世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


5月 29, 2017

HPCの歩み50年(第123回)-2005年(i)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Cray社やSGI社は経営に苦しんだ。Cray社の上級副社長であったPeter Ungaroは社長、続いてCEOに指名された。Burton Smithは遂にCrayを去ってMicrosoftに移った。SGI社は11月7日付けでNYSEの上場が廃止になった。Apple社はMacintoshのCPUをIntel x86プロセッサに切り替えると発表した。FiorinaがHP社を去った。

アメリカの企業の動き

1) IBM (BlueGene)
2005年1月初め、SDSC (San Diego Supercomputing Center)にBlueGeneの1ラックが設置され稼動を開始した。愛称はIntimidata。大学関係では最初の導入である。ピーク性能5.7 TFlops、メモリ512 GBとのことである。2005年6月のTop500では63位であった。その後3ラックまで増強された。

2002年ごろの計画ではdual-core processor(ピーク5.6 GFlops)当たりメモリは0.25 GBだったので、Flops当たりのメモリは倍に増えている。実は、産総研に入ったBlueGeneも同様の構成であり、LLNLもメモリを増強したものが入るとのことである。初期はPulleyblank氏の、簡単な要素を束ねて、百万PUめざす、自律的に故障回避も行う(autonomic computing)というような、やや極端な超並列機指向・哲学が強かったようだがだんだん普通っぽいマシンに近づいて来ている。

2005年6月、IBMは自社のThomas J. Watson Research Center (Yorktown Heights, NY.)に新しいBlueGeneを設置したと発表した。愛称はBGW。ピークは114.7 TFlops(20ラック)で、Rmax=91.29 TFlops。DOEの公募制の資源提供プログラムのINCITEにも計算時間を提供する予定とのことである。

2007年6月のTop500から100位以内のBlueGene設置状況を示す。

順位 設置場所 システム名 コア数 Rmax Rpeak 設置年
1 LLNL BlueGene/L 131072 280.6 367.0 2005
4 IBM Thomas J. Watson Res. Center BGW 40960 91.3 114.7 2005
5 BNL New York Blue 36864 82.2 103.2 2007
7 Rensselaer Polytechnic Inst. eServer Blue Gene 32768 73.0 91.8 2007
18 Forschungszentrum Juelich(独) JUBL 16384 37.3 45.9 2006
26 Groningen大学(オランダ) Stella 12288 27.4 34.4 2005
31 IBM Rochester Blue Gene 8192 20.9 27.9 2007
37tie 産総研(日) Blue Protein 8192 18.7 22.9 2005
37tie Ecole Polytechnique Federal de Lausanne(スイス) eServer Blue Gene 8192 18.7 22.9 2005
37tie EDF R&D(フランス) Frontier 8192 18.7 22.9 2007
37tie 高エネルギー機構(日) KEK/BG MOMO 8192 18.7 22.9 2006
37tie 高エネルギー機構(日) KEK/BG Sakura 8192 18.7 22.9 2006
37tie IBM Rochester eServer Blue Gene 8192 18.71 22.9 2006
63 UCSD/SDSC Intimidata 6144 13.8 17.2 2006
92 Harvard大学 eServer Blue Gene 4096 9.43 11.47 2006
92tie 高エネルギー機構(日) KEK/BG UME 4096 9.43 11.47 2006
92tie IBM Almaden Res. Center eServer Blue Gene 4096 9.43 11.47 2006
92tie IBM Res.(スイス) eServer Blue Gene 4096 9.43 11.47 2006
92tie IBM Thomas J. Watson Res. Center eServer Blue Gene 4096 9.43 11.47 2005
92tie RENCI Ocracoke 4096 9.43 11.47 2007
92tie Daresbury Lab.(英) eServer Blue Gene 4096 9.43 11.47 2007
92tie Canterbury大学(NZ) Blue Fern 4096 9.43 11.47 2007

上の表から分かるように、高エネルギー加速器研究機構は、10ラックのBlueGeneを4+4+2に分けて設置し、全体でのLinpackは測定していない。Linpackより実用に重点を置いているとのことであった。

