提 供
HPCの歩み50年(第59回)-1997年(b)-
ようやく我が国でも並列処理がユーザの近くまでやって来た。原研の計算科学技術推進センターでは、5種の並列計算機を稼働させるとともに、一般の科学技術計算のための並列計算ライブラリの開発を始めた。日本の各社も並列計算機の普及のための努力を始めた。アメリカではPITACが始まるとともに、NSFはPACIを、DOEはASCIを進めた。

日本の学界の動き(続き)
8) 日本原子力研究所
すでに述べたように、日本原子力研究所計算科学技術推進センターは1995年度に設置された。また同研究所の原子力コード委員会の下に、1996年1月から森正武(東大工)を部会長として並列計算ライブラリ専門部会が設置された。3月には中目黒に移転し、VPP300/16、Cray T94/4、SX-4/2C×3、SR2201/64、SP2/48の5台の並列コンピュータを設置した。専門部会は3回開催し、センターで開発中の並列数値計算ライブラリプログラムの開発状況を検討し、それに基づいてプログラムの修正改良を行った。具体的には、前処理付共役勾配法、Block-Lanczos法、線形最小二乗法、行列計算精度評価、sub-space法、密行列のLU分解法、マルチグリッド前処理共役勾配法などである。
また、この資源を用いて、1997年度からは、企業、研究機関、大学等の研究者、大学院生を対象に、「計算科学技術ソフトウェア研究開発提案の募集」を行う制度を発足させた。
筆者は、1997年4月から、計算科学技術推進センターの第1種客員研究員を委嘱され、月に2度ほど2~3時間訪問して、センターのミーティングに参加し、研究員の指導に当たった。民間の総合研究所から並列処理の勉強に出向して来た研究員も多く、並列処理の民間への普及にも多少貢献したと思う。大変楽しい仕事であった。この仕事は2000年3月まで続いた。
11月4~5日に、東海村の原子力研究所で「原子力におけるソフトウェア開発」研究会が開催され、「並列計算におけるハードウェアとソフトウェアの動向」という講演を行った。
前年始まった数値トカマク開発専門部会(NEXT)は、第6回が1997年4月10日に開かれたが、その後の記録は手元にない。専門部会はしばらく続いたようである。
9) HPF合同検討会 (JAHPF)
三好甫(高度情報科学技術研究機構副理事長)は、応用分野のユーザが並列コンピュータを利用するためにHPF (High Performance Fortran)が有効だと考えていた。三好の発案により、富士通(株) 、日立製作所(株)、 日本電気(株)の3社の言語・コンパイラ有識者が集まり、「HPF合同検討会 (準備会)」を1996年7月~12月に開催した。
このような準備の上、1997年1月、アプリケーション研究者、開発者約50名の参加を得て 「HPF合同検討会 (JAHPF)」を発足させた。検討会は2回/1ケ月の頻度で開催し、拡張仕様を検討した。
1997年2月、First HPF Users Group Meeting(米国New Mexico州Santa Fe)にJAHPFの代表者が参加し、JAHPFの活動を発表した。 1997年7月 HPF仕様提案を作成、 HPFFに提案し、標準仕様として採用を働きかける予定であった。
10) PHASE
1995年に始まったPHASEプロジェクトでは、さらにNHSEやMatrixMarketやTop500などのmirroringを設定した。またNUMPAC、FreeFEM-I、 QCDMPIなどへのリンクも張った。
前述の26回数値解析シンポジウムでは、「PHASEサーバの現状と展望」(西田 晃、長谷川秀彦、関口智嗣、小柳義夫)という発表を行った。また日本応用数理学会年会やBit別冊などでも宣伝を行った。
結局、自主開発のソフトの公開というよりも、ミラーリングやポータルとしての役割が主となった。現在は閉鎖されている。
11) ISR Workshop
リクルートのISR(スーパーコンピュータ研究所)は1993年に閉鎖されたが、民間会社ISRを立ち上げたRaul Mendezの主催によりISR Workshopが12月4日に箱根のホテルで開催された。何か講演したはずだが記憶にない。
12) 日本IBM HPCユーザーズ・フォーラム
IBM HPC Forumを「2000年へのHPC展望に向けて」というテーマで9月11日に箱崎で開催した。基調講演はLLNLのASCI計画のプロジェクトリーダであるDave Nowak氏。
13) NEC HPC研究会
第5回NEC・HPC研究会は、5月15日に開催された。第6回は12月9日で、丸山康樹研究員(電力中央研究所)が基調講演「地球環境と気候シミュレーション」を行った。
14) 東京大学
筆者のいた東大の情報科学専攻では、理学系研究科から1996年度の教育研究設備費として概算要求し、平木敬らの尽力により、「高度密結合処理実験装置」の予算を得た。以前SC95の際、皆でCray Business Server社のSan Diego工場を見学し、開発中のStarfireに目を付けていた。前に述べたとおり、Cray社のSGIとの合併によりこの開発はSun Microsystems社に工場ごと移り、Sun Ultra Enterprise 10000 (E 10000)となっていた。SGIからはOrigin 2000の提案があった。結局、E 10000(64 CPU)に決定し、1997年3月に納入された。
なかなか面白い装置であったが、2次キャッシュがdirect mappingでデータ・命令併用のため、筆者の研究室でやっているようなデータ並列の計算には向かなかった。プログラムの走っている部分とキャッシュ上でコンフリクトするデータだけが遅くなり、半端でない同期待ちが生じることがあった。
