新HPCの歩み(第213回)-2004年(d)-
個人的にはとんでもない事件に翻弄された。財団法人学会事務センターが経営破綻し、事務を委託していた300もの学会が大きな被害を受けた。東大のプロジェクトの特任助手であったWinnyの開発者が逮捕され、有罪の一審判決を受けた。7年後、最高裁で無罪が確定する。HPCS 2004では、6件のJSTプロジェクトのポスター展示を行った。 |
日本の学界の動き(続き)
8) Winnyの金子氏逮捕
Winnyは、MS Windowsで動作する、純P2P (Peer-to-Peer)技術に基づくファイル共有ソフトであり、金子勇により開発・配布されていた。前に述べたように、2001年から始まった科学技術振興調整費(現在の科学技術イノベーション創出基盤構築事業)「新興分野人材養成」において、東大情報理工学系研究科は「ソフトウェア創造人材養成プログラム」が採択されていた。金子氏は、2002年1月、このプログラムの特任助手として任用された。金子氏は2000年度から始まったIPAの「未踏ソフトウェア創造事業」で2000年、2001年に採択された程のプログラミングの天才であり、ソフト開発指導の受講生の評判もよかった。金子氏が、Winnyのベータ版を公開したのは、東大在職中の2001年5月であったが、大学での演習指導などでWinnyに触れることはなく、私的に開発したものであった。
Winnyは高い匿名性を持っていたので、違法なファイル交換にも用いられ、京都府警ハイテク犯罪対策室は2003年11月27日、著作権法違反の疑いでWinnyのユーザ2人を逮捕した。2004年5月10日(月)には、京都府警がこの事件の幇助の容疑により金子氏自身を東京都内で逮捕した。武市正人研究科長は直接の上司にあたるので、副研究科長である筆者が対応に当たり、直ちに調査委員会を立ち上げた。翌5月11日(火)朝には大学内の捜索をするということで、京都府警の警官らが押っ取り刀で駆けつけ、大学近くに宿を取った。当日、筆者も早起きして、彼の研究室の家宅捜索に立ち会った。建物の前には、報道カメラマンが列を作った。府警の捜査員はコンピュータやインターネットについて少しは勉強しているようだったが、捜索の様子にはとんちんかんな印象を受けた。パソコン2台などとともに、何枚かの紙切れを押収していった。
金子氏の逮捕は、違法行為にも使える道具を作った者に法的責任(とくに幇助罪)が問えるか、ソフト開発者が萎縮するのではないかなどという大論争を巻き起こした。業界紙には様々な記事が見られるが、発言者の意見がゆがめられて掲載された例も少なくないようである。
大学の調査委員会としては、逮捕容疑に関する法律的な判断や技術倫理に関する判断については調査の対象とせず、大学の業務との関係についてだけ調査し、「未踏ソフトウェア創造事業」の業務に害を与えたことはなかったことを確認した。
拘置理由開示法廷が5月18日に京都簡裁であり、金子氏は今回の逮捕・拘留が不当との上申書を提出した。6月3日に保釈され、大学の調査委員会は翌日本人から聞き取り調査を行った。Winnyの開発は全く私的な作業として行ったもので、大学関係者にほとんど話したこともない、とのことであった。金子氏は、裁判に集中するため辞職を申し出た。ソフトウェア創造人材養成プログラムとしては大損失であった。初公判は2004年9月1日、京都地裁(氷室真裁判長)で始まり4時間にも及んだ。金子被告は起訴事実を全面的に否定した。2006年9月4日、第25回公判が開かれ、結審した。12月13日、罰金150万円(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡された。弁護側、検察側両者が控訴したが、2009年10月8日に大阪高裁で逆転無罪となる。2011年12月19日、最高裁第三小法廷は検察側の上告を棄却し、無罪が確定する。しかし氏は、それから2年も経たないうちに、2013年7月6日急性心筋梗塞で急逝することとなる。逮捕、起訴がかれの身体を蝕んだようだ。
9) 日本学会事務センター破産事件
日本応用数理学会(1990年発足、以下「応用数理学会」)はHPC分野をカバーする学会の一つである。筆者が応用数理学会副会長であった2004年度に、同学会が会員管理、会費徴収、刊行物等の発送などを委託していた財団法人日本学会事務センター(以下「事務センター」と略す)が破産し、何百という学会が重大な損害を被った事件が起こった。詳しくは筆者の「応用数理」(2011年3月)上の記事、『学会事務センターの破綻とその後』を参照。各種学会の運営に関係される方は他山の石としてください。詳しい経緯については、日本学会事務センター破産被害学会連絡協議会の「破産の経緯」に詳しく記録されている。
