世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

9月 5, 2022

新HPCの歩み(第106回)-1992年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

HPFは精力的に開発や標準化が進められた。SC92ではNAS Parallel Benchmarkが発表された。当時、数十GFlopsがやっと実現したところであったが、アメリカではPetaFLOPS Initiativeが進められる。アメリカの大学や政府関係では日本のスーパーコンピュータを拒否しながら、日本には買え買えと圧力を強めた。日本でもインターネットが急速に進む。

標準化

1) HPF (High Performance Fortran)
データ並列言語の標準化を目指すHPFFは前回のSC91 (Albuquerque)で始まり、1年間精力的に活動した。1992年3月にはHPFF mailing listが一般向けに公開された。ヨーロッパでも高レベルプログラミングモデルに関してWorkshopが開かれた。8月にはVer.0.1が、9月にはVer. O.2が、10月にはVer.0.3が、11月にはVer. 0.4が作成された。Ver. 0.4はSC92で配られた。並列処理分野での主要な会社(ハード、ソフト)が加わっていることが特徴で、ひょっとしたら事実上の標準になるかとも思われた。SC92でHPFFのBoF (Birds-of-a-Feather)セッションが開かれた。参加者数が予想を越え、部屋のパーティションを一つ外したほどであった。以下のプレゼンと議論が行われた。

a) Lovemann (DEC社)がオーガナイザとして、全体の背景を説明した
b) Ken Kennedy (Rice大)は、実装を予定している会社として、Intel、TMC、DEC、MasParを挙げた
c) Guy Steele (TMC社)は、データ並列の特徴として、fairly uniform, single conceptual thread of control, global name space, loosely synchronous parallel computationの4つを挙げた。議論になったのは“template”の扱いで、Ver. 0.4で格下げになったことについて、“A template is like a Cheshire cat.”と「不思議の国のアリス」の神出鬼没のネコに例えた
d) C. Koelbel (Rice大)は、FORALL文、PURE directive、INDEPENDENT directiveについて説明し、その基本的概念について議論があった
e) R. Schreiber (NASA Ames)は、51個のIntrinsic functionsについて解説
f) M. Snir (IBM社)は、Extrinsic proceduresについて解説
g) R. L. Knightenは、I/Oについて議論
h) Mary Zosel (LLNL)は、COMMON, EQUIVALENCE, 引数対応などのstorage associationについて議論

この後も精力的に作業が進められ、Koelbel C. H. et al.: The High Performance Fortran Handbook, 329 p., The MIT Press (1991)という教科書まで発行された。1993年のSC93 (Portland)前にはHPF Ver. 1.0が公開されることになる。

2) 日本でのHPFの動き
このような動きを受けて、1992年の9月12日に、村岡洋一(早稲田)から、「HPFについて勉強して,できればこちらからも意見を言えればいいのではないかと思っています。もしそのような勉強会に興味のおありの方がお近くにおられましたら、ご一報下さい。」というお誘いが筆者に送られて来た。

第1回のHPF勉強会は、10月14日にゼロックスアカデミックサロン(虎ノ門)で開かれ、村岡、妹尾、金田、進藤@flab、建部、筆者などが参加した。第2回 HPF勉強会は、11月10日に同じ場所で開かれた。前述の島崎眞昭の総合研究班でも勉強が始められた。

3) PCI (conventional)
Intel社は、1992年6月22日、コンピュータにハードウェア機器を接続するためのバスの規格PCI (Peripheral Component Interconnect)を制定した。1991年まで、当時のPC/AT互換機においてはISAバス、MCAバス、ISAバス、EISAバスなどが用いられていたが、互換性がなく、Intel社は、1991年、CPUアーキテクチャに依存しない内部高速バスLocal Glueless Busを提案していた。PCIはこれを外部バス化したものである。

4) DCE
OSFは、1992年、分散システム標準としてDCE (Distributed Computer Environment)を開発した。

5) JPEG
Joint Photographic Experts Groupは、1992年9月18日、カラー静止画のためのJPEG規格を発表した。

性能評価

1) NAS Parallel Benchmarks
NAS (NASA Advanced Supercomputing部門)のDavid Bailyらは、高並列コンピュータのためのベンチマークを開発しており、1991年のSC‘91で予備的データを発表していたが、1992年にNPB 1を公開した。後で示すようにSC92で発表があった。これはNASA Ames研究所の典型的なアプリケーションから抽出した以下のプログラムから構成されている。

a) MG (Multigrid)
b) CG (Conjugate Gradient)
c) FT (Fast Fourier Transform)
d) IS (Integer Sort)
e) EP (Embarrassingly Parallel)
f) BT (Block Tridiagonal)
g) SP (Scalar Pentadiagonal)
h) LU (Lower-Upper Symmetric Gauss –Seidel)

