世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


12月 19, 2022

新HPCの歩み(第120回)-1994年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

筑波大学CP-PACSグループは、スライドウィンドウにより疑似ベクトル処理が可能であることをTENCON’94で発表した。電総研ではNinfプロジェクトが始まる。昨年から延期されて来たSupercomputing Japan 94は結局中止される。JSPPで学生を対象にParallel Software Contestが始まる。冬の北海道でHokkeが始まる。

日本の学界の動き

1) 航空宇宙技術研究所(Gordon Bell賞)
H. Miyoshi(元NAL)らは、”120 Gflops on a 140 processor Numerical Wind Tunnel”で、Gordon Bell賞のPerformance部門でのHonorable Mention(佳作)を受賞した。Gordon Bell賞で日本の組織が登場した最初であった。

中村孝の回想録によると、Gordon Bell賞など全く頭になく、航空関係のシミュレーションでよい性能が出たという海外発表を盛んに行っていたところ、1994年4月頃、Gordon Bell賞の審査委員をしていたNASAのHorst Simonから応募を勧められたとのことである。すでに締め切りは過ぎていたが、一様等方性乱流で90 GFlopsの性能を出したと応募した。最終的には、“Isotropic Turbulence and other CFD codes,” 120 Gflops on a 140 processor Numerical Wind Tunnelということで、Honorable Mention(佳作)として表彰された。

その後のことであるが、翌1995年には山形大学の中村純らとの共同研究により、QCDで210 GFlopsを達成し、佳作でなく性能部門の本賞を受賞する。所長に報告へ行ったら、「今度は航技研の専門のCFDで取れないか?」ということで、松尾裕一を中心としてジェットエンジンのコンプレッサの回転翼列の解析で111 GFlopsを達成し、1996年には航空工学の分野で性能部門の本賞を受賞する。

 
   

2)筑波大学(CP-PACSプロジェクト)
筑波大学のCP-PACSプロジェクトは、紆余曲折はあったが、順調に進んでいた。1994年8月22日~26日にシンガポールで開かれたTENCON’94 (IEEE Region 10’s Ninth Annual International Conference)において、中村宏らは講演 “Pseudo Vector Processor for High-Speed List Vector Computation with Hiding Memory Access Latency”においてPVP-SWPCおよびPVP-SWSWの基本原理を発表し、浮動小数演算におけるメモリ・レイテンシを隠すことにより疑似ベクトル処理が可能であることを発表した。日立はPVP-SWを組み込んだPA-RISCプロセッサをHARP-1Eというコードネームで開発している。HARP-1Eの写真は記念誌『超並列計算機 CP-PACS 1992-2003』より。

3)電子技術総合研究所(Ninf)
電子技術総合研究所ではこの頃、関口智嗣を中心としてNinf(A network based information library for global world-wide computing infrastructure)の開発が始まった。従来のライブラリがソフトウェアを自分の使うコンピュータに実装して問題を解くのに対し、RPC(遠隔手続き呼び出し)によって直接に解が得られるような環境を作ろうとするものである。関口によると、1993年から始まった原子力試験研究のクロスオーバー研究において、応用分野のユーザが自分でライブラリを使いこなすことが困難であることから、このようなインフラの必要性を感じて始まったとのことである。POOMA 1996 やHPC研究会(96-HPC-60)で発表しているので、公開版ができたのは1996年頃と思われる。サービス指向という点でグリッド技術の走りであるが、欧米でのグリッド開発とほぼ時を同じくしており、先駆的であった。図は原子力基盤情報データベースのページから。

 

その後2000年頃、Ninfに対してセキュリティや情報サービスなど様々な要素技術においてグリッドの標準技術を導入したシステムNinf-Gが開発される。2004年3月には、Globus Toolkit Version 2のCおよびJava APIを用いて実装したNinf-G2が公開される。

同種のシステムとして、テネシー大学/ORNLのJack DongarraやHenri Casanovaらが開発したNetSolveがある。いつから開発が始まったかはわからないが、v1.1を1996年1月に公開している。

