世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


11月 22, 2021

新HPCの歩み(第69回)-1983年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

日本でも本格的なベクトルコンピュータの時代が始まった。日立は S-810/20を10月に東大大型計算機センターに納入し、富士通は年末にVP-100を名古屋大学プラズマ研究所に出荷した。少し遅れたが、日本電気は4月にSX-1/SX-2を発表した(出荷は1985)。他方、星野力(筑波大)等はPAX-128を製作した。この年もアメリカなどではいくつかのベンチャー会社が設立された。

社会の動き

1983年(昭和58年)の社会の出来事としては、1/9中川一郎代議士自殺、1/27青函トンネル先進導坑貫通、1/31松山事件再審決定、2/1老人保健法施行、2/11テレビドラマ『金曜日の妻たちへ』開始、2/15テレビドラマ『積木くずし 〜親と子の200日戦争〜』開始(3/29まで)、2/21蔵王観光ホテル火災、2/28鬼頭史郎元判事に有罪判決、3/6西ドイツで「緑の党」が議会に初進出、3/8レーガン大統領がオーランドでのアメリカ福音派協会の年次総会で、ソ連を「悪の帝国」と呼ぶ、3/23レーガン大統領がSDI(戦略防衛構想)を提唱、3/24中国自動車道全線開通、4/4 NHK『おしん』放送開始、4/15東京ディズニーランド開園、5/4サラリーマン新党結成、5/9ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が、バチカンでのシンポジウムでガリレオ・ガレイレイの宗教裁判に疑義を表明(正式な名誉回復は1992年)、5/26日本海中部地震(M7.7)、5/28-30第9回サミット(Williamsburg, USA)、6/13戸塚ヨットスクール校長逮捕、6/26参議院選挙、比例代表制を採用、7/?カミオカンデ実験開始、7/8最高裁、永山基準を示す、7/12松山事件の再審開始、7/15免田事件無罪判決、8/15日本の金融機関が第2土曜日休業、8/21フィリピンのBenigno Aquino, Jr.元上院議員がマニラ国際空港で暗殺、9/1大韓航空機サハリン沖撃墜事件、10/3三宅島噴火、10/9ラングーン事件(全斗煥大統領暗殺未遂)、10/12田中元首相一審実刑判決、10/14日本で初めての体外受精児誕生、10/25米軍グレナダ侵攻、11/9レーガン大統領来日、11/20米国“The Day After”放映、11/28衆議院解散(田中判決解散)、12/8警視庁、愛人バンク「夕暮れ族」を摘発、12/18衆議院選挙、田中角栄トップ当選、12/27第2次中曽根内閣発足、12/28米国、UNESCO脱退を宣言、など。

流行語・話題語としては「おしん」「義理チョコ」「ジャパゆきさん」「夕暮れ族」「フォーカスされる」「ニャンニャンする」「不沈空母」「ドジでノロマな亀」など。

チューリング賞は10月のACM年次総会において、汎用オペレーティングシステム理論の発展への貢献、特にUNIXオペレーティングシステムの実装に対してKenneth Lane Thompson(Bell Labs)とDennis MacAlistair Ritchie(Bell Labs)に授与された。Ken Thompsonは受賞講演 “Reflections on Trusting Trust”の最後に、ティーンエイジャーらが、計算機の動作を何も理解せずにデータの破壊やシステムダウンという結果を引き起こしていることを強く警告し、未熟な子供達に対するマスメディアの好意的な扱いを強く批判した。「このハッカーたちが厳格に糾弾されない理由は、刑法の不備に過ぎません。この種の行為によって危機にさらされる企業は、刑法を改定するよう強く求めています。コンピュータシステムへの不法侵入は、いくつかの州ではすでに重罪になっており、現在さらに多くの州や連邦議会でその方向に進むことを検討中です。…一方では、新聞やテレビや映画が、こうした子供達を魔法使いの子供達だと言って英雄扱いしています。…コンピュータシステムを破ることは、隣家へ侵入するのと同様の社会的に恥ずべき行為であります。それは隣家のドアに鍵がかけてあるかどうかには無関係です。」(bit誌1984年12月号)

