新HPCの歩み(第197回)-2002年(m)-
Intel社がPentium/XeonのIA32とItaniumとの両面作戦で手を取られている間に、AMD社はx86-64アーキテクチャのOpteronを発表した。Intel社は第2世代のItaniumの正式名称を“Itanium 2”と発表した。アメリカ司法省といくつかの州がMicrosoft社を提訴した独占禁止法訴訟は4年半に及んだが結審し、Microsoft社の事実上の勝利と見られている。 |
アメリカ企業の動き(続き)
19) Intel社 (Pentium)
2000年11月20日にリリースされた第1世代のPentium 4(コード名Willamette)に続いて、2002年1月8日に第2世代のPentium 4(コード名Northwood)1.6 GHz、1.8 GHz、2 GHz、2.2 GHzがリリースされた。秋葉原では10日午後から大騒ぎになった。2.0 GHzのNorthwoodはクリスマスの二三日前から売られていた。(HPCwire 2002/1/11) これは130 nmテクノロジで製作され、L2 cacheは256ないし512 KB。この段階ではSMT (Simultaneous Multithreading, Hyper-Threading)はサポートされておらず、2月6日に、Hyper-Threadingを搭載した2種のXeon(PrestoniaとFoster MP)が3月末までに登場するであろうと発表された。
4月2日に2.26GHzと2.4 GHzのPentium 4が発売され、バス周波数は533 GHz/sに向上した(HPCwire 2002/4/5)。5月には2.26 GHz、2.4 GHz、2.53 GHzのモデルが登場した。(HPCwire 2002/5/10) Itanium 2が霞むのでは、と気になった。8月26日には2.66 GHzと2.8 GHzを(HPCwire 2002/8/23)、11月には3.06 GHzを出した(HPCwire 2002/10/25) (HPCwire 2002/11/15)。3.06 GHz Pentium 4は初めてHyper-Threadingが可能なプロセッサである(Wikipedia)
これに対しAMD社は、8月末までにはAthlon XP 2400+およびAthlon XP 2600+を出すと応じ、熾烈な競争を演じた。
20) Intel社(Celeron)
同社がPentium IIの廉価版としてCeleronを出したのは1998年であるが、その後Pentiumとともに進化し、Pentium 4の廉価版であるCeleron (Willamette-128)を2002年5月15日に発売し、2002年9月18日にはCeleron 2.0 (2 GHz)を、2002年11月20日にはCeleron 2.1および2.2 (2.1 GHzおよび2.2 GHz)を発売した。テクノロジは0.13μmで、128 KBのオンチップ・キャッシュを持ち、FSBは400 HHzである。(HPCwire 2002/11/28)
21) Intel社 (Xeon)
サーバ向けのXeonは、Pentiumとの関連をモデル名に付けているのはPentium III Xeonまでで、NetBurstマイクロアーキテクチャ以降は単にXeonと呼ばれる。2002年2月25日に、コード名Prestoniaとして開発されて来たXeon 1.8からXeon 2.2(1.8 GHzから2.2 GHz)がリリースされた。これはPentium 4の第2世代Northwoodをベースに開発されたものである。130 nmテクノロジで製作され、MMX, SSE2, Hyper-Threadingをサポートする。 L2 cacheは512 KBである。(HPCwire 2002/3/1)
4月23日、台湾で開催されたDeveloper Conferenceにおいて、2.4 GHzのXeonを発表した。これは初めて300 mmのウェファで製造され製造コストも安いので、高い収益が期待される。Dell Computer社やHewlett-Pacakrd社が製品に採用する予定である。(HPCwire 2002/4/26)(Wikipedia)
9月11日、130 nmのテクノロジで製造した、2.6 GHzおよび2.8 GHzのデュアルプロセッサ用のXeonを発売した(HPCwire 2002/9/13)。
11月4日には、Gallatinのコード名で開発されて来た、Pentium 4第二世代のNorthwoodベースの新しいXeonプロセッサを3種リリースした。これらは8プロセッサまでのサーバに対応できる。周波数は1.5 GHz (Xeon MP 1.5)、1.9 GHz (Xeon MP 1.9)、2 GHzの3種であり、前二者は3次キャッシュを1 MB、2 GHz版は2 MB搭載している。テクノロジは130 nm。IBM社やHP社やDell社は早速このチップを搭載したサーバを発表した。Sun Microsystems社のUltra SPARC III搭載のサーバへの対抗と見られるが、Itaniumの市場を食ってしまうのではと危惧する向きもあった。(HPCwire 2002/11/8)
22) Intel社(Hyper-threading)
