HPCの歩み50年(第104回)-2004年(a)-
日本ではペタスケールへの動きが始まったが、アメリカではZettaflopsをも視野に入れた動きが起こっている。64ビットではItanium開発がもたつく中Opteronが好調で、Intel社もx86-64を出すと発表した。中国製のコンピュータが初めてTop10に登場。日本ではHPC Asia 2004が開催される。
社会の動きとしては、1/12山口県で鳥インフルエンザの発生が確認される、1/19自衛隊、イラク派遣開始、3/1労働者派遣法改正(物の製造業務の派遣解除)、3/11スペイン、マドリッドで列車連続爆破事件、4/1国立大学法人化、4/7イラクで日本人の若者が人質に(4/18解放)、「自己責任」が議論に、4/22北朝鮮平安北道龍川駅爆発事件、5/1 EUに東欧諸国など10カ国加盟、5/7年金未納問題で、福田康夫官房長官辞任(5/10には民主党の菅直人代表が辞任)、5/10ファイル共有ソフトWinnyの開発者金子勇が京都府警に逮捕、5/22小泉首相が2度目の平壌訪問、5人帰国、7/4日本学会事務センターが預かり金16億円を流用し返済困難と報じられる(8/17東京地裁破産宣告)、7/18北朝鮮からインドネシア経由でCharles Jenkins(曽我ひとみの夫)と娘2人が帰国、 8/7北京のサッカーアジアカップで日本が優勝、8/13アテネオリンピック開幕(29日まで)、8/13沖縄国際大学に米軍ヘリ墜落、9/1ロシア北オセチア共和国で学校占拠事件、9/1浅間山、中規模噴火、9/3北朝鮮脱北者29名が北京の日本人学校に駆け込む、10/23新潟県中越地震、11/1日本で新紙幣発行(一万円札、五千円札、千円札)、11/2米大統領選挙、ブッシュ再選、11/8「夜明け作戦」、米軍とイラク政府軍がファルージャへ再侵攻、11/11パレスチナ自治政府のアラファト大統領パリで死去、11/21任天堂がニンテンドーDSを北米で発売、12/1羽田空港第2旅客ターミナルビル開業、12/12 SCEIがPlayStation Portableを日本で発売、12/13ドン・キホーテ2店で放火、12/26スマトラ沖地震(M9.3)、インド洋津波。流行語は、「気合いだー」「セカチュー」「負け犬」「冬ソナ」「ヨン様」など。オレオレ詐欺が多発した。この年、日本に台風が10個も上陸した。歴代1位である。
私事であるが、2004年度、情報理工学系研究科副研究科長および日本応用数理学会副会長になった。後で述べるが、前者ではWinny事件の対応に、後者では学会事務センター破産事件の対応にてんてこ舞いであった。
日本の次世代スーパーコンピュータ計画
日本でペタスケールへの動きが始まったのは2004年頃と見られる。このときはまだ「京」コンピュータという名前はない。
1) それまでの動き
この連載記事で書いてきたように、さまざまな動きがあった。1995年11月15日に科学技術基本法が施行され、1996年7月2日に第1期科学技術基本計画(1996年度~2000年度)が決定された。最優先課題の一つとして研究開発に関する情報化のために、高性能計算機の整備や応用ソフトウェア開発を挙げている。これと同時に科学技術庁は『地球変動予測の実現に向けて』という報告書を公開し、これが地球シミュレータの開発に発展した。
翌1997年7月4日、文部省(当時)学術審議会特定研究領域推進分科会情報学部会は、『情報学研究の推進方策について(中間まとめ)』を発表した。しかしここでは広い学問の諸分野との連携が強調されている反面、狭義の情報学の分野に止まっており、HPCや計算科学への展望は見られない。この文書の結実(というか目的)が2000年4月の国立情報学研究所の発足である。
1997年7月28日、内閣総理大臣から科学技術会議に諮問第25号「未来を拓く情報科学技術の戦略的な推進方策の在り方について」が出され、2年弱の検討を経て、1999年6月2日、科学技術会議から答申25号を内閣総理大臣に提出した。この議論のための情報科学技術部会には筆者も参加し、ペタフロップス・コンピュータの開発が喫緊の課題であると力説したが、あまり賛同は得られなかった。それでも、筆者が主張していたペタフロップス開発については、「第3章 情報科学技術の戦略的な推進のための共通的な方策」の「3. 研究開発基盤の整備」に「その研究手段である高速計算機については、テラフロップスからペタフロップスへの更なる高速化を目指し、ハードウェア、基本ソフトウェア、応用ソフトウェア等の研究を行うことが重要である。」という言葉が入った。