エッカート・モークリー賞は、世界初のプログラム内蔵式コンピュータSSEMを開発した、イギリスのTom Kilburnに授与された。

ノーベル物理学賞は、星の構造および進化にとって重要な物理的過程に関する理論的研究に対してSubrahmanyan Chandrasekharに、宇宙における化学元素の生成にとって重要な原子核反応に関する理論的および実験的研究に対してWilliam Alfred Fowlerに授与された。化学賞は、金属錯体の電子遷移反応機構の解明に対してHenry Taubeに授与された。生理学・医学賞は、可動遺伝因子の発見に対しBarbara McClintockに授与された。

日本政府関係の動き

1) スーパーコン大プロ
1981年に始まった通産省の「スーパーコン大プロ」は1983年2月23日~24日、電総研においてワークショップを開催し、筆者も出席した。何が話されたかはよく覚えていない。

データフローコンピュータSIGMA-1は、1983年に製作が開始され、1プロセッサのプロトタイプが1984年に動作を開始する。それをLSI化した128プロセッサのSIGMA-1システムは1988年に稼働する。

1983年4月、マスコミには超伝導のJosephson素子に関するニュースが報道されている。電電公社武蔵野通研は、チップ上に1万個のJosephson素子を搭載し1 Kb RAMの試作に成功したと発表した。また、電子技術総合研究所は、べース当たり7 psの超高速論理動作に成功したと発表した。6月には、厚木通研がJosephson素子140個を組み込んだICにより、16ビット加算回路の試作に成功したと発表した。

2) 第五世代プロジェクト
Stanford大学のEdward Feigenbaum教授と科学評論家Pamela McCorduckは、1983年3月に“The fifth generation: artificial intelligence and Japan’s computer challenge to the world”をAddison-Wesley Longman Publishing Co.から出版し、このプロジェクトを高く評価した。日本語版は、木村繁訳でTBSブリタニカから『第五世代:人工知能と日本の挑戦』として8月に出版された。

逐次推論マシンPSIの製作は三菱電機と沖電気が請け負ったが、三菱電機は1983年12月24日に、中核となるハードウェア・モジュールをICOTに納入した。1986年にはMELCOM PSIとして商品化する。

3) 文献情報センター
1983年4月、東京大学の情報図書館学研究センターを改組し、東京大学文献情報センター(全国共同利用施設)を設置した。3年後、学術情報センターに改組される。

4) 高エネルギー物理学研究所(放射光実験施設)
高エネルギー研究所は、1979年1月から放射光実験施設の建設を始め、1982年2月には入射器(線形加速器)により2.5 GeVの電子ビームの加速に成功し、3月には放射光の取り出しに成功した。1983年6月からは放射光共同利用実験を開始した。学術的な研究にも、産業利用にも供された。例えば、日本電気マイクロエレクトロニクス研究所は、1986年11月、放射光を利用して250 nmのリソグラフィに成功する。

日本の大学センター

1)北海道大学(HITAC M-280H×2+M-200H)
1983年7月、システムをアップグレードし、HITAC M-280H×2+M-200H(主記憶64 MB)とした。

2) 東京大学(HITAC S-810/20)
1983年10月31日に東大大型計算機センターにHITAC S-810/20 (主記憶64 MB)が設置され、11月から一般利用が始まった。ピーク630 MFlopsなのに、単純なテストプログラムでは687 MFlopsを記録した。S810のクロックは公称15 nsであるが、実際には14 nsで稼働していたようである。そもそも630 MFlopsがピーク性能としては控えめの数字であり、現在なら(12演算)/(15 ns)=800 MFlops という所であろう。

3) 名古屋大学(FACOM M-382)
名古屋大学大型計算機センターは、1983年8月、FACOM M-382を導入した。CPUは2台、メモリは64 MBである。