なお、このBlueGeneは“Sakura”であるが、後に設置されたBlueGene/Qは“SAKURA”である。

2) IBM (Cell)
2005年2月8日、IBM、ソニーグループ(ソニー、ソニー・コンピューターエンタテインメント)、東芝の4社は、米国サンフランシスコで2005年2月6日~10日に開催中のISSCC(IEEE International Solid-State Circuits Conference、国際固体素子回路会議)において、4社共同で開発を進めてきた高性能プロセッサ(コードネーム:Cell)の主な技術仕様を公開し、試作品を披露した。発表によると、4社のエンジニアは、米国テキサス州オースチンに設置した共同デザインセンターで2001年3月からCellプロセッサの開発を進めてきた。今回の試作チップは、90nmプロセスのSOI (Silicon on Insulator)技術を用いて試作したもので221 mm2のチップ面積に2億3400万個のトランジスタを搭載した。CellはIBMの64 bit Power PCアーキテクチャをベースとしており、1個の汎用的なプロセッサコアPPE (Power Processor Element)と、8個の独立した浮動小数点演算コアSPE (Synergistic Processing Elements)を持つ革新的なマルチコア・アーキテクチャ・デザインを採用している。各SPUは128本の128 bit register filesと256 KBのlocal storeを持ち、PPEは2 threads SMT機能を持つ、VMX拡張付きの64 bit Power Architectureである。4 GHzで動けば全体でスーパーコンピュータ並みの256 GFlopsのピーク性能(32bit演算)をもつ。実際には4 GHzのクロックは実現しなかったが、このようなヘテロなマルチコアは注目を集めた。

Cellプロセッサの生産は、米国ニューヨーク州イーストフィッシュキルにあるIBMの300 mmウエハー対応の半導体製造拠点で開始し、続いてソニーグループが長崎県諫早市に保有する半導体製造拠点(Fab2)でも年内に生産を開始する予定である。この工場は元々、1986年に日本フェアチャイルドセミコンダクター長崎工場として新築されたものである。

米IBMは3月30日(現地時間)、ソニーや東芝と共同開発している次世代プロセッサ「Cell」を採用したエレクトロニクス製品の開発を支援する設計サービスを発表した。

その後5月17日のElectronic Entertainment Expoにおいて、PLAYSTATION 3に搭載されるCellプロセッサが3.2 GHzで動作し、SPEは7個であることが発表された。8個のうち7個しか使わないのは歩留まり向上のためと見られる。

2005年8月25日、4社は、ゲーム以外のアプリケーションの創出を目指しCellの詳細仕様を新たに公開した。

2005年10月にはドイツのFraunhofer研究所のグループは、Cellのクラスタを構築し、PV-4Dという可視化のソフトウェアを動かしたと発表した。いよいよCellもHPCの領域に入ってきたのであろうか。

また4社は、2005年11月1日から台湾の新竹で開催されている国際学会「A-SSCC 2005」で共同発表し、同学会に設けられた特別講演枠「Industry Session」における講演で、消費電力の低減に向けた思想や評価結果を中心に語った。

2005年11月9日には開発キット(Cell Broadband Engine Software Development Kit)と開発仕様書を公開した。

3) IBM(メインフレーム)
メインフレームはなくなったわけではない。IBM社は2000年にSystem/390をIBM eServer zSeriesと改名したが、2005年7月、これに代わってIBM System z9を発表した。9月16日から利用可能になった。IBM社はz9の開発のために、3年の年月と、5000人の技術者と、$1.2Bの予算を投入した。System z9は、Linuxやz/OS v.1.7などを含む5種類のOSが動く。

4) Cray社(経営)
2005年はCrayの執行部に大きな動きがあった。X1、XD1、XT3と順風満帆のようであったが、経営は難しく、危うくNASDAQ上場廃止になるところであった。7月にはSteve Scott CTOが「今が辞め時」と語り、辞任した。しかし10月になりCTOに復帰した。少し長い夏休みであった。この不可解な動きは以下にあるような人事の動向と関係があると思われるが詳細は不明である。本当に辞めたのは6年後、2011年8月12日で、このときはNVIDIAに移った。その後2013年8月にはNVIDIAからGoogleへ、そして2014年9月には、何と古巣CrayのCTOに戻った。

2003年8月にIBMからCray社の上級副社長(世界市場担当)に転職したPeter Ungaroは、2005年3月社長に任命された。これで、財務、法律、政府関係を除いてすべての責任をとることになる。続いて2005年8月22日、Cray社は、James E. Rottsolk CEOがCEOおよび取締役会長を退任し、Ungaroが後任のCEOに任命されたことを発表した。Rottsolkは2005年中は取締役として残り、顧問の役を務める。私見では、UngaroはCray社をスーパーコンピュータのIBMに変えたと理解している。