2000年ごろからITブームとなり、2000年7月7日には内閣に情報通信技術(IT)戦略本部設置ができ、11月29日には高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)が成立した。重点はコンピュータよりネットワークにあったと思われる。一方文部省(当時)は学術審議会に情報学部会を設置し、2000年12月には「大学等における情報学研究の推進について」をとりまとめた。筆者は超高速計算機システムの開発を主張し、「新たなアーキテクチャに基づく超高速・超大容量計算機システムの実現に関するハードウェア・ソフトウェア両面での研究を推進する」との文言を入れた。情報学部会の中に特定研究領域推進分科会を設置し、当面の具体的な推進方策について議論した。7つの重点分野を定めた。この提言に基づき、2001年4月に科研費特定領域(C)「ITの深化を拓く情報学研究」が発足した。総括は安西祐一郎(慶應義塾)、予算年間8億円。7つの重点分野のうち、筆者が推進しようとした「超高速計算機システム」だけが外された。
2001年1月には中央省庁が再編され、文部科学省が設置されるとともに、内閣府に総合科学技術会議が設置された。2001年4月1日から第2期科学技術基本計画が開始された。総合科学技術会議は、2001年9月21日に情報通信分野の研究開発推進戦略において、「スーパーコンピュータの高速化については、各分野の需要に応じて推進する」と定められた。言い換えれば、国家戦略としては推進しないということであり、筆者らはがっかりした。たしかに、これまでTop500のトップを占めたことのある数値風洞(NWT)やCP-PACSは、それぞれ航空機分野、物理学分野の需要に応じて開発されたものであり、当時開発中の地球シミュレータも地球科学のためのコンピュータであった。しかし、それぞれVPP-500、SR2201、SX-6という汎用スーパーコンピュータとして商品化しており、多少のくせはあるが広い分野の科学技術計算に有用なスーパーコンピュータであった。今後は、各分野に分かれて計画・開発するのではなく、各分野からの要求を考慮しながらも、国家基幹技術として国の総力を挙げて高性能なコンピュータを開発することこそ科学技術立国の要であると考えていた。上記の提言で「超高速・超大容量計算機システムの実現」を入れたのはそのためであった。
2) 計算科学研究
シミュレーションやデータ解析などの大規模計算を主要な研究手段とする計算科学は、コンピュータの高性能化とともに多くの分野で発展して来ていたが、大学や研究機関の活動に止まり、組織的に計算科学を推進しようとする動きは、世紀末ごろにやっと始まった。
一つは日本学術振興会の未来開拓事業「計算科学」(1997年)であり、理学・工学の分野で4つの課題でスタートした。1998年にはJST(科学技術振興事業団)でACT-JST「計算科学技術活用型特定研究開発推進事業」が始まった。産業利用では、東京大学生産技術研究所が2002年、文部科学省ITプログラム「戦略的基盤ソフトウェアの開発」を開始した。同じく2002年には、JSTのCREST・さきがけ混合型領域として「シミュレーション技術の革新と実用化基盤の構築」が始まった。
3) 地球シミュレータの完成
2002年3月に地球シミュレータが完成し、6月のTop500ではRmax=35.86 TFlopsで堂々の1位を獲得するとともに、気象、地震などのシミュレーションを核としながらも、広い分野での成果を出し始めた。アメリカやヨーロッパもこの動きには強い刺激を受け、「打倒地球シミュレータ」のかけ声とともに、多額の予算を投じて、国家戦略としてのスーパーコンピュータの開発を始めた。日本でもこのころから多少風向きが変化し始めたように思われる。
