世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

11月 24, 2015

HPCの歩み50年(第63回)-1998年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

日本では科学技術会議の情報科学技術部会の議論が続き、JSTでは初めての計算科学技術分野のプロジェクトACT-JSTが始まった。渡辺貞氏は日本人として初めてEckert-Mauchly賞を授与された。アメリカではPITACが中間報告を出し、即戦力の研究ばかりではなく、長期的な視野に立って、リスクを含む研究とくに基礎研究に投資すべきだと論じた。DOEのASCIではPathforwardプログラムが始まり、NSFではPACI計画が進められた。この年、Google社が創立された。

社会の動きとしては、前年12/31新進党6分裂、1/22クリントン米大統領、不倫疑惑浮上、2/2郵便番号7桁化、2/7長野オリンピック開幕、2/19新井将敬代議士自殺、3/6キトラ古墳で白虎図など発見、4/27民主党結党、5/11インド核実験、5/12スハルト大統領辞任、5/28, 30パキスタン核実験、7/25和歌山カレー事件、7/30小渕恵三、首相に、8/7ナイロビとダルエスサラームの米大使館同時爆破、8/31テポドン発射、日本上空を飛翔、10/12金融再生法成立、10/16早期健全化法成立、10/23日本長期信用銀行が破綻申請、政府の特別公的管理銀行として国有化、12/1特定非営利活動促進法(NPO法))施行、12/1国際電信電話株式会社と日本高速通信株式会社が合併し、KDD株式会社となる、12/15金融再生委員会発足、12/16米英がイラクを空爆、12/?日本債券信用銀行も特別公的管理下に入り国有化。

個人的には、12月に教皇庁文化評議会の顧問(consultor)に任命された。顧問といっても実質は専門委員みたいなものである。任期は1期5年であったが、結局3期15年務めた。この評議会は、文化(科学を含む)とキリスト教の関係について議論する組織で、2年に1回のバチカンでの総会出席(自腹)や地域会議(筆者の関係はもちろんアジア)の他は書面での活動であった。初期には、電子メールを事務局に送ると、返事がファックスで返ってきてビックリした。

日本政府の動き

1) 情報科学技術部会
1997年12月に始まった科学技術会議の情報科学技術部会では諮問25号「未来を拓く情報科学技術の戦略的な推進方策の在り方について」に対する答申の議論を続けた。筆者は、アメリカの動きを見習いペタフロップス・コンピュータの開発が喫緊の課題であると力説したが、あまり賛同は得られなかった。某企業所属の委員が一つ覚えで「市場原理」を乱発するので、「市場原理で済むなら国家戦略はいらない」と反論した。

ES-building
1998年当時に設置場所が決定した海洋研究開発機構の横浜・杉田にあるセンター建屋 (画像提供:海洋研究開発機構)

2) 地球シミュレータ開発
科学技術庁は、1997年からNASDAと動燃を中核機関として地球シミュレータの開発を進めてきた。動燃(動力炉・核燃料開発事業団)は、1995年の「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故や、1997年の固化処理施設での火災事故の批判を受け、1998年度から研究目的を限定した新法人に改組されることになった。これを受けて科学技術庁は、1998年4月から、動燃の代わりに日本原子力研究所(原研)を地球シミュレータの開発中核機関とすることを決めた。この決定により、1998年4月1日に、NASDAと原研は協力協定を締結し、共同して地球シミュレータの研究開発を進めていくことになった。

1997年の所に書いたように、基本設計、要素技術設計、実装技術設計が1998年6月までに終了したので、科学技術庁計算科学推進会議のもとに地球シミュレータ中間評価委委員会を設置し、筆者が座長に指名された。他の委員は、浅田邦博(東大)、浦部達夫(名大)、津田孝夫(広島市立大)、中澤喜三郎(明星大学)、島崎眞昭(九大)、笠原博徳(早稲田大)であった。会議は6月1日から7月15日まで4回開かれ、まとめた評価を8月24日の第12回計算科学技術推進会議に報告した。