Hyper-ThreadingはIntel社独自のSMT (Simultaneous Multithreading)技術である。最初、2002年2月のXeon (Prestonia)に実装され、Pentiumでは2002年11月の3.06 GHz版から動く。「Hyper-threadingにより一つのCPUがあたかも2つのCPUのように動くが、本当のdual processorには及ばない」などと説明されている。(HPCwire 2002/2/8) Intel社は12月にC++およびFortranコンパイラVersion 7.0を公開し、Itanium 2などとともにHyper-Threadingをサポートした。(HPCwire 2002/12/6)
SMPはdata flow技術の一つで、元祖はBurton SmithがDenelcor社でchief architestであったHEP(Heterogenious Element Processor)であろう。1982年に出荷され、8台が製造された。日本でも昭光通商が販売しようとしたが、Denelcor社は1985年10月に閉鎖された。後藤英一らが1980年代末に研究していたCyclic Pipeline Computerも同様のアイデアであるが、SMTやHEPとは異なりパイプラインの割り当てが固定だった。
23) Intel社 (Itanium)
Intel社とHewlett-Pacakrd社は、IA-64を、6年の歳月と$1B(約1200億円)を掛けて開発してきた。どうなるのか。Peter Kastnerは「2社はパーティを開いたが、だれも来なかった」と評したが、それは酷であろう。(HPCwire 2002/3/8) しかし、計15000台のプロセッサを稼働しているGoogle社は、Itaniumを採用しないと決めたことで、Itaniumの上に暗雲がたなびいた。(HPCwire 2002/10/4)
AMD社が64-bitチップ(コード名Sledgehammer)の正式名称を“Opteron”と発表した日の翌日5月2日、Intel社は第2世代のItanium(コード名McKinley)の正式名称を“Itanium 2”と発表した。(HPCwire 2002/5/3) 名前としてはおもしろみがない。性能は第1世代のItaniumの2倍という触れ込みであった。(HPCwire 2002/5/31) Itanium 2は180 nm テクノロジで製造され、1次キャッシュを32 KB、2次キャッシュを256 KB、3次キャッシュを3 MB同じダイ上に搭載し、最大1 GHzで走る。果たして初代Itaniumの悪評を打ち消すことができるのか?(HPCwire 2002/6/5) 6月には、ダイを10%縮小することに成功し、421 mm2となったことが発表された(それでも結構大きい)。(HPCwire 2002/6/14) IBM社やUnisys社やDell Computer社などはItanium 2を4台から64台搭載したサーバを発表すると予想された。Intel社は7月8日、Itanium 2の販売を正式に開始した。動作周波数は900 MHzと1 GHzで、L3 cacheの容量は1.5 GBまたは3 GB。(日本経済新聞 2002/7/8)(HPCwire 2002/7/12)
これに続くMadisonとDeerfieldは2003年中頃に、Montecitoは2004年内に予定している、との発表もあった。初代Itaniumと同様、予定は遅れた。Intel社は2002年6月19日、第3世代のItanium(コード名Madison)の試作品が完成し、複数のOSの起動に成功したと発表した。テクノロジは130 nm。来年には量産体制に入ると述べた。(CNET Japan 2002/6/20)
San Joseで開催されていたIDF (Intel’s Developers Forum)においてIntel社は32基のItanium 2を搭載したNEC TXZ 7サーバや、Unisysの12-way ES7000 Orionサーバでのデータを示し、Itanium 2の将来性を強くアッピールした。(HPCwire 2002/9/13)
シミュレーションソフトを販売しているMSC Software社は、IA64用のLinux MSC.Linux V 2002を売り出した。ターゲットはHPC分野である。Intel社とともにItaniumの開発に力を入れてきたHP社は、Red Hat社に対しItaniumに対応したLinuxを急ぎ開発するよう要請した。(HPCwire 2002/6/28)
24)Intel社(半導体技術)
Intel社は3月、90 nmテクノロジを用いて、1μ角のSRAMセルを実現したと発表した。この新しいプロセスは2003年中に実用化する予定である。(HPCwire 2002/3/15) また4月には、EUV (Extreme Ultraviolet) Lithographyを用いた露光装置のテスト版を発注したと報じられた。この技術はLLNLやSNLの研究者が開発したそうであるが、会社名は書かれていない。これにより10 GHzのクロックのチップを作れる豪語している。(HPCwire 2002/4/26)
また8月13日、90 nmの集積回路のための微細加工技術にめどをつけ、2003年度後半に量産できると発表した。チップ上に3億個以上のトランジスタを集積できる。2003年までに3か所のファブで90nmのプロセス技術を立ち上げる。次世代Pentium 4(コード名Prescott)は90 nmプロセスで製作され、初期には3.2 GHz、2004年にかけて4~5 GHzに達すると予想された。発表された技術は、ゲート長50nmの低消費電力のトランジスタ、歪みシリコン、7層構造の高速な銅配線などである。(PC Watch 2002/8/19)
