提 供
HPCの歩み50年(第56回)-1996年(d)-
PittsburghでのSupercomputing 96は、ENIAC完成50周年、IEEE/CSおよびACMの創立50周年ということで歴史資料が展示された。Cray Research社はT90、T3Eを発売するなど順調に見えたが、SGIに買収された。IBM社はチェス専用コンピュータDeep Blueを製造し、Kasparovに挑戦した。
Supercomputing 96
1) 初めての歴史展示
第9回目のSupercomputing国際会議は、ペンシルバニア州のPittsburgh の David L. Lawrence Convention Center および隣接する Double Tree Hotel で、”Computers at Work” をテーマに、11月17日から22日まで(17日はtutorialのみ)開かれた。詳細は筆者の報告を参照。
ENIAC完成50周年、IEEE Computer Society および ACM の創立50周年ということで、計算機の歴史展示が設けられた。とくに目を引いたのは、Atanasoff-Berry Computer のレプリカが展示されていたことである。関係者から日立の初期の資料がないという連絡を受けたので、河辺峻さんにお願いして、HIPAC 101 (商用パラメトロン計算機 1960) と、HITAC 5020E (初代の汎用大型機 1963) のパネルを提供していただき、展示に飾った。
2) 国際化
SCはこれまで何となくアメリカの国内会議の雰囲気が漂っていたが、HPCwireのNorris Parker Smithが、記事の中でSCがようやく国際化しつつあることを指摘している。50件の原著講演のうち6件の登壇者はUS外の所属、50件弱の研究展示のうち6件はUS外の組織、45件のポスター発表のうち11件はUS外の所属、組織委員、プログラム委員、その他の委員など75名のうちで1名がUS外の所属とのことである。この1名は実は筆者のことで、初めてPanel/Roundtableの委員を務めた。
松岡聡、朴泰祐はじめ多くの日本関係者が組織委員、プログラム委員等で大活躍している現在からみると、まるでうそのように思われる。筆者は、次のSC97のプログラム委員を依頼された。ヨーロッパからの2名を合わせて、3名の非US委員であった。
3) Seymour Cray賞の創設
後で述べるように9月の自動車事故で入院していたSeymour Crayは1996年10月5日に死去した。SC96では、(Cray Research社を買収した)SGIのIrene Qualters女史から、彼を記念して賞を創設すること、毎年賞金1万ドルを拠出することが発表された。実際には、1997年、IEEE/CSの賞として創設され、1999年から授与されている。
4) Gordon-Bell Prize
今年も SC’96 で Gordon Bell Awards が発表された。前にも書いたが、性能部門でNAL NWT (Simulation of 3-Dimensional Cascade Flow (in jet engines) with a Numerical Wind Tunnel)、 専用計算機部門でGRAPE-4 (N-body Simulation of Galaxy Formation on a Grape-4 Special-Purpose Computer)、価格性能比部門でCornell/MPI (Electronic Structure of Materials Using Self-Interaction Corrected Density Functional Theory)であった。
5) Top500
今でこそ一般の新聞も注目するTop500であるが、このころは静かなものであった。前に述べたように、日立と筑波大の協力により、Linpackで368.2 GFlopsという記録を達成し、11月18日付けのリストでは見事1位の栄光に輝いた。2位はNWT (229.7)、3位は前回1位であった東大大型センターのSR2201 (220.4)であった。
このSC96では、Top500のBoFが20日(水曜日)の13:30~15:00にDoubletree Hotel, Washington Roomであったが、表彰式もなかった。私がTop500のBoFに気づいたのはこれが最初である。以前にあったのかどうかは不明。参加者も20名か30名。始まる前にHans Meuerがやって来て、筆者に「おまえは1位と3位の両方を知っているだろう。」というので、「知っているが、もうすぐProfessor Bokuが来るから、彼に聞いてくれ。」と言う程度のいい加減さであった。
