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HPCの歩み50年(第52回)-1995年(c)-
前年IBM社が第2世代の超並列コンピュータSP2を出したのに続いて、Cray Research社も第2世代のT3Eを発表した。Intel社はPentiumに続く第6世代のCPUであるPentium Proを発売した。このチップはASCI Red(当初)に用いられた。

日本の企業の動き
1) 富士通
2月、CMOSテクノロジを採用したVPP300シリーズを発表した。VPP500の流れをくむ高並列ベクトルであるが、CMOSのみで開発した。クロックは7 nsで単一PEのピーク性能は2.2 GFlopsであり、空冷である。並列度は最大16PEまでである。いくらなんでもVPP500と比べて並列度が低いと思っていたら、翌1996年3月に最大512並列まで可能なVPP700が発表された。
VPP300は、国内はもとより、Western Geophysical (Houston)や、ドイツのAachen University、Karlsruhe University、Darmstadt Universityなどからも注文を受けた。また、ヨーロッパのECMWF (European Centre for Medium-Range Weather Forecasts)は、それまでCray ResearchのC90やT3Dが入っていたが、1996年に更新を計画していた。この商談にはCray、富士通、日本電気などが競ったと伝えられている。結局、富士通が、12月8日、新しいスーパーコンピュータ(今から思えばVPP700)に更新することも含めて契約した。1996年にはCray C916の5倍、1998年には25倍の実効性能を保証した。
1998年6月のTop500におけるVPP300のエントリは以下の通り。
設置組織 | 機種 | Rmax | 設置年 |
日本原子力研究所 | VPP300/16 | 34.1 | 1996 |
科学技術振興事業団 | VPP300/16 | 34.1 | 1996 |
動燃 | VPP300/16 | 34.1 | 1996 |
Scientific Supercomputing Center Karlsruhe | VPP300/16 | 34.1 | 1997 |
Australian National University | VPP300/13 | 27.7 | 1996 |
日本原子力研究所 | VPP300/12 | 25.6 | 1996 |
FDK株式会社 | VPP300/10 | 23 | 1997 |
ECMWF (UK) | VPP300/9 | 19.2 | 1997 |
この他、VPP300/8, 8Eが5件掲載されている。
1992年から川崎工場で開いてきたPCW (Parallel Computing Workshop)は、1995年はImperial College, Londonでも開催した。
2) 日本電気
日本電気は、前年1994年11月に発表していたSX-4を7月に出荷した(どこかは不明)。ニュースによると、4月にはDutch National Aerospace LabがSX-4/32を、5月にはHARC (Houston Area Research Center)がSX-4/2Cを発注した。10月には、ヨーロッパ最初のSX-4が、スイスのCSCSに近々納入されると発表された。
3) 日立
日立製作所は、筑波大学と共同開発していたCP-PACSの商用版であるHITACHI SR2201を7月31日に発表した。CPUは日立独自の擬似ベクトル処理機構を搭載したPA-RISCベースのRISCプロセッサを用い、ネットワークは3次元クロスバである。32~1024のプロセッサ構成が可能で、最大は300GFlops。ユーザ空間から直接データを転送するRemote DMAを採用した。
1998年6月のTop500によると、SR2201のエントリは以下の通り。
設置組織 | 機種 | Rmax | 設置年 |
東大大型計算センター | SR2201/1024 | 232.4 | 1996 |
新情報処理開発機構(RWCP) | SR2201/256 | 58.68 | 1997 |
東大ヒトゲノム解析センター、 | SR2201/256 | 58.68 | 1998 |
University of Cambridge (UK) | SR2201/224 | 51.13 | 1997 |
日立機械技術研究所 | SR2201/128 | 29.64 | 1998 |
この他、64ノードのマシンが電力中央研究所、日本原子力研究所、スズキ株式会社、日立社内の計4件掲載されている。またTop500には含まれないが、北海道大学大型計算センターが可視化支援装置(malt)としてSR2201/128を保有し、運用を行っていた。
世界の企業の動き
1) Cray Research社
