世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

12月 7, 2015

HPCの歩み50年(第65回)-1998年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

第11回にあたる、SC98: High Performance Networking and Computing Conference 国際会議(通称 Supercomputing 98) はOrlandoで開催された。筆者は2年目のプログラム委員を務めた。

SC98

詳しくは筆者の報告および堀敦史(当時RWCP)の報告を参照。第11回にあたる、SC98: High Performance Networking and Computing Conference 国際会議(通称 Supercomputing 98) は、10周年目の今年、南国フロリダ州 Orlandoの OCCC (Orange County Convention Center) で11月9日から13日まで開催された(educational program は7日から、チュートリアルは8日から)。ちなみに第1回もOrlandoであった。組織委員長はCherri Pancake 教授(Oregon State Univ.)である。今回は家内を同伴した。OCCCは巨大な展示場で、脇を家内の車の距離計を見ながら走ったら、半マイル(800メートル)もあった。

1) プログラム委員会
筆者は昨年(1997)に続いてプログラム委員をつとめた。約40人中、所属がアメリカでない委員は、ヨーロッパから2 人(Ulrich Lang, Stuttgart and Mateo Valero, Barcelona)、南米から1人( Alvaro Coutinho, Rio)、アジアから2人(Sangsan Lee, SERIと筆者)であった。昨年は2人だったのでだいぶ国際化した。去年のつながりで、パネルの委員も兼務した。

今年のプログラム委員長は Joanne Martin (IBM、1990年の第3回の組織委員長)であったが、去年の混乱から学んで、最初からextended abstractによって審査した。前年は欠席したが、今年は6月9-10日に会議場に隣接するOmni Rosen Hotel (Orlando)で開かれたプログラム委員会に出席した。審議のやり方は年によって異なり、この年は3分野(compilers/tools/languages, architecture, applications)に分かれ、分野ごとにほぼ独立に採否を決めた。筆者はapplication部門で、責任者はHorst Simonであった。プログラム委員会の全体会議では、最後に多少のやりとりをして、セッションを組んだ。

プログラム委員会の案内状に、「Disney Worldの訪問は予定されていません」とわざわざ書いてあった。暇な時間が少しあったが、Disneyではなく、近くのSea Worldに出かけた。

プログラム委員会で、最終日の金曜日のプログラムをどうするか話題になった。展示は木曜日に終わってしまうので、金曜の出席者はかなり少ない。Orlandoともなれば、皆、Disneyかどこかへ言ってしまうだろう。だれかが、「いい考えがある。金曜日のプログラムをなくせばよい。」と言い出した。皆に、「そうしたら木曜午後の人数が減るだけだよ。」とからかわれていた。できるだけ興味を引きそうなパネルを3並列に用意したが、はたして何人来るか?

6月9日の晩に関係者の懇親会があったので、筆者が「実は今日は私の結婚25周年記念日だ」と言ったら、アメリカ人たちがびっくりして、「奥さんに電話したか?」「お土産は買ったか? ホテルの売店にいろいろあるぞ。」などと心配してくれた。日本時間ではとっくに翌日になっていた。Margaret Simons女史 (LANL)が、「私も銀婚記念日には出張中だった」とか慰めてくれた。

次の1999年には、三浦謙一(富士通)がプログラム委員を務めることとなった。

余談であるが、プログラム委員会の帰りに見た機内映画のひとつが、大統領選挙を皮肉った “Wag the dog”(尾が犬を振る)という映画であった。「犬が尾を振るのは、尾より犬の方が賢いからである。尾が犬より賢いと、尾が犬を振るようになる。」

2) 歴史展示
今年は10周年目の会と言うことで、展示の一角に History of the Conference Exhibit が設けられた。担当は Alfred Brenner 氏(Institute for Defense Analyses、元 FNAL。KEKの初期に1ヶ月ほど滞在したことがある。)。10年間のSCのproceedings、Tシャツ、マグカップなどの記念品や、それぞれの時代のスーパーコンピュータの基板などが展示された。日本の3社の資料もかなり展示されていた。考えてみれば、この10年の歩みはあわただしい。1988年という時点では、IBMは汎用機 (VFはあったと思うが)とパソコンの会社であり、Sun だってSS1を出したくらいであろう。SGI だってまだグラフィック・ワークステーションの会社であった。多くのベンチャー会社が出現し消えていった (FPS、ETA、MasPar、TMC、KSR、SSS、CCC、….)。この10年間、潰れもせず、吸収も合併もされずにスーパーコンピュータを作り続けて来ているのは日本の3社だけである。私も、11回のうち9回の会議に出席しているので、大変思い出深かった。