これは並列アルゴリズムであり、アーキテクチャに関して中立であり、結果や性能数値の正しさが簡単にチェックでき、将来の高性能コンピュータにも適応できるとしている。基本は”paper-and-pencil” benchmarkという方式で、アルゴリズムだけを規定し、実装の手法は一定の限定の中で自由という考え方である。小さなクラスの問題に対してはFORTRAN 77のサンプルコードが添付されている。その後、NPB 2 (1996)、NPB 3 が公開されている。NPB 3.1では、

i) LA (Unstructured Adaptive)
j) DC (Data Cube operator)

が、NBP 3.2では

k) DT (Data Traffic)

が加えられている。“Embarrassingly Parallel”は、その後、トリビアルな並列性の代名詞ともなった。

2) SPLASH Benchmark
J. P. Singh, W.-D. Weber, A. Gupta (Stanford Univ.)は、Computer Architecture News 20 (March, 1992), pp. 5-44において、SPLASH: Stanford parallel application for shared-memoryを提案した。これは、共有メモリ型並列コンピュータの性能を評価するための、実用アプリケーションによるベンチマークである。内容は、Ocean(海洋シミュレーション)、Water(分子動力学)、MP3D(PIC)、LocusRoute(VLSI CAD)、PTHOR(論理シミュレーション)、Cholesky(疎行列の分解)である。

3) EuroBen
第3回EuroBen Workshopが1992年9月28日~29日にドイツのRegensburgで開催された。

4) PARKBENCH
Minneapolisで開催されたSupercomputing ‘92において、Tony HeyおよびJack Dongarraのイニシアチブにより、ベンダにもユーザにも受け入れられる並列コンピュータのベンチマークセットを作るためにPGWG (Parallel Benchmark Working Group)が組織された。その後The PARKBENCH (PARallel Kernels and BENCHmarks) committeeと命名された。主査はRoger Hockney。

ネットワーク関係

1) TISN
1988年のところに書いたように、TISN (Todai International Science Network)への動きは1988年から始まっているが、1989年にはネットワークの運用を開始した。筆者は,1992年9月ごろ、この運営委員会に加えられた。1992年度末には、43ドメインがTISNに参加していた。年間予算は1億円近くになり、任意団体としてはそろそろ限界の規模に近づきつつあった。

2) IIJ
1992年12月3日、株式会社インターネットイニシアティブ(通称IIJ、Internet Initiative Japan Inc.)が創立された。さる筋の横やりで郵政省の認可を取るのに大変苦労したとのことである。

3) INET 92
1992年6月15日~18日にINET 92が神戸国際会議場で開かれた。参加者549(国外296、国内253)であった。セッションは多岐にわたっているが、日本についての特別セッションが6月16日午後1:30から行われた。

Special session on Japan [the Host Country]

Academic Internetworking in Japan

Haruhisa Ishida, Univ. of Tokyo, Japan

WIDE Project Overview

Jun Murai, Keio Univ., Japan

Newtwork Module Structure for Heterogeneous Datalinks

Akira Kato & Kaoru Hieda, Keio Univ., Japan

ISDN Internet for FIPTH: Fast IP to The Home—Development of MLP-over-ISDN Protocol—

Ken-ichiro Murakami; Toshiharu Sugawara, NTT, Japan

 

この頃の日本の学術ネットワークの状況をこの石田晴久の報告から引用する。

a) WIDE: 58 domains、Hawaiiと128 kb/s接続
b) BITNETJP: 118 nodes (82 domains)、Princetonと56 kb/s接続
c) SINET: 9 domains(7大型センターと筑波大と学術情報センター)、NASA Amesと192 kb/s接続。
d) JAIN (Japan Academic Inter-University Network): 44 domains、科研費総合研究として1986年発足。IP over X.25で実装。
e) TISN: 17 domains、Hawaiiと128 kb/s接続
f) HEPNET-J(高エネルギー物理学用): LBLと56 kb/s
g) TRAIN(東京地域アカデミックネットワーク):1992年12月18日正式発足