Intel社は5月9日、上海にPentium 4のアセンブルとテストの工場を建設すると発表した。しかし、ファブを中国につくる計画はない、と述べた。(HPCwire 2002/5/10)
25) Intel社(コンパイラ V7.0)
Intel社は、12月、Intel C++ compilerおよびFortran compilerのVersion 7.0を発売した。これはWindowsおよびLinuxを搭載したItanium 2、Intel Xeon、Intel Pentium 4のためのもので、特にHyper-Threadingを活用して、他社製品より40%以下の性能向上が期待される。(HPCwire 2002/12/6)
26) Intel社(InfiniBand撤退)
Intel社は1999年InfiniBandの策定が始まったころの有力企業の一つであるが、2002年5月24日、突然InfiniBand Host Channel Adapterの開発を中止すると発表し、InfiniBand(のハード)から撤退した。PCI Expressの開発に集中するものとみられる。(HPCwire 2002/6/14) ソフトの開発は続け、SC2002において、NCSA、Intel社およびMellanox社は、128ノードのクラスタにおいて、10 Gb/s InfiniBand (4X) に最適化されたオープンソースのMPIスタックのデモを行っていた。(HPCwire 2002/11/15)(Intel Press release 2002/11/21) 同社は2012年1月、InfiniBand市場に再参入する。
Microsoft社もInfiniBandの開発を中止しGigabit Ethernetに注力することとなった。InfiniBandはこれまでサーバの標準的な技術として普及するかとみられていたが、HPCなどハイエンド市場に向けられると予想されている。(HPCwire 2002/8/2)(ZDnet 2002/8/1)
27) AMD社(Opteron)
AMD (Advanced Micro Devices)社は、2002年2月28日、SuSE Linuxの次のアップデート(v2.5)において、同社のHammerシリーズで採用されているx86-64に対応させると発表した(HPCwire 2002/3/8)。
AMD社は、2002年4月24日、これまで“SledgeHammer”と呼ばれていた64-bitプロセッサを“AMD Opteron”と名付けたと明らかにした(正式発表?)。同社によるとラテン語の”optimus”(最適な)から来ているとのことである。すでに2001年末に、同社は“AMD FORTON”、“AMD METARON”、“AMD MULTEON”、“AMD VANTON”、“AMD OPTERON”の5つの名称をアメリカで商標登録していた。
AMD Athlonがデスクトップやノートパソコン向けなのに対し、これはサーバをターゲットにしている。発売は2003年前半の予定。Opteronはx86命令セットを64-bitに拡張するx86-64アーキテクチャで、大きなサイズの仮想メモリや物理メモリに対応するとともに、既存のx86プログラムとの互換性を持つ。64ビットの汎用レジスタは16本に増えている。同時にMicrosoft社がこれに対応した64-bit Windows製品を開発していることも発表された。(HPCwire 2002/4/26)(HPCwire 2002/5/3) 次世代デスクトップWindows(コード名:Longhorn、後のWindows Vista)ではAMD64を標準サポートすると発表した。しかし.Net Serverについては様子見のようである。(HPCwire 2002/11/28) 2002年8月14日、Red Hat社がSuSEに続きOpteron用のLinuxをフルサポートすると発表し、10月にはLinux Version 8.0を発売した。(HPCwire 2002/10/4)
もう一つ特徴的なことは、LSI間のpoint-to-point接続のためのバス技術“HyperTransport”を採用したことである。これは同社が主導するHyperTransport Technology Forumが2001年4月2日発表したものである。チップ当たり3本のHyperTransport内部接続を備え、合計のバンド幅は19.2 GB/sに達する。またメモリコントローラをプロセッサに内蔵する。2003年に登場するデスクトップ用のAthlon 64 (Clawhammer)はHpyertransport linkを1本だけ持ち、2プロセッサまで結合が可能。
NewsFactor誌のTim McDonaldは、AMD社とIntel社の戦いを「巨人ゴリアトと少年ダビデ」(旧約聖書サムエル記上第17章)に例えた。「AMD社は立派な剣もなしに、一個の石(x86-64)で、巨人Intel社を撃った」(HPCwire 2002/6/7)。