最終日午前後半に、History Panel “The 10 Past and the 10 Future Years of HPC”が行われた。パネリストには錚々たる人物が並んでいた (Steve Wallach, Shahin Kahn、渡辺貞、Larry Smar、Burton Smith、Gary Smabyなど)。

3) 企業展示
本年は、10のハードウェアベンダ (Compaq/Digital、Dell、Fujitsu、HP/Convex、Hitachi、IBM、NEC/HNSX、SGI、Sun Microsystems、Tera) を始めとして、ソフトウェア、大容量記憶装置、ネットワーク、出版、学会など69の企業等が出展した。

IBMはASCI Blue Pacificのボード(PowerPC 604e)やPower 3のボードやウェファーを展示していた。SPシリーズは1993年の発売以来、5000システム50000ノードを販売したと自慢していた。

SGIもASCI Blue Mountainの構成要素であるOrigin 2000を展示していた。その後継機も出るとか、この時点ではCrayのにおいがだんだん減っていくという雰囲気であった。

日本の会社では、日本電気がSX-5を、富士通はVPP700Eを、日立はSR8000を軸に出展していた。

10日2時から日立のExhibitor’s Forumがあり、SR8000の話だった。6~70人の聴衆が出席していた。前半の藍原さんのアーキテクチャ (とくにPVPとネットワーク) の話はほとんど知っていることだったが、後半の Maxim Smith 氏のOS関連(とくにカーネルとか同期機構とか)の話は大変目新しく、面白かった。同席した日立関係者も余りよく知らないようであった。Smith氏はこの分野では有名人のようで、日立のブースでもいろんな人が彼を訪ねてくるとのことであった。

余談であるが、最終日の夜、筑波大関係者に日立から会食のお誘いがあった。場所はなんとCrab House。この日は、正午に会議が終わってから、家内とDisney Worldに行ったので、少し遅れて参加した。もちろん、カニ以外の食べ物もあった。筆者はカニアレルギーであるが、アメリカ人にはカニを食べない人も多いので。

4) 研究展示
大学・研究所関係では合計56の展示があった。NASA、ANL、ASCIなどの大研究所は例によって大規模で派手な展示を出していた。おもしろいのは、BNLやFNALなどの高エネルギー物理の研究所が、物理学のための計算機利用だけでなく物理そのものの展示を出していたことである。重イオンコライダなどといっても計算機屋の興味は引かないらしく、私が多少分かったようなことを言ったら鴨になってしまった。

BNLは、Columbia大学、理研と共同開発のQCDSPを1箱 (512ノード)を展示していた。これは、本年のGordon Bell 賞を受けた機械である。

ネットワーク時代らしい展示は The International Grid (iGRID) である。これはイリノイ大学シカゴ校とインディアナ大学との共同で、vBNSの高速ネットワークを活用して、世界中の様々な分野の研究者と、広域分散処理、バーチャルリアリティ、大型データベースなどの技術を使って共同研究を行うプロジェクトである。アメリカ国内だけでなく、カナダ、シンガポール、TransPACなどともつながっている。東大の IML(Intelligent Modeling Lab.)の広瀬先生のグループとも実演をすると言っていた。

筆者は見なかったが、慶応SFCの村井純教授は、APANの70 Mbpsの太平洋回線TRANSPACとvBNSを使って、慶応SFCの「情報処理系論」の授業を展示会場から行ったとのことである。

日本からは、原子力研究所計算科学技術推進センター、電総研、九州大学、航技研、未来開拓(Parallel and Distributed Computing Environment)、RWCP、RIST、埼玉大学、筑波大学の9件であった。