4) 京都大学(FACOM M-382)
京都大学大型計算機センターは、1983年、FACOM M-200 (4 CPU)をFACOM M-382 (2 CPU, 96 MB, 23 MIPS)にリプレースした。翌1984年にM-380 (1 CPU, 32 MB, 23 MIPS)を追加。このM-380は、1985年にVP100を導入するに際して、運用を停止した。1986年には再稼働している。

5) 信州大学
1983年1月、信州大学情報処理センターが設置され、本部でHITAC M-240Hが、松本キャンパスでM-140Rが稼働。

6) 岡山大学(ACOS 1000)
1983年1月、岡山大学計算機センターは、ACOSシステム1000によるサービスを開始した。4月には、学内共同教育研究施設総合情報処理センターが発足した。

7) 上智大学(ACOS 850/10)
上智大学電子計算機センターは、BurroughsからNEC ACOS 850/10(主記憶12MB)に更新し、11月には主記憶を20MBに増設した。これをN-1で東京大学大型計算機センターに接続した。

8) 青山学院大学
1983年4月、世田谷キャンパスにACOS 750を導入した。

9) 武蔵大学
1983年4月武蔵大学は電子計算機室を発足させた。

10) 九州共立大学
1983年10月、九州共立大学の情報処理センター竣工、HITAC M-160H導入。

11) 高エネルギー物理学研究所(KEK)
筆者は1978年にKEKから同じ学園都市内の筑波大学に転出したが、その後もコンピュータ関係ではKEKに要望を伝えるチャンネルが残っていた。われわれは高エネルギー研にもS-810を入れたかったが、予算の制限のため、東大と同じmodel 20とし主記憶64 MBで我慢するか、ピーク速度半分のmodel 10で主記憶128 MBとするか、選択を迫られていた。GBでないことに注意。1983年10月27日に東大センターでスーパーコンピュータ関係の研究会(「IAP研究会」)があり、筆者は「格子ゲージ理論」という講演を行ったが、その帰り、当時日立におられた梅谷征雄氏と二人で根津の行きつけの小料理屋で飲んだ際、この問題について議論した。氏はピーク速度より主記憶の方を重視するべきだと強く示唆された。そこで、筆者はその旨関係者に提案した。この判断は正しかったと思う。

要望書としては、順位をつけ、

a) 主記憶 128 MB
b)model 20
c) 拡張記憶

の順で希望を出した。ほどなく、1984年2月4日に日立の営業の大多和英行氏と吉澤勝三氏が血相を変えて筑波大学の筆者のところに現れ、「あれは何ですか。原価を割っているじゃないですか。」と怒鳴られた。筆者は、あれは全部を要求するということではなく、あの順に優先順位をつけて希望しているという意味だ、と了解していただいた。実際にS810/10がKEKに入るのは1985年6月である。

まあ、古川柳に、「あきんどは、損と元値で蔵を建て」とあります。「これでは損が出ます、元値を割っております。」などいうのは、商人の常套句ですね。

日本の学界の動き

1) 筑波大学(PAX-128)

 
   

実験的並列コンピュータとしては、星野力(筑波大)等が1983年、PAX-128を製作した。資金としては筑波大の赴任時に支給された支度金の初度調弁費(星野と白川友則の分)などをかき集めた。ボード作成には学生のみならず、家族まで動員して手伝わせたとのことである。PAX-32と比べてクロックが倍の2 MHzのMC68B00とAM9511-4を使い、ノード数を4倍(16×8)にしたので、ピーク性能は8倍となった。Poisson方程式の反復解法など並列に適した問題では、PAX-128は筑波大学学術情報センターのメインフレームM-200と互角の性能(約半分)を発揮した。写真は星野力「PACSな日々」より。手作り感があふれている。物理的な外観もまさにトーラス(円環体、ドーナッツ型)である。

