世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

9月 28, 2015

HPCの歩み50年(第56回)-1996年(d)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

PittsburghでのSupercomputing 96は、ENIAC完成50周年、IEEE/CSおよびACMの創立50周年ということで歴史資料が展示された。Cray Research社はT90、T3Eを発売するなど順調に見えたが、SGIに買収された。IBM社はチェス専用コンピュータDeep Blueを製造し、Kasparovに挑戦した。

Supercomputing 96

1) 初めての歴史展示
第9回目のSupercomputing国際会議は、ペンシルバニア州のPittsburgh の David L. Lawrence Convention Center および隣接する Double Tree Hotel で、”Computers at Work” をテーマに、11月17日から22日まで(17日はtutorialのみ)開かれた。詳細は筆者の報告を参照。

ENIAC完成50周年、IEEE Computer Society および ACM の創立50周年ということで、計算機の歴史展示が設けられた。とくに目を引いたのは、Atanasoff-Berry Computer のレプリカが展示されていたことである。関係者から日立の初期の資料がないという連絡を受けたので、河辺峻さんにお願いして、HIPAC 101 (商用パラメトロン計算機 1960) と、HITAC 5020E (初代の汎用大型機 1963) のパネルを提供していただき、展示に飾った。

2) 国際化
SCはこれまで何となくアメリカの国内会議の雰囲気が漂っていたが、HPCwireのNorris Parker Smithが、記事の中でSCがようやく国際化しつつあることを指摘している。50件の原著講演のうち6件の登壇者はUS外の所属、50件弱の研究展示のうち6件はUS外の組織、45件のポスター発表のうち11件はUS外の所属、組織委員、プログラム委員、その他の委員など75名のうちで1名がUS外の所属とのことである。この1名は実は筆者のことで、初めてPanel/Roundtableの委員を務めた。

松岡聡、朴泰祐はじめ多くの日本関係者が組織委員、プログラム委員等で大活躍している現在からみると、まるでうそのように思われる。筆者は、次のSC97のプログラム委員を依頼された。ヨーロッパからの2名を合わせて、3名の非US委員であった。

3) Seymour Cray賞の創設
後で述べるように9月の自動車事故で入院していたSeymour Crayは1996年10月5日に死去した。SC96では、(Cray Research社を買収した)SGIのIrene Qualters女史から、彼を記念して賞を創設すること、毎年賞金1万ドルを拠出することが発表された。実際には、1997年、IEEE/CSの賞として創設され、1999年から授与されている。

4) Gordon-Bell Prize
今年も SC’96 で Gordon Bell Awards が発表された。前にも書いたが、性能部門でNAL NWT (Simulation of 3-Dimensional Cascade Flow (in jet engines) with a Numerical Wind Tunnel)、 専用計算機部門でGRAPE-4 (N-body Simulation of Galaxy Formation on a Grape-4 Special-Purpose Computer)、価格性能比部門でCornell/MPI (Electronic Structure of Materials Using Self-Interaction Corrected Density Functional Theory)であった。

5) Top500
今でこそ一般の新聞も注目するTop500であるが、このころは静かなものであった。前に述べたように、日立と筑波大の協力により、Linpackで368.2 GFlopsという記録を達成し、11月18日付けのリストでは見事1位の栄光に輝いた。2位はNWT (229.7)、3位は前回1位であった東大大型センターのSR2201 (220.4)であった。

このSC96では、Top500のBoFが20日(水曜日)の13:30~15:00にDoubletree Hotel, Washington Roomであったが、表彰式もなかった。私がTop500のBoFに気づいたのはこれが最初である。以前にあったのかどうかは不明。参加者も20名か30名。始まる前にHans Meuerがやって来て、筆者に「おまえは1位と3位の両方を知っているだろう。」というので、「知っているが、もうすぐProfessor Bokuが来るから、彼に聞いてくれ。」と言う程度のいい加減さであった。