事務センターとは中小の約300の学会の事務を代行するために、1971年に設立された文部省(当時)所管の財団法人である。応用数理学会も設立当初から事務センターと契約を結んだ。料金が安く、サービスがよかったので、学会としては安心して事務を委託していた。錚々たる学界の重鎮が役員を務めていたが、その運営の実務は数名の常務理事が行っていた。
2004年7月3日(土)4日(日)の各紙に「事務センターが学会の預かり金16億円を流用し、6億円以上の債務超過に陥っている」という記事が出た。事務センターは、バブル崩壊中の1992年、金融機関から約10億円の融資を受け、文京区本駒込に4階建てのビルを11億円で建設した。1億円は預り金から流用した。金融機関には毎年4500万円の返済が必要であるが、それを財団法人としての収益からではなく学会からの預かり金から支払っていた。また、子会社の学会ユーティリティーセンターへの貸付金が膠着しているなど、不適正な財務構造による多額の債務があり、これも学会の預り金から補填していた。料金の割にサービスがよかったのは自分の足を食べていただけのようである。当時、矢川元基会長は海外出張中であったので、副会長である筆者が対応に当たり、安達悠子事務局長とともに東奔西走した。
翌7月5日(月)、事務局長は直ちに預け金から1000万円を移算するよう要求した。当時本学会の預け金は1300万円ほどあったと考えられる。翌6日(火)、事務センターから担当者が本学会事務局に来訪し、事情説明と、なるべく引出額を少なくしてくれとの要請があった。しかし学会運営のためにどうしても必要だからと数回電話の後、12日(月)になってやっと入金された。
7月23日には理事長名で「新たに業務提携する会社が見つかったので、再建計画を立てている。当面の危機は去った。」との文書が送付されたが、これが飛んだ食わせ物であった。
8月6日(金)、事務センターは民事再生法の適用を東京地裁に申し立て、地裁は保全管理命令を出した。9日(月)に地裁は民事再生法の申請を却下し破産の方向が決定した。安達悠子事務局長は単身事務センターに乗り込んで、粘りに粘って同学会の預かり金は600万円余りという概算額を得た。1000万円移算したので残金は約300万と試算していたが、その後300人ほどから会費が納入されていたものと思われる。事務センターは8月17日(火)午前9時に破産した。保全管理人はこの日より破算管財人となった。
この日の午後3時から新宿厚生年金会館で破産管財人からの説明会があり、筆者と事務局長が出席した。負債総額は30億(約半分は各学会からの預かり金)であること、預かり金は一般債権で、抵当や税金や労働債権などより順位が低く、ほとんど戻る見込みがないことなどが説明された。学会から見れば自分たちの資金管理を任せてあるだけで、所有権は自分たちにあると考えていたが、単一口座で管理されていたため、破産となるとそのようには見なされないことが分かった。また、個人の横領などの事実は見られず、理事や会長の刑事および民事の責任も追及できるか分からないということで、学会関係者は激怒した。「てめーら、腎臓でも目ん玉でも売っぱらって金返せ」などというような怒号が飛び交ったが、辣腕の管財人の竹村葉子弁護士に「大学の偉い先生方が何をおっしゃるんですか」とたしなめられた。
9月28日(火)に、各学会の預り金に関するデータを開示するというので、筆者と事務局長で事務センターに取りに行った。多くの学会の関係者が駆けつけており現場は大混乱であった。破産時(8月17日)の本学会の預かり金の帳簿残高は6,324,363円、負債(本学会が払うべきだった金額)が250,340円、差引き破産債権は6,074,023円と確定した。
9月22日(水)には日本地形学連合の呼びかけで破算被害学会の第1回勉強会が東大農学部で開催され、応用数理学会からは筆者が出席した。破産法を専門とする田頭章一教授(上智大学)と権田修一弁護士が丁寧に説明してくださった。とにかく、今回学会には一銭も戻らない危険が高く、理事への刑事責任追求も賠償請求も事実上難しいとのことであった。この場で被害学会連絡協議会を立ち上げた。11月27日の第2回勉強会で協議会の活動が始まった。