10月14日~17日にSan Jose Fairmont Hotelで開催されたMicroprocessor Furumにおいて、2 GHzのOpteron PC2700のデュアルチャネル構成で、SPECint2000の予想スコアが1202、SPECfp2000のスコアが1170という性能を始めて公表したほか、Opteronを搭載した2-way serverのマザーボードなどを展示した。(PC Watch 2002/10/17) (HPCwire 2002/10/18)
DOE傘下のSNLは、Opteron搭載のスーパーコンピュータRed Stormを計$90Mで開発する企業としてCray社を選んだと発表した(HPCwire 2002/6/21)。Cray社は10月21日に契約を結んだことを明らかにした (HPCwire 2002/10/25)。
28) AMD社(Athlon XP、Athlon 64、Duron、MIPS)
3月13日~20日にドイツのHannoverで開催された見本市CeBIT(Centrum für Büroautomation, Informationstechnologie und Telekommunikation)において、AMD社はAMD Athlon XP(コード名Thoroughbred)は0.13μのテクノロジで製造され、今月末に顧客に届くと発表した。このテクノロジにより、性能は向上し、電力は削減され、サイズは小さくなることが期待される。これはDresdenのFab 30で製造され、イールドも上がってきている。これは0.18μのテクノロジで製造されている現在のAthlon XPと比べ、約38%小さい。2002年末までには、すべてのAthlonは0.13μのテクノロジで製造する予定である。(HPCwire 2002/3/15)
Intel社の3 GHz Pentiu 4に対抗して、AMD社は64ビットのAthlonプロセッサClawHammer(コード名、後のAthlon 64)の開発を進めている。来年早々にも出荷する計画である。(HPCwire 2002/7/26) 実際には2003年9月23日に発売される。
AMD社はまた、廉価版のDuronの製品ラインを2003年までに打ち切ると発表した。これはIntel社のCeleronとぶつかり、勝算がないと判断したようである。Athlonをさらに低価格化してこれに対抗すると述べた。
同じ頃、AMD社はMIPS64という命令セットアーキテクチャをMIPS Technology社からライセンスしたと発表した。MIPS社は1990年初頭以来プロセッサの設計を様々なthird partyにライセンス提供している。(HPCwire 2002/5/3)
29) Digital Equipment社(HyperThreading)
DEC (Digital Equipment Corporation)社は1998年1月26日にCompaq社に売却されることが発表され、そのCompaq社も2002年5月にHP (Hewlett-Packard)社に合併された。しかし、「虎は死して皮を残し、デックは死して技術を残す」というような記事「生き続けるDECの遺伝子――Intelのハイパースレッディングにも」がZDnetの10月11日号に出ていた。
Intel社がXeonに導入し、11月にはPentium 4に導入するHyperThreading技術の一部はDEC社が研究していたものであり、1997年にIntel社がDEC社からライセンスを取得し、多くの研究者を雇用した。AMD社のOpteronに採用されたHyperTransportだって、アメリカの大学で研究され、DEC社が関心を寄せていたものであった。
DEC社は1957年にKen Olsenが設立し、1970年代のPDP-11は名機であったが、ミニコンにこだわり過ぎでPCにもUnixにも乗り遅れてしまった。Olsenはlow end市場を信じず、「Unixはロシア製のトラック並みにつまらない」と言っていたそうである。1990年代に巻き返しをはかり、1992年にAlphaプロセッサを開発したが、Sun、HP、IBMなどとの競争に勝てなかった。
1997年5月、DEC社はIntel社がAlpha関連の特許10件を侵害していると訴訟を起こしたが、10月に和解し、DEC社は$700Mを得て、Intel社にDEC社の工場を売却し、Intel社はDEC社の技術者を多数採用した。
一部の技術者はIntel社以外に移籍した。Alpha技術者の一人であるDirk Meyerは1996年にAMD社に移りAthlonの開発プロジェクトマネジャーの一人となった。OpteronでもAlphaの設計が生かされている。HyperTransportはAMD社とAlpha Processor社(API)が共同開発したものである。APIはCompaqとSamsungの合弁会社である。HyperTransportを開発しているAMD社のBoston Design Centerの従業員の大半の35人はAPIからの移籍者である、などなど。
そんなすごい技術があったのになぜ、とは思うが、ビジネスは技術だけではうまくいかないようである。
30) Appro社
Appro社(Appro International Inc. 1991年創立)はこれまでOEMとしてシステムを製造して来たが、2002年、Approブランドで高密度サーバの製造販売を始めた。
31) Transmeta社(Crusoe TM5800)