4) 電子技術総合研究所(EM-X)
EM-4に続き、細粒度通信機構をもつ並列コンピュータEM-Xを1994年夏に稼動させた。同じ頃、実時間並列計算機CODA(64プロセッサ)も開発されていたが、詳細はよく知らない。

5) 総合研究A「スーパーコンピュータの性能評価に関する総合的研究」
科学研究費総合研究(代表 九州大学島崎眞昭)は、1993年度が最終年度であった。1994年1月21日、東京大学大型計算機センターにおいて研究会を行った。プログラムは以下の通り。

10:00

(スーパーコンピュータ研究会と共催)「分散共有メモリ型超並列計算機 Convex Exemplar」

小山 隆(日本コンベックスコンピュータ株式会社)

12:00

昼休み

13:30

「拡張記憶装置を用いた分子積分のソーティングと積分変換のベクトル化」

山本茂義(中京大学)

 

14:10

「ベクトル計算機のための一次巡回演算の高速化手法」

中村素典、津田 孝夫(京都大学工学部 情報工学科)

14:50

休憩

15:10

「米国における(超)並列計算機の開発とスーパーコンピューティング ’93」

金田 康正(東京大学大型計算機センター)

16:00

「VLIW計算機におけるソフトウエアパイプラインによる条件分岐ハザードの解消」

安倍 正人(東北大学大型計算機センター)

16:40

科研研究打ち合せ

 

18:00

懇親会 (於: 東京ガーデンパレス、湯島)

 

筆者はJSPP94プログラム委員会のため、懇親会だけ参加した。

6) 統計数理研究所
4月20日に、統計数理研究所の創立50周年記念事業の研究集会に招かれ、「超並列計算機と統計計算」という講演を行ったが、「データ数をnとしたとき、多少多くてもO(n)の計算ならパソコンで出来る。O(n2)以上でないとスパコンの出番はない。」などという話をした。今ならビッグ・データに基づく深層学習などデータ科学を語るところであろう。ちょっと思慮が足りなかった。

7) つくば人工生命祭
人工生命研究会(ALIREN)主催、並列人工知能研究会(SIG-PPAI)共催で、1994年4月9日~10日、筑波山麓「ふれあいの里」において、「つくば人工生命祭 ALIFIESTA Tsukuba」が開催された。Christfer LangtonやRodney Brooksが参加したとのことである。趣旨として、

これは「学会」ではなく、「お祭」です。お祭には、難しい顔をした神さま・仏さまもいらっしゃいますが、屋台や見せ物小屋もあります。人工生命は「いかがわしい」という批判もよく聞きますが、ここは、少々いかがわしいものも、みんないらっしゃい、という「縁日」なのです。この趣旨をご理解の上、どしどし参加お願いします。

と書かれていた。

8) シンガポール国立大学計算科学部
東大理学部とNUS (National University of Singapore)との提携から、NUSのComputational Science学部のExternal Examinerを依頼され、3月31日~4月6日にシンガポールに出かけた。私は単なる外部評価委員のようなものかと思っていたが、もっと責任ある立場で、学生の学期末試験の採点を見せられ、チェックさせられた。NUSは世界に先駆けて「計算科学部」(定員600人?)を作ったが、何を教えるかは大きな問題である。教員の会議にも参加したが、物理出身の教員は「学生は物理の基本が分かっていない」といい、化学出身の教員は「化学の基本訓練が出来ていない」といい、数学出身の教員は、「数学を使いこなせない」といい、コンピュータ科学出身の教員は「コンピュータの基本が分かっていない」などと、それぞれ自分の分野の教育不足を嘆いていた。授業の時間は限られているので、これはなかなか難しい。ただ就職状況はよいとのことであった。後藤プロジェクトにいたWongさんが,jserverとktermを動かしてくださったので東大のマシンのX-Windowをシンガポールに表示し、日本語のemailを送受信することができた。

