新HPCの歩み(第93回)-1990年(a)-
日本では『スーパーコンピュータ大プロ』が1990年1月に終了し、並列ベクトル計算機PHIが稼働する。「評価尺度研究会」を設置し、典型的なカーネルを抽出して、PHIの性能を評価した。電総研ではデータフローコンピュータのEM-4が完成する。日本応用数理学会が発足し、「高性能計算機評価技術」研究部会を設立した。日本の株は下がり始めたがまだ気分はバブルであった。 |
社会の動き
1990年(平成2年)の社会の動きとしては、1/3パナマのノリエガ将軍降伏、1/5日本相撲協会、森山真弓官房長官による総理大臣杯授与を拒否(土俵は女人禁制)、1/10タイム・ワーナー創設、1/13大学入試センター試験始まる、1/16勝新太郎、ハワイでコカイン所持により逮捕、1/18長崎市長銃撃され重傷、1/22東北新幹線第1上野トンネルが工事中に御徒町駅付近で陥没・墳発事故、1/24衆議院解散、1/29東ドイツ、ホーネッカー元国家評議会議長が逮捕される、2/11ネルソン・マンデラ釈放、2/14ボイジャー1号(1977年9月5日打ち上げ)が太陽系家族写真を撮影、2/18第39回衆議院議員総選挙、オウム真理教が「真理党」を結成し25人立候補するも全員落選、2/21六甲ライナー開業、2/28第2次海部内閣発足、3/31ポール・マッカートニー初来日公演、3/18長崎屋尼崎店放火事件、3/20イメルダ・マルコス元フィリピン大統領夫人、訴追される、4/1国際花と緑の博覧会開幕(大阪鶴見緑地で、9/30まで)、4/1太陽神戸三井銀行発足、4/24ハッブル宇宙望遠鏡が軌道に、6/1ブッシュとゴルバチョフが化学兵器廃棄条約に署名、6/7フロリダのUniversal Studio開業、6/11ペルー大統領選、フジモリ氏当選、6/29礼宮と川嶋紀子結婚、7/1東西ドイツが経済統合(通貨統合)、7/6女子高校生、校門圧死事件、7/9-11第16回サミット(ヒューストン)、7/16バギオ大地震(M7.8)、8/2イラク、クェートに侵攻、8/21前日大やけどを負ったサハリンの男児を札幌医科大学に緊急搬送、8/21森重文教授、Fields賞受賞、8/30対イラク多国籍軍への協力のため、10億ドル支出を決定、9/5韓国・北朝鮮、初の首相会談、9/17アントニオ猪木議員が、イラクの日本人人質解放のためイラクに出発、9/24金丸訪朝団が平壌入り、10/3東西ドイツ再統一、10/15ゴルバチョフ大統領がノーベル平和賞受賞と発表、11/12天皇即位礼、11/17雲仙・普賢岳噴火開始、11/18沖縄知事選、大田昌秀が当選、11/22大嘗祭、11/28サッチャー英首相辞任、1/27メージャー蔵相が英首相に、12/2秋山豊寛(TBS記者)がソユーズで日本人初の宇宙飛行、12/9ポーランドの大統領選挙でレフ・ワレサ議長が当選、12/29第2次海部改造内閣発足、など。
流行語・話題語としては、「バブル経済」「アッシーくん」「おやじギャル」「ボーダーレス」「ファジィ」「成田離婚」「地球温暖化」「気象観測史上はじめての」「ブッシュホン(ブッシュ米大統領から海部首相へ)」など。
前年末に日本の平均株価は4万円に迫った(大納会での最高値は38957.44円、終値は38915.87円)が、1990年に入って下降の一途をたどる。でもそのうち持ち直すのではないかと、まだバブル気分は残っていた。東西の壁が破れ、その隙に乗じていろんなことが起っている。
チューリング賞は、CTSSやMulticsといった汎用で大規模なタイムシェアリング・リソース共有型コンピュータシステムの概念を構築し、開発を導いた先駆的業績に対してFernando José Corbató(MIT)に授与された。「誤りを潜在したシステムの構築」と題して、受賞記念講演を行った。
エッカート・モークリー賞は、Goodyear社において超並列SIMDコンピュータのSTARANやGoodyear MPPを開発した、Kenneth Edward Batcher(Kent State University)に授与された
ノーベル物理学賞は、電子のdeep inelastic scatteringに関する先駆的研究に対し、Jerome I. Friedman、Henry W. Kendall、Richard E. Taylorの3名に授与された。化学賞は、有機合成理論および方法論の開発に対しElias James Coreyに授与された。生理学・医学賞は、ヒトの疾患治療における臓器および細胞移植に関する発見に対し、Joseph E. MurrayとE. Donnall Thomasに授与された。
