放映されたとのことである。それ以後、オウムに関する講演や執筆をいろいろ頼まれることとなった。

日本政府の動き

1) 科学技術基本法
1995年11月15日、科学技術基本法が施行された。国際的な経済競争が激化するなかで、日本が明るい未来を切り拓いていくためには、独創的・先進的な科学技術を開発し、それによって新産業を創出することが不可欠であり、環境・食料・エネルギーなどの「問題の解決には科学技術への期待が大きいことから議員立法により作られた。

この法律は、「科学技術の振興に関する施策の基本となる事項を定め、科学技術の振興に関する施策を総合的かつ計画的に推進することにより、我が国における科学技術の水準の向上を図り、もって我が国の経済社会の発展と国民の福祉の向上に寄与するとともに世界の科学技術の進歩と人類社会の持続的な発展に貢献することを目的とする。」と第一条に書かれている。1994年3月に自民党科学技術部会(部会長、尾身幸次)において、議員立法による科学技術基本法の制定を目指して検討を開始し、その後、当時の与党3党(自民党、社会党、新党さきがけ)の科学技術調整会議においても検討を開始した。12月には、自民党科学技術部会に科学技術基本法小委員会(委員長、尾身幸次)を設置し、素案をまとめ、連立与党と新進党と協議。翌1995年10月20日に、自民党、社会党、新党さきがけおよび新進党の4党共同提案により「科学技術基本法案」を衆議院に提出。第134臨時国会で審議され、衆議院、参議院において全会一致で可決成立した。経緯は文部科学省のページを参照。

科学技術基本計画が5年に一度この法律に従って策定されている。第1期は1996年度から2000年度、第2期は2001年度から2005年度、第3期は2006年度から2010年度、第4期は2011年度から2015年度である。2016年度からは第5期が始まる。

日本の学界の動き

1) Gordon Bell賞
Masahiro Yoshida (NAL)らは、” 179 Gflops on 128 processors of the Numerical Wind Tunnel”で、Gordon Bell賞のPerformance賞を受賞した。日本から初めてのPerformance本賞である。また、下で述べるように、Junichiro Makino and Makoto Taijiは” 112 Gflops using the GRAPE-4 machine with 288 processors”で専用計算機の賞を受賞した。

2) Hokke-95
昨年に引き続き、3月9~10日に、札幌駅近くの札幌ソフトウェア専門学校を会場として、Hokke (HPCとアーキテクチャの評価に関する北海道ワークショップ)第2回を開催した。3月9日にはサッポロビール園で懇親会が開かれた。

3) JSPP’95とPSC 95
7回目の並列処理シンポジウムJSPP’95は、5月15~17日に福岡市のアクロス福岡で開催された。実行委員長は雨宮真人(九大)、プログラム委員長は斎藤信男(慶應大)である。

昨年に続き、PSC(並列ソフトウェア・コンテスト)’95が村岡洋一(早稲田)を委員長として開催された。前年は富士通のAP1000だけであったが、今度は日本電気からCenju-3 ( 64 PE)、富士通からAP1000 (64 PE)、日立からSR2001 (32 PE)、日本IBMからSP2 (32 PE)を提供いただき、賞もマシンごとに出した。問題は密行列の大規模連立1次方程式の直接解法(つまりLINPACK)とした。サイズは予選では1000、本選では2048以下の3問とすることとした。結果は以下の通り。

AP1000 Cenju-3 SR2001 SP2
エントリー数 77 41 38 35
予選通過 28 10 15 15
本選通過 6 6 10 7
1位 建部修見(東大) 建部修見(東大) (1位タイ)曽根猛(筑波大)(1位タイ)黒田久泰(東大) 公文・河本・中谷・吉岡(京大)
2位 小川宏高(東大) 荒木・馬場・大内(東大) 高橋大介(東大)
3位 中谷・河本・公文・吉岡(京大) 河本・公文・中谷・吉岡(京大) 公文・河本・中谷・吉岡(京大) 吉田佳久(広島)