これ以外にも多くの地域ネットワーク、分野ネットワークがあった。程なくこれらが全国的なインターネットを構成するようになる。

1992年8月1日現在、“.jp”ドメイン下で登録されているもの866件、内すでに接続されているもの706件というデータがある。

4) JCRNセミナー
研究ネットワーク連合委員会(Japan Committee for Research Networks、JCRN、1990年10月16日発足)は、1992年3月10日に「学術研究とネットワーク」というセミナーを工学院大学(新宿)で開催した。主催はJCRN、後援はJAIN、JUNET、TISN、WIDEで、123名の参加があった。プログラムは以下の通り。

10:00~10:40

学術研究ネットワークについて                       

野口正一(東北大学)

[ネットワークの活用事例]

10:40~10:55

広域ネットワーク「ゲノムネット」の構築と分散処理環境のもとでの遺伝情報処理

荻原淳(京都大学)

10:55~11:10

統計データの電子ジャーナル

丸山直昌(統計数理研究所)

11:10~11:25

会議とネットワーク環境

村井純、楠本博之、加藤朗(慶応義塾大学)、稗田薫(上智大学)

11:25~11:40

WIDE を使った高並列計算機 AP1000 の利用環境

森下哲次、斎藤紀、相川秀幸、池坂守夫、井上宏一(富士通研究所)

11:40~12:00

質疑応答

 

[学会活動とネットワーク]

13:30~13:55

パソコン通信による学会情報サービス[精密工学会: ISN ネットワーク]

高増潔(東京電機大学)

13:55~14:20

日本発達心理学会コンピュータネットワーク

岩立志津夫(静岡大学)

14:20~14:45

化学におけるパソコン通信 - その現在と未来         

伊藤眞人(創価大学)

[ネットワークへの茨の道]

15:10~15:30

学内ネットワークと対外接続の実現に向けた道のり

岩原正吉(福井大学)

15:30~15:50

ネットワークへの茨の道 東京都立大学の事例

桜井貴文(東京都立大学)

15:50~16:10

InetClub と国際電子メール 

小西和憲、堀田孝男(KDD研究所)

[JCRN の活動]

16:10~16:35

国内 IP インターネットの運用管理と JCRN の活動

平原正樹、高田広章(東京大学)

16:35~17:00

JCRN の活動 - 国際編 -                         

村井純(慶応義塾大学)

 

5) JAINシンポジウム’92
JAINは、1992年12月15日、東京の機械振興会館においてJAINシンポジウム’92を開催し、パネルディスカッション「インターネット高度利用への夢」を開催した。司会は野口正一(東北大学)、パネリストは池田克夫(京都大学)、奥野博(東京大学/NTT)、釜江常好(東京大学)、村井純(慶応義塾大学)である。

アメリカ政府関係の動き

1) PetaFLOPS Initiative
PetaFLOPS Initiativeは1991年に始まったが、1992年、Workshop and Conference on Systems Software and Tools for High Performance Computer Environmentsが開催された。

2) CSCC (Concurrent Supercomputing Consortium)
1990年11月に産官学で結成されたCSCCでは、1992年10月19日~20日に、Scalable I/O Initiativeを決定し、I/O関連のシステムソフトウェアの開発をすることになった。

3) アメリカ国防省HPC現代化プログラム
1990年、連邦議会は(DDR&E Defense Research and Engineering)の所長に対し、国防省の科学技術分野の研究者により現代化した計算能力を提供するよう要請した。このため、DDR&EはWGを発足させ、国防省の計算資源を現代化する計画を検討した。その結果、1992年度予算から、国防省のスーパーコンピュータ・インフラ構造を革新するためにHPCMP (The High Performance Computing Modernization Program)を発足させた。1994年にはHPCMO(the High Performance Computing Modernization Office)を設立した。現在は、HPCMPO(the High Performance Computing Modernization Program Office)と呼ばれている。スーパーコンピュータとともに、ネットワークDREN (The Defense Research and Engineering Network)をも含む。このプログラムは現在まで継続している。

日米貿易摩擦

1) 官公庁のコンピュータ調達制度変更
1年がかりで進められていた日米コンピュータ協議が、ブッシュ大統領訪日中の1992年1月9日に最終合意に達し、政府系機関が入札を実施しなければならない最低金額を2200万円から1700万円に引き下げ、また制度的にも、調達するシステムの仕様作成段階に直接関与したベンダを入札に参加させないこと、価格だけではなく技術や機能などを総合評価して決定する方式をとることなどを決めた(日経コンピュータ1月27日号)。この時点では米国製品のシェアに対する数値目標などは決められていない。