このシステムは、建前としては実験装置であり、スーパーコンピュータではなかったが、1997年6月のTop500リストでは21.37 GFlopsで 118位タイに掲載されている。その後、チューニングが進んだのか同年11月のリストでは26.45 GFlops で114位タイとちょっぴり順位が上がっている。続いて1998年6月には188位タイ、1998年11月には258位タイとなり、1999年6月の420位タイを最後にリストから消えた。東大の情報科学専攻・コンピュータ科学専攻を通して、Top500に載ったのはこのマシンだけである。
15) 筑波大学CP-PACSプロジェクト
1992年4月に始まったCP-PACSプロジェクトは1997年3月に終了し、8月29日に日立側のお世話で品川の日立和彊館でプロジェクト打ち上げを行った。筆者は、Santa CruzのPC’97の帰りで成田から直行した。
日本企業の動き
1) 日本電気
Cenju-3 (1993) に続き、日本電気は1997年8月、並列コンピュータCenju-4を発表した。ノードは,MIPSアーキテクチャのVR10000(200MHZ,400Mflops)と512MBまでのメモリからなる。8〜1024個のノードが,マルチキャストと同期の機能を持つ多段ネットワークで接続されている。ユーザレベルのメッセージ通信機能を持った分散メモリと、キャッシュコヒーレンシ制御付き分散共有メモリの2つのメモリアーキテクチャを選択することができた。
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FUJITSU AP3000 画像提供 |
2) 富士通
これまでAP1000を公開してきた富士通並列処理研究センターでは、新たにパラレルサーバAP3000を設置し、1997年10月から利用者に提供を開始した。
1997年のParallel Computing Workshop 97は、9月25~26日にオーストラリアのANU (Australian National University, Canberra)で開催した。
シンガポールのNUS (National University of Singapore)は2月、AP3000を設置した。
3) 日立
筑波情報システム営業所内に12月HPCセンター筑波を開設し、SR2201/16を無償利用するサービスを始めた。
4月、日立製作所はJack Dongarra教授の講演会を開催した。教授がHPC Asia(後述)のためソウルに行く途中に捕まえたものである。4月25日(金)の11時から日立システムプラザ新川崎2階講堂で、” Problem Solving Environments and NetSolve: A Network Server for Solving Computational Science Problems”という公開講演を行い、多数の聴衆を集めた。筆者が司会を務めた。午後は秦野の日立神奈川工場を訪問し、関係者と意見交換を行った。
4) シャープ
シャープ社は1991年頃、三菱電機と共同してデータ駆動プロセッサDDP(ピーク20 MOPS)を開発していたたようであるが、1997年4月、新世代のデータ駆動メディアプロセッサDDMPを開発中と報道された。膨大なマルチメディア情報を超低消費電力で高速・並列処理する非同期プロセッサであり、秋から生産を開始するとのことであった。
5) インテル株式会社
半導体最大手の米Intel社の日本法人インテルジャパン株式会社は、2月1日付で社名を「インテル株式会社(Intel K.K.)」に変更すると1997年1月22日発表した。
アメリカ政府の動き
1) PITAC第1期発足
アメリカでは、1997年2月、大統領令により直属の諮問委員会(PAC、Presidential Advisory Committee on High Performance and Communications, Information Technology, and the Next Generation Internet)が設置された。その後この委員会はPITAC (President’s Information Technology Advisory Committee)と呼ばれた。この委員会は、HPC、通信、ITおよび次世代インターネットについて、OSTP (Office of Science and Technology Policy)を通じてNSTP (National Science and Technology Council) に助言を与えるものである。2001/9まで、Sun MicrosystemsのBill JoyとRice大学のKen Kennedyが共同議長を務めた。
1997年末ごろ、Ken Kennedyはいろんな人に以下の3つの質問をしているということで、筆者の所にも流れてきた。面白いので紹介する。
a) 政府機関は SX-4 や VPP を買うべきか? | ||
アメリカの会社がスーパーコンピューティングの頂点に立っていることは、本当にアメリカの安全保障にとって重要なのか? [ロビイストにだまされているのではないか?] | ||
b) (ベクトルやMTAのような) 現在のcommodity chipとは別のアーキテクチャの研究に投資すべきか? | ||
c) petaflops は本当にやる意義があるか? |
日米スーパーコンピュータ摩擦を考えると、なかなか意味深長である。
PITACではHPCCプログラムとNGIの計画立案について評価検討し、1998年に中間報告、1999年2月に最終報告を出している。最終報告では、連邦政府のITに関する研究開発が、リスクの高い長期的な課題よりも、即効性のある短期的な効果を期待したものが多い、と批判し、全く新しい視点から大規模な研究開発を実施する必要がある、と指摘している。最近(2015)、某国では「大学はもっと即戦力となる研究を行うべき」などという議論が行われているが、そんなことだからアメリカにかなわないのだ。