そして更に、2005年11月25日、Cray社の前身であるTera社の創立者(1987年James Rottsolkと共同して)であり、そして2000年にSGIからCray社を買収した張本人であるBurton SmithがCray社を去り、なんとMicrosoft社に移ることが発表された。同じSeattle近郊である。彼が担当していたDARPA HPCSのためのCascade projectはCray CTOである Steve Scottが継承すると予想されている。S氏の話では、この発表の直後に開かれた北京のHPC Asia 2005には、MicrosoftからDennis Crain と Marvin Theimerが来ていて、彼らの話ではBurtonはCraig Mundyの下で働くということであった。Burtonのmulti-threadingは今後チップ内でますます重要になり、彼の助言は貴重だと言っていたとのことである。

後にITproの中田敦記者のインタビューに答えて、「30年間以上にわたってパラレル(超並列)コンピューティングを手がけてきた私が米Microsoftに来た目的は,パラレル・コンピューティングを,クライアント・サイドにまで広げることだ」と語った。「全コンピュータがパラレル・コンピューティングに向かう」と力強く述べた。(ITpro 2007年9月5日)

5) Cray社(XT3)
ASC Red Stormの商品版であるCray XT3は順調に商売が進んだ。2005年1月28日には、米軍のコンピュータセンターからXT3を受注したと発表した。ミシシッピ州VicksburgのERDC (the Engineer Research and Development Center)では2005年中頃4000プロセッサのXT3が運転を始める。ピーク性能は21 TFlopsである。現在は64プロセッサのCray X1ベクトルコンピュータと、古いT3Eであるが、この設置により性能は3倍になる。これはDoD Modernization Programから受けた合計$23Mの注文の一部である。

Cray社は日本の科学技術振興機構(JST)からもXT3を受注したと発表した。東大に設置される。 また4月10日には、北陸先端科学技術大学院大学から372プロセッサのXT3を受注したと発表した。

スイスのCSCS (the Swiss National Supercomputing Centre)は1100プロセッサのXT3を導入し、2005年6月のTop500ではRmax=4.782 TFlopsで57位に位置している。

6) Cray社(X1E)
2004年11月頃からCray社はX1の改良版であるCray X1Eの受注を発表している。2005年1月もヨーロッパおよびアジア太平洋地域から合計$9Mの注文があったことを発表している。プロセッサがdual-coreになり(multi-chip module)、クロックがX1の0.8 GHzから1.15 GHzに増加し、合わせて約3倍の性能を実現している。X1と同様にベクトルパイプは8並列であり、ボード交換によりアップグレード可能である。ただし、メモリバンド幅や相互接続網は変わっていないので、相対バンド幅は減っている。1号機はワルシャワ大学に2004年12月に納入された(Top500にはない)。

2005年11月のTop500から主要なX1Eの設置場所を示す。

順位 設置場所 システム コア数 Rmax Rpeak
16 韓国気象庁 X1E [4 GB] 2C 1.13 GHz 1020 15.706 18.442
17 ORNL X1E [2 GB] 2C 1.13 GHz 1014 14.955 18.333
103 US Army HPC Research Center X1E 2C 1.13 GHz 252 3.7831 4.55616
395tie 韓国政府機関 X1E 2C 1.13 GHz 124 1.905 2.24192
395tie 米国政府機関 X1E 2C 1.13 GHz 124 1.905 2.24192
395tie スペイン気象庁 X1E 2C 1.13 GHz 124 1.905 2.24192
480 Cray Inc X1E 2C 1 GHz 124 1.686 1.984

有効数字2桁でRmax=1.9のマシンは他にも多数あり、395tieは正確な順位ではない。

7) Cray社(XD1)
2004年のところに書いたように、Cray XD1は、元々VancouverにあったOctigaBay社の開発したOctigaBay 12Kを引き継いだentry levelのスーパーコンピュータであり、Direct Connect Architectureを用いてOpteron processorを接続している。ミッドレンジ・マシンとしてかなり売れたようである。Top500に出るのは一部なので全貌は不明であるが、ニュースになったものから。

フランスのToulouseのCERFACS(the European Center for Research and Advanced Training in Scientific Computation)がXD1を導入したと、2005年3月Cray社が発表した。4月には、日本のソフトウェアクレイドル社(流体解析)とアメリカのCD-Adapco 社(STAR-CDなどで知られる。2016年4月にSiemens社が買収)がそれぞれ72プロセッサのXD1を導入したと発表した。またCray社とLSTC (Livermore Software Technology Corp.)社は、XD1がCAEソフトであるLS-DYNAを高性能で稼働させることができたと発表した。