2000年1月19日のCrusoeに続いて、Tansmeta社は2002年(日付不明)に、クロックを上げ性能を改善した第2世代のCrusoe TM5800を発表した。2002年7月、Transmeta社は初の人員削減を行い、従業員数を40%削減した。その後、2003年にIntel社が低消費電力のPentium Mを出荷したことなどにより、ノートパソコンでの採用は伸びなかった。
なお、JST CREST「低電力化とモデリング技術によるメガスケールコンピューティング」(代表 中島浩)で製作したクラスタMegaProtoではTM5800 を用いている。
32) Mellanox社
Mellanox Technologies社(イスラエル)は、MPIを搭載したInfiniBandサーバブレードの初めてのデモを行った。(HPCwire 2002/3/1) 9月にはIDF(Intel’s Developers Forum)に参加し、10 Gb/sのバンド幅の第2世代InfiniBandを展示した。(HPCwire 2002/9/6) 今後は実用化が進むと期待されている。
同社は、2002年2月、Intel社、IBM社、Sequoia Capital社、その他のアメリカのベンチャーキャピタルから、総計$64Mのベンチャー投資を獲得した。
33) Apple Computer社
このころApple社のiMACはCPUとしてIBM社のPowerPCを用いていたが、2003年末までにx86アーキテクチャのCPUの採用を余儀なくさせるだろうとの予測が流れていた。IBM社が64ビットのPowerPC 970を出すと、Apple社がこれを採用するのでは、との憶測が流れた。(HPCwire 2002/10/18) 実際にIntel CPUベースのiMACが発売されたのは2006年1月であった。
34) Microsoft社(.NET FRAMEWORK、Belluzzo辞任、次期Office、遊休Grid)
Microsoft社は2002年1月5日、アプリケーション開発・実行環境である.NET FRAMEWORK 1.0をリリースした。これはWindows 98、Windows NT 4.0、Windows 2000、Windowt XP向けに提供された。
Sun Microsystems社は開発者にソースを提供しているのに、Microsoft社は情報公開が不十分という批判がでていたが、同社は4月3日、.NETのソースコード100万行を、”Shared Source” licensing programにより、大学の研究者に開示する予定であることを発表した。研究者はコードを見ることはできるがLinuxのように修正することはできない。Windowsのコードも研究者に開示するが、これについては研究目的に限って修正することを許す。(HPCwire 2002/4/5)
Microsoft社の社長兼COOのRick Belluzzo (48歳)は4月初め、5月1日をもってこれらの職を辞すると発表した。9月まではMicrosoft社に留まる。かれは23年間Hewlett-Packard社に勤めてコンピュータ部門担当副社長となり、1998年1月にSGI社の取締役会会長兼CEOとなり、1999年9月にSGIを辞しMicrosoft社の副社長となった。SGI社も1年半、Microsoft社も1年半であった。Microsoft社でのCOOのモデルが古く、続けることはできなかったと述べている。(HPCwire 2002/4/12)Belluzzoは2002年9月Quntum社のCEOに任命され、2015年4月にはViavi Solutions社の暫定CEOとなる。
2002年8月、Microsoft社は、次期のOffice(コード名Office 11)では、XMLがネイティブの文書形式になると発表した。ただしこれはオープンソース陣営におもねるためではなく,WordやExcelなどのOfficeアプリケーションとWebサービスとの相互運用性を高めるためになされた決断だと述べている。(ITPro 2002/8/19)
Las Vegasで開催されたComdex Fall 2002において、Bill Gatesは、32~64プロセッサのシステムが登場しているので、これに対応したWindows Serverを2003年にも登場させると述べた。(HPCwire 2002/11/28)
Intel社とMicrosoft社は、2002年1月21日(PST)、多数のボランティアのPCユーザの協力を得て、英国の研究グループが35億個の分子を素早く分析し、感染後期の炭疽患者の体内にある致死性の毒素を無効化する薬の開発を支援するための計画を発表した。SETI@homeなどと同様に、PCのスクリーンセーバとしてインストールし、遊休時間に計算する分散コンピューティングである。朝日新聞1月23日号が伝えている。最初の24日間ですでに35億のテスト分子の計算を実行したとのことである。(HPCwire 2002/3/15)
Microsoft社は、2001年11月15日、Xboxをアメリカで発売したが、日本では2002年2月22日に発売した。CPUはMobile Celeron 733 MHz、グラフィックはNVIDIA製のGeGorce改良版など。
35) Microsoft社(反トラスト法訴訟)