11月29日(月)に東京地裁で債権者集会があり、筆者と事務局長が参加した。説明によると、営業活動はトントンか若干黒字で、破産原因ではない。原因は、ビル建設時の借用、借金の返済、子会社のユーティリティセンター設立費用、大阪や本郷の事務所開設費などで、債務超過は計約12億円ということであった。
また、7月初頭の新聞報道以前に37の学会が3億円以上引き出しており、情報が漏れていた可能性も指摘された。ただ、この時期は会費納入の締め切りであり、もともと移算の多い時期ではある。「したがって『ヒニンケン』の行使はできない」と言われて面くらった。調べたら、否認権とは、このような引き出しを不当として否認し、管財人に返却させることであった。「債権者を害する行為」とも言えないとの説明であった。
破産時の常勤理事6名についての調査も報告され、退職金や給与の一部を返還したものもあるが、自己破産を申し立てる予定の理事もいる(今野省造元専務理事)との報告があった。光岡理事長と木田会長から計5000万円、学界関係の理事や監事から各100万円程度の和解金を、訴訟を起こさないことを条件に払う用意があることも報告された。この席で光岡理事長が「返還要求の増加で破綻した」と陳謝したが、現象的にはそうであっても、まるで顧客の学会の責任で破産したかのような言い方は不愉快であった。
和解金の問題を処理するために、12月23日「和解交渉委員会」を設置し、配分方法の議論を始めた。2005年3月7日(月)には第2回の連絡協議会が開かれ、和解の状況が報告された。元理事等からの和解金は5650万円ということであった。最初、2004年6月21日以降に預かり金の返還を受けた学会を配分先から除外しようという案が通りかけたが、筆者は強硬に反対し「和解というのは、不満はあるにせよ、関係者全員が多少の取り分があるものであって、一部の当事者が、落ち度や不正がないのに、失うだけで何も得るものがないというのでは、和解の意味がない。それなら本会は和解に加わらない。」と啖呵を切った。様々な議論の末、6月21日以降預かり金を受けた学会の被害額には1/2のウェートを付けて、被害額に比例して和解金を配分する案が決定された。まあ妥当な落としどころであった。2005年6月15日(水)、東京地裁より破産廃止決定(破産による法人の廃止)がなされ、一連のゴタゴタは全て終了した。わが応用数理学会は、6,074,023円を失い、和解金179,184円を得た。毎年の繰越額が吹っ飛ぶ程の大損失であった。それでも応用数理学会は、会員管理、会費徴収、会誌等の発送だけを限定的に委託していたからこの程度で済んだが、事務局そのものを学会事務センターに委託していた小さな学会は、その日から路頭に迷い、理事のポケットマネーで年会開催の費用をまかなったところもあったとのことである。なお、2005年4月11日の参議院議院決算委員会において、公明党の日田実仁議員から、この問題について質問があり、文部科学大臣から説明があった。
事務センターは文部省(後文部科学省)所管の財団法人であり、一般の会社よりは信用度が高いとして多くの学会が業務の委託を行っていたが、この期待はもろくも崩れた。文部省の監督責任は大きい。ただ文部省の天下り組織というわけではなく、官僚経験者は2人だけ(前岡山大学事務局長寺尾繁美氏は常務理事、元文部事務次官木田宏氏は無報酬の会長)で、寺尾氏は2003年10月に事務センターの建て直しのために送り込まれたようである。破産債権者集会などというものはニュースやドラマでは見ていたが、まさか自分が当事者になるとは思わなかった。事務センターの元理事の一人は、さる被害学会に便宜を図り、その後その学会の事務局長に納まったという噂を聞いたが、新約聖書ルカ福音書16章1~8節の「不正な管理人」のたとえ話を思い出した。『そうだ。こうすれば、管理の仕事をやめさせられても、私を家に迎えてくれる人がいるに違いない。』(聖書協会共同訳)昔も今も変わらないようである。
10) 公共哲学京都フォーラム