8月、NRL (The Naval Research Laboratory)は最大規模のXD1を導入したと発表した。288個のAMD Opteron Dual-Core processors (2.2 GHz)と144 Xilinx Virtex-II Pro FPGAsから構成され、24個のシャーシーに納められている。2005年11月のTop500ではコア数588、Rmax=2.083 TFlops、Rpeak=2.5872 TFlopsで312位に位置している。このXD1は、40プロセッサのCray MTA-2のリプレースである。同じTop500にはソニーのシステム技術研究所にあるXD1が、コア数825、Rmax=2.996 TFlops、Rpeak=3.633 TFlopsで161位に、Rice大学のXD1が、コア数668、Rmax=2.351TFlops、Rpeak=2.939 TFlopsで278位に位置している。

8) Intel社 (Pentium/Xeon)
2005年2月9日、Intel社は大手町での記者発表会で2005年の64 bit CPU関連の製品戦略を発表した。64bit Pentium4 600番台(コード名Prescott-2M)には64bit メモリ拡張技術EMT64Tが搭載される。L2キャッシュはこれまでの2倍となる2 MBを搭載し、拡張版Intel SpeedStep Technologyも採用する。このプロセッサは2月20日にリリースされた。

サーバ向けのXeonについては、第1四半期に出荷するXeonプロセッサの8割を64bit対応に移行すると述べた。新64bit XeonのDP (dual processor)版は近々、MP (multi processor)は春先に投入される予定。これらは新Pentium4と同様に2 MBのL2キャッシュを搭載する。なおMP版においてはL2キャッシュのサイズの異なる2種のCPUが投入される予定。

この発表会ではItanium2についても、まだ需要があるので、64 bit computingは2本立てで行くと述べた。これについては次の項で述べる。

2005年10月14日、Intelは最初のdual-core, hyper-threaded Xeon processorを発売した。クロックは2.80 GHz、L2キャッシュはコア毎に2 MB搭載されている。2006年第2四半期にはDempseyというコード名のdula-core Xeon prosessorが発表されることになる。

2005年10月24日、Intel社は次期サーバ向けプロセッサの開発・導入計画を変更したことを明らかにした。背景にはライバルのAMD社との厳しい競争がある。AMD社のOpteronプロセッサの社はまだ10%以下であるが、dual-core Opteronの導入によりシェアを伸ばしていた。具体的には、次期Xeon(コード名Whitefield)の開発を中止し、動作速度を向上させたTigertonを2007年にリリースする予定。Itainiumの開発も大幅に遅らせた。

Intel社は11月1日、4-way以上のプロセッサ向けのdual-core Xeonプロセッサ(コード名Paxville-MP)を発売し、これに合わせてIBM社、Dell社、Hewlett-Packard社などの大手ベンダでもこれを搭載した4プロセッササーバの新製品を発表した。2つの独立した667MHzシステム・バスに対応し、動作周波数が最高3.0GHzに向上した。当初の計画より5ヶ月早いリリースであった。これでAMDが4月に発売したdual-core Opteronを追撃する。PaxvilleにはVanderpoolというコード名で呼ばれていたVirtualization Technologyという新機能を搭載した。複数のOSを簡単に動作させるための機能で、VMwareのESX ServerやオープンソースのXenといった仮想化ソフトウェアの性能と柔軟性を向上させる。

9) Intel社(Itanium)
前項で述べたように、2005年2月9日、Intel社は大手町での記者発表会で2005年の64 bit CPU関連の製品戦略を発表した。この中で、Itanium2について、まだ需要があるとして、Pentium/XeonとItaniumの2本立てで進めていくと述べていた。

7月、Intel社は新しいdual-core Itanium 2プロセッサであるMontecitoのバス(FSB)の周波数を上げ667 MHzとすると発表した。これまでのFSBは400 MHzであった。Dual-coreではバスとのデータのやりとりが多く、400 HMzでは性能が出ない。