PAX-128は週刊誌にも取り上げられた。「週刊サンケイ」1984年11月22日号のトップのカラーグラビアに4ページにわたって「安くて、速くて、扱いやすい 筑波大の高並列コンピューター(ママ)」が特集されている。コンピュータの写真だけではなく、研究室風景、研究室の集合写真、ポアッソン方程式の解を図示したものなどいろいろ掲載されている。

いろいろな応用を皆でPAX-128上に実装したが、複雑だったのはプラズマ粒子シミュレーションである。PIC (Particle-in-Cell)では、ある時点の粒子分布から電荷分布を求め、Poisson方程式力を解いて電場を求めれば、各粒子への電気力が計算できる。これは、空間を分割すれば並列処理ができる。しかし、分割された空間領域内の粒子数が不均一であると、計算負荷のバランスが破れ、並列効率が上がらない。各PUに同一個数の粒子を割り当てておけば粒子計算の負荷は均一になるが、空間との対応が複雑になり通信に時間を取られる。粒子系の並列処理に共通する困難であった。関口智嗣、江尻真実、星野力で「並列計算機PAX-128によるプラズマ粒子シミュレーション」という発表を1984年の情報処理学会全国大会で行った。また、T. Hoshino, R. Hiromoto, S. Sekiguchi, S. Majima, “Mapping schemes of the particle-in-cell method implemented on the PAX computer”でも発表した。

前にも述べたように、格子ゲージ理論も隣接通信が主要な通信であり、自然な並列化が可能なのでまさにPAX向きではないかと考えていた。しかし4次元のモデルであり、これをどのように2次元のプロセッサ構成に写像するか、またグルーオン変数は格子点ではなく辺の上にあるので、これをどう並列化するかなどいろいろな工夫が必要であった。1984年度に星野力教授の卒業研究に配属された情報学類4年生の長谷川友美は、U(1)ゲージ理論のモンテカルロ・シミュレーションをPAX-128上で実装することに成功した。本当はSU(3)ゲージ理論であるQCDを実装したかったのであるが、PAX-128のメモリや演算速度の限界からU(1)とした。これはMaxwell方程式を量子化したものであり、物理的意味もある。当然ゲージ理論など勉強したこともない学部学生であったが、関係者の指導のもと見事実働に成功した。彼女の75ページに及ぶ手書きの卒業論文『PAXによる格子ゲージ理論のモンテカルロ・シミュレーション』は、今読んでも読みごたえがある。この成功が後のQCDPAX計画につながった。

星野氏によれば、「32台では趣味的で迫力がないが、128台にして『星野は本気だ』という宣言になった」とのことである。

2) 京都大学(ADENA、QA-2)
野木達夫(京大)らはADENA(16プロセッサ)を製作し、1983年11月25日に報道陣に公開した。また萩原宏(京大)らはQA-1 (1977)に続きQA-2を製作した。PAXを含め3件とも京都大学関係者であることが注目される。

3) ロボット学会発足
1983年1月28日、日本ロボット学会の設立総会が九段下の日刊工業新聞社ホールで開かれ、正式に発足した。会長は藤井澄二東京電機大学教授。

4) 情報通信学会発足
情報化社会のあるべき姿や解決すべき問題を、単に技術的視点にとどまらず、人文・社会科学の領域も含めて総合的に考察研究するという目標で、「情報通信学会」が発足した。7月19日、東京のホテルニューオータニで57人の発起人総会を開き、10月12日付で文部大臣の設立許可を得て、10月24日、、財団法人情報通信学会が設立された。いうまでもなく、1917年に「電信電話学会」として設立され、1937年に「電気通信学会」、1967年に「電子通信学会」と改名し、1987年以降「電子情報通信学会」として活動している学会とは別の組織である。

5) 日本ソフトウェア科学会発足
日本ソフトウェア科学会は、1983年10月8日に設立された。

6) CP/M Users’ Group設立
1984年1月15日、東京港区の笹川記念館において、CP/M Users’ Groupの設立総会が開かれた。

7) 雑誌「コンピュートロール」創刊
コロナ社は、「コンピュートロール」を1983年1月に創刊した。“ computer and application’s mook”と称し、ほぼ季刊で毎号特集形式である。43号まで続いた。各号の特集は以下の通り。