一方、並行して、1997年度からPITACはアメリカ政府の実施しているこれらの研究開発計画の評価、検討を2年間に亘って進め、21世紀に向けて、IT関連研究開発をさらに強力に推進すべきであると報告している。これを受けて、アメリカ政府は、21世紀情報技術戦略(IT2)を発表した。
奇しくも同じ1997年に日本で発足した、諮問第25号に基づく科学技術会議の情報科学技術部会に対応するものであるが、こちらは「一部会」であるのに対し、PITACは大統領直属の諮問委員会である点が大きく異なっている。予算への影響力も格段に異なる。
2) NSF PACI
NSF (National Science Foundation, 全米科学財団、文部科学省もしくは学術振興会に対応)は、1995年7月頃からPACI (Partnerships for Advanced Computational Infrastructure)構想(1997-2004)を進め、 1997年3月に2つの提案を採択した。NCSA (National Computational Science Alliance)とNPACI (National Partnership for Advanced Computational Infrastructure)である。 NCSAはIllinois大学のNCSA (National Center for Supercomputer Applications)を中心とし、Boston大学、Kentucky大学、Ohio Supercomputer Center、New Mexico大学、Wisconsin大学などからなるコンソーシアムである。NPACIはUCSDのSan Diego Supercomputer Centerを中心とし、Caltech、Michigan大学、Texas大学TACC (Texas Advanced Computing Center)などからなるコンソーシアムである。これらのコンソーシアムには全米で100に及ぶ組織が含まれている。この2つのパートナーシップは10月(1998年会計年度の冒頭)に発足した。NCSAは中心となるIllinois大学のセンターと同じ略号であり、NPACIはPACIと紛らわしい。
PACIの2つのコンソーシアムにより、大学の研究者はTFlops級のスーパーコンピュータや巨大なlinuxクラスタなど強力な計算資源へのアクセスが可能になった。とくにグリッドにより異なる計算資源の連携が可能になることが強調された。NSFはPACIのパートナーとなったサイトにはvBNS (1995)の接続を提供すると述べた。
1985年ごろ設立された5つの大学のスーパーコンピュータセンター(Cornell, NCSA, Pittsburgh, SDSC, Princeton)のうち、前に書いたようにPrincetonは既に外されていたが、NCSAとSDSAはPACIに選ばれ、CornellとPittsburghが敗れた。とくにCTC (Cornell Theory Center)は下馬評では一番安泰といわれていたが、落ちそうだという噂が1月頃流れた。「NSFの選に漏れても他の財源でやっていける」と強気の発言が報道された。CTC所長のMalvin Kalos博士(物性物理学者)は、1月末に東京で開かれる計算科学シンポジウムISPCES’97で招待講演を行う予定であったが、出席をキャンセルした。PSC (Pittsburgh Supercomputer Center)も、その運営母体であるCarnegie Mellon大学とPittsburgh大学の学長は3月NSFに書簡を送り、他の財源を探すので、つなぎの運転資金の面倒を見てくれと要請した。PSCとNCSAとが合併するのではないかという噂も流れたが関係者は強く否定した。
3) ASCI Red
1996年のところで述べたように、SNL (Sandia National Laboratory)のASCI Redは、1997年6月のTop500リストにおいて、Linpack 1.068 TFlopsを達成し、前回1996年11月の1位筑波大学のCP-PACS (368 GFlops)を抜いてダントツの1位を獲得した。CP-PACSの天下は7ヶ月で終わった。1997年6月12日に全キャビネットが納入され、1997年11月のTop500では9152ノード(Rpeak=1.830 TFlops)でLinpack 1.338 TFlopsを達成した。
ASCI Redはその後1999年にプロセッサをPentium II (333 MHz)に差し替えて2.379 TFlopsまで増強された。
4) チップサイズのスパコン?
12月17日付けの朝日新聞によると、Clinton大統領は16日、チップサイズのスーパーコンピュータを開発するプロジェクトにDoDが$14M(約18億円)、民間での新技術開発にDoCが$82M(約100億円)支出すると発表した。チップ一つで現在の大型コンピュータの25000倍もの計算能力を持つようになると述べた。実用化には8年以上掛かるとのことである。予算が少なすぎる印象がある。ペタフロップスのことであろうか?
SC97や標準化の話は次回に。
(タイトル画像 NEC Cenju-4 画像提供: 一般社団法人情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館」)
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