中でも、RWCP (新情報処理研究組合) は、32台のAlphaクラスタや128台のPCクラスタを持ち込んでの熱演であった。関係者の揃いの黄色の法被 (?) も人目を引いた。どこかの安売りカメラ屋の店頭のようでもあった。

九州大学は、PPRAMについて展示した。応用の一つとして、長嶋雲兵氏の分子軌道計算エンジンの模型も出展した。

航技研はもう何度目かであるが、今年は原研と1区画をシェアしていた。航技研は、NWT、NS-II、WANSなどを展示。原研は、計算科学技術推進センター活動全般の紹介と、流体/構造連成計算など。

RIST (高度情報科学技術研究機構) は、地球フロンティア計画および地球シミュレータ計画について紹介した。

埼玉大学も常連であるが、VRMLなどを用いた可視化による教育をテーマにしていた。

未来開拓のグループは早稲田の笠原さんなどを中心に、parallel and distributed compiler などの研究を紹介していた。

筑波大学 (CP-PACS) は今年が始めてであるが、Tsukuba HPC Allianceと称して電総研と続きの場所を取り、両者が共同して展示の他に小さなセミナースペースを作って、関係者やゲストのセミナーを定期的に行っていた。こけら落としは、J. Dongarra 教授のプレゼン。筑波大学は、PAXの20年の歴史、CP-PACSのアーキテクチャ、応用、そして未来開拓のプロジェクトなどのパネルを示し、日本の本体とネットワークで繋いで、動作モニターとデモ計算を表示した。ネットワークもほぼ順調であった。電総研はすでに何度も出展しているが、今年は NinfとGlobal Computing Testbed を展示。Tsukuba HPC Alliance は、来訪者に名札を首から掛ける赤色の紐を配ったが結構評判がよかった。だいぶたくさん用意したが、すっかり売り切れてしまった。最近は、組織委員会が企業に紐を用意させている。

今年は、未来開拓関係で2件出展したことになる。

5) 基調講演
Bran Ferren (Walt Disney Imagineering、Walt Disney の子会社) の、”There’s No Bits Like Show Bits” というふざけたタイトルの基調講演があった。Entertainment Industry においてHPCCが重要であるというようなことを言いたいのであろう。テクニカルな内容を期待した人にははずれだったが、アメリカ人などには好評であった。

筆者は金曜日午後にDisney Worldに行って色々遊んだが、「Disney映画のできるまで」というような展示があった。セル画を描いてアニメーションを作る過程を説明してたので、筆者が「コンピュータグラフィックは使わないんですか?」と質問したら、「今のところ手書きの方がよい」というような答えだった。

6) Next Generation Internet (NGI)
10日10:30よりNGIのパネルに出席した。アメリカはもともと DARPA、DOE、NSFなど政府機関の主導でインターネットを立ち上げたが、その後民間プロバイダが多数出現すると、大学関係のネットワークは民営化された。しかし、インターネットが研究上の重要な道具となると、より高速で、しかも性能が保証されたネットワークが必要になる。アメリカではこのような方向に向かって、NGI、Internet2、Abilene という3つのプロジェクトが始まっている。

7) PITAC Report (Ken Kennedy)
11日(水曜日)の8:30からの plenary session は Challenge-of-the-Field Talk と銘打って、2つの講演があった。最初は、「情報技術に関する大統領諮問委員会 (PITAC)」の共同委員長である Rice大学の Ken Kennedy(もう一人の委員長は Bill Joy) の “High Performance Computing and Communications and the Presidential Information Technology Advisory Council: an inside perspective of the PITAC Interim Report” という話であった。内容はPITACの中間報告のサマリーで、insideと言ってもとくに新しいことはなかった。要約すれば、これまでの連邦政府の情報技術に対する振興策が近視眼的であり、長期的でリスクを含むような研究を推進してこなかったという批判である。今後、予算を年$2Bに倍増し、NSFを中心に大学の比重を増やせ、という提案を示している。