その晩、Pittsburghの64階のステーキハウスにおいて、CP-PACS関係者でささやかな祝杯を挙げた。

Top500主宰者の分析によると、Top500リストに占める産業界のシステム数は減少の一途をたどり、1995年6月には86にまで減少した。その後は増加に反転し、今回は148まで回復したとのことである。産業界のスーパーコンピュータの主力は、SGI Power Challenge、IBM SP/2、HPC/Convex SPPの3種であり、産業界の148台のうちの75%を占めている。

6) ASCI Challenge
前年に始まったASCI Projectに関するパネルが3コマもあり、若い人の熱気があふれていた。何かおこぼれに与れないかと、鵜の目鷹の目で聞いていた。1 TFlops強を目指すSNLのASCI Redは完成間際のようであった。IBMはLLNLに建設中のASCI Blue-Pacific計画を、Cray/SGIはLANLに建設中のASCI Blue-Mountainについて説明した。

7) Petaflops Computing
前に述べたように、NSF、NASA,DARPAは共同してPetaflops Computingの8つのプロジェクトを選定した。SC96でも21日(木)にはPaul Messina (CalTech)を座長としてパネルが開かれた。

a) Messinaは、Petaflopsを必要とする応用はいくらもあるが、コンピュータ技術の限界が重要だ、とのべた。限界として、
半導体技術
アーキテクチャ
ソフトウェア(latency hidingとmillion threads)
コスト、サイズ、消費電力
を上げた(いつも同じです)。Petaflops Forum Frontiers 95, 96の結論として
15~20年後には可能
コストが$100M~$1Bとなり問題となる
信頼性はどうにかなる
ソフトウェアが難しい
と述べた。
b) Rick Stevensは応用の分析をした
c) Tilak Agervala (IBM)はシステムのロードマップを議論した。12 GFlops/Processor、64way SMP、
1300ノードで、GWには行かないだろう。価格はムーアの法則でどうにかなる。
d) Peter Kogge (Notre Dame)は、PIM (Processor in Memory)について
e) Thomas Sterlingは、未来技術、とくに超伝導やホログラムメモリについて述べた。
f) Fran Bermanは、”If Petaflops is an answer, what is the question?”と例によって混ぜっ返した。
g) 最後にSteve NelsonがPetaflopsの商品化の方向性について論じた。

エクサスケールの話と結構似ていますね。

 世界の企業の動き

1) Cray Research社
前年1995年、Cray Research社はベクトルではT90を、超並列ではT3Eを発表し、順風満帆と思われた。実際、1995年の最終四半期には黒字に転じ、年末には$437Mもの注文残があった。

1996年2月26日に突然発表があり、SGIとの間に合併の合意ができ、Cray Researchの株式の19,218,735株(75%)を$576M(すなわち、1株$30)で買収するとのことであった。残りの株はSGIの株と一対一で交換される。この直前、2月6日、Cray Research社は、Chippewa Fallsのプリント基板工場をロンドンに本社を置くJohnson Matthey Plc.に$40Mで売却し、350人の従業員も同社に移るという報道があった。ただし今後もCray Research社のためのプリント基板の製造は継続する、これは経費節減のためである、とのことであった。このニュースを見た時ちょっと不思議な感じがしたが、まさか20日後にSGIに吸収されるとは思わなかった。前準備だったのだろうか?