その晩、Pittsburghの64階のステーキハウスにおいて、CP-PACS関係者でささやかな祝杯を挙げた。
Top500主宰者の分析によると、Top500リストに占める産業界のシステム数は減少の一途をたどり、1995年6月には86にまで減少した。その後は増加に反転し、今回は148まで回復したとのことである。産業界のスーパーコンピュータの主力は、SGI Power Challenge、IBM SP/2、HPC/Convex SPPの3種であり、産業界の148台のうちの75%を占めている。
6) ASCI Challenge
前年に始まったASCI Projectに関するパネルが3コマもあり、若い人の熱気があふれていた。何かおこぼれに与れないかと、鵜の目鷹の目で聞いていた。1 TFlops強を目指すSNLのASCI Redは完成間際のようであった。IBMはLLNLに建設中のASCI Blue-Pacific計画を、Cray/SGIはLANLに建設中のASCI Blue-Mountainについて説明した。
7) Petaflops Computing
前に述べたように、NSF、NASA,DARPAは共同してPetaflops Computingの8つのプロジェクトを選定した。SC96でも21日(木)にはPaul Messina (CalTech)を座長としてパネルが開かれた。
a) Messinaは、Petaflopsを必要とする応用はいくらもあるが、コンピュータ技術の限界が重要だ、とのべた。限界として、 | |
半導体技術 アーキテクチャ ソフトウェア(latency hidingとmillion threads) コスト、サイズ、消費電力 |
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を上げた(いつも同じです)。Petaflops Forum Frontiers 95, 96の結論として | |
15~20年後には可能 コストが$100M~$1Bとなり問題となる 信頼性はどうにかなる ソフトウェアが難しい |
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と述べた。 | |
b) Rick Stevensは応用の分析をした c) Tilak Agervala (IBM)はシステムのロードマップを議論した。12 GFlops/Processor、64way SMP、 1300ノードで、GWには行かないだろう。価格はムーアの法則でどうにかなる。 d) Peter Kogge (Notre Dame)は、PIM (Processor in Memory)について e) Thomas Sterlingは、未来技術、とくに超伝導やホログラムメモリについて述べた。 f) Fran Bermanは、”If Petaflops is an answer, what is the question?”と例によって混ぜっ返した。 g) 最後にSteve NelsonがPetaflopsの商品化の方向性について論じた。 |
エクサスケールの話と結構似ていますね。
世界の企業の動き
1) Cray Research社
前年1995年、Cray Research社はベクトルではT90を、超並列ではT3Eを発表し、順風満帆と思われた。実際、1995年の最終四半期には黒字に転じ、年末には$437Mもの注文残があった。
1996年2月26日に突然発表があり、SGIとの間に合併の合意ができ、Cray Researchの株式の19,218,735株(75%)を$576M(すなわち、1株$30)で買収するとのことであった。残りの株はSGIの株と一対一で交換される。この直前、2月6日、Cray Research社は、Chippewa Fallsのプリント基板工場をロンドンに本社を置くJohnson Matthey Plc.に$40Mで売却し、350人の従業員も同社に移るという報道があった。ただし今後もCray Research社のためのプリント基板の製造は継続する、これは経費節減のためである、とのことであった。このニュースを見た時ちょっと不思議な感じがしたが、まさか20日後にSGIに吸収されるとは思わなかった。前準備だったのだろうか?