日本政府関係の動き
1) スーパーコンピュータ大プロ
通商産業省が主導する大型工業技術院研究開発「科学技術用高速計算システムの研究開発」(通称「スーパーコン大プロ」)は1981年1月から始まり、1990年1月に終了した。筆者は1990年6月25日に工業技術院共用講堂で開かれた成果発表会に参加したが、田村浩一郎リーダーが「このプロジェクトの真の目的は要素技術の開発です」と強調していたのが印象的であった。主要な成果を、田村浩一郎「スーパーコンピュータプロジェクトの成果概要」(情報処理、33巻5号pp.513-519、1992年5月)および平成11年(1999年)追跡評価委員会の報告書から。
論理素子及び記憶素子の研究開発 |
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ジョセフソン接合素子 |
新材料によるジョセフソン集積技術及び新回路方式、高速論理素子、高集積、論理素子、高速記憶素子、高温超電導によるジョセフソン接合素子 |
高電子移動トランジスタ素子(HEMT素子) |
HEMTの論理及び記憶素子、多層構造のHEMT論理素子 |
ガリウム・砒素素子 |
新型ヘテロ構造GaAs素子、高速論理素子、高集積論理素子、高速記憶素子、高集積記憶素子 |
並列処理方式の開発研究 |
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並列処理アーキテクチャ(SIGMA-1) |
制御用ソフトウェア等、並列記述言語 |
総合システムの研究開発 |
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高速演算用並列処理装置(PHI) |
高速演算用並列処理装置、大容量高速記憶装置(LHS)、発電用データ処理装置 |
分散処理用並列処理装置 |
大規模処理装置(CAP)、高機能並列処理装置(VPP)、3次元画像表示装置(DP)、資源衛星データ処理装置(CAP、VPP、DP) |
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成果の一つが、並列ベクトル計算機PHI (Parallel, Hierarchical and Intelligent)システムである。1990年1月に試験運用を行った。当時主流の並列ベクトル計算機は主記憶共有型マルチプロセッサであったが、このようなアーキテクチャではプロセッサ数が増加すると性能が上がらない。そのため、このプロジェクトでは、各プロセッサがローカルメモリをもち、それを共有記憶に接続した「階層型(hierarchical)アーキテクチャ」を採用した。ベクトル演算器の部分HPP (High-speed Parallel Processor)は富士通が担当し、拡張共有記憶(大容量高速記憶)は日本電気が担当した。理論上は16台まで構成できるが、試用機の実装では、プロセッサは4台が結合され、PE0、PE1及びPE3は最大2 GFlops、PE2は最大5 GFlopsの演算性能で、システム全体の理論ピークは11 GFlopsであった。並列処理記述言語PARAGRAMは日立製作所が担当した。
「評価尺度研究会」を設置し、科学技術計算のプログラムから典型的なカーネルを多数抽出して、PHIの性能を評価したようである。最終評価書によると、「評価用プログラムの開発は、言語処理系と階層記憶制御方式と並列処理制御方式正当性と性能を評価し、また、大規模なプログラムを並列化する技術を開発するために行われた。」具体的には、「並列処理言語Philで記述された、原子力研究所コードSPIN、土木工学コードNIEL、円周率計算プログラムPIと一次方程式の解法プログラムについて、総合システム上で並列実行して、結果を検証した。」「制御用ソフトウェア等で研究開発された実行方式は、階層記憶型並列処理装置を効率よく動作させる技術の開発を達成したと考えられる。