SGIの会長CEOであるEdward R. McCrackenは、「両社の組み合わせにより世界をリードするHPCの会社を創造するであろう」と強気の発言を行った。合併後は$4B近い売り上げの大企業になるという触れ込みであった。計画としては、2000年ごろまでにプロセッサをMIPSに統一し、uniformでスケーラブルなSMPを開発すると発表した。多くの技術的・経営的な困難を指摘する議論があった。

同日のニュースグループcomp.sys.superには、早速次のような記事が載っていた。

「[Crayという]名前はしばらく残るだろうが、そのうちに忘れ去られる。SGIが大きなベクトル機を製造するなんて信じられない。まあ、J90やその後継には未来があるかも知れないが。多分、T3Eは“ゆりかご”の中で絞め殺され、メモリや相互接続の技術はMIPSの箱に合わせられるだろう。

アメリカのスーパーコンピュータ産業はうまくいっている間はおもしろかった。しかし“うたげは終わりぬ(The party’s over.)”この状況に慣れるしかない。」(S.O. Gombosi) でも幸い宴は終わらなかったようだ。

買収が完了したのは7月である。その後、Sun Microsystems社は、Cray Business Systems部門をSGIから買収した。Cray Business Systems部門は、FPSの遺産を継承したCS6400を製造販売していた。当時Starfireのコード名で開発中の後継機はSun Enterprise 10000となった。T3Eの後継として、MIPSのR10000を用いたT3Fが出るなどの噂もあったが、実現しなかった。合併発表の3日前の2月23日、筆者は日本クレイ社のS氏と偶然会い、Starfire複数台を高速ネットワークで結合したシステムの話を聞き、近いうちに技術者と伺いますとのことであったが、夢と消えてしまった。

買収処理の途中であるが、3月末にはT3EをPittsburgh Supercomputer Centerに設置し4月には稼動した。8月には正式に引き渡し、披露式典が開かれた。また月は不明であるが、ドイツJülich研究所に、Cray SV1exを設置した。

2) Silicon Graphics社
SGI社は10月7日、Origin 2000を発表した。Cray Researchの買収終了の直後であった。SGI ChallengeやPOWER Challengeの後継機であるが、対称マルチプロセッサではなく、cc-NUMA (cache coherent Non-Uniform Memory Access)アーキテクチャであり、論理的には共有メモリであるが、メモリによってアクセス時間が異なっていた。CPUはMIPSのR10000(1996年1月発売、当初のクロック180 MHz)で、ノード当たり1個または2個搭載していた。販売された最大のOrigin 2000は128個のCPUを搭載していた。512個のCPUを搭載したシステムは3モデルあったが一般には販売されなかった。最大のシステムはLANLのASCI Blue Mountainで、128個のCPUを持つシステムをHIPPIにより48台結合したものである。

1999年11月のTop500のリストには、ASCIを別にして65台のOrigin 2000(クロックを上げたものも含む)が掲載されている。

前項で述べたように、1996年5月には、SGIとCray Researchの両社は、2000年を目途に、MIPSチップに基づく、ユニフォームでスケーラブルなSMP製品に統一していくという記者発表を行った。ご存じのように現実は別の方向に向かった。

3) Sun Microsystems社
Cray ResearchのSGIによる合併が発表されて間もなくの4月23日に、Sun Microsystems社はUltra Enterprise X000 (3000, 4000, 5000, 6000)シリーズを発表した。最大の6000では30個のUltraSPARCプロセッサを接続できる。上に述べたように、Cray Business Systems部門をSGIから買収し、開発されていたStarfireを最上位機種Enterprise 10000と位置づけた。

4) IBM社
IBM社は1989年からチェス専用コンピュータ”Deep Blue”を開発してきた。これは30プロセッサのRS/6000 SP Thin P2SCシステムに、特別に開発したチェス専用のチップを480個付加したものである。1996年2月10日にチェスチャンピオンのGarry Kasparovと初対戦しDeep Blueが勝利したが、結局Kasparovが3勝1敗2引き分けで勝利した。翌1997年にも対戦し、結果は1勝2敗3引き分けでDeep Blueが僅差で勝利した。

CPUでは1996年7月にPowerPC 604eを発売した。これは32 KBの L1キャッシュを命令とデータにそれぞれ用意し、分岐予測を導入した。これにより604に比べて25%の性能向上を実現した。0.35μmプロセスで製造され、スピードは166~233 MHzで、233 MHzでは16-18Wを消費した。1997年8月に導入されたPowerPC 604ev, 604r, “Mach 5”は、0.25μmプロセスにより250~400 MHzで動作した。