前項で述べたように、10月24日、Intel社はサーバ向けのロードマップの変更を発表したが、あわせてItainum2の新製品の導入も遅らせると発表した。初めてのdual-core Itanium 2(コード名Montecito)は、当初は2006年初めに量産開始を予定していたが、2006年半ばまで延期した(実際には2006年7月18日発売)。その後継であるdual-coreのMontvaleのリリースも当初予定していた2006年から2007年に延期し(実際には2007年10月31日発売)、第3弾となるquad-coreのTukwilaは2007年から2008年に遅らせる(実際には2010年2月9日発表)。各社ともハイエンドにはItaniumを搭載する方針を変えていないが、販売数量は期待を下回っていた。7月に発表したMontecitoのFSBの周波数向上は533 MHzにとどまり、性能のボトルネックとなっているという噂がささやかれていた。2005年10月29日、Intel社はMontecitoのサンプルを出したが、品質管理に問題があり、出荷は遅れると発表した。これではIBMやSun Microsystemsの製品に勝てないというコメントが報道された。

10) Intel社(半導体技術)
2005年2月、シリコンで連続レーザ発振に成功したと発表した。GaAsなどの化合物半導体の発光とは異なりRaman効果を用いているので、外部からポンプ光を供給する必要がある。光導波路は幅と高さが約1.5μm,長さが4.8cmで,半径400μmでS字に折り曲げられている。

2005年12月、Intel社と英Qinetiqは、InとSbの化合物であるアンチモン化インジウムを用いた、高速で低発熱の新しいトランジスタ技術を開発したと発表した。2015年頃までに実用化される可能性があるとのことであった。

11) Apple社
Apple社のCEOであるSteve Jobsは、2005年6月6日Worldwide Developers Conferenceにおいて、MacintoshコンピュータのCPUを、これまでのPowerPCプロセッサからIntel x86プロセッサに切り替える計画であることを発表した。2006年1月10日、Intel Core Duoプロセッサを搭載した15インチのMacBook ProとiMac Core Duoを発表した。

12) AMD (Advanced Micro Devices)社
2005年2月、90 nmプロセスのOpteron(コード名Athens/Troy/Venus)をリリースした。HyperTransportのクロックが1 GHzに高速化され、SSE3もサポートした。L2キャッシュは1 MB。Athensはモデルナンバー800番台、Troyは200番台、Venusは100番台に対応する。

2005年5月には、dual-coreのOpteron(コード名Egypt/Italy/Denmark)をリリースした。Egyptはモデルナンバー800番台、Italyは200番台、Denmarkは100番台に対応する。

2005年11月に、AMD社は2007年にquad-coreのOpteronプロセッサを出すと発表した。実際には2007年9月10日にコード名Budapest/Barcelonsが、13yy series、23xx/83xx seriesとして発表された。また、2006年には、OpteronにPacifica仮想化技術を搭載し、プロセッサ上で複数のOSを走らせる柔軟性を実現すると述べた。

日本では2005年5月31日、ヒルトン東京において、「AMD Opteron クラスタ・カンファレンス 2005 — AMD64の最大パフォーマンスを引き出すために」が開催された。

13) Hewlett-Packard社
HP (Hewlett-Packard)社は、2005年2月9日、Carly Fiorina会長兼CEOが辞任すると発表した。Fiorina会長は、1999年にCEOに就任し、2002年には創業家から強い反対を受けながらCompaq社(旧DEC社を吸収)との合併を断行した。Fiorina CEOは、Fortune誌の選ぶ最も影響力ある女性経営者の首位に選ばれるなどアメリカビジネス界の顔であったが、Dell社などとの激しい競争が続き、PC部門の収益が上がらず、社内外の批判を受けていた。取締役会は彼女に引退を要求していた。

14) SGI社
SGI社は2005年4月、DODのオハイオ州Wright-Patterson空軍基地にスーパーコンピュータEagleを納入したと発表した。SGI Altix 3700 Bx2という機種で、2048個の1.6 GHz Itanium 2と共有メモリ2 TB とをNUMAlinkで結合したものである。OSはLinux。Rmax=11.814 TFlops、Rpeak=13.107 TFlopsで、2005年6月のTop500では、日本原子力研究所の同規模のSGI Altix 3700 Bx2とともに15位にランクされている。

同社のAltixはTop500の台数ランキングで3位を占めていたが、経営は困難を抱えていた。2005年7月28日、アメリカSGI本社は第4四半期(4月~6月)の決算を発表したが、売上高が$177.22Mで、前年同期から17%の減収となった。営業損益は$16.36Mの赤字である。保有していた日本SGI株(2001年以来アメリカSGIの出資は10.5%)の一部を売却して、最終利益を$7.85Mの黒字とした。同社は9月末までに大がかりな再建策を発表する予定であった。