SGIの会長CEOであるEdward R. McCrackenは、「両社の組み合わせにより世界をリードするHPCの会社を創造するであろう」と強気の発言を行った。合併後は$4B近い売り上げの大企業になるという触れ込みであった。計画としては、2000年ごろまでにプロセッサをMIPSに統一し、uniformでスケーラブルなSMPを開発すると発表した。多くの技術的・経営的な困難を指摘する議論があった。
同日のニュースグループcomp.sys.superには、早速次のような記事が載っていた。
「[Crayという]名前はしばらく残るだろうが、そのうちに忘れ去られる。SGIが大きなベクトル機を製造するなんて信じられない。まあ、J90やその後継には未来があるかも知れないが。多分、T3Eは“ゆりかご”の中で絞め殺され、メモリや相互接続の技術はMIPSの箱に合わせられるだろう。
アメリカのスーパーコンピュータ産業はうまくいっている間はおもしろかった。しかし“うたげは終わりぬ(The party’s over.)”この状況に慣れるしかない。」(S.O. Gombosi) でも幸い宴は終わらなかったようだ。
買収が完了したのは7月である。その後、Sun Microsystems社は、Cray Business Systems部門をSGIから買収した。Cray Business Systems部門は、FPSの遺産を継承したCS6400を製造販売していた。当時Starfireのコード名で開発中の後継機はSun Enterprise 10000となった。T3Eの後継として、MIPSのR10000を用いたT3Fが出るなどの噂もあったが、実現しなかった。合併発表の3日前の2月23日、筆者は日本クレイ社のS氏と偶然会い、Starfire複数台を高速ネットワークで結合したシステムの話を聞き、近いうちに技術者と伺いますとのことであったが、夢と消えてしまった。
買収処理の途中であるが、3月末にはT3EをPittsburgh Supercomputer Centerに設置し4月には稼動した。8月には正式に引き渡し、披露式典が開かれた。また月は不明であるが、ドイツJülich研究所に、Cray SV1exを設置した。
2) Silicon Graphics社
SGI社は10月7日、Origin 2000を発表した。Cray Researchの買収終了の直後であった。SGI ChallengeやPOWER Challengeの後継機であるが、対称マルチプロセッサではなく、cc-NUMA (cache coherent Non-Uniform Memory Access)アーキテクチャであり、論理的には共有メモリであるが、メモリによってアクセス時間が異なっていた。CPUはMIPSのR10000(1996年1月発売、当初のクロック180 MHz)で、ノード当たり1個または2個搭載していた。販売された最大のOrigin 2000は128個のCPUを搭載していた。512個のCPUを搭載したシステムは3モデルあったが一般には販売されなかった。最大のシステムはLANLのASCI Blue Mountainで、128個のCPUを持つシステムをHIPPIにより48台結合したものである。
1999年11月のTop500のリストには、ASCIを別にして65台のOrigin 2000(クロックを上げたものも含む)が掲載されている。
前項で述べたように、1996年5月には、SGIとCray Researchの両社は、2000年を目途に、MIPSチップに基づく、ユニフォームでスケーラブルなSMP製品に統一していくという記者発表を行った。ご存じのように現実は別の方向に向かった。
3) Sun Microsystems社
Cray ResearchのSGIによる合併が発表されて間もなくの4月23日に、Sun Microsystems社はUltra Enterprise X000 (3000, 4000, 5000, 6000)シリーズを発表した。最大の6000では30個のUltraSPARCプロセッサを接続できる。上に述べたように、Cray Business Systems部門をSGIから買収し、開発されていたStarfireを最上位機種Enterprise 10000と位置づけた。
4) IBM社
IBM社は1989年からチェス専用コンピュータ”Deep Blue”を開発してきた。これは30プロセッサのRS/6000 SP Thin P2SCシステムに、特別に開発したチェス専用のチップを480個付加したものである。1996年2月10日にチェスチャンピオンのGarry Kasparovと初対戦しDeep Blueが勝利したが、結局Kasparovが3勝1敗2引き分けで勝利した。翌1997年にも対戦し、結果は1勝2敗3引き分けでDeep Blueが僅差で勝利した。