9) JSPS NUS共同セミナー
東大理学部と国立シンガポール大学(NUS)とのJSPS二国間交流事業として、共同セミナーが12月5日~8日にNUSで開かれた。筆者は”Multigrid Preconditioning for CG-like Algorithms”という講演を行った。その後しばらくシンガポールに滞在して14日に帰国したが、3日間休んだだけで18日からLBNLにPDGの用事で出かけた。LBNLに滞在中、昼食の食べ物を中腰でテーブルから取ろうとしてぎっくり腰になり、往生した。無理をするものではありませんね。Back painという英語を覚えた。薬屋には棚一杯に鎮痛剤が売られていて、アメリカが鎮痛剤王国であることを実感した。帰国の時、よたよた歩いていたら、SFO空港のチェックインカウンターの女性がビジネスにアップグレードしてくださった。

10) 工学院大学大学院
工学院大学において、大学院工学研究科に情報学専攻を新設したいということで、知人の関係者から相談を受けた。当時工学部には、電子工学科に情報工学コースがあるだけで、情報に特化した学科はなかった。設置審(大学設置審議会)対応、特に授業科目名やその内容について助言した。1994年度から新設された。筆者も、非常勤講師として「計算アルゴリズム特論」を担当することになった。そのとき、「こんな科目がなくては情報系学科と言えない」などといろいろ要望を出したが、2006年に情報学部が発足して、自身も赴任することになった際、結局自分で担当することになった。天に唾を吐くとはこういうことか。

1994年6月17日、工学院大学新宿校舎において、「生活の中の情報学」と題して情報学専攻開設記念講演会が開催された。9月14日には、「見えないものを見る情報学」と題して第2回記念講演会が開催された。

国内会議

1) SCJ 94 中止
2月、93年から延期されていたSupercomputing Japan 94の中止が発表された。前にも述べたが、主催のMeridian Pacific社は倒産してしまった。その後、社長のParker氏との連絡はない。

2) JAINシンポジウム
JAINコンソーシアムでは、1994年1月28日、TRAINとの共催で、工学院大学においてシンポジウムを開催した。前日には、有料のチュートリアルを開催した。

3) IISF/ACMJ国際シンポジウム
ACM日本支部設立を祈念して、1994年3月7日~9日に東京都渋谷区の国際連合大学において、IISF/ACMJ国際シンポジウム「コンピュータと人間の共生」が開催された。主要な講演の紹介が、bit誌1994年8月号に掲載されている。

4) HOKKE 94
3月10日~11日に、札幌駅近くの札幌ソフトウェア専門学校を会場として、HOKKE(HPCとアーキテクチャの評価に関する北海道ワークショップ)第1回 (HOKKE 94)を開催した。これは情報処理学会HPC研究会と計算機アーキテクチャ研究会との合同研究会で、とくに性能評価に重点をおいて研究発表および討論をしようとするものである。この時期は市の中心部でも雪が多く、歩くのには苦労した。筆者は、雪でも滑らない靴をHOKKE用に買ったほどである。このワークショップは2014年まで開催される(開催時期は2009年度から12月頃に変更)。

HPC研究会は名称変更して2年目を迎えた。HOKKEおよび下記のSWoPPを含め5回開催された。年間発表件数は60件弱であった。

5) HAS研
HAS研(Hitachiアカデミックシステム研究会)は、1994年3月29日、技術報告を行った。

日立並列コンピューターの開発について

株式会社日立製作所 竹田 克己 柴宮 実

 

8月25日には、第6回シンポジウムを開催した。

製品紹介

日立ATMの紹介

株式会社日立製作所 和田 宏行

第6回シンポジウム テーマ「ホスト無き時代 ~ネ・オ・ダ・マ時代の向こうに見えるもの~」

〈セッション1〉~ダウンサイジング/マルチベンダ環境はバラ色か~

慶應大学相模湘南藤沢キャンパス メディアセンタの構築・運営を通して

慶応大学 斎藤 信男

〈セッション2/パネルディスカッション〉

~パーソナル情報環境とマルチベンダーソリューション~

ホスト計算機システムから分散処理システムへ

電気通信大学 熊本 芳朗

会津大学におけるマルチベンダーソリューション

会津大学 斎藤 栴朗

PC/WSの動向と日立の取り組み

株式会社日立製作所 木村 政孝

 