ベクトルコンピュータでは、Cray T90(コードネームTriton)は1995年出荷された。クロックは2.2 nsでプロセッサ当たりピーク1.8 GFlopsである。Cray Researchとして初めての電線配線をなくした設計であった。たとえばC90は36マイルもの内部配線を用いていた。最大32プロセッサまでの構成が可能。1996年からは、内部表現として従来のCray浮動小数表現の他にIEEE754標準も使うことができるようになった。4プロセッサまではT94で空冷または液冷、16プロセッサまではT916で液冷、32プロセッサまでは液冷でT932と呼ばれるのが原則のようである。発表前の1994年12月に4プロセッサのT90が非公表の場所に設置され検証を通過している。1995年2月現在8台の予約があり、うち2台は日本の非公表の顧客であった。
1996年11月のTop500から主要なT90の設置を示す。機種名の/の後ろの数字はプロセッサ数とメモリ(MW = 8 MB)を示す。
設置組織 | 機種 | Rmax | 設置年 |
日本電信電話株式会社 | T932/321024 | 29.36 | 1995 |
NOAA(アメリカ) | T932/20512 | 23.075 | 1996 |
Jülich研究センター(ドイツ) | T916/12512 | 15.43 | 1996 |
某企業(ドイツ) | T932/101024 | 13.15 | 1996 |
原子力委員会(フランス) | T916/8256 | 10.88 | 1996 |
DaimlerChrysler(アメリカ) | T916/8512 | 10.88 | 1996 |
NAVOCEANO(アメリカ) | T916/6512 | 8.3 | 1996 |
トヨタ自動車 | T94/464 | 5.735 | 1996 |
4プロセッサ以下のT90は、あと11件ある。
MPPとしては、1995年11月28日、Cray T3Eを発表した。以前のT3Dと同様、3次元トーラス接続の分散メモリ並列コンピュータである。CPUとしてはDEC Alpha 21164 (EV5)を用い、メモリはノード当たり64 MB~2 GBで、8ノードから2176ノードまで拡張可能である。オリジナルのT3EはT3E-600と呼ばれ、300 MHzのAlphaを用いていた。T3E-900は450 MHzの21164A (EV56)を、T3E-1200やT3E-1200Eは600 MHzのAlphaを、T3E-1350は675 MHzである。
1号機はT3DのリプレースとしてPSC (Pittsburgh Supercomputer Center)が1996年に設置されることになった。その他、モービルオイル、Electronic Data Systems、フランス原子力研究所などからも注文が来ていると発表した。翌年Cray Research社が姿を消すなどと誰が考えたであろうか?
1996年11月のTop500から主要なT3Eの設置を示す。
設置組織 | プロセッサ数 | Rmax | 設置年 |
Pittsburgh Supercomputer C. | 256 | 93.2 | 1996 |
ERDC MSRC(アメリカ) | 256 | 93.2 | 1996 |
CNRS/IDRIS(フランス) | 256 | 93.2 | 1996 |
Jülich研究センター(ドイツ) | 136 | 53.1 | 1996 |
Max-Planck-G.(ドイツ) | 128 | 50.4 | 1996 |
NERSC/LBNL(アメリカ) | 128 | 50.4 | 1996 |
気象庁(イギリス) | 128 | 50.4 | 1996 |
Stuttgart大学(ドイツ) | 128 | 50.4 | 1996 |
64プロセッサが5件ある。
2) IBM社
前年発表し発売を開始したSP2が何と中国にも輸出された。北京の気象庁に32ノードのSP2を7月に設置完了した。
日本では動燃の調達でSP2が落札した。ノード数は72。
3) nCUBE社
nCUBE社、nCUBE 3をリリースした。CPUは64bit ALUを装備し、50 MHzで動作するスーパースカラであった。最大64kプロセッサまで結合することができ、その場合ピーク6.5 TFlopsと発表された。日本では北陸先端科学技術大学院大学が256プロセッサのnCUBE3を1996年3月購入した。同大学はCM5(64プロセッサ、1993年3月)やnCUBE2(256プロセッサ、1993年3月)やParsytec GC Powerplus(64ノード、1994年3月)なども導入している。1996年にはOracle社に編入され、ストリーミング配信サーバのメーカとなる。
4) Avalon Computer Systems社
この会社は、安価なスーパーコンピュータを開発製造するために、1982年Santa Barbaraで創立されたが、前年のSC94で、DECのAlpha 21164 (300 MHz, 600 MFlops)を高速スイッチで結合したシステムを展示していた。1995年1月にMFlops当たり$35のシステムA12 Parallel Supercomputerを発表した。5月以前にご注文いただければさらに半額に値引きします、という触れ込みであった。