非対称マルチプロセッサ(筆者注:これはNUMAのことではなく、プロセッサ性能が2+2+2+5と構成が対称的でないことをいう)での動作が確認できたことは、実用的な並列処理のための基礎技術として評価することができる。これらの成果により、従来の密結合型並列処理方式の性能の限界を越える階層記憶型並列処理方式の基礎技術が達成されたものと考えられる。」今後の課題としては、「並列処理の指定と階層構造記憶の割り当て等は、ソースプログラム中に記述できるように開発を行ったが、これらの作業をソースプログラム中に記述せずに実行することも大きな課題である。」と述べている。また、最大実行処理速度10.92 GFlopsを実現し、台数効果についても、4台のプロセッサを結合したマルチプロセッサ方式により、理論上の最高性能の4倍(筆者注:2+2+2+5 の構成なので、5.5倍ではないか)に対し、2.11~3.78倍の台数効果が確認された。しかし、これらの結果が論文として発表されていないのは残念である。
「大プロ」の始まった1981年といえば、日本ではまだ本格的なスーパーコンピュータ開発の発表もなく(社内では進んでいたであろうが)、そのような時点で10 GFlopsという高い開発諸元を最初から掲げたことは画期的であったといえる。しかし、9年間という歳月はコンピュータ技術にとっては長すぎた。1987年にはピーク10 GFlopsのETA 10が商品として出荷され、1989年には日本電気が22 GFlopsのSX-3を発表し、研究開発プロジェクトが市場に追い越された形となった。
なお、プロジェクト終了時の「高速計算システム評価小委員会」のメンバは以下の通り。
川合敏雄(委員長) |
慶応義塾大学理工学部物理学科 教授 |
浅井清 |
日本原子力研究所計算センター 室長 |
金田康正 |
東京大学大型計算機センター 助教授 |
古川静二郎 |
東京工業大学大学院総合理工学研究科 教授 |
村井俊治 |
東京大学生産技術研究所 教授 |
村岡洋一 |
早稲田大学理工学部 教授 |
森末道忠 |
埼玉大学工学部電子工学科 教授 |
森谷永司 |
日本電信電話 研究開発技術本部技術情報センター 部門長 |
2) 電総研(EM-4、ETL-JC1)
電子技術総合研究所は、坂井修一、児玉祐悦他により、1024プロセッサのデータ駆動コンピュータEM-4を製作した。1989年11月に5プロセッサ版が稼働し、1990年4月に80プロセッサのプロトタイプが本格稼働した。QCDPAXと同様、ゲートアレイを製作するために、LSIロジック社を使ったとのことである。
また、岡田義邦らは、Josephson素子を用いたコンピュータETL-JC1を稼働させた。これは、4チップからなり、クロックは1 nsであり、消費電力は(冷却を別にして)6.2 mWである。
3) 航空宇宙技術研究所(VP2600)
航空宇宙技術研究所(NAL、JAXAの前身の一つ)は、1990年、VP200をVP2600に更新した。FACOM M780およびVP400はまだ稼働している。
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4) 広島大学
広島大学理論物理学研究所(竹原)は、1990年6月8日、京都大学基礎物理学研究所に吸収された。2004年の国立大学法人化に向けて、小さい部局は合併せよとの方向で、合併先を学内ではなく、違う大学の近い分野の研究所に求めたようである。理論物理学研究所は、1944年8月23日に広島文理科大学付属として設立され、初代所長は三村剛昂(みむらよしたか、1898-1965)である。三村は、1930年代を中心に数学者岩付寅之助(1984-1945、原爆で殉職)らとともに相対性理論と量子論の統一を目指す波動幾何学研究を展開した。研究所は原爆被災で焼失したが、1947年、三村剛昂氏の郷里、広島県竹原町(現竹原市)が研究所を誘致し、1948年3月に移転した。1949年5月31日、広島文理科大学が広島大学に包括されると、広島大学付属・理論物理学研究所となった。(湯川記念館史料による)伝聞なのでどこまで本当かは知らないが、三村剛昂教授は豪快な方で、一つ論文が仕上がると所員と料亭で華やかな宴会を開いたとのことである。筆者は1984年1月に訪問し、「場の理論のモンテカルロ・シミュレーション」という講義を行ったが、研究所付近から眺めた瀬戸内海の景観に感動した。写真は港町的場海岸付近にある旧理論研の建物(現広島大学水産実験所、松原隆彦氏のページから)。
