世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

10月 13, 2015

HPCの歩み50年(第58回)-1997年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

日本では諮問第25号「未来を拓く情報科学技術の戦略的な推進方策の在り方について」に基づいて情報科学技術部会が設置され、アメリカではPITACが設置された。両者は似ている面もあるが位置づけは全く異なる。日本では、未来開拓「計算科学」が始まった。地球シミュレータ開発も進められた。日本原子力研究所計算科学技術推進センターでは、5種のスーパーコンピュータを設置し、科学技術用の並列ソフトウェアの開発を始めた。HPF2が出るとともに、OpenMPが発表された。

社会の動きとしては、バブルの後遺症とアジア通貨危機で銀行の破綻が相次いだ。1/2島根県沖でナホトカ号重油流出事故、2/19 鄧小平死去、2/19神戸連続児童殺傷事件、2/23クローン羊ドリー、3/3伊豆半島群発地震始まる、3/6野村証券、総会屋や親族企業に利益供与報道、他社も相次ぐ、3/11動燃東海事業所再処理施設で火災爆発事故、3/26カルト教団Heaven’s Gateの信者38名がカリフォルニアで集団自殺、4/1消費税5%へ、4/1Hale-Bopp彗星最接近、4/22ペルー日本大使館にペルー軍特殊部隊突入、5/1英国労働党のトニー・ブレアが首相に、6/17臓器移植法成立(施行は10/16)、6/26『ハリーポッターと賢者の石』イギリスで出版、7/1香港返還、7/2タイバーツ変動相場制へ(アジア通貨危機)、7/4 Mars Pathfinderが火星に着陸、7/29福田和子を時効直前に逮捕、「危ない危ない」が有名に、8/1永山則夫死刑執行、8/31ダイアナ妃交通事故で死亡、9/5マザー・テレサ死亡、10/27ニューヨーク株式市場が史上最大の下げ幅、各地に波及、10/31東京DLや川崎駅前でハロウィーン行事始まる、11/3三洋証券倒産、11/17ルクソール事件、11/17北海道拓殖銀行経営破綻、11/22山一証券経営危機、11/24自主廃業へ、記者会見で野澤正平社長が『社員は悪くありませんから』と絶叫。その後経営破綻相次ぐ、12/7介護保険法公布、12/11第3回機構変動枠組み条約締結公会議COP3で京都議定書を採択、12/18韓国大統領選挙で金大中が当選。

カルト教団Heaven’s Gateによると、「Hale-Bopp 彗星の裏側にはUFOが隠れていて、地球をrecycleしようとしている。心あるものは体という容器を脱ぎ捨て、UFO に乗って地球を去ろう!!!」オウムとはちょっと違うが世紀末ですね。

日本政府の動き

1) 諮問第25号
前年1996年7月2日、第1期の科学技術基本計画が閣議決定された。その具体化方策の一つとして、1997年7月28日、内閣総理大臣橋本龍太郎から科学技術会議議長である橋本龍太郎あてに、情報科学技術の戦略的な推進方策について、諮問第25号「未来を拓く情報科学技術の戦略的な推進方策の在り方について」が送られた。科学技術会議では、新しく情報科学技術部会を設置して審議を進めることになった。この部会は、石塚貢(常勤科学技術会議議員)を部会長とし、5人の科学技術会議議員(森亘、吉川弘幸、関本忠弘、熊谷信昭、佐野陽子)と産官学の専門委員19名からなる。産業界からは、NTT、日立、富士通などの大会社に加えて、ソフテックの武田喜一郎社長も専門委員に含まれていた。筆者も末席を汚した。

部会は、12月10日に第1回会合を開き、以後16回開催された。

2) 未来開拓「計算科学」
日本学術振興会の未来開拓事業は前年から始まっていたが、筆者は計算科学の重要性を考え、「計算理学」という新規研究分野を理工部会委員である小林俊一(東大理)を通して1997年1月頃提案した。共通点を持つ問題ごとに最適なアーキテクチャを採用することによって、今後数年間に20~100倍の性能向上が期待できると力説した。推進すべきプロジェクト内容の例として、第一原理物質設計、タンパク質の立体構造、強相関電子系、銀河形成の解明、超新星の重力崩壊の解明、格子上の量子色力学を挙げた。

同時に、東大工の矢川元基から「計算力学」の提案がなされた。どういう議論があったかは知らないが、両提案をマージして「計算科学」とすることになり、矢川元基が推進委員長となった。多くのプロジェクトの提案があったが、プロジェクトリーダ予定者を含めて4月ごろ調整を進め、4つのプロジェクトを構成した。シナジー効果を狙って、毛色の異なるプロジェクトを連合させた。5月12日の理工部会で矢川委員長が説明し、5月22日の事業委員会で正式決定となった。プロジェクトとリーダは以下の通り。