2003年4月には文部科学省の委託研究としてグリッドミドルウェアを研究開発するプロジェクト「超高速コンピュータ網形成プロジェクト(National Research Grid Initiative:通称NAREGI)」がスタートし、広域分散型の最先端研究教育用大規模計算環境(サイエンスグリッド)を実現することを目指した。
4) 「基礎研究における次世代高性能計算機環境に関する調査研究会」
2001年のところで書いたように、RIST(財団法人 高度情報科学技術研究機構)はJSTから「次世代計算科学に関する調査研究」を受託し、調査委員会を立ち上げている。この調査研究は2000年度あたりから毎年受託しているようである。2001年11月5日に笹川記念会館で「計算科学のための次世代計算機環境に関するワークショップ」を初めて公開で開催し筆者も参加した。
2003年末にも、JSTは「基礎研究における次世代高性能計算機環境に関する調査研究会」を企画し、RISTがこれを受託した。この委員会に関する資料は今回RIST関係者からいただいた。調査研究期間は2003年10月から2004年3月までで、3月15日には調査報告書をJSTに納入することになっていた。調査研究にあたっては、斯界の代表的な研究者が一同に開始、計算科学を積極的に用いて進もうとする、各々の最先端研究領域の現状を紹介しつつ、共通的に浮かび上がる課題を抽出し、そのために必須手段となる次世代高性能計算機環境の在り方を議論することが目的であった。
調査委員会のメンバーは、佐藤哲也(地球シミュレータ)を委員長とし、委員は岩崎洋一(筑波大)、大澤映二((有)ナノ炭素研究所)、岡本征雄(核融合研)、岡本祐幸(分子研)、小柳義夫(東大)、金田康正(東大)、金田義行(海洋科学技術センター)、白山晋(東大)、住明正(東大)、高部英明(大阪大)、谷口伸行(東大)、塚田捷(東大)、中村壽(RIST)、西野哲郎(電通大)、平野恒夫(お茶大)、松本紘(京大)、三浦謙一(情報研/富士通)、宮本良之(日本電気)、渡邉国彦(地球シミュレータ)であった。文部科学省情報課の方々もオブザーバとして出席された。メンバーを見ると、ベンダーの委員を別にすれば、応用分野の研究者が多く、システムの専門家はほとんどいない。うがって見れば、応用分野から計算速度やメモリ容量などの要求事項を出してもらえば、あとはシステム側で汎用のスーパーコンピュータを設計すればよいという発想が背後にあるように思われる。現在強調されるco-designとは逆の考えである。筆者もメンバーであり、3回の研究会や座談会に出席していたらしいが、ほとんど記憶がない。
第1回研究会は2003年10月31日(金)に霞山会館で開かれ、ナノサイエンス分野から宮本委員が、バイオサイエンス分野から岡本(祐)委員が発題した。第2回研究会は11月28日に海洋科学技術センター東京連絡所で開かれ、物質科学・物性物理の話題を塚田委員が、核融合プラズマの話題を岡本(正)委員が、CFDの話題を白山委員が、マクロ・ミクロ相互作用の話題を渡邉委員が、DEM (discrete element method)の話題を金田(義)委員が、量子色力学の話題を宇川(岩崎委員代理)が提供した。シミュレーションについては階層性が話題になり、そのための次世代計算機環境の性能、アーキテクチャなどが議論された。「30~40歳代の大規模計算機離れ」が話題に上り、教育や人材養成も議論された。
第3回研究会は2004年1月23日に大手町サンケイプラザで開かれ、大澤委員から分子動力学の話題が、平野委員から計算化学の話題が、高部委員からは複雑系の話題が提供された。報告書は事務局の原案を基にメールで議論してまとめることとした。
このあといくつかの分科会が開かれた。2月14日には、「今後の高性能計算機に関する懇談会」(主査、金田康正)が東大情報基盤センターで開かれ、マルチスケールシミュレーションのためのシステムはどのようなものであるべきか、そのための要素技術の展望はどう考えられるか、若い研究者の教育体制の問題などが議論された。2月24日には、渡邉国彦委員を主査とする別の分科会が航空会館で開かれ、連結階層型システム向けのシステム概念、5年後10年後の高性能計算システムへの展望、要素技術の展望、今後有望と考えられる領域などについて議論した。この分科会に引き続いて佐藤委員長を主査とする座談会が開かれ、筆者も参加した。今後の計算科学の方向性、次世代高速計算機像の方向性(専用機か汎用機かなど)、時期、資源、資金、ソフトウェア開発、利用層などについて議論した。