中間評価委員会において開発主体である地球シミュレータ研究開発センターからシステムの概要が説明された。それによると、地球シミュレータは、640台のノードを1段クロスバネットワークで結合した分散メモリ並列計算機であり、各ノードは各8 GFlopsのベクトル計算プロセッサ8台が16 GBの主記憶を共有するとのことであった。技術の詳細も評価委員会に開示されたが、委員からは厳しい質問が多数出た。とくに、1筐体にノード1個を収納するという設計にはあまりにも実装密度が低く、ネットワークも長くなるという批判がなされ、1筐体にノード2個を実装するよう変更された。また、設置場所について、蓄電池による電源バックアップは現実的でないので、雷の多い地域は避けた方がよいとの助言もなされた。

こうした説明に対し、中間評価委員会は、全体のシステム構成、ハードウェアの構成要素の開発目標を達成する上での設計などに不適切な点や、技術動向の反映が十分でない点、技術的に実現不可能と考えられる点は認められないとし、「現在の設計に基づいて開発を進めて行くことが妥当であると考える」と評価した。計算科学推進会議に報告したが、席上、「このプロジェクトの問題点があるとすれば何か」という質問があり、筆者は、「ハードウェアシステムについては恐らく問題はないであろう。重要なのは、ユーザが使いこなせるかどうかということである。」と返答した。これに基づき、8月から1993年3月まで、要素技術試作を行った。

1998年秋から場所の選定が始まったが、多くの候補地の中から選ばれたのは、横浜市金沢区杉田の神奈川県工業試験場の跡地であった。余談であるが、筆者は1953年から20年ほど横浜に住んだことがあり、このあたりはよく海水浴に来た場所であった。

3) ACT-JST
1998年8月にJST(当時は科学技術振興事業団)の「計算科学活用型特定研究開発推進事業」(ACT-JST)が始まった。JSTのこの事業のページには、「ネットワークにより異なる組織間または異なる分野間で計算科学技術の研究開発と利用について個人と個人が結びつきを強めながら、新しい研究体制の構築を目指します。得られた成果はネットワークを通じて広く公開流通させ、広範囲な分野で応用されることを目指します。」とあり、ネットワークが強調されている。この事業の構想段階でJSTの方が筆者のところに見えられて、いろいろ説明をしていただいたが、「ネットワークを使った計算科学技術の研究ってどんなイメージですか」と尋ねると、「研究者のPCから遠くのスーパーコンピュータを使う」とかいう答えだったので、「そんなの当たり前で、取り立ててネットワークということにもならないでしょう。」と反論した。

JSTの方は気づいておられなかったが、筆者は、これはまさに「グリッド」であり、「eサイエンス」を目指していることを直感した。1998年7月からJSTの計算科学技術委員会(委員長、土居範久)の委員となり、この事業の選定や運営・評価に係わったが、ネットワークを活用する課題を高く評価することになっていたものの、グリッドとの関連性については委員間でも共通理解には至らなかった。

平成10年度(1998)から平成13年度(2001)まで毎年課題を公募し、46課題を採択した。各課題は3年間継続した。また、平成10年度には補正予算で短期集中型の課題(研究期間1年)も募集し50課題を採択した。計算科学技術委員会は2004年11月まで活動した。JSTでは初めての計算科学技術と名打った研究開発事業であり、その後の発展にも大きく貢献した。ごく一例であるが、押山淳(当時筑波大学)の「ナノ物質・量子シミュレータ」、田中成典(当時東芝)の「DNAのナノ領域ダイナミクス」、冨田勝(慶応)の「E-CELL」、大野隆央(金材研)の「量子古典ハイブリッド解析」など多くの研究プロジェクトが現在にまで連なっている。

裏話であるが、TISNから多くが移行したIMnet(省際ネットワーク)はJSTの情報流通促進事業が運営していたが、その利用がなかなか進まなかったので、これを使う研究プロジェクトを企画したという話もある。ACT-JSTは、ERATOやCRESTとは異なり、ネットワーク関係の部門が担当していた。

日本の学界の動き

1) Hokke-98
第4回「ハイパフォーマンスコンピューティングとアーキテクチャの評価」に関する北海道ワークショップ(Hokke-98)は、「計算機クラスタ技術の性能評価」をテーマとして(財)札幌エレクトロニクスセンタ(テクノパーク)において、3月5~6日に開催された。主催は計算機アーキテクチャ研究会とハイパフォーマンスコンピューティング研究会。講演数23。実はこの会場は筆者が見つけてきたもので、前年1997年のHokke-97の前日に「NORTH 北海道地域ネットワーク協議会」のシンポジウムに顔を出した際、地元の企業家と親しくなり、このセンターのプレゼンテーションルームを無料で貸してもらえることになった。初日晩の懇親会は、これまでと異なり、白石のアサヒビール園で開催された。

