新HPCの歩み(第145回)-1997年(c)-
実用的な並列機として、日立からのSR2201、富士通からのAP3000に続き、NECからCenju-4が発表される。標準化では、HPF 2.0やMPI 2.0やFortran 95が出される。また、OpenMPやCo-Array Fortranも提案される。ASCIの一番手としてASCI Redが登場し、TFlopsの時代が始まる。 |
日本の企業
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NEC Cenju-4 出典:一般社団法人 情報処理学会Web サイト「コンピュータ博物館」 | |
1) 日本電気(Cenju-4、SX-4、PC98-NX)
Cenju-3 (1993) に続き、日本電気は1997年8月、並列コンピュータCenju-4を発表した。写真は情報処理学会コンピュータ博物館から。ノードは,MIPSアーキテクチャのVR10000(200MHZ,400MFlops)と512MBまでのメモリからなる。8〜1024個のノードが,マルチキャストと同期の機能を持つ多段ネットワークで接続されている。ユーザレベルのメッセージ通信機能を持った分散メモリと、キャッシュコヒーレンシ制御付き分散共有メモリの2つのメモリアーキテクチャを選択することができた。
ベクトルスーパーコンピュータの分野では、日本電気の発表によると、12月15日に100台目のSX-4を山梨大学に出荷し、富士通をスーパーコンピュータの台数で凌駕したとのことである。Crayに次ぐ世界第2のスーパーコンピュータ企業となった。(HPCwire 1997/12/19)
PCの分野では、Windows 95により、これまでのPC-9800独走の時代は終わり、世界標準仕様のPC98-NXシリーズを1997年9月24日に発表し、11月23日に発売した。
2) 富士通(Eシリーズ、PCW97、AP3000)
1997年2月4日、富士通は1プロセッサのピーク性能を2.4 GFlopsに向上させたVPP300Eシリーズ、VPP700Eシリーズを発表した。同日から販売を開始。富士通の発表によると、1997年9月末現在の導入実績(社内設置を除き)は、VPP500が16台、VPP300が35台、VPP700が5台、VXが78台となっている。
これまでAP1000を公開してきた富士通並列処理研究センターでは、新たにパラレルサーバAP3000を設置し、1997年10月から利用者に提供を開始した。
1997年のParallel Computing Workshop 97は、9月25日~26日にオーストラリアのANU (Australian National University, Canberra)で開催した。
シンガポールのNUS (National University of Singapore)