3位までは皆JSPPでの表彰式に招待し、1位の方には10分程度のプレゼンをお願いした。3位までの入賞者には各社から豪華な賞品(PCなど)が贈られた。またクレイジャパンからは参加賞が贈られた。

4) 東工大「SuperCon’95」
東京工業大学総合情報処理センター主催で、1995年にETA10に代わって導入したCrayのスーパーコンピュータCray Y-MP C916/12256(peakは11.429 GFlops)を使った高校生向けのプログラミング・コンテスト「SuperCon’95」が行われ、8月25日に終了した。全国の高校から65組、180名が応募し、そのうち予選問題に解答を送ってきたのは37組、予選通過は11組32名。半日の講習の後プログラムを完成させ、25日の本選に臨んだ。私立六甲高校(神戸)のmanmaruチームが優勝した。

なおこのコンテストは;多くの共催・協賛を得て毎年開催され、2014年8月には第20回を行っている。2015年には大阪大学のスーパーコンピュータを使って第21回を行う。

5) SWoPP 別府’95
1995年並列/分散/協調処理に関する『別府』サマー・ワークショップ (SWoPP 別府’95)は、8月22日(火)~25日(金)に、別府コンベンションセンターで開催された。第8回である。主催は、電子情報通信学会の人工知能と知識処理研究会, コンピュータシステム研究会, フォールトトレラントシステム研究会、情報処理学会の計算機アーキテクチャ研究会, プログラミング研究会, ハイパフォーマンスコンピューティング研究会, システムソフトウェアとオペレーティング・システム研究会である。

参加者数267(43大学208名、16企業45名、4国立機関14名)で、発表件数133(33大学、7企業、2国立機関)であった。

6) PERMEAN’95
SWoPP 別府’95に先立ち、「計算機性能と解析に関する国際ワークショップ — PERMEAN’95 –」が、8月20日~23日に同じ会場で開催された。主催は、情報処理学会計算機アーキテクチャ研究会(ARC)ならびにハイパフォーマンスコンピューティング研究会(HPC)である。これは第2回のJapan-US Workshop for Performance Evaluation (1994)の時に計画されたものである。共同実行委員長は、Gary Johnson (George Mason University)と筆者が務めた。会議録はないが、プログラムが残っている。

7) 数値解析シンポジウム
第24回数値解析シンポジウムは、1995年6月14日(水)~16日(金)に伊豆の熱川ハイツで開かれた。担当は東京大学工学部森正武・杉原正顯研究室。参加者102名、講演は30件であった。

8) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所の研究集会「科学技術における数値計算の理論と応用」は、三井斌友を代表として、1995年10月25日~27日に開催された。第27回目である。報告書は講究録No. 944に収録されている。

9) HPC研究会
情報処理学会 ハイパフォーマンスコンピューティング研究会は、HokkeとSWoPPを含め年間5回開催された。発表件数の合計は初めて60件を越えた。

10) 科研費「超並列」
1992年に始まった文部科学省科学研究費重点領域研究「超並列原理に基づく情報処理体系」(代表田中英彦)は、最終年度を迎え、まとめのための総括班会議を、かみの山温泉(1月8~9日)、浜名荘(7月15~16日)、高山(9月9~10日)で開催した。

11) 並列・分散コンソーシアム(PDC)
上記の重点領域は95年度で終了するが、関係者の努力により、これをさらに発展させるために企業からの拠金と文部省からのマッチングファンド(共同研究A)により、「並列・分散コンソーシアム」が10月1日付けで発足した。日本経済新聞によると、「東京大学など21大学と有力10企業が4年半に約10億円の資金を投入、マイクロプロセッサなどのハードウェアから基本ソフト、応用ソフトの開発まで手がける。有力企業を多数、巻き込むことで、今後の世界的な標準化作業で主導権を握る狙い。」とある。