これはHPCと関係がないが、どういうわけか、2004年12月10日~13日に京都リーガロイヤルホテルにおいて公共哲学京都フォーラム主催で開催された「物語論」シンポジウムに招待され、「物語としての科学」という講演を行った。講演録が「シリーズ物語り論2」として2007年に東大出版会から刊行された。その後、この中の筆者の文章の一部がさる私立女子大学の入試問題に採用された。問題文10ページのうち、半分は筆者の文章の引用であった。作家になったという程ではないが、ちょっと誇らしい気持ちになった。ただ、「著者はここで何を言いたいか。次の3つから選べ」などという設問があったが、著者としてはどれも違う、という印象であった。事後に了解を要求され、著作権料は入らなかった。そういうものらしい。
国内会議
1) 広島大学INSAMシンポジウム
広島大学数理シミュレーション科学研究センター(Institute for Simulation and Mathematical Sciences)は、2004年1月10日、広島大学理学部において、INSAMシンポジウム2003を開催した。センターの略号は変わらないが、日本語名および英語名が変更されている。プログラムは以下の通り。
13:00-13:05 |
あいさつ |
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13:05-13:30 |
『物質設計を目指して!』 |
小口 多美夫(広島大学) |
13:30-14:30 |
『第一原理計算の進展とナノテクノロジー用新物質設計』 |
川添 良幸(東北大学金属材料研究所) |
14:30-14:50 |
休憩 |
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14:50-15:50 |
『第一原理計算によるマテリアルデザイン:予言と実証』 |
吉田 博(大阪大学産業科学研究所) |
16:00-16:30 |
ポスターインデクシング |
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16:30-18:00 |
ポスターセッション |
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18:00-20:00 |
懇親会 |
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2) HPCS 2004(日本科学未来館)
HPCS 2004(第3回ハイパフォーマンスコンピューティングと計算科学シンポジウム)は、2004年1月15日~16日に日本科学未来館みらいCANホールで開催された。主催は情報処理学会HPC研究会、協賛はARC研究会、日本シミュレーション学会、日本応用数理学会、日本流体力学会、日本物理学会、日本計算工学会である。実行委員長は関口智嗣(産総研)、副委員長は本田弘樹(電通大)、委員は小柳義夫(東大、アドバイザリ委員会委員長)、佐藤三久(筑波大、アドバイザリ委員会副委員長)、朴泰祐(筑波大、プログラム委員会委員長)、田中 良夫(産総研、プログラム委員会副委員長)、合田(日向寺)祥子(東海大、プログラム委員会副委員長)、高橋 大介(筑波大、財務担当)、片桐 孝洋(電通大、会場担当)であった。基調講演は“Ultrascale Simulations at the Nano-Bio Interface”(Aiichiro Nakano, U. of Southern California)であった。
このシンポジウムでは、以下のようなJSTプロジェクトのポスター展示を行った。
■戦略的基礎研究推進事業(CREST)
中島 浩(豊橋技科大)「超低電力化技術によるディペンダブルメガスケールコンピューティング」
西田 晃(東京大)「大規模シミュレーション向け基盤ソフトウェアの開発」
■計算科学技術活用型特定研究開発推進事業(ACT-JST)
中馬 寛 (徳島大)「GRIDテクノロジーを用いた創薬プラットフォームの構築 」
松岡 聡(東工大)「コモディティグリッド技術によるテラスケール大規模数理最適化 」
関口 智嗣(産総研)「仮想スーパーコンピュータセンタ利用環境GridLibの構築 」 ■若手個人研究推進事業(PRESTO) 合田 憲人 (東工大)「マルチPCクラスタ上での数値最適化問題求解アプリケーションの開発」
3) HOKKE 2004(北海道大学学術交流会館)