Windows 98に対し、OSとブラウザを抱き合わせ販売はトラスト法違反であるという訴訟は、1998年5月、アメリカ20州とWashington DCの検事総長と司法省からWashinton連邦地裁に提訴されていた。2000年4月3日、Washington連邦地裁はMicrosoft社の違反を認め、6月にはMicrosoft社にOS部門とアプリケーション部門との2つに分割する命令を下した。Microsoft社はWashingtonの連邦巡回区控訴裁判所(日本の高裁に相当する巡回区控訴裁判所の一つだが、特許権、商標権、関税、政府契約などに特化)に控訴し、審議が行われた。2001年6月28日、連邦巡回区控訴裁判所は一審判決を破棄し、Washington 連邦地裁に差し戻す判決を下した。
和解交渉が進み、2001年11月2日に和解案が提示され、会社の分割は求めない代わりに、PCメーカに独自のソフトの統合を認めること、Windowsの情報開示の範囲を広げることなどを求めた。これに対し、9州は受け入れを決めたが、他の9州は拒否し、2002年3月から、強硬派の9州が提案した是正案に対する審議が始まった。Microsoft CEOのSteve Ballmerは3月4日の宣誓供述において、「もし連邦地裁が、9州の要求しているような裁定を下すなら、我が社はWindows OSから撤退せざるを得なくなる。」と脅しをかけた。異例ではあるがNetscape Communication社の前会長Jim BarksdaleやLiberate Technologies社の会長Mitchel KertzmanやSun Microsystem社のCEOのScott McNealyの供述も公開された。Microsoft社のCEOのBill Gatesも宣誓供述を行ったようであるが、これは公開されなかった。(HPCwire 2002/3/8) Microsoft社、強硬派の9州とWashington DCのヒアリングは3月11日から始まった。双方は100時間の持ち時間があるので、全体で8週間はかかると予想された。
Red Hat社のCTOであるMichael Tiemannは、3月29日、「Microsoft社は、オープンテクノロジ標準の所有権を独占しようとしている」と批判した。同氏は、強硬派の9州の主張を支持し、「Microsoft社はコンピュータが他のタスク等と重要な通信をするメソッドに同社固有の『拡張』を加え、その変更に関して情報公開をしていない」と述べた。(HPCwire 2002/3/29)
この裁判は2002年6月19日に最終弁論が行われて結審し、11月1日の判決では2001年11月に9州が受け入れた和解案を大筋で認め、和解に反対している強硬派の9つの州が求めていた是正措置案を却下した。(HPCwire 2002/11/8) 司法省との和解によりMicrosoft社は今後,コンピュータ・メーカによるMicrosoft社製品と競合製品の同時提供を認めることになる。また,以前行っていたコンピュータ・メーカやソフトウェア開発者などに対する報復措置もできなくなるなど同社にとっての痛手も少なくないが、4年半に及んだ裁判はMicrosoft社の事実上の勝利と見られている。(ITPro 2002/2/8)
36) Lindows社(Lindows 1.0、Microsoft社との係争)
MP3.comの創立者であるMichael Robertsonは、2001年7月San DiegoにおいてLindows社を創立し、Windowsに似たAPIのLinux OSを開発していた。同社はDebianのAdvanced Packageing Toolに基づくCNRにより使いやすいGUIを開発し、2002年1月、Lindows 1.0を公開した。Robertsonは、「我々はMicrosoftにジハード(聖戦)を仕掛けているわけではない」と述べている(HPCwire 2002/2/8) 実際にはサポート体制が不十分で、Microsoft社の製品に取って代わるまでにはいかなかった。(HPCwire 2002/7/19)
2001年12月、Microsoft社はWindowsの商標の侵害であるとしてLindowsを訴えたが、裁判所は、2002年、Windowの概念はXeroxやAppleが採用しているとしてこの訴えを退けた。Microsoft社は再度訴えたが、2004年7月16日和解が成立し、Lindows社は$20Mを受け取る代わりに、社名と製品名をすべてLinpireと改称することになった。(Wikipedia: Microsoft Corp. v. Lindows.com, Inc.) 2008年7月2日にXandros社に買収される。
37) Red Hat社(Linux 7.2)
Red Hat社は1月、Linux 7.2を2種の64ビットプロセッサ(AlphaとItanium)にも対応させると発表した。(HPCwire 2002/1/11)
38) Mozilla財団
1998年に創立されたMozilla財団は、6月5日、Mozilla 1.0をリリースした。(Wikipedia: Mozilla)
39) Avaki社
2002年6月、グリッドソフトウェアのAvaki社は、North Carolina大学を中心とするthe North Carolina Genomics and Bioinformatics Consortium (NCGBC)のBioGridの実用システムとして採用されたと発表した。Avaki社のソフトウェアは、
(a) 異なるハードウェアや管理組織や地理的条件を越えて、データや計算資源へのシームレスなアクセスを提供し、
(b) 組み込まれたセキュリティ機能により、認証とアクセス制御を支援し、