しかし、8月3日~5日にワシントンで行われた事後点検会合では、米国側はコンピュータの政府調達について予算の増額を求め、日本の市場開放について具体的な数字の提示を求めた。

2) VP2600寄贈拒否事件
1985年にNCARはSX-2を購入しようとして政治的圧力により断念したことはすでに述べた。1991年に、富士通は温暖化研究のためVP2600をMECCA (Model Evaluation Consortium for Climate Assessment)という民間研究機関に寄贈することを申し出ていたが、ブッシュ政権からの政治的圧力で断念したことが1992年初頭に明らかになった(昔のファイルを調べたら、1991年11月10日のcomp.sys.superに、ANLのDavid Levineが暴露していた)。MECCAは米国、カナダ、日本、イタリア、フランスの気象研究機関の国際的なコンソーシアムであり、民間の資金で運営されている。日本側の機関の代表が日本のベンダ各社と接触して寄贈の話がもちあがった。アメリカ側のメンバがブッシュ政権にこの話を伝えると、DOC(商務省)はCray Research社に意見を求め、当然同社は強硬に反対した。Rollwagen COEは1991年9月19日、UCARに書簡を送り、「富士通は慈善のふりをして、不当な貿易を行おうとしている」と述べた。「これは1990年の日米スーパーコンピュータ協議の合意に反する。」

1991年10月中旬、Richard Gephardt下院議員(民主党、ミズーリ州選出)は、ブッシュ政権の科学アドバイザや駐米日本大使に書簡を送り、富士通の提供を考慮し直すよう申し入れた。「アメリカの観点からは、$20Mのスーパーコンピュータを対価なしで受理することは、日米スーパーコンピュータ合意や米国の貿易法から問題となるであろう。」「日本のスーパーコンピュータ・ベンダは、日本国内で大幅な値引きや寄贈によってアメリカのベンダを排除してきたが、富士通はこのやり方をアメリカに輸出しようとしている。」Cray Research社は、「富士通は、アメリカの進んでいるスーパーコンピュータ・ソフトウェアを盗もうとしている。」とまで述べている。

関係者は「この批判は、スーパーコンピュータが連邦の予算で運営される組織が使うものであるという誤解に基づいている」と述べ、温暖化研究のために大きな寄与ができたのにとコメントした。以上Supercomputer Review, January 1992に基づく。MECCAは結局Y-MPをNCARに設置した

3) 核融合科学研究所
核融合科学研究所(1989年、名古屋大学プラズマ研究所を改組)は、岐阜県土岐に設置するスーパーコンピュータを調達した。1992年4月21日に公告し、6月11日にクレイ社(Cray Research社を指す。この項では元記事にならいカタカナで表記)、日本電気、富士通、日立が応札した。6月29日に開札し、日本電気のSX-3/24Rを中核とするスーパーコンピュータが落札した。ピーク性能12.8 GFlops、主記憶4 GB、磁気ディスク160 GB、光磁気ディスク1.6 TBのシステムであった。

この調達に対して、C90/16で参加したクレイ社が不服を申し立てた。同社は、1992年6月30日に核融合研に質問状を提出し、7月11日(東部時間)Rollwagen CEOは米下院の小委員会で、「核融合研が意図的にクレイを落とした」と証言した。7月8日に回答書が出されたがクレイ社は納得せず、9日、総理府外政審議室スーパーコンピュータ調達審査委員会に対して苦情を申し立てた。Rollwagen CEOは、ベンチマークの評価方法が不適正であるなど6項目の疑問を提示している。核融合研は、「選定は公正である」と反論した。

手元にある同審査委員会の「平成4年第1号審査案件に関する報告書」(1992年10月7日付け)によれば、7月16日クレイ社から苦情申し立ての詳細を受理、8月7日に核融合研からの説明文や関係資料の提出、8月14日にクレイ社の意見書提出のあと、8月26日から10月7日まで6回会合を開催した。報告書はクレイ社の主張する問題点について、すべて却下し、「今回の調達手続きには、これまでの調達過程を覆さなければならないような大きな問題は認められなかった。したがって、クレイ社の苦情申し立ては認めることができない。」と結論している。