CPUでは1996年7月にPowerPC 604eを発売した。これは32 KBの L1キャッシュを命令とデータにそれぞれ用意し、分岐予測を導入した。これにより604に比べて25%の性能向上を実現した。0.35μmプロセスで製造され、スピードは166~233 MHzで、233 MHzでは16-18Wを消費した。1997年8月に導入されたPowerPC 604ev, 604r, “Mach 5”は、0.25μmプロセスにより250~400 MHzで動作した。
5) Sequent Computer Systems社
6月、Sequent Computer Systems社はChen Systems社を買収した。また、これまでのSMP (Symmetric Multiprocessor)の路線を離れて、cc-NUMAアーキテクチャに基づくNUMA-Qを開発した。Netscape社は大容量のweb serverとしてSequent社の技術に目を付けたと報じられている。
なお、1999年9月にIBMに買収され、名前が消えた。
6) Portland Group社
このころthe Portland Group社は、x86用のコンパイラをASCI Redのために開発した。翌1997年には一般のLinuxシステムのためのx86コンパイラを発売した。
7) Hewlett-Packard社
1月、Hewlett-Packard社は、64ビットの命令セットアーキテクチャPA-RISC 2.0を発表した。この版からmultiply-add混合命令や、MAX-2 SIMD拡張が導入された。このアーキテクチャの最初のCPUとして、1月にPA-8000が出荷された。
PA-8000を搭載した2種類のcc-NUMA並列コンピュータを発売した。HP Exemplar S-Classはクロスバスイッチで結合したSMPサーバで最大16 CPUまで搭載でき、ピーク性能は11.5 GFlopsである。HP Exemplar X-Classは最大64 CPUまで搭載でき、ピーク性能は46 GFlopsである。1997年11月のTop500リストによると、X-Classの設置機関は以下の通り。128 CPUまで搭載できるようである。
組織 | CPU数 | Rmax | 順位 |
Caltech/JPL | 128 | 51.3 | 63位 tie |
Hewlett-Packard CXTC | 128 | 51.3 | 63位 tie |
Naval Research Laboratory(米) | 64 | 27.56 | 107位 tie |
NCSA | 64 | 27.56 | 107位 tie |
HTC(ドイツ) | 64 | 27.56 | 107位 tie |
Caltech/JPL(2台) | 64 | 27.56 | 107位 tie |
Mainz大学(ドイツ) | 48 | 22.31 | 141位 tie |
Leipzig大学(ドイツ) | 48 | 22.31 | 141位 tie |
東北大学 | 48 | 22.31 | 141位 tie |
Arnold Engineering Development Center(米) | 48 | 22.31 | 141位 tie |
これ以下では、32 CPU(Rmax=15.01、257位tie)が10機関(日本では立命館大学、東京大学、京都大学基礎物理学研究所など)、24 CPU(Rmax=11.76、362位 tie)が5機関(シャープ社など)である。
8) MIPS Technologies社
1996年1月、SGIの子会社となっていたMIPS Technologies社はR10000を販売。製造は日本電気と東芝。1月には175 MHz版と195 MHz版を製造し、1997年には150 MHz版が登場した。1997年には0.25μmプロセスによる250 MHz版を発売した。
1996年9月25日、SGIは日本電気が3月から7月の間に製造したR10000には欠陥があり、電流が流れすぎることがあると発表、10000個のチップを回収した。
9) Intel社
プロセッサi860を用いたParagonを製造してきたが、1996年3月、Intel社はこの路線を終了すると発表した。”Paragone”と皮肉を言われた。次世代マシン(とくにASCI Redの技術によるもの)が予想されたが、Intel社は別会社で開発する方針を示唆した。
Pentium Proは発表されていたが、P5アーキテクチャに基づくPentiumの開発も進められた。1996年1月4日には、0.35μmプロセスによる150 MHzと166 MHzのPentium、6月10日には200 MHzのPentiumが発売された。
10) Digital Equipment社
同社は10月、次世代のAlpha21264(コード名EV6)を発表した。クロック500 MHz以上で60Wとのことである。ピークではあるが、チップ当たり1 GFlopsの時代に入った。
次回は日米スーパーコンピュータ貿易摩擦。曰く、「アメリカ国民の納めた税金は、アメリカの産業競争力の強化のために使うべきである。」
(タイトル画像: SGIに買収された後のCray Research社のロゴ)