JSTに提出した報告書は、分野別のシミュレーションの動向や計算規模の分析が中心となっている。議論の中では、「ミクロ階層とマクロ階層との間の情報交換を最小限にするためのアルゴリズムを見出すこと」、「ミクロ階層とマクロ階層に対して、既存の技術下で最適なシミュレータ・アーキテクチャは何かを検討すること」、「結合ネットワークとしてどのようなシステムが必要であるかを検討すること」などが今後検討すべき課題として上げられたが、報告書では触れられていない。
5) 文部科学省からの問題提起
上記研究会の第2回が開かれた直後の2003年12月8日、文部科学省情報課の古西真情報科学技術研究企画官から、調査委員会のアカデミアのメンバーに私的なメールが送られた。このメールは筆者のファイルに残っており、実はこのメールから忘れていた上記研究会の存在を突き止めたのである。古西企画官は、それまでITBLやNAREGIの立ち上げにも係わっている。
この中で古西企画官は、「研究会では、オブザーバーの立場なので、当方がお伺いしたことを直接に伺えないため、このようなメールを出す。」と述べ、下記のような問題提起をしている。
スーパーコンピュータ整備についての基本的な考え方等
・情報通信分野推進戦略(平成13年9月)において、「スーパーコンピュータの高速化については、各分野の需要に応じて推進する」こととされている。
・本年11月、米国エネルギー省は、スーパーコンピュータの整備を高い優先度に位置づけた報告書を公表。
今後のスーパーコンピュータ整備に関する検討事項
・今後ともスーパーコンピュータの能力は一定の向上がなされることも踏まえつつ、地球シミュレーターを超える規模のスーパーコンピュータの開発は必要でしょうか?
1)必要な場合
・利用者(公的セクターか民間企業の者か)
・利用目的(米国であれば核兵器、地球シミュレータであれば地球環境のシミュレーション等)
・開発の意義(国の威信、経済波及効果、研究開発基盤の整備等)
・規模(理論性能で何TFlops、実行性能で何TFlopsか)
・整備の必要な時期(地球シミュレータは平成14年3月運用開始)
・具体的なアーキテクチャー(プロセッサ、メモリ等)
・利用の形態(地球シミュレータのような単体のスーパーコンピュータかグリッド・コンピューティングのような環境か、課金、成果の公開/非公開の在り方等)
2)必要ない場合
・スーパーコンピュータ自体の開発・整備は民間に期待するとした場合、スーパーコンピュータの能力の向上を図るために、国として行うべき技術開発の要素はあるでしょうか?あるとすれば、具体的にはどのような技術でしょうか。
つまり、研究会ではシミュレーションの視点から将来像を議論しているのに対し、文部科学省としては国としてのスーパーコンピュータ戦略について議論してほしい、と言っているようである。とくに、IT戦略において、スーパーコンピュータは必要な分野で個別に努力すればよく、国家戦略としては開発しないと述べているのに対し、これを打ち破る提言を出さないのか、というメールであった。「なお、所属されている機関の制約を外して、個人的な見解に因って、ご回答をいただければ幸いです。」とまで付け加えてあった。結果的にこの調査研究会の報告では、国家戦略までは踏み込んでいない。2004年1月、情報科学技術研究企画官は古西真氏から星野利彦氏に代わった。
6) 岩崎文書
筑波大学計算科学研究センターの旧センターのwebページに、岩崎洋一の名前で書かれた『我が国におけるスーパーコンピュータ開発の必要性について』という2004年1月5日付けの文書がある。これは関係者の間では通称「岩崎文書」と呼ばれており、筆者も知っていたが、これがどのような目的で書かれたものなのか分からず不思議に思っていた。今回、関係者の記憶を呼び起こして事情が分かってきた。まずこの文書は岩崎洋一名で書かれているが、上記古西氏の問題提起に対し、岩崎を中心に、宇川彰、佐藤三久、朴泰祐らが議論を重ねて、12月末から1月初めに練り上げたものである。かれらはそれまで筑波大学のCP-PACS後継機についてさんざん議論してきたので、年末年始にもかかわらず短期間に文書化することができた。