HOKKE 2004(第11回「ハイパフォーマンスコンピューティングとアーキテクチャの評価」 に関する北海道ワークショップ)は、第149回 計算機アーキテクチャ研究会と 第97回 ハイパフォーマンスコンピューティング研究会との合同研究発表会として、3月1日~3日に北海道大学学術交流会館小講堂を会場として開催された。HOKKE 2004ではでは、ネットワークとプロセッサ、グリッド基盤システム、MPI性能評価、クラスタシステム、専用システム、スケジューリング、高速化手法、ストレージシステムと入出力、数値応用、グリッド応用、数値に関する35件の発表が行われた。3月1日には懇親会が開かれた。筆者は後述のSun Microsystems社のSun ERC (Madrid)に参加していたので欠席した。
4) 情報処理学会(全国大会、事務局移転)
2004年3月11日には、情報処理学会第66回全国大会の最終日にあたり、特別トラック「グリッドコンピューティングと並列化技術」が企画された。下條真司(大阪大)は「情報学の未来へ、グリッドの場合」と題して、サイエンス分野でのグリッドについて論じた。関口智嗣(産総研)は、後述のベルリンにおけるGGF10から帰国したばかりであったが、「グリッドコンピューティング研究開発とビジネス」と題し、ビジネス分野におけるグリッドの動向や標準化に関するGGFでの最新の議論を紹介した。
なお、情報処理学会事務局は3月1日御茶ノ水の化学会館に移転した。
5) Grid World 2004(東京ファッションタウン)
2004年4月27日~28日に、東京ファッションタウンIFTホールでGrid World 2004が開催された。これはグリッド協議会主催の「2004年度グリッド協議会記念シンポジウム」と株式会社IDGジャパン主催の「Grid World Expo 2004」からなるイベントである。前者では講演およびパネルディスカッションが、後者ではビジネスセミナーと20団体の展示会が行われた。世界初のグリッドだけのイベントであった。3000人登録、2000人来場。開幕記念講演では、経済産業省の祝谷和宏が「経済産業省のソフトウェア政策とビジネスグリッドコンピューティングプロジェクトについて」と題して経産省のグリッドプロジェクトを紹介した。2003年4月にSun Microsystems社のHPC担当副社長に指名されたばかりのSun Microsystems社のShahin Khanが基調講演を行った。ちなみにShahin Khanは、直後の7月初めSun Microsystems社を去ることが公表された。
6) 数値解析シンポジウム(熱海)
第33回数値解析シンポジウムは、5月19日~21日にウェルハートピア熱海で開催された。担当は、東京理科大学矢部研究室。
7) SACSIS 2004(札幌コンベンションセンター)
第2回目となる「SACSIS 2004 – 先進的計算基盤システムシンポジウム 」は、2004年5月26日(水) – 5月28日(金) に、札幌コンベンションセンター(東札幌)を会場として開催された。主催は、情報処理学会の計算機アーキテクチャ研究会、システムソフトウェアとオペレーティングシステム研究会、ハイパフォーマンスコンピューティング研究会、プログラミング研究会、アルゴリズム研究会、電子情報通信学会のコンピュータシステム研究専門委員会、およびIEEE Computer Society Japan Chapterであった。
基調講演は、南谷崇(東大)による「ディペンダブル・コンピューティングへの期待と課題 -安心・安全な社会の実現に向けて-」、招待講演は、George Chiu (IBM BlueGene/L)の“BlueGene/L Supercomputer”であった。チュートリアルとして、丸山 不二夫(稚内北星大)の「J2EE最新情報 」と天野 英晴(慶大)の「リコンフィギュラブル・システム最新情報」があった。
8) SWoPP 2004(青森文化会館)
2004年並列/分散/協調処理に関する『青森』サマー・ワークショップ(SWoPP青森2004)は、2004年7月30日~8月1日に青森文化会館で開催された。主催は、電子情報通信学会のコンピュータシステム研究会,ディペンダブルコンピューティング研究会、情報処理学会の計算機アーキテクチャ研究会、システムソフトウェアとオペレーティングシステム研究会、ハイパフォーマンスコンピューティング研究会、プログラミング研究会、システム評価研究会である。
新しい試みとして、「若手のための、行列のできぬ研究相談所」なる一種のパネル討論会が開催された。
9) SS研究会(富士通ソリューションスクエア、汐留)