相互接続網のバンド幅は400 MB/s、レイテンシはμs以下で、(必要なら)グローバルアドレス空間をサポートする、しかもユーザが相互接続を再構成できるという意欲的なマシンであった。
しかも、12プロセッサ以下のELM (Enclosure-Level Modules)は消費電力1100Wで、バイセクションバンド幅は2.4 GB/sであり、フットプリントは9平方フィート(0.81 m2)。これをモジュールとして大きなシステムを構成する。TFlopsのシステムも、500平方フィート(45 m2)に収まり、200 kWの消費電力で可能とのことである。
Avalonのスーパーコンピュータは、ミサイル防御システム、日本の潜水艦、米空軍の機上システムなど軍事応用に使われた。
なお1998年6月のTop500には、LANLのAvalon Cluster (68 nodes)が19.33 GFlopsで314位に登場しているが、これは自作のBeowulf Clusterで、この会社とは関係がないと思われる(Avalon Computer Systems社が、PCクラスタのメールオーダーの商売を始めた可能性も捨てきれないが)。
5) MasPar社
MasPar社は、意思決定支援システムにはSIMDが最適であると主張し、ARPA (Advanced Research Projects Agency)と2台契約したことを公表した。しかし結局、翌年1996年2月にMP-3の開発を中止し、6月には意思決定ソフトウェアの会社Neovista Softwareに転身した。
6) Data General社
同社は1995年、NUMA (Non-Uniform Memory Access)アーキテクチャに基づくAViiOn並列サーバを発表した。16 CPUのAV/9500と32 CPU のAV 10000である。1992年にMotorola社は88000の後継チップの開発を中止すると発表していたので、Data General社はこの後Intelのi386やPentiumに乗り換えることになる。
7) NVIDIA
NVIDIA(1993年創業)が最初の製品NV1を発売。
8) CPU’s
高性能なCPUチップが続々発表され、PC、サーバのみならず超並列コンピュータにも使われることになる。
a) Pentium Pro
11月1日、Intel社はPentiumに続く第6世代のCPUであるPentium Proを発売した。これはx86命令セットアーキテクチャを用いているが、マイクロアーキテクチャはPentiumとは異なり、x86命令を複数の命令に分割して実行する。150 MHz、180 MHz、200 MHz版が発売された。200MHz版は後に初期のASCI Red (1997)で用いられた。
b) Alpha21164
Digital Equipment社は、21064 (EV4)に続く1995年、Alpha21164 (EV5)を発売した。最初333 MHzであったが、1996年7月には500 MHzに、1998年3月には666 MHzに引き上げられた。このチップはCray T3Eに用いられた。
c) UltraSPARC-I
11月、Sun Microsystems社は、64bitのUltraSPARC-Iプロセッサ(200 MHz)を発表し、年内に出荷した。これはSPARC V9命令セットアーキテクチャを採用した初めてのプロセッサであった。インオーダで実行する4命令発行のスーパースカラ・プロセッサで整数演算のパイプラインは9段であった。
d) SPARC64
11月、富士通の米国子会社であったHAL Computer Systemsと富士通は、SPARC64を発表した。UltraSPARCとともに世界初の64ビットSPARCプロセッサである。
9) Silicon Graphics社(SGI)
HPCではないが、1995年6月、SGIはWavefront Technologies社とAlias Research社を買収して合併させAlias|Wavefront社とした。Wavefront Technolgies社は1984年にSanta Barbaraで創立され、コンピュータグラフィックスを映画やテレビコマーシャルに販売するとともに、そのためのソフトウェアを販売していた。当時は、コンピュータアニメーションのための出来合いのソフトウェアは珍しかった。Alias Research社は、1983年創立である。Alias|Wavefront社はその後Alias Systems Corporationに社名変更した。3次元コンピュータグラフィックス・ソフトウェアMayaが有名であったが、2005年10月Autodesk社に買収された。
10) Microsoft
8月25日Windows95を出荷、11月23日本語版発売。この日の午前0時に秋葉原ではお祭り騒ぎが行われたが、集まった人々のなかにはPCを持っていなかったものもいたのではないか?