2) JSPP’98
第10回並列処理シンポジウム(JSPP’98)は、1998年6月3~5日に、名古屋国際会議場で開催された。実行委員長は石井光雄(富士通)、幹事は山名早人(早大)、高木浩光(電総研)、木村康則(富士通)、安藤 秀樹(名大)、プログラム委員長は瀧和男(神戸大)。主催は、情報処理学会の計算機アーキテクチャ研究会、システムソフトウェアとオペレーティングシステム研究会、アルゴリズム研究会、プログラミング研究会、ハイパフォーマンスコンピューティング研究会、電子情報通信学会のコンピュータシステム研究会、データ工学研究会、日本ソフトウェア科学会のオブジェクト指向コンピューテング研究会、協賛は人工知能学会と日本応用数理学会と超並列計算研究会であった。

3) PSC 98
第5回JSPP並列ソフトウェアコンテスト(PSC 98)は、島崎眞昭(京大)を実行委員長として行われた。問題は疎行列連立方程式の並列解法であった。提供されたマシンは、NEC Cenju-3 128PE、Fujitsu AP3000 16PE、Hitachi SR2201 16PE ×2、Sun Enterprise 10000の4種類であった。Enterprise 10000は東大情報科学専攻のマシンをつかった。他の社は各社が研究者向けに設置したセンターのマシンを提供した。全エントリー数は69チーム。

Cenju-3 AP3000 SR2201 E10000
予選通過チーム 12 11 15 21
Fortranチーム 4 1 2
Cチーム 8 10 18
本選通過チーム 3 3 7 10
1位 黒田久泰(東大理) 塙与志夫(東大理) 吉本芳英(東大理) 塙与志夫(東大理)
2位 小菅哲也(筑波大) 黒田久泰(東大理) 黒田久泰(東大理) 遠藤敏夫(東大理)
3位 片桐孝洋(東大理) 小菅哲也(筑波大) 遠藤敏夫(東大理) 黒田久泰(東大理)

E10000では1チームが言語としてSchematicを用いた(上位入選せず)。上位入選者がだんだん固定化し、コンテストの意義が問題になり始めた。

4) SWoPP 98(別名SWoPP三尺玉)
1998年SWoPPは、8月4~7日に長岡産業交流会館「ハイブ長岡」で開かれた。第11回目である。宿泊および懇親会はJTB長岡支店に委託した。主催は、電子情報通信学会のコンピュータシステム研究会(CPSY)とフォールトトレラントシステム研究会(FTS)、情報処理学会計算機のアーキテクチャ研究会(ARC)、ハイパフォーマンスコンピューティング研究会(HPC)、システムソフトウエアとオペレーティング・システム研究会(OS)、プログラミング研究会(PRO)であった。

8月2日3日の夜には有名な長岡花火大会があり、これも見たかったが、とても宿が取れないのであきらめて4日からの宿泊とした。がんばって新潟に3日晩の宿を取った人もいた。ところが花火大会が豪雨で8月6日7日夜に延期となり、JTBの御陰でSWoPPとしても弁当付きの屋形船を急遽用意することができた(6日の晩)。筆者は到着が1日遅れたので、申し込んだときは弁当が売り切れており、弁当なしで船に乗り、みんなから少しずつ食物を分けてもらった。屋形船といっても港に浮いているだけであり、屋根もなく、途中雨が降ってきて往生したが、有名な(正)三尺玉を見ることができた。ただし、電総研関係の方々と取った宿(三丸荘、温泉付き)では「泊まりたい方がたくさんいるので」ということで、その晩だけは少ない部屋に多人数押し込まれた。宿代を負けさせたかどうか記憶がない。

SWoPP期間中、ISDN回線を引いて、インターネットのアクセスポート(10BaseT)を用意した。日本ではまだそういう時代であった。

5) 数値解析シンポジウム
第27回数値解析シンポジウムは、1998年6月15~17日に浜名湖カリアックで開催された。担当は八巻直一(静岡大学工)を中心に、理科大・青山学院大が協力した。参加者95名、講演40件。特別イベントとして、夜20時から「数値解析夜話」(鳥居達生、南山大)と「数学関数の計算について」(二宮市三、元名古屋大)が企画された。

6) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所において、杉原正顕(名古屋大)を研究代表者として、研究集会『数値計算における前処理の研究』が1998年11月9~11日に開催された。講演は数理解析研究所講究録1084に収録されている。

7) RWCP Workshop
RWCPが主催するWGCC (Workshop on Global and Cluster Computing)が1998年3月12~14日に筑波第一ホテルで開催され、2日間だけ参加した。RWCPとしては2回目のworkshopであった。

8) CCP研究会
筑波大学計算物理学研究センター では、3月23~24日、「並列・分散環境におけるハイパフォーマンスコンピューティング」という研究会を開催した。経緯は忘れたが、実行委員長を頼まれた。

9) 渡辺貞氏、Eckert-Mauchly賞受賞
1998年のEckert-Mauchly Awardは、「多重ベクトルパイプラインとプログラム可能なベクトルキャッシュをもつスーパーコンピュータのアーキテクチャ設計」への寄与に対して、日本電気のSXシリーズの設計者である渡辺貞氏に授与された。日本人としては初めてであった。この賞は、ENIACを設計製作したJohn Presper Eckertと John William Mauchlyの名にちなんで、ACMとIEEE/CSが共同して「コンピュータとディジタルシステム分野への卓越した貢献」に対して贈るものである。

10) GRAPE-5
牧野淳一郎らは、科研費特別推進研究の補助を受けて、GRAPE-5を完成させた。GRAPE-3の改良型で、理論演算性能は1 TFlopsである。翌1999年のGordon-Bell賞を獲得した。

11) VRMS
高田俊和(日本電気基礎研究所)を代表とする日本電気、富士総合研究所、電子技術総合研究所、CRC総合研究所のグループは、情報処理振興事業協会の「創造的ソフトウェア育成事業およびエレクトロニック・コマース推進事業」の補助を受けて、バーチャル・マイクロスコープ(VRMS, Virtual Reality Microscope)を開発していたが、1998年3月に公表した。このソフトウェアは、量子論的分子動力学に基づいて化学反応における分子の動きをシミュレーションし、3次元グラフィックスにより目でみることができるのが特徴である。1996年に発足した産業基盤ソフトウェア/フォーラム(SIF)では、このソフトを開発段階から支援していた。

12) NEC HPC研究会
1998年5月15日に第7回NEC HPC研究会が開かれた。第8回は12月15日に開かれ、金久實教授(京都大学化学研究所)が基調講演「ゲノム情報に基づく生命系シミュレーション」を行った。

13) IBM HPC Forum
1998年7月16日、IBM HPC Forumが箱崎事業所IFAVホールで開催された。基調講演はJoanne Martin (IBM)の「IBM HPCシステムの最新動向」とLLNLの方のASCI Blue の話であった。このForumをもって、IBM HPCユーザーズフォーラムの会長を、川井忠彦東大名誉教授から引き継いだ。

14) PCW
富士通は、8th International Parallel Computing Workshop (PCW’98)を1998年9月7~8日にシンガポール国立大学(NUS)で開催した。棚橋隆彦(慶応)と菅原秀明(遺伝研)が招待講演を行った。11月25日には川崎工場で「第9回研究交流会(Parallel Computing Workshop, PCW’98 Japan)を開催した。

15) 学術誌電子化出版
HPCとあまり関係がないが、1998年4月頃から、物理関係3学会(物理学会、応用物理学会、応用物理欧文誌刊行会)で学術誌の電子化(編集過程の電子化および電子ジャーナル)についての議論に加わった。中心は五神真助教授(東大物工、現東大総長)で、電子化のシステム作りの要求事項のまとめ作業を行った。結果的には、科学技術庁のJSTと文部省との縄張り争いに巻き込まれたりして要らぬ苦労を行った。現在稼働している「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE)の遠い祖先にあたる。」

次回は日本の企業の動きである。日本電気はSX-5を発表し、日立はSR8000を発表した。アメリカはクリントン大統領が先頭に立ってHPCの国家プロジェクトを推進した。

(タイトル画像: Eckert-Mauchly賞を受賞した渡辺貞氏 写真提供:ご本人)

left-arrow 50history-bottom right-arrow