10月13日(金)の運営会議で5つのカテゴリーが決まった。参加研究者数は当初。

a) カテゴリー1 並列分散処理アーキテクチャ技術(委員長 富田眞治)19名
b) カテゴリー2 並列分散オペレーティングシステム技術(委員長 斉藤信夫)11名
c) カテゴリー3 並列分散言語系技術(委員長 米澤明憲)10名
d) カテゴリー4 科学技術計算応用技術(委員長 村岡洋一)11名
e) カテゴリー5 実時間・マルチメディア応用技術(雨宮真人)10名

カテゴリー5以外は科研費「超並列」の4分野にほぼ対応している。初年度は半年しかなく、立ち上げの雑事に忙殺されているうちに過ぎてしまった。

筆者はカテゴリー4に参加したが、11月10日に研究部会を開き、研究テーマについて議論した。科研費とは異なり、今度はスポンサーである企業側の意向とどう摺り合わせるかが問題であった。

12月15~16日には熱海の「双柿舎」(坪内逍遙の旧宅)において合宿で研究部会が行われ、16名が参加した。各参加者が自分の研究テーマを提案し、賛助会員企業側からの意見も聞き、Action Planを議論した。

12) NEC・HPC研究会
日本電気は1995年1月から「並列処理センター(PPC)」を開設し、Cenju-3を大学の研究者等に提供し始めた。筆者の研究室では建部修見らがユーザ登録した。PPCのユーザ会である「NEC・HPC研究会」は第1回を1995年1月に、第2回を12月19日に開催した。ユーザでないものも多数出席した。

13) GRAPE
牧野淳一郎らは重力多体系専用計算機GRAPE-4を完成した。600 MFlopsの演算速度をもつHARP (Hermite AcceleratoR Pipe) chipを専用に開発した。1995年、1996年のGordon Bell賞を受賞した。
泰地真弘人らは分子動力学計算用のMD-GRAPEを開発した。

14) 新情報開発機構
1992年に発足した新情報処理開発機構(RWCP, Real World Computing Partnership)は、Linuxクラスタ用実行環境Score(エスコア)をRWC-1用の実行環境として開発したが、SUNのSPARCstation20に移植した。翌年にはLinuxへ移植。

15) 日本原子力研究所計算科学技術推進センター
1995年度に科学技術庁は「高度計算科学技術の推進」を重点政策として取り上げ、その施策の一つとして原子力研究所(原研)に計算科学技術推進センターを設置した。原子力研究所は1957年にいち早く計算室を設置したが、これを拡充したものである。センター長は浅井清。場所は東京の駒込であった。このセンターの特徴は、原研内部の計算需要に応えるだけではなく、当時ようやく実用化しつつあった並列処理に関する基盤技術を政官学の共同研究によって開発し、その成果を科学技術庁傘下の研究期間へ普及させることであった。民間の総合研究所からも人材の派遣を求めた。

具体的には、並列コンピュータを使いやすくする基本ソフトウェア、応用問題に適合した並列計算法、各種の並列コンピュータの実効性能を向上させる性能評価技術を、利用者側に立って技術開発することとした。

この活動をサポートするために、日本原子力研究所原子力コード委員会の下に、並列計算ライブラリ開発専門部会を設置し、大学や研究所のこの分野の研究者を部会員に委嘱した。部会長は森正武(東大工)、副部会長は筆者、当初の部会員は島崎眞昭(九大)、長谷川秀彦(図情大)、朴泰祐(筑波大)、関口智嗣(電総研)、福田正大(航技研)、中村理(三菱総研)、田中正明(CRC総研)、佐々木誠(日本総研)、飯塚幹夫(情報数理研)、鈴木友雄(RIST)、蕪木英雄(原研)、岸田則生(原研)、市原潔(原研)であった。第1回の専門部会は1996年1月31日にCRC総合研究所で開催した。