5) Sequent Computer Systems社
6月、Sequent Computer Systems社はChen Systems社を買収した。また、これまでのSMP (Symmetric Multiprocessor)の路線を離れて、cc-NUMAアーキテクチャに基づくNUMA-Qを開発した。Netscape社は大容量のweb serverとしてSequent社の技術に目を付けたと報じられている。

なお、1999年9月にIBMに買収され、名前が消えた。

6) Portland Group社
このころthe Portland Group社は、x86用のコンパイラをASCI Redのために開発した。翌1997年には一般のLinuxシステムのためのx86コンパイラを発売した。

7) Hewlett-Packard社
1月、Hewlett-Packard社は、64ビットの命令セットアーキテクチャPA-RISC 2.0を発表した。この版からmultiply-add混合命令や、MAX-2 SIMD拡張が導入された。このアーキテクチャの最初のCPUとして、1月にPA-8000が出荷された。

PA-8000を搭載した2種類のcc-NUMA並列コンピュータを発売した。HP Exemplar S-Classはクロスバスイッチで結合したSMPサーバで最大16 CPUまで搭載でき、ピーク性能は11.5 GFlopsである。HP Exemplar X-Classは最大64 CPUまで搭載でき、ピーク性能は46 GFlopsである。1997年11月のTop500リストによると、X-Classの設置機関は以下の通り。128 CPUまで搭載できるようである。

組織 CPU数 Rmax 順位
Caltech/JPL 128 51.3 63位 tie
Hewlett-Packard CXTC 128 51.3 63位 tie
Naval Research Laboratory(米) 64 27.56 107位 tie
NCSA 64 27.56 107位 tie
HTC(ドイツ) 64 27.56 107位 tie
Caltech/JPL(2台) 64 27.56 107位 tie
Mainz大学(ドイツ) 48 22.31 141位 tie
Leipzig大学(ドイツ) 48 22.31 141位 tie
東北大学 48 22.31 141位 tie
Arnold Engineering Development Center(米) 48 22.31 141位 tie

これ以下では、32 CPU(Rmax=15.01、257位tie)が10機関(日本では立命館大学、東京大学、京都大学基礎物理学研究所など)、24 CPU(Rmax=11.76、362位 tie)が5機関(シャープ社など)である。

8) MIPS Technologies社
1996年1月、SGIの子会社となっていたMIPS Technologies社はR10000を販売。製造は日本電気と東芝。1月には175 MHz版と195 MHz版を製造し、1997年には150 MHz版が登場した。1997年には0.25μmプロセスによる250 MHz版を発売した。

1996年9月25日、SGIは日本電気が3月から7月の間に製造したR10000には欠陥があり、電流が流れすぎることがあると発表、10000個のチップを回収した。

9) Intel社
プロセッサi860を用いたParagonを製造してきたが、1996年3月、Intel社はこの路線を終了すると発表した。”Paragone”と皮肉を言われた。次世代マシン(とくにASCI Redの技術によるもの)が予想されたが、Intel社は別会社で開発する方針を示唆した。

Pentium Proは発表されていたが、P5アーキテクチャに基づくPentiumの開発も進められた。1996年1月4日には、0.35μmプロセスによる150 MHzと166 MHzのPentium、6月10日には200 MHzのPentiumが発売された。

10) Digital Equipment社
同社は10月、次世代のAlpha21264(コード名EV6)を発表した。クロック500 MHz以上で60Wとのことである。ピークではあるが、チップ当たり1 GFlopsの時代に入った。

次回は日米スーパーコンピュータ貿易摩擦。曰く、「アメリカ国民の納めた税金は、アメリカの産業競争力の強化のために使うべきである。」

(タイトル画像: SGIに買収された後のCray Research社のロゴ)

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