5) 国の研究助成制度への批判
京都大学の柳田充弘教授は、1990年1月11日付のNature誌に投稿し、「日本の大学の生物学者は、国の不明瞭で公正でない助成金配分制度によって研究意欲をそがれている。世界の一級の科学者と競うためには改革が必要だ。」と訴えた。
日本の大学センター等
1) 東北大学
東北大学流体科学研究所は、1990年11月13日、スーパーコンピュータセンタが竣工し、最初のスーパーコンピュータとして1990年12月、Cray Y-MP8/8128を導入した。研究所では、それまで東北大学大型計算機センターのNEC SX/1やSX/2Nを利用してきたので、当然日本電気製になると予想されていたが、同社は突然辞退した。報道によると政府からの指導があったとのことである。1994年にはCray C916/161024に更新する。
2) 京都大学
京都大学大型計算機センターでは、汎用機M-780のOSのバージョンアップにより、LAN接続機能がサポートされ、1990年10月から、登録したIPアドレスのホストから接続できるようになり、テスト運用を開始した。12月からは本格サービスに移行し、研究室のWSなどから直接MSPに接続してTSSが利用できるようになった。
3) 千葉大学(HITAC M-680D)
千葉大学総合情報処理センターでは、1990年3月、HITAC M-280HをHITAC M-680Dに更新した。
4) 大分大学
1990年6月、大分大学情報処理センター発足。
5) 熊本大学
1990年6月1日、総合情報処理センターへ省令化。
日本の学界の動き
1) 日本応用数理学会の発足
数年の準備を経て、日本応用数理学会(JSIAM, Japan Society for Industrial and Applied Mathematics)が1990年4月に発足した。4月6日に電気通信大学講堂で設立総会が開かれ、以下の記念講演が行われた。
応用数理ということとその現状 |
龍谷大学教授・京都大学名誉教授 山口昌哉 |
モンテカルロ法はなぜ有効か |
東京大学教授 竹内啓 |
現象と数理 |
日本学術会議会長・東京大学名誉教授 近藤次郎 |
初代会長は近藤次郎東大名誉教授が就任した。氏は2015年3月29日に98歳でなくなられる。英語名からわかるように、この学会は産業の現場での応用問題を数理的に扱うことを大きな目標としている(写真は同学会HPから)が、現実には、数値解析分野における数理的な側面の研究の多くが、情報処理学会の研究会ではなく、日本応用数理学会で発表されるようになった。反面、情報処理学会の数値解析研究会やその後身であるHPC研究会では、システム的な分野や応用分野の発表が多くなった。
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発会早々、関口智嗣のイニシアチブにより「高性能計算機評価技術」研究部会(代表、森正武)を設立した。またその下に、「次世代スーパーコンピュータ性能評価技術調査委員会」を組織し、日本機械工業連合会の委託を得て、1990年度~91年度の2年間調査研究事業を行い、2冊の報告書を出版した。メンバは以下の通り。WGは「次世代スーパーコンピュータ性能評価技術調査ワーキンググループ」
森正武(委員長) |
東京大学 工学部物理工学科 教授 |
WG委員長 |
関口智嗣 |
電子技術総合研究所 計算機方式研究室 研究官 |
WG委員 |
佐藤三久 |
新技術事業団 研究員 |
WG委員 |
小柳義夫 |
筑波大学 電子情報工学系 教授 |
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島崎眞昭 |
九州大学 大型計算機センター 教授 |
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長嶋雲兵 |
分子科学研究所 助手 |
WG委員 |
福井義成 |
(株)東芝 総合情報システム部 |
WG委員 |
藤野清次 |
(株)計算流体力学研究所 研究員 |
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村上和彰 |
九州大学 総合理工学研究科 助手 |
WG委員 |