このセンターは、翌1996年3月11日に、駒込から中目黒に移転し、多機種の並列機を設置することになる。

16) PHASEプロジェクト
このころ日本でもアメリカのnetlibのようなソフトウェア配布の組織ができないものか、という話が持ち上がった。話の発端は、長谷川秀彦(当時図書館情報大学)が1994年3月~1995年3月に、文部省在外研究員としてTennessee大学のJack Dongarra研究室に滞在していたことに始まる。帰国後3月30日、HAS研(Hitachiアカデミックシステム研究会)第4回WS・ソフトウェア分科会で「アメリカにおける高性能計算」という講演を行ったが、その話を聞きつけた故石田晴久教授(東大大型センター)が、日本国内でも(例えばセンターで)netlibのような恒久的なソフトウェア配布(とメンテナンス)の組織ができないか、とセンターのライブラリ室の関係者にもちかけ、ライブラリ小委員会委員長の筆者などにも話が来た。そこで、長谷川秀彦、関口智嗣、長嶋雲兵、村尾裕一、佐藤三久、筆者などが具体化に乗り出した。

NetlibはJack DongarraらによってUTKおよびORNLで1980年代に始まった数値計算ライブラリの配布システムである。当初は、UUCP、ARPANET、CSNET上の電子メールで配布されたが、その後ftpやWWWを利用するように進化した。1995年といえばMosaic (1993)が開発されたばかりであり、WWWはかなり斬新な技術であった。

4月21日夜、「NETLIB.JAPANアイデア工房 第1回」がお茶の水女子大理学部で開かれた。そこで長谷川から、netlibとNHSEをモデルとして、WWWとftpによるHPCのソフトウェアと情報の共有を実現しようという提案がなされた。名前として、NHPCとかHPC-BASEとかEASE-HPCとかいろんなアイデアがあったが、5月9日の第2回においてPHASE (Parallel High-performance Application Software Exchange)と決まった。長谷川は6月1日の情報処理学会HPC研究会での講演「テネシー大学におけるHigh Performance Computing」においてもPHASEの構想を述べている。6月6日には「PHASEガイドライン」や「PHASEへの情報提供のお願い」の案が議論され、6月22日には第1版を公開した。7月4日には第3回、9月26日には第4回、10月24日には第5回、11月21日には第5回が開かれた。10月16日にはetl.go.jpにphaseサブドメインを作成した。11月にはnetlibのミラーをphaseで行う可能性を検討し始めた。当時の日米回線はかなり細かったので、高速にダウンロードできる利点はあるが、メンテナンスの負担が問題であった。

17) 日独セミナー
格子ゲージ理論に関する日独セミナーが3月15~19日に山形大学で開かれ、筆者は”Future Trend of Parallel Computing in Computational Physics”という講演を行った。セミナーの後、飛行機で伊丹空港に飛んだが、2ヶ月も経っているというのに、阪神淡路大地震の傷跡のすごさにびっくりした。1992年10月17日バトンルージュで射殺された高校生服部剛丈君のホストであった物理学者のWebb Haymaker氏もセミナーに出ており、同じ飛行機で伊丹に向かった。氏とは日本の銃規制についていろいろ話し合った。

18) 日本IBM HPCユーザーズ・フォーラム
1994年は「パラレル研究分科会」が7月まで活動したが、1995年も1月から9月まで「パラレル研究分科会」の第2弾の活動を行った。初心者の講習会、SP1やSP2の仕様、隔月の定例会、公開のHPC Forumなどを企画した。筆者が座長、幹事として姫野龍太郎(日産)、福井義成(東芝)、八尾徹(三菱化学)、鷹尾洋一(IBM)の4氏をお願いした。

第1回定例会は1月27日に箱崎で、第2回定例会は科学技術分野とビジネス分野の2並列で3月29日に箱崎で開催した。第3回定例会は科学技術分野が6月8日、ビジネス分野は6月15日にいずれも箱崎で開催した。2月20日には初心者向きのパラレル講習会を行った。ワークショップとしてはHPFの利用を中心とした。非線形FEMや地震応答解析などかなり大規模なソフトウェアもあり、いきなりHPFで動くのか心配になった。

アメリカなど世界の動きは次回。

(タイトル画像: ASCIロゴマーク)

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