(a) 次世代超並列計算機開発(岩崎洋一)
(b) 設計用大規模計算力学システムの開発(吉村忍)
(c) 地球規模乱流解明のための計算科学(金田行雄)
(d) 次世代エレクトロニクスのための物質科学シミュレーション(今田正俊)

1998年に

(e) 第一原理からのタンパク質の立体構造予測シミュレーション法の開発(岡本祐幸)

を加えて、2003年3月まで継続した。

3) 地球シミュレータ計画始動
報告書『地球変動予測の実現に向けて』(1996/7)を受けて、「計算科学技術推進会議地球シミュレータ部会」が開かれたことはすでに述べたが、この部会は6回の審議を経て報告書『「地球シミュレータ」計画の推進について』をまとめた。

報告書では、現在の分解能を水平方向に10倍、鉛直方向に数倍引き上げることにより、モデル化を最小限にして直接シミュレーションを行うことが可能になる、そのためには現在の1000倍、すなわち5 TFlopsの実効性能が必要である、と述べられている。これをマイクロプロセッサで実現するには、50~100 TFlopsのピーク性能が必要となるが、ベクトル計算機を要素とすることにより、30 TFlops程度のピーク性能で達成可能と分析している。

1997年4月1日、宇宙開発事業団(NASDA)と動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の両機関は、地球シミュレータ研究開発に関する協力協定を締結し、この協定に基づいて、プロジェクト・マネージメントを担う地球シミュレータ研究開発センターが設置され、三好甫氏がセンター長に就いた。高度情報科学技術研究機構を、効率的な並列ソフトウェア開発のための支援機関とした。しかし、もんじゅのナトリウム漏れ事故や動燃の火災爆発事故などのため、1998年には動燃が改組され、地球シミュレータ開発体制は大きな変更を迫られることになる。

1997年5月、「地球シミュレータ用高速並列計算機の設計等提案書に関する官報公示」が行われた。説明会には国内国外の5社が参加したが、技術提案書を提出したのは日本電気と富士通の2社のみであった。両社とも評価基準を満たしていたので、7月両社に、8月から11月の期間に、概念設計を研究委託された。11月、提出された概念設計書の審査・評価の結果、総合得点でより高い評価を得た日本電気が開発業者に決定した。

これを受けて、1997年12月、NASDA、動燃と日本電気との間で、「地球シミュレータ用超高速並列計算機の基本設計」業務委託の契約が締結された(納期は1998年3月)。さらに、1998年1月から要素技術設計(納期は1998年5月)、3月から実装技術に関する設計(納期は98年6月)も開始された。この後に、要素技術の試作および中間評価を経て、地球シミュレータの具体的な製作が開始された。

アプリケーション関係では、1997年10月に、NASDAと海洋科学技術センター(JAMSTEC)との共同事業として、地球フロンティア研究システムが創設され、松野太郎がシステム長となった。報告書「地球変動予測の実現に向けて」(1996)において具体的に掲げられた目標を実現するために、初年度に、気候変動予測研究プログラム、水循環予測研究プログラム、地球温暖化研究プログラム、続いて大気組成変動予測研究プログラム、生態系変動予測研究プログラムが設置した。アプリの開発については、関係する複数の機関の間の調整不足や思惑の違いなどによって、スムーズに進展せず、多少の混乱が生じる事態となった。以上は『地球シミュレータ開発史』による。

日本の学界の動き

1) Hokke-97
第4回「ハイパフォーマンスコンピューティングとアーキテクチャの評価」に関する北海道ワークショップ(Hokke-97)が、1997年3月6~7日に、札幌ソフトウェア専門学校で開催された。これは、情報処理学会計算機アーキテクチャ研究会(第115回)とハイパフォーマンスコンピューティング研究会(第65回)を合同開催するものである。

2) JSPP’97
第9回並列処理シンポジウム(JSPP’97)は、1997年5月28~30日に、阪神淡路大震災から2年強の神戸市産業振興センター(ハーバーランド)で開催された。実行委員長は湯浅太一(京大)、副委員長は瀧和男(神戸大)と長島重夫(日立)、プログラム委員長は上田和紀(早大)。主催は、情報処理学会の計算機アーキテクチャ研究会、システムソフトウェアとオペレーティング・システム研究会、アルゴリズム研究会、プログラミング研究会、ハイパフォーマンスコンピューティング研究会、電子情報通信学会のコンピュータシステム研究会、データ工学研究会、日本ソフトウェア科学会のオブジェクト指向コンピューテング研究会、協賛は人工知能学会と日本応用数理学会であった。並列ソフトウエアの移植性、再利用性、蓄積に関するパネルが行われた。