SGI社は2005年5月9日にNYSE(ニューヨーク証券取引所)から株価が上場基準を下回ったことを通告されていた。上場を続けるためには30営業日連続で終値の平均が$1.00以上となる必要があるが、このレベルには戻らなかった。かつて1995年ごろには$50にも上昇したことを思うと、昔日の感がある。11月1日SGI社に上場廃止の通告があり、SGI社は11月7日付けでNYSEの上場が廃止になると発表した。取引はthe OTC Bulletin Boardで続けられる。連邦破産法第11章(Chapter 11、日本の民事再生法に相当)を申請するのは翌年2006年5月8日である。

15) Sun Microsystems社
2005年9月12日、Sun Microsystems社は、dual-core Opteronを搭載した新しいサーバGalaxyのシリーズSun Fire X2100(1-wayの1Uラックマウント), X4100(2-wayの1Uラックマウント), X4200(2-wayの2Uラックマウント)を発表した。日本では、Sun社のScott McNealy会長兼DEOとAMD社のHector Ruiz CEOとが来日して、9月16日に発表会が開かれた。Solaris 10 OSはもちろん、業界標準のLinuxでもWindows Server 2003でも動く。設計したのはAndy Bechtolsheim(Sun Microsystems社の創業者の一人で、2004年に復帰)のチームである。

16) Myricom社
クラスタ用の高速相互接続ネットワークを製造しているMyricom社(1994年4月創業)によれば、2005年11月のTop500のうち141件(28.2%)はMyrinetネットワークを使っている。ただし、翌年2006年11月では101件(20.2%)、2007年11月には79件(15.8%)に減っている。2007年にはGigEが54%でInfinibandが24.2%である。

ISC2005において、Myricom社創業者のChuck Seitzは、10 GbのMyrinetは10 GbEと技術を共有すると述べた。2005年6月、HPCwire誌上で、HPC分野に止まり続けることを宣言した。2005年末に出荷された第4世代のMyri-10Gは、10 Gb/sのバンド幅を実現し、10 Gb Ethernetと相互運用可能であったが、HPCの相互接続ネットワークとして再び主流となることはなかった。7月頃、10 Gb EtherはInfinbandやMyrinetを凌駕するというOhio State UniversityとLANLの報告があった。

Myricom社は2013年、CSP Inc.に買収された。

17) Orion Multisystems
シリコンバレーの新興企業Orion Multisystems社は2005年4月、96台の独立したコンピュータ(ノード)のように動作するワークステーションOrion DS-96を出荷した。各ノードは専用のチップセット、メモリおよびTransmetaのx86プロセッサを備えた完全なコンピュータとなっており、特殊な冷却システムは必要としないという。最大消費電力はわずか1500ワットで、通常のコンセントの電源で動作するとのことである。どうなったのでしょう。

18) Appro社
Appro社(Appro International Inc.、1991年創立)は2002年からApproブランドでHPCサーバを製造販売して来たが、2005年韓国に製造開発チームを置き、最初のブレードクラスタAppro HyperBlade Server Cluster Solutionを発売した。また最初の1U 4プロセッササーバAppro 1142Hを発売した

19) Microsoft社
Windows Server 2003のService Pack 1は2005年3月30日に公開された。日本語版は4月19日。Windows Server 2003 R2は、2005年12月6日に公開された。これはx86やx64 (x86の64ビット拡張、AMD64やIntel64)のプラットフォームに対応するが、IA-64 (Itanium)には対応しない。

アメリカのMicrosoft社は2005年6月1日、Microsoft Officeの次期版(コード名Office 12)で、XMLをベースとしたファイル形式を標準に採用すると発表した。この形式はMicrosoft Office Open XML Formatと呼ばれる。データの互換性が高く、ファイル容量も小さくでき、壊れた場合も復旧しやすくなるという。これに伴い、標準の拡張子は“.docx”“.xlxs”“.pptx”となる。Office 2007として、2007年1月30日に発売された(パッケージ品)。

イギリスのUK e-Science Programを2001年3月から牽引してきたTony Heyが2005年6月27日からMicrosoft社の技術計算担当副社長に任命された。その後、社外研究担当の副社長になり、2011年にはMicrosfot Research Connectionの副社長を務めた。2014年にMicrosoftを離れた。

20) Portland Group
2005年4月、Portland Group社は64bit対応のコンパイラPGI WorkstationのRelease 6.0を発売した。これはFortran, C, C++コンパイラと開発ツールを含む。

次回はヨーロッパや中国などの動き。

(画像:CELLプロセッサ 出典:Wikipedia )

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