12月7日には第8回研究会を開催した。

テーマ 「始動をはじめたインターネットのビジネス利用」

インターネットの現状と課題

東京大学 石田 晴久

パソコン通信Peopleのインターネット接続

株式会社ピープル・ワールド 小林 征二

高エネルギー物理学研究所におけるWWWサーバの利用

高エネルギー物理学研究所 森田 洋平

商用インターネットプロバイダーの今後の展開

インターネットイニシアティブ 深瀬 弘恭

インターネットビジネス利用の現状と課題

フォーバルクリエイティブ 小松 孝彰

インターネット・コマースの実際-インターネットによる中古WSの販売-

ポートネットサービス 上野 千里

SUPERCOMPUTING’94における埼玉大学ブースでのWWWサーバによる展示報告

埼玉大学 福島 又一

 

6) JSPP 94とPSC 94
第6回のJSPP 94(1994年 並列処理シンポジウム)は、工業技術院・筑波研究センター共用講堂において、5月18日~20日に開かれた。筆者は実行委員長を務めた。副委員長は雨宮真人(九大、プログラム委員長)、山口喜教(電総研)、石井光男(富士通)、幹事は、岸本光弘(富士通)、中村宏(筑波大)、松岡聡(東大)。主催は情報処理学会の6研究会と、電子情報通信学会・コンピュータシステム研究会と、人工知能学会並列人工知能研究会、協賛は日本ソフトウェア学会である。

JSPPの併設イベントとして、PSC並列ソフトウェア・コンテストの第1回が開催された。これは前年のSC93やその前のSC92においてK-12として高校生まで参加していることに危機感を抱いた村岡洋一(早稲田)のイニシアチブによるものである。第1回の実行委員会を1月22日に早稲田大学で開催し、村岡委員長のもとで概要を定めた。高校から大学院までの在学者を対象に、与えられたベンチマークを一番高速に実行したものを優勝とすることとした。テストベッドとしては、SP1なども候補に上ったが、その時点で利用可能なのは富士通の並列処理研究センターのAP1000 (64 PU)だけであった。表彰式を懇親会の冒頭に行い、3位までには、富士通から副賞(1等SUN4、2等FMV、3等 FM TOWNS)を出していただくことにした。日本クレイ社(西克也)からは参加賞用としてTシャツを頂いた。

難問はどんな問題を出すかということである。学部生(出来たら高校生にも)理解可能な問題で、並列化が可能で、正解が分かり、マシン上で問題生成が可能なことなどの要件があり、思ったより難しかった。筆者としては残念であったが、今回は浮動小数演算ではなく、整数のソーティングを選んだ。初期値はPUに分散して与え(個数は不均一)、ソートされた結果はPUに(同数ずつ)分散して残すとした。もちろん全部のデータを一つのPUに集めてquick sortをやったら速いというのでは困るので、工夫が必要であった。そして、順位決定用の真の問題は伏せておいて、模擬問題でプログラムを作成させ、最終的に実行委員会側で真の問題(分布の違う5件、データ数4800万個)で時間を測定するとした。結果は下の表の通り。

速かったのは、一種のバケットソートであり、並列処理の教科書にあるbitonic sortなどでは優勝しなかったようである。「データ構造とアルゴリズム」を教えている教員はため息をついた。

エントリ

79

プログラム提出

26

1位

下國治(東大工、松岡研)

2位

古川浩史(東大理、平木研)

3位

Michael Kirk (ANU Honour Class)

 

7) 数値解析シンポジウム
第23回数値解析シンポジウムは、6月8日(水)~10日(金)に、宮城県秋保温泉ホテルクレセントで開催された。担当は東北大学、参加者106名、講演42件。

8) 広島大学(INSAM シンポジウム)
広島大学理学部大規模非線形数値実験室 (INSAM, Institute for Numerical Simulations and Applied Mathematics) は、Paragon XP/S4 (56)を、1993年に導入した。これを記念する第2回INSAMシンポジウムが、1994年6月24日に大学近くの広島テクノプラザで開催され、以下の講演があった。

「並列計算の展望」

小柳義夫(東京大学)

「レーザー爆縮シミュレーション」く流体不安定性・超高密プラズマ・並列処理〉

西原功修(大阪大学)

ポスターセッション 13論文

 