3) PSC97
4回目となるJSPP並列ソフトウェアコンテストPSC97が開催された。実行委員会の委員長は昨年に続き筆者が務めた。提供いただいた並列コンピュータは、日本電気のCenju-3(128プロセッサ)、日立製作所の SR2201(32プロセッサ)、富士通のAP3000(32プロセッサ)であった。日本シリコングラフィックス・クレイ社、日本鋼管、日本IBMの3社からは協賛をいただいた。コンテスト問題は、ソーティング、連立一次方程式、フーリエ変換と来て、そろそろネタ切れであった。実行委員会でいろいろ考えて「ナップサック問題」とした。確かにナップサック問題はNP困難のクラスには属するが、現実に適当な難度の問題をつくることは困難であった。あと、近似最適解の近似度と計算時間をどう総合評価するかも課題であった。予選問題は5問, 本選問題は9問出題された。入賞者は以下の通り。

マシン AP3000 Cenju-3 SR2201
参加チーム 61チーム 58チーム 59チーム
参加者 123人 114人 111人
予選通過 23チーム 31チーム 21チーム
制限時間超過 6チーム 4チーム 3チーム
実行時エラー 3チーム 1チーム
誤答 1チーム 4チーム 1チーム
1位 名取伸(東大理) 宇佐 治彦、高瀬 亮、大内 拓実(東大工) 名取伸(東大理)
2位 山村周史、奥村晃生、下村武、布目淳(京都工芸繊維) 名取伸(東大理) 片桐孝洋(東大理)
3位 片桐孝洋(東大理) 前田 直人(早稲田) 高畠志泰、山口佳紀、平田愛里、柳川和久、小野貴寛、Amien Rusdiutomo、王欣丹(電通大)

 

大学別参加チーム数では、早稲田の27チーム、東大の14チーム、筑波大と山形大の5チームが目立っていた。

4) SWoPP阿蘇97
1997年並列/分散/協調処理に関する『火の国』サマー・ワークショップSWoPP阿蘇97は、第10回目であり、第1回と同じ阿蘇に戻った。グリーンピア南阿蘇を会場として、8月19~22日に開催された(最終日は午前のみ)。主催は、電子情報通信学会のコンピュータシステム研究会(CPSY)とフォールトトレラントシステム研究会(FTS)、情報処理学会計算機のアーキテクチャ研究会(ARC)、ハイパフォーマンスコンピューティング研究会(HPC)、システムソフトウエアとオペレーティング・システム研究会(OS)、プログラミング研究会(PRO)であった。10 周年特別企画として、富田眞治による特別講演「SWoPP は世界に発信しているか」が企画された。発表件数127(97件大学、14件企業、16件国立機関他)、参加者数264(44大学201名、11企業36名、4国立研究機関他27名)であった。セッションは3会場パラレル。

今回、メインホールにおいて、「インターネット接続」公開実験が行われた(後援:CTC、NTT熊本、熊本大学)。インターネットはまだ「実験」扱いであった。何をどんな風にやったのかは記憶にない。

5) HPCS’97
SWoPP前日の1997年8月18日(月)に、ハイパフォーマンスコンピューティングシンポジウム 1997(HPCS’97)が、情報処理学会ハイパフォーマンスコンピューティング研究会の主催で行われ、筆者が実行委員長を務めた。これは単発の企画である。現在継続的に開催されているHPCSはHPC研究会発足10年目を記念して2002年から始まったものである。

午前は、「RISC計算機とHPCプログラミング」(寒川 光 (日本アイビーエム))と、「HPF言語とその最新動向」(妹尾 義樹 (NEC))の2件のチュートリアルがあった。午後は4件の招待講演。このときは一般公募の発表はなかった。

6) 数値解析シンポジウム
第26回数値解析シンポジウムは、1997年6月9~11日に、あずまや高原ホテル(長野県上田市 真田町長1278−800)で開催された。担当は前2回の森・杉原研(東大工)に続いて、小柳研究室(東大理)+電総研(関口智嗣、建部修見)であった。このころからやっと、シンポジウムの運営に電子メールやWebが活用されるようになった。講演は33件、参加者100人。4件の講演申し込みを断ったが、それでも窮屈なスケジュールとなった。あずまや高原ホテルは標高1500m、「雲の上の旅人山荘」で環境は抜群であったが、交通の便が悪く、自家用車の参加者も動員してどうにか足を確保した。

7) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所において、森正武(京大、数理解析研)を研究代表者として、研究集会『数値計算アルゴリズムの研究』が、11月26~28日開催された。森正武による特別講演「二重指数関数型変換のすすめ」があった。講演は数理解析研究所講究録1040に収録されている。

日本の学界の動きの続きや日本企業の動きは次回に。

(タイトル画像: 地球シミュレータ 画像提供:海洋研究開発機構)

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