発行年月

責任編集

特集

1

1983.1

相磯秀夫

VLSIとコンピュータ

2

1983.4

古田勝久

現代制御理論によるディジタル制御

3

1983.9

矢田光治

ホームオートメーション : 現代制御とディジタルコントローラ

4

1983.12

正田英介

パワーエレクトロニック・コントロール

5

1984.3

森下巌

コンピュータ・グラフィックスの展開

6

1984.5

松本吉弘

新しいソフトウェア開発技術

7

1984.7

豊田実

センサとマイコンインタフェース

8

1984.10

川井忠彦

コンピューテイショナル・メカニクス(計算力学)

9

1985.1

花房秀郎

ロボットの機構と制御

10

1985.5

川本幸雄

知識情報処理

11

1985.8

成田誠之助

CIM:コンピュータ・インテグレテッド・マニュファクチャリング

12

1985.10

戸川隼人

最近の数値計算技術

13

1986.1

伊藤正美

ロバスト制御の理論と応用

14

1986.4

前川守

ワークステーション

15

1986.7

辻井重男

シグナルプロセッサとその応用

16

1986.10

矢田光治

32ビットマイクロプロセッサ

17

1987.1

国井秀子

スーパー・リレーショナル・データベース・システム

18

1987.4

木村文彦

CAD/CAMワークステーション

19

1987.7

高橋義造、

成田誠之助

パラレルプロセッシング

20

1987.10

唐木幸比古

スーパーコンピュータの現在

21

1988.1

山崎弘郎

インテリジェントセンサ

22

1988.4

古田勝久

インテリジェントコントロール

23

1988.7

須田信英、中溝高好

システム同定の理論と技術

24

1988.10-

甘利俊一

ニューロコンピュータ

25

1989.1

吉川弘之、

伊藤公俊

インテリジェントCAD

26

1989.3

三好俊郎

スーパーコンピューティング

27

1989.7

古田勝久

ディジタル制御

28

1989.10-

廣田薫

ファジイ制御

29

1990.1

杉江昇

ニューロコンピュータ

30

1990.4

樋口龍雄

多次元ディジタル信号処理

31

1990.7

溝口文雄、

古川康一

人工知能 : 新しいAIのトレンド

32

1990.10

北森俊行

新誠一

適応制御

33

1991.1

斎藤信男

ワークステーションと分散処理

34

1991.4

柿倉正義

知能ロボット

35

1991.7

寺野寿郎

ファジイ制御

36

1991.11

木村文彦

CIMの新展開

37

1992.1

村岡洋一

ノーベルコンピューティング

38

1992.4

宮原秀夫

コンピュータネットワーク

39

1992.7

川井忠彦、

加川幸雄

電気・波動工学における逆問題 : CTから最適設計まで

40

1992.10

矢川元基

計算力学における並列コンピューティング

41

1993.1

濱川圭弘

センシングデバイスとその応用システム

42

1993.4

神谷紀生

ソフトウェアの誤差評価とアダプティブ要素

43

1993.7

上林弥彦

高度応用のためのデータベース

 

8) 野辺山観測所(FX)
日本天文学会の「天文日報」によると、1983年、東京大学附属東京天文台(現、国立天文台)の観測施設である野辺山観測所の近田義広らは、富士通と協力して5素子ミリ波干渉計の処理のため、FX型ディジタル分光相関器を完成させた。8ビットのFFTおよび相関計算をハードウェアで実行するものである。富士通側では三浦謙一らが対応したと思われる。