横川三津夫 |
日本原子力研究所 情報システムセンター 研究員 |
WG委員 |
Raul Mendez |
(株)リクルート・スーパーコンピュータ研究所 所長 |
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杉原正顯 |
東京大学 工学部物理工学科 助教授 |
1991年度から |
内容的には1989年度まで行われた大プロの「評価尺度研究会」を引き継ぐものとも言えよう。国内国外の調査としては、九州大学大型計算機センター、北海道大学大型計算機センター、Illinois大学計算機センター(CSRD)、Cray Research社(Minneapolis)、Los Alamos国立研究所を訪問した。またヒアリングとしては、日本電気妹尾義樹氏、日立製作所田中義一氏にプレゼンテーションをお願いした。学会誌「応用数理」3巻1号(1993年3月)27-38に関口智嗣・小柳義夫『スーパーコンピュータの性能評価の現状』を発表する。
またこれを引き継ぎ1993年度から1996年度まで、一部の部会員を中心として(財)日本規格協会標準化研究センター内に「システム性能評価標準化調査研究委員会」を設置し、日本におけるシステム性能評価のあり方や、ベンチマークテストの調査研究を行うことになる。
2) CP-PACSプロジェクトの立ち上げ
1989年のところで述べたように、筑波大学のQCDPAXは1989年度末に完成し、物理の計算を始めた。1990年4月6日に記者会見および記念式典を行った。このころ、1990年度から「学術の新しい展開のためのプロジェクト」(通称「新プロ」)が始まったことが伝えられた。これは、1989年7月の学術審議会建議「学術研究振興のための新たな方策について――学術の新しい展開のためのプログラム――」に基づいて実施されているものである。この「新プロ」は、各種の組織、施策、予算の弾力的な運用等で推進される点に特徴があり、具体的には以下の3点を統合した形で運用されている。
(1) 科学研究費補助金(創成的基礎研究費)
(2) 日本学術振興会・特別研究員の活用
(3) 施設設立のための特別会計
筑波大学の次のプロジェクトを新プロに提案していただくことになった。厳しい競争の末、筑波大学のプロジェクトが1992年度から5カ年計画として採択される。1992年4月から新プロの推進母体として、筑波大学に計算物理学研究センターが全国共同研究計算施設として設置される。この辺の経緯は、岩崎初代センター長の記事を参照のこと。
3) GRAPE-2
1989年9月に完成した低精度のGRAPE-1に続いて、1990年5月に、32ビットと64ビットの演算が可能なGRAPE-2が完成した。
4) ISR(CPU時間提供)
リクルートISRは、1987年の創立以来、アカデミアへのスーパーコンピュータのCPU時間提供を行ってきたが、今年は1990年1月~4月にSX-2Aの計算時間を5グループに計100時間提供した。
5) 慶応義塾大学
1990年4月、慶応義塾大学は湘南藤沢キャンパスに総合政策学部と環境情報学部を開設した。環境情報学部の学部長には相磯秀夫が任命された。
6) 東京大学理学部情報科学科
東京大学理学部情報科学科は、教育・研究用のコンピュータを、日立製作所のM-260Dから、日本サン・マイクロシステムズのUnixワークステーション63台に切り替える。1990年2月3日に納入し、3月26日に稼働させ、新学年に備えた。
次回は国内会議および日本の企業の動きを述べる。アメリカ等では1980年代半ばから超並列コンピュータの開発が始まっていたが、日本でもようやくCAP-II(富士通)、DSV 6450(アンリツ)、ADENA II(松下電器)、MAGG(三菱プレシジョン)などが出た。実用化したものは多くない。
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3件のコメントがあります
「日本政府関係の動き」→「5) 国の研究助成制度への批判」中の「構成でない」は「公正でない」ではないでしょうか。
北島様、ご指摘ありがとうございました。修正いたしました。
著者の小柳義夫です。誤変換のご指摘ありがとうございます。その直前にマシンの構成の話がいろいろ出て来たので変換をミスりました。ご愛読を感謝します。