岩崎は2000年頃以降、機会があるたびに文部科学省の研究振興局、情報課、研究機関課などに出向いて、地球シミュレータの後継機の開発計画を直ちに始めるべきであると力説して来たが、当時はなしのつぶてであった。文部科学省的には、地球シミュレータの製作費がかさんだため、完成するまでは次のプロジェクトの立案はしにくい。では完成すればいいかと言うと、今度は維持費がかさんでまたまた新規予算はダメだということのようである。そこでこのような状況を打開すべく文書で訴える必要性を強く感じてこの文書を作成したとのことである。
この文書では、スーパーコンピュータは、科学技術のあらゆる分野において、最先端の研究と開発を切り開くために必須の装置であると述べ、多くの分野で重要課題を解決するために、地球シミュレータを越える計算能力が必要であることを、具体的なテーマを上げて定量的に議論している。さらに業界の状況に触れ、日本のメーカは、1990年代前半までは汎用大型計算機のために開発したハードやソフトを使ってスーパーコンピュータを開発できてきたが、近年汎用大型コンピュータの需要がUnixサーバに取って代わられて激減し、もはやメーカ独自でスーパーコンピュータ開発を支えられる状況が消滅したことを指摘している。
従って、今後は、国としての長期的戦略を描き、それに則した形で一定額の国費を継続的に投入してスーパーコンピュータの開発と整備を継続することが是非とも必要であり、その投資が我が国のコンピュータ産業全体の抜本的強化につながる方向で開発を進めるべきであると述べ、具体的に中長期戦略案を提案している。とくに、今後はマイクロプロセッサをベースとしたシステムが今後の方向であり、大規模計算に対して高い実効性能を持つ我が国独自のマイクロプロセッサの継続的開発を軸として進めるべきであること、また、単一分野に特化して単一の超高速スーパーコンピュータを配置する方針は科学技術全体のバランスの取れた進歩をもたらすために最適ではなく、主として重点分野に集中的に利用させる最高性能のシステム(現在の用語では第1階層)に加えて、諸分野に対してその数分の1の規模のシステム(第2階層)を複数配置するピラミッド型配置が効果的である、としている。ここに書かれた「持続的開発」と「階層的配備」という考え方は、結果的に次世代スーパーコンピュータプロジェクトの基本概念となった。
岩崎洋一は同年4月から筑波大学学長に就任することが決まっていた。2004年1月5日、学長就任を前に、新年の挨拶を兼ねて文部科学省の幹部を訪問し、この文書を手渡したとのことである。何かの会議の資料ではなかった。1月6日には、研究企画官(この時点では星野利彦氏に代わっていた)にも送付された。1月27日には宇川、押山、佐藤、朴が事務方とともに文部科学省を訪問し、研究機関課ではCP-PACS II計画(後のPACS-CS)を説明し、情報課では岩崎文書について直接説明を行った。星野企画官からは、岩崎文書について好意的な反応をいただくとともに、ベクトル待望論は根強いので、プロセッサ開発をやるといくらぐらいかかるか、計算科学の主流になれるのか、客観的に考えてほしいとのコメントがあった。また、ポスト地球シミュレータによって社会がいかに良くなるか(今の言葉で言えばアウトカム)を詳しく提示してほしいとの話もあった、とのことである。
なお、岩崎学長就任および国立大学法人化と時を同じくして、筑波大学の計算物理学研究センターは計算科学研究センターに改組拡充された。
2004年6月25日には情報課の星野利彦企画官らが筑波大計算科学研究センターを訪問し、筑波大学からは超並列ペタシステムを提案し、星野企画官からは、平成17年度(2005年度)概算要求において、要素技術開発プロジェクトを立ち上げるという話があった。7月12日には筑波大関係者が情報課を訪問し意見交換した。10月18日には星野企画官らが再び筑波大学を訪問した。
これに続く政府の動きは次回。