9) SWoPP 94
第7回のSWoPPは、「1994年並列/分散/協調処理に関する『琉球』サマー・ワークショップ (SWoPP 琉球’94)」の名の下に、1994年7月21日(木)~23日(土) に、ホテル西武オリオン(沖縄県那覇市)で開催された。発表件数152(34大学、11企業、2国立機関)、参加者数300(46大学205名、25企業80名、2国立機関15名)であった。共催研究会は、電子情報通信学会からは、人工知能と知識処理研究会, コンピュータシステム研究会, フォールトトレラントシステム研究会, WSI技術とその応用システム研究会、情報処理学会からは、人工知能研究会, 計算機アーキテクチャ研究会, プログラミング-言語・基礎・実践-研究会, ハイパフォーマンスコンピューティング研究会, システムソフトウェアとオペレーティング・システム研究会で開催された。当時RWCPの金田泰の報告が残っている。筆者は家内とともに参加し、終了後、島内を観光した。

 
   

余談であるが、懇親会の日の午後のコーヒーブレークには、山のような「サーターアンダーギー(琉球語で「砂糖+油+揚げ」、沖縄名物の揚げ菓子)」が出された(写真はWikipediaから)。皆で「懇親会前に満腹させる陰謀だ」とささやきあった。昨年の「13分料理消失事件」の記憶がまだ残っていた。懇親会での爆食いを防ぐためだったのであろう。

10) 連合大会
情報処理学会・電気学会・電子情報通信学会・照明学会・テレビジョン学会の主催する電気・情報関連学会連合大会が毎年行われており、筆者は情報処理学会からの代表として1994年の実行委員をやることになった。現在のFITの前身だと思う。8月30日~31日に工学院大学新宿キャンパスで開催した。特別講演として養老孟司教授(東京大学、筆者の中高の先輩)に同窓のよしみで「脳の情報処理」をお願いした。日本学術会議シンポジウムとしては、科研費重点領域の代表者4人により「情報技術の将来像」と題して議論していただいた。一般講演は、「統一テーマ:環境・福祉・情報と未来社会・技術の融合とインテリジェント化」のもとに募集した。

11) ISR Workshop ‘94
1994年9月14日、日本の会社ISR (社長Raul Mendez)は、青山テピアにおいて科学教育研究会と共同でワークショップ「情報ハイウェイへの道」(または「HPCとネットワーク II」)を開催した。講演および展示で構成されていた。テーマはHPCというより通信やネットワークであった。実行委員長はRaul Mendez、プログラム委員長は筆者、プログラム委員は釜江常好(東大)、下條真司(大阪大)、藤原洋(GCL)、Mendezであった。後援は、郵政省、米国大使館、米国商工会議所、米国電子協会。

12) IBM HPC Forum
9月27日にIBMの箱崎AVホールでIBM HPC Forumが開催された。D. Bailey(当時NASA Ames)を講演に招待した。律儀な方で、自分は公務員なので旅費、謝金は受け取れないが、その代わりNWTを見せてくれというので、航空宇宙技術研究所にお願いして、前日に見学を行った。また、Sup’Eur 94(後述)のコンテスト受賞者からも呼ぼうということになり、Parallel Tools部門においてオープンなHPFコンパイラ“Adaptor”で優勝したDr. Thomas Brandes (GMD)を招待して、”Experience with HPF for Real Application on IBM SP System”と題して話していただいた。かれはNWTの見学にも同行し、NWT-Fortranの説明を聞いて、”Bad design”と言っていた。筆者は、「パラレルコンピューティングの基礎と今後の動向」と題して基調講演を行った。

13) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所の研究集会「数値計算アルゴリズムの現状と展望II」は、山本哲朗(愛媛大学)を代表として、1994年10月25日~27日に開催された。26回目である。報告書は講究録No. 915に収録されている。

次回は、日本の企業の動きや標準化など。日立はSR2001を、日本電気はSX-4を発表する。ユーザ向けのイベントとして、富士通はPCW‘94を、日本IBMはパラレル研究分科会を行う。MPIやHPFの標準化活動が進むとともにW3CやUnixの標準化も発展する。

(アイキャッチ画像:CP-PACS HARP-1E 出典:超並列計算機 CP-PACS 1992-2003 )

left-arrow   new50history-bottom   right-arrow