(c) 異質なハードウェア、OS、負荷管理、キュー管理を越えて、BioGridの必要とする応用ソフトをサポートする、
と述べている。グリッドの研究ではなく、実用的なシステムとして運用していることが強調されている。(HPCwire 2002/6/7)
2002年3月12日には、バイオや製薬の分野で、Gene Logic Inc.、Infinity Pharmaceuticals、および Structural Bioinformatics, Inc. (SBI)の3件の受注を得たと発表し、今後製造業からビジネス計算までグリッドを広げていくという意向を明らかにした。(HPCwire 2002/3/15)
2002年7月、同社は商用のグリッドソフトウェアのAvaki 2.5 Softwareを発売した。(HPCwire 2002/7/26)
2002年12月9日、Avaki社は、業界初となるJ2EEベースの商用データグリッドのソフトウェアAvaki Data Grid 3.0を発表した。Avaki社によると、米HP、IBM、Sun MicrosystemsがAvakiのデータグリッドを高く評価する意向を表明しているとのことである。
40) Amazon.com社
2002年7月、クラウドサービス「Amazon Web Services」(AWS)を開始した。当時どのようなサービスを提供していたかは不明。2006年にはAmazon.comは子会社Amazon Web Servicesを設立している。
41) Entropia社
企業内のデスクトップPCの遊休計算資源を集めて分散コンピューティングを行うためのソフトを開発販売するために1997年にScott KurowskiによりSan Diegoで創立されたEntropia社は、2002年2月のGGF4 (Toronto)において、OGSA (Open Grid Services Architecture)標準をサポートすると発表した。(HPCwire 2002/2/22) OGSAは、グリッドコンピューティングとウェブサービスを統合するために、GGF4においてIBM社とGlobusが発表したものである。
8月、Entropia社とSDSC (San Diego Supercomputing Center)は、共同研究の成果が出ていると発表した(HPCwire 2002/8/23)。
42) Cell Computing(NTTデータ)
NTTデータ社は、United Devices社と協力して、Cell Computingと名付けた分散コンピューティングを2002年12月20日から提供した。PC所有者に登録してもらい、分散コンピューティング技術を用いて、PCの遊休計算能力を集約して利用する。2008年3月31日終了。(ITPro 2003/1/6) (Wikipedia: cell computing)
43) Gateway社
PCメーカの米Gatewayは12月10日、同社の直営店に置かれ、ほとんど使われていない数千台のPCを活用し、大規模プロジェクトのために追加の処理能力を必要としている企業などに従量課金制で販売する新サービスをUnited Devices社と開発し発表した。GatewayはPC 1台当たり1時間に15セントの料金で、最新のGatewayデスクトップの処理能力を企業向けに提供するという。在庫処分のかわりにGridとは面白い発想だが、どこまで本気か?
翌年、2003年5月の報道によると、the American Diabetes Association (ADA)はGateway社のグリッドサービスを、糖尿病の治療の研究のために採用した。
44) Tabor Griffine社
同社は、HPCwireの発行元であるが、2002年6月17日からグリッドに重点を置いたGRIDtodayという週刊の電子ジャーナルを発行した。編集長はJohn Hurley。2004年まで続いた。
カナダの企業
1) OctigaBay Systems社
既に述べたように、2001年にカナダのVancouver都市圏のBurnabyにおいて、“639231 British Columbia Ltd.”が設立された(不思議な社名である)が、2002年に“OctigaBay Systems Corporation”に社名変更した。これも不思議な社名である。主力商品はOpteronとXilinxのFPGAを用いた低価格科学技術サーバである。高速化のため最初ASICを用いようとしたが、FPGAに変更した。SC2003 (Phoenix)においてOctigaBay 12Kを展示する。2004年2月25日に$115Mで劇的にCray社に買収され“Cray Canada, Inc.”となる。Cray社は、2004年10月4日に12Kに基づいて、Cray XD1を発表する。
2010年にSteve WallachはConvey社をつくり、Conveyスーパーコンピュータを開発したが、FPGAベースというところは少し似ている。
ヨーロッパの企業
1) Quadrics Supercomputer World社
1996年、Alenia Spazi社とMeiko Scientific社との合弁会社としてブリストルとローマで設立したQuadrics Supercomputer World社は、1998年、Alphaプロセッサ搭載のシステムのために高速な相互接続ネットワークQsNet Iを発表した。2002年、同社は会社名をQuadrics社へと短縮した。