SS研究会(Scientific System研究会)は、サイエンティフィック・コンピューティング・フォーラムを、2004年8月6日、「PCクラスタの新たな展開」のテーマで富士通ソリューションスクエア(大田区蒲田)において開催した。会員外も参加自由。
開催主旨/挨拶 |
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理研スーパー・コンバインド・クラスタ(RSCC)の紹介と運用事例 |
理化学研究所 重谷 隆之 |
PCクラスタ向け運用機能の紹介と今後の取り組みについて |
富士通(株) サーバシステム事業本部 長屋 忠男 |
生体におけるマルチスケール・シミュレーションのためのグリッド計算 |
大阪大学蛋白質研究所 中村 春木 |
PCクラスタによるゲノム解析 |
国立遺伝学研究所 阿部 貴志 |
データグリッドコア技術としてのInterstage Shunsakuご紹介 -拠点内・拠点間のデータ正規化を不要とする純国産新技術- |
富士通(株) ソフトウェア事業本部 松浦 正卓 |
まとめ |
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デモ展示 |
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第2回目となるHPCフォーラムを、2004年10月8日、汐留シティセンター24階 富士通(株)本社 大会議室において開催した。参加者105名中、非会員は18名。
開催趣旨 |
岩宮敏幸 (宇宙航空研究開発機構 総合技術研究本部) |
「HPCアーキテクチャの今後」 |
九州大学情報基盤センター 村上和彰 |
「ペタコンピューティングの世界」 |
理化学研究所 戎崎俊一 |
海外招待講演 「The MIND Architecture for Practical Trans-Petaflops Computing」 |
Dr. Thomas Sterling, Caltech |
「In silico創薬」 |
東海大学医学部医学科 平山令明 |
富士通報告 「ペタコンピューティングに向けたプログラミング・パラダイムの課題と展望」 |
富士通(株)ソフトウェア開発部 岩下英俊 |
まとめ |
岩宮敏幸 (宇宙航空研究開発機構 総合技術研究本部) |
懇親会 |
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また、2004年12月1日に汐留シティセンター 6階 プレゼンテーションルームにおいて、「グリッド・コンピューティング・フォーラム」を開催した。プログラムは以下の通り。オープンな会であった。
10:30 |
開会挨拶 |
理化学研究所 姫野龍太郎 |
10:40 |
NAREGIの概要と現状 |
国立情報学研究所 宇佐見仁英 |
11;40 |
ITBL基盤ソフトウェアと通信方式 |
日本原子力研究所 青柳哲雄 |
12:10 |
VizGridプロジェクトの概要 |
富士通(株) 軽部行洋 |
12:40 |
昼食 |
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13:45 |
次世代グリッドアーキテクチャ OGSAの最新動向について |
(株)富士通研究所 岸本光弘 |
14:45 |
欧米におけるグリッドプロジェクトについて |
国立情報学研究所 三浦謙一 |
15:45 |
閉会挨拶 |
北陸先端科学技術大松澤照男 |
10) 日本SGI HPC Open Forum(国立天文台)
日本SGI HPC Open forum(運営委員会会長 小林 敏雄)は、2004年9月10日、東京都三鷹市の国立天文台において「自然科学研究機構 国立天文台 セミナー・見学会」を開催した。
14:30-15:10 |
◆講演 1『宇宙を拓く惑星探査ロボティクス』 |
宇宙航空研究開発機構 久保田 孝 |
15:10–15:50 |
◆講演 2『天文における分散大量データとマイニング』 |
国立天文台 水本 好彦 |
15:50-16:10 |
休憩 |
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16:10-16:50 |
◆講演 3『4次元デジタル宇宙プロジェクトの成果と今後の展望 及び 科学教育一般への立体視技術の活用』 |