日本でも今年のはじめから、首相を議長とする科学技術会議に情報科学技術部会が設置され、情報科学技術に関するわが国の今後の施策を議論しているが、なかなかPITACの域にまでは到達しない。とくに、具体的なデータに基づく評価というプロセスが踏めないし、専門的な議論をするには分野が広がりすぎている。専門のスタッフもアメリカとは違う。アメリカの底力を痛感した。

8) Top 500
今年も例年通り、SC98の直前11月5日にTop 500 が発表された。今回のリストで注目すべきことは、上位10位から日本のコンピュータが姿を消していることである。20位まで見ても、2年前にはトップを占めたCP-PACS(筑波大学) がやっと14位に、カナダの大気環境局のSX-4/128M4 と、東北大学大型計算機センターの SX-4/128H4 が18位タイを占めているだけである。500位までの全リストの中の日本の機械の総数もRmax総和も減っている。SGI/Crayの健闘が注目される。20位までのなんと14を占めている。

会期中11日5:30からTop 500 BoFがあり、状況分析とともに、Linpackで性能を測定することについて賛成反対の議論がなされた。

9) Gordon Bell Prize
12日1:30より Awards Session があり、Best Paper Awards、Student Paper Awards、Fernbach Award、HPC Challenge そして Gordon Bell Prize が発表された。このセッションでは、歴代の組織委員長が壇上に上り、今回の諸委員長が前の席に座って、いかにも儀式という感じである。

注目のGordon Bell Prize は、2種の賞からなり、一つは絶対性能の高さを競う賞、もう一つは価格性能比で勝負する賞である。今年の絶対性能の部の大賞は、Balazs Ujfalussy他(Oak Ridge、NERSC、Pittsburgh、H.H.Wills Physics Lab) の “High Performance First Principles Method for non-Equilibrium States in Magnets” であった。アメリカ政府の秘密の場所にあるCray T3E1200 LC1024を用いて、locally selfconsistent multiple scattering methodにより、単位セル当たり1024個の鉄原子の集まりを、Curie温度以上でシミュレーションを行い、657GFlopsを実現した。主要部分は密行列の連立1次方程式で、BLASを用いたとのこと。

絶対性能の部の第2位は、Mark P. Sears等(SNL、UC Berkeley、Intel)で、”Application of a High Performance Parallel Eigensolver to Electronic Structure Calculations”で、ASCI Red を用いて、ScaLAPACKライブラリの固有値問題で605GFlopsを記録した。応用は電子構造。

価格性能の部の大賞は、Don Chen等(MIT、Columbia、FSU、FNAL、OSU)の”QCDSP Machine: Design、Performance and Cost”であった。これは、Norman Christ を中心とするQCD専用機の一つで、TIのDSP(50MF)に2MBのメモリを抱かせたノードから成る。CP-PACSの競争相手である。このマシンは2台に分かれ、Columbia大学のは、8192ノードで0.4TF、BNLにあるマシン(出資は日本の理研)は12288ノードで0.6TFである。BNLの研究展示には、BNLマシンの1箱が動態展示されていた。

価格性能の部の2位は、M.S.Warren等(LANL)の、”Avalon: An Alpha/Linux Cluster Achieves 10 Gflops for $150k” である。70プロセッサのAlpha Cluster で、6千万個の粒子の分子動力学をSPaSMコードを用いて実行し、44時間の平均で実効性能10GFlopsに到達したという。

よく見たら、みんなDOE関連の研究である。一昔前には日本のNWTやGrapeが続々入賞していたことを思うと隔世の感がある。

表彰式のあと、Gordon Bell 本人がSeymour Cray をたたえる講演を行った。大変興味深い講演であった。

10) 参加者
公開された参加者リストでは、参加は3123人、日本人は192人のようである。

11) Social Event
恒例の木曜日の晩のイベントはUniversal Studio Floridaを借り切って行われた。恥ずかしながら筆者は、Universal Studioがテーマパークであることを知らず、「映画の撮影所に行って何が面白いんだろう」などと思っていた。実際に行って不明を恥じた。

そのほかの世界の学界の動きは次回。HPC Asia 98はシンガポールで、ICS98はメルボルンで開かれた。

(タイトル画像: SC98ロゴ)

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