2002年10月8日、同社はIntel社のItanium 2とXeonプロセッサのためのネットワークカードとソフトウェアを提供すると発表した。今のところPCIスロットに差し込むようになっているが、2003年前半に登場予定の次世代製品は、もっと高速なPCI-Xを採用する予定。(HPCwire 2002/10/11)
ライバルのMyricomはすでにItanium搭載のシステムをサポートしている。(CNET Japan 2002/10/11)
2002年11月のTop500では、上位5件のうち3件、上位10件のうち5件がQuacricsの接続網QsNetを利用している。(HPCwire 2002/12/6)
アジアの企業
1) TSMC(0.13 μm)
台湾の新竹市に本社を置くTSMC(台湾積体電路製造、1987年創業)は、すでに世界最大の独立系ファンドリであるが、2002年11月27日、最先端のチップ製造プロセス(0.13 μm)への需要は増大しつつあり、価格は上昇していると述べた。0.13 μm プロセスは、2002年第3四半期では収入の5%であるが、2003年には20%となるであろう。さらに進んだ0.09 μmのプロセスの開始は予定より遅れる。しかし、要求があればいつでも生産を開始できる、と述べた。(HPCwire 2002/11/28)
企業の創業
1) フィックスターズ
株式会社フィックスターズ(Fixstars Corporation)は、2002年8月8日に、横浜市神奈川区において有限会社として設立され、10月に株式会社となった。2003年には本社を東京都渋谷区に移転する。2004年7月にマルチコア技術開発部を設立し、Cellソフトウェア開発サービスを開始する。2006年12月には、プレイステーション3の発売を受け、「PS3 Information Site」を立ち上げる。また、2008年10月には、100%子会社として、Fixstars Solutions, Inc.を米国カリフォルニア州に設立し、米国Terra Soft Solutions Inc.よりYellow Dog Linux事業を譲り受ける。
2) ClearSpeed Technology社
ClearSpeed Technology Ltdは、SIMDプロセッサを開発するために、イギリスのBristolで2002年に創業された。SC03において、プロセッサCS301のデモを行った。これは200 MHzで動作し、性能は25 GFlopsであるが、2Wしか消費しない。2003年第4四半期から販売予定である。(HPCwire 2003/11/20) 実際のプロセッサの販売は2005年から。
3) Azul Systems社
Azul Systems, Inc.はJavaアプリを実行する実行環境(ハードとソフト)を開発するために2002年3月にカリフォルニア州Sunnyvaleで設立された。AzulがJVM (Java Virtual Machine)として開発したZingはVegaというハードウェアの上で開発された。
4) T-Platformsグループ
2002年、モスクワを本部としてT-Platformsグループが創立された。ドイツのHanover、香港、台北などに支社を置く。
5) ClusterVision社
2002年、Alex NinaberとMatthijs van LeevwenとArijan Sauerにより、HPCクラスタのインテグレータとして、オランダでCluserVision社が設立された。Top500に登場する20台以上のマシンを製作した。2009年、Matthijs van Leeuwenらがスピンアウトして、Bright Computing社を設立した。ClusterVision社は2019年2月12日に破産宣告し、Taurus Groupに買収された。
6) Intentional Software社
創業期のMicrosoft社に入社し、Microsoft Officeの開発に携わったCharles Simonyi(ハンガリー人なので、本名はシモニ・カーロイ Simonyi Károly)は、2002年9月、Microsoft社を退社し、自分のアイデアによるIntentional Software社を創立した。(HPCwire 2002/9/20) 2017年4月18日、Microsoft社に買収される。
7) グリッド総合研究所
産総研グリッド研究センターのところにも書いたが、これと関連するベンチャーとして、(株)グリッド総合研究所(社長西克也)が3月15日に発足した。
企業の終焉
1) Compaq Computer社(Hewlett-Packard社に買収)
これについてはアメリカ企業の動きのところで述べた。
2) 予言(Gartner社)
Gartner社のアナリストCarl Claunchは、10月にフロリダ州Orlandoで開催されたSymposium/IT Expo 2002において、IT産業について10の予言を語ったが、とくに今後2年間の間に、ソフトウェア企業の50%は消滅するであろうと述べた。(HPCwire 2002/10/18) さて、どうなるであろうか。
次は2003年、日本ではNAREGIプロジェクトが始まるとともに、産総研グリッド研究センターも活動を開始し、アジアのグリッドの要の役割を果たす。3月、GGF7が新宿で開催される。富士通は京大に9 TFlopsのスカラ型スーパーコンピュータを納入する。