9) 筆者の格子ゲージシミュレーション
筆者はスピン系に続いて1982年頃から格子ゲージ系に取り組み始めた。最初はゲージ系のモンテカルロ・シミュレーションのベクトル化、並列化を研究していたが、クォークを扱うには格子上のDirac方程式ともいうべき大規模な連立1次方程式を解かなくてはならない。係数はステンシル型の規則的疎行列であるが、サイズが大きい。アメリカの論文ではSORなどを使っているようであった。数値解析の研究会で、(TACで活躍した)村田健郎先生(当時図書館情報大、故人)から、基板の冷却設計などに使う移流拡散方程式のためにILUCR法(不完全LU分解前処理共役残差法)が有効であるという話を聞いた。ちょっとひらめいたので、格子ゲージのWilson fermionの係数行列にILU前処理を適用してみたら、Dirac行列の性質により非常に簡単にILU分解でき、しかもCR法との相性もよいことを見出した。記録によると、1983年の4月1日に筑波大学の数値解析研究室のセミナーで発表している。早速このアルゴリズムを共同研究していた筑波大学物理学系の岩崎洋一氏のグループと東大原子核研究所の宇川彰氏のグループに提供した。10月には東大センターにHITAC S-810/20 (主記憶64 MB)が設置され、11月から一般利用が始まったので早速出かけ(筑波大学と東大センターがN1で接続されるのは少し先)、さまざまな苦労の末に「超平面法」によるベクトル化に成功した。S810のベクトル演算機構がメモリの非連続アクセスに強く、添え字が配列でもあまり性能が落ちかかったので助かった。後にSX-1/2も使用したが、不規則アクセスが得意でなかったので、「多色法」を加速する別の工夫が必要であった。

S810/20でどんな苦労があったかというと、当時はコンパイラがまだ未成熟であった(といっても、初期のCray-1とは雲泥の差)。日本のベクトル演算器は、いったん走りだせば速いが、スタートアップに(Crayより)時間がかかる。したがって高速化するためには、ベクトル長を長くするとともに、ループ1回に含まれる浮動小数演算の数を増やすことが重要である。QCDにはカラーのインデックスに関する長さ3のループがたくさん現れる。これは短いループなので、最初はそれを外側のループにしていたのであるが、最内側に持ってきて手で展開すればループ内の浮動小数演算が増え、高速化できると考えた。ところが、なかなかうまくいかなかった。

このようなプログラム変換(DOループの一部を手で展開)を一般にunrollingというが、そうしたところプログラムに整数1, 2, 3がたくさん現れ、「定数レジスタが足りない」と怒られる。それならというので、I1=1; I2=2; I3=3;として変数に置き換えると、今度は「インデックスレジスタが足りない」とまたベクトル化してくれない。そこでI3だけを定数の3に戻すと、何とベクトル化可能と判定され、20倍ほど高速になった。ラッキー! もちろんコンパイラは日々進化し、ほどなくこんな小細工は不要になった。

1984年5月7日に岩崎洋一教授と、その学生の吉江、伊藤(智)と3人を連れて東大のS-810に行き、QCDプログラムが高速に動くところを見せた。皆、たちまちベクトルの虜になった。メインフレームで500時間の計算は、いくら環境のよい高エネルギー研でも2~3ヶ月は掛かる。これが25時間になれば、当時東大のS-810 がまだ比較的空いていたこともあって1~2週間で計算できた。

岩崎グループでは、1984年に83×16格子、1986年には123×24格子(クエンチ近似)を解くことができた。ちなみに未知数(複素数)の数は後者では50万近い。宇川グループとはfull QCDの初期の試みを行った。ILUCR法のアルゴリズムそのものは、日本国内では普及に努めたが、1986年まで英語の論文を書かなかったので、なんで日本ではこんな大きな方程式が解けるのかと、外国からは不思議がられた。

次回は日本の企業、標準化や世界情勢など。1月1日を期してARPANETはTCP/IPに切り替えた。ヨーロッパのネットワークがアメリカと接続される。一方、中国では「銀河1号」が製作されるとともに、浪潮(Inspur)社はマイクロコンピュータを発売する。後に「天河1号」「天河2号」などを製作した会社である。

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