科学技術振興事業団 林 満 |
16:50-17:30 |
◆システム見学 国立天文台施設、4次元シアター |
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17:30-19:00 |
◆意見交換会 国立天文台 コスモス会館 |
11) IC2004(産総研)
第9回目となるIC2004(インターネットコンファレンス2004)は、財団法人インターネット協会 (IAjapan)、情報処理学会 高品質インターネット研究会(QAI)、情報処理学会 ハイパフォーマンスコンピューティング研究会(HPC)、日本学術振興会産学協力研究委員会インターネット技術第163委員会 (ITRC)、日本ソフトウェア科学会インターネットテクノロジー研究会 (JSSST)、日本UNIXユーザ会 (jus)、WIDEプロジェクト (WIDE)の主催により、2004年10月28日~29日に産業技術総合研究所 産学官連携情報技術共同研究施設で開催された。今回から情報処理学会のQAI研究会とHPC研究会が主催に加わっている。プログラム委員長は砂原秀樹 (奈良先端科学技術大学院大学)と江崎浩 (東京大学)、実行委員長は下川俊彦(九州産業大学)であった。1件の招待講演が行われた。
村井純(慶應義塾大) |
「JUNETから20年記念講演:Dependable Internet: インターネットのこれからの20年」 |
12) NEC・HPC研究会(NEC本社ビル)
11月2日、NEC本社ビル地下多目的ホールにおいて、第19回NEC・HPC研究会が開催された。主要な講演は以下の通り。
HPC用自動並列化コンパイラの動向と将来課題 |
早稲田大学、笠原博徳 |
超ペタフロップスを目指す半導体デバイス技術 |
NEC、福間雅夫 |
戦略的基盤ソフトウェアプロジェクトとHPCへの期待 |
東大、加藤千幸 |
NECのHPC戦略 |
NEC、古井利幸 |
NECのHPC製品説明 |
NEC、花平議臓 |
SXを中心としたHPC分野におけるソフトウェア開発動向 |
NEC、橋本ユキ子 |
13) 数理解析研究所
京都大学では1969年から毎年数値解析関係の研究集会を行っている。2004年は、11月29日~12月1日に「21世紀における数値解析の新展開」という課題で開催された。36回目である。代表者は三井斌友(名古屋大)事務局は杉原正顕(名古屋大)。講演内容は講究録 No. 1441に収録されている。
14) IPABシンポジウム(お台場)
並列生物情報イニシアティブ(IPAB)は、2004年12月3日、お台場(CBRC?)において、シンポジウムを開催した。詳細不明。
15) 第4回PCクラスタシンポジウム(日本科学未来館)
PCクラスタコンソーシアムは、2004年12月16日~17日には、日本科学未来館において、第四回PCクラスタシンポジウムを開催した。
9) 情報処理学会HPC研究会
ハイパフォーマンスコンピューティング研究発表会は12月17日、記念すべき第100回(数値解析研究会からの通算)を迎え、ホテル東京KKR竹橋で開催した。通常の講演のほか、特別企画を行った。
9:30-11:10 |
●一般講演1 |
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11:20-13:00 |
●一般講演2 |
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14:00-16:00 |
●特別講演 「HPC研究会の歴史を振り返って」 |
講演者:歴代主査 一松 信,浜田穂積,福井義成,佐藤三久 |
16:10-17:10 |
●未来はどうなるパネル「HPC 次の一手」 HPCは研究としてビジネスとして大きな転換期を迎えている。技術、人材、予算などに関して次に打つべき一手は何かを討議する。 |
司会:関口智嗣(産総研) パネリスト:小柳義夫(東大)、木村康則(富士通)、佐藤三久(筑波大) |
17:30- |
●懇親会 KKRホテル東京 11F 丹頂 |
次回は、日本の企業の動きと標準化。日本電気はSX-8を発表、富士通は「ペタスケール・コンピューティング推進室」発足させる。グリッドの標準化が精力的に進められる。
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