ベンチャー企業の設立
1) Chen Systems
Steve Chenが設立したSSI (Supercomputing Systems Inc.)社は1993年に破産したが、この年の後半、同社が開発した技術を吸収するために、SCI (SuperComputer International)という会社が作られた。1995年6月にはChen Systemsと改名し、Pentiumを用いたSMPサーバCS-1000を9月18日に発表した。同社は翌1996年6月Sequent Computer Systemsに吸収された。1997年、Sequent Computer Systems社はSteve ChenをCTOに迎えた。
2) Transmeta Corporation
Transmeta社は1995年、シリコンバレーの一角Santa Claraにおいて、低消費電力マイクロプロセッサを開発するためにBob Cmelikらによって設立された。2000年1月19日、x86互換のCrusoeプロセッサが発表され、11月7日に公表されたが、最初のCrusoeは当初の計画より性能が不十分であった。インテルやAMDも低消費電力化に取り組み、Crusoeの特徴は生きなかった。2003年10月14日には第二の製品であるEfficeonプロセッサを発表した。2005年1月、プロセッサ製造から知的財産ライセンス企業へビジネスを変更する戦略を発表し、ソニーなどに販売した。2008年11月18日、ビデオプロセッサを手がけるNovaforaによる買収に最終合意し、2009年1月28日買収を完了した。2009年7月、Novaforaが倒産した。
ベンチャー企業の終焉
1) Cray Computer社
Seymour CrayがCray-3/4を製造するために1989年設立したCray Computer Corporationは、前年の10月まで新株式を発行していたが、1995年2月には前年の純損失が3779万ドルの損失(1株当たり0.97ドル)であることを発表した。3月24日連邦破産法第11章(Chapter 11、日本の民事再生法に相当)を申請した。$20Mの流動資金が用意できなかったとのことである。Seymour Crayは従業員への手紙で、こう述べた。「問題はタイミングだ。スーパーコンピュータの最大の購入者である連邦政府が、天気予報や、先進的な武器の開発や、その他の複雑な問題を解くための超高速コンピュータに、以前ほど金を使わなくなってしまった。今や、未来への長期的な投資は人気がない。時代が違えばうまく行っていたに違いない。」Cray Research社の社長兼COOであるRobert H. Ewaldはこう述べた。「両社に資本関係はなく、互いにライバルにもなりえたが、我が社の社員はSeymour Crayが社を離れた後も彼に敬意を持ち続けていた。彼がスーパーコンピューティングの父であることに議論の余地はなく、かつて我が社の創立者でもあった。彼が次に何をするとしても幸運を祈っている。」
7月14日、再生の見込みがないので破産処理を行い、財産を売り払って可能な限り株主に還元すると発表した。資産は$22.2Mに対し、負債は$18.8と発表された。10月26日、資産はGods Holiday Innの庭園で、連邦破産裁判所の手により競売に付された。32ページの品目リストには、プリンタやコーヒーメーカーから走査電子顕微鏡までいろんなものが含まれていた(まるでガレージセールですね)。売り上げ合計は$1-2Mと予想され、まだ$11Mの負債が残った。知的財産を買いたいという申し出があったが会社はこれを断り、債権者の手に渡った。会社の最大の財産は会社のビルと60エーカー(2.4ヘクタール)の工業団地の土地であるが、2年契約のリースなので直ちには売却できなかった。11月破産手続きが完了した。
その後1996年8月、70歳のSeymourは超並列コンピュータを開発するためにSRC Computer社を設立したが9月22日に1995年型CherokeeジープでI-25を走行中3台の自動車が関係する交通事故に遭い、重体で病院に搬送された。合計10人が乗っていたが重傷を負ったのは彼だけであった。一時回復の兆候も見せたが、10月5日午前2時53分Penrose Hospitalで死去した。71歳であった(入院中9月28日に誕生日)。
2) Convex Computer社
Convex Computer社は1993年から四半期損失を出し続けてきたが、9月21日、Hewlett-Packard社に買収されることが発表された。Hewlett-Packard社はこれまで3年間Exemplarを共同開発しており、1992年以来Convex社の株の5%を保有していた。買収価格は$150Mと言われる。Hewlett-Packard社はExemplarをSクラス(MP)およびXクラス(CC-NUMA)として販売した。
日本では、11月1日、日本電気とConvex Computer社が提携を発表し、Convex社が欧州においてSX-4を販売し、日本電気が日本国内においてベクトルのCシリーズやExemplar SPP1200を販売する契約が公表された。
3) Pyramid Technology社
1981年に創立されたPyramid Technology社は、シーメンス社(1847年創業)に吸収された。買収後、MIPS R10000を使い、ノードを2次元メッシュ型に構成したReliant RM 1000を発表した。最大のPyramidシステムは、実験機であるが、4台のNile SMPを含む214 CPUを含むシステムであった。
次の1996年、東大のSR2201が6月のTop500の首位を、筑波大学のCP-PACSが11月のTop500で首位を獲得するとともに、富士通がAP3000を、日本電気はCenju-4を発表する。アメリカはNCARでのスーパーコンピュータ調達に対し、反ダンピング提訴を行う。
(タイトル画像: HITACHI SR2201の基となった筑波大学CP-PACS 画像提供:筑波大学計算科学センター)
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