1993年3月1日に核融合研はSX-3を中核とするシステムの異例の公開デモを行う。13時30分、6人のクレイ社関係者、在日米大使館員、日本電気社員、報道陣20人などが見守る中、デモが始まった。クレイ社が実現不可能と主張していた「5 GBのデータを主記憶または拡張記憶装置から8分35秒以内に光磁気ディスク装置に書き込むデモ」では、8分19秒で終了した。関係者の話によると、当時日本電気はテレビ放送局用のAV機器を手がけており、I/O分野には自信があった。磁気流体解析や陰解法粒子解析プログラムなどのデモも行われた。クレイからはソースが修正されているなどの批判があり、日本電気社員が必死でソースをチェックする一幕もあった(日経コンピュータ1993年5月3日号)。

クレイ社は3月23日に、「デモには不満が残るがこれ以上は追求しない」と一応の決着を表明し不服を取り下げた。

4) 豊田中央研究所
トヨタ自動車の子会社である豊田中央研究所は、日本電気のSX-3/14Rを導入し1992年6月から稼働させた。Cray Research社とアメリカ大使館が豊田中央研究所にクレームをつけていたが、ベンチマーク結果を基に批判をはねのけた。トヨタ関係ではこれまでCray Research社から 2台、富士通から4台のスーパーコンピュータを購入している。SXは初めてであった。

5) 大阪大学
大阪大学大型計算機センターは、1986年にSX-1、1988年にSX-2を設置してきたが、3代目のスーパーコンピュータとして、1992年8月に開札し、SX-3/14Rを選定した。時節柄、Cray Research社のY-MPと激しく争ったとのことである。

6) アメリカ国内の日本機
1992年中頃時点で、アメリカ国内にある日本製のスーパーコンピュータは、HARC (Houston Area Research Center)のSX-3/22、ノルウェーの会社(Geco-Praklaか)の米国子会社が1987および1988に購入した2台の富士通機、およびSan Joseの富士通アメリカにあるVP2400(Top500ではVPX240/20と記されている)のみが知られている。米国内への販売が困難だったのは、政治的な理由もあるが、産業界の場合、多くの商用ソフトがCray機をベースに開発されている事情もあった。しかし、HARCのSX-3は3D地震波イメージングにより油田やガス田の開発に活躍したとのことである。

7) アメリカのビジネスモデル
日本経済新聞11月2日夕刊によると、「Cray Research社は、超並列スーパーコンピュータの開発について、DOEの全面的な協力を取り付けた。研究開発の資金援助を受けるとともに、DOE傘下の研究所が開発を支援する。官民共同開発プロジェクトに昇格させ、次世代スーパーコンピュータで日本勢に水をあけるのが狙い。」と書かれている。アメリカ政府の資金援助で日本の3社を凌駕しようというビジネスモデルのようである。日本政府の支援策を批判しておきながら、アメリカならいいのか?

中国政府関係

1) 銀河2号
1983年に、Cray-1に似た形状の銀河1号を開発した中国国防科学技術大学(NDU)は、1992年11月、銀河2号(Ying-he II)を開発し、3台製造した。Kahanerのレポートchina6.93によると、260人の専門家が53か月かけて開発したといわれる。筐体は高さ3mで底面は六角形をしている。密結合共有メモリでプロセッサはECLで開発し、4台まで搭載でき、クロックは50 MHz、主記憶は256 MBである。10 Mb/sのI/Oサブシステムが2台接続されている。ピーク性能は1 Gopsであるが、64ビットピーク浮動小数演算性能は400 MFlopsである。並列化コンパイラは復旦大学で開発された。銀河1号がCray-1対応とすると、銀河2号はX-MP対応であろうか。NDUでは国防関係のアプリの他、航空、石油、電力、水源保護のために使われる。他の2台は(中国の)気象庁や中国工程物理研究院に提供した。気象庁では中期気象予報のために利用される。

インド政府関係

1) PARAM 8600
インドのC-DAC(Centre for Developmento of Advanced Computing)は、1992年、PARAM 8600を開発した。各ノードは4個のT800 Transputerと、1個のIntel i860を搭載している。256ノード。

次回は世界の学界の動きと国際会議。WWWが広がり始めたが、これがインターネットの主要な利用形態になると誰が予想できたか。筆者はLattice 92でCP-PACS計画について講演したが、「アメリカのQCD Teraflops Projectは冒険的すぎる」と批判したら「、CP-PACSは冒険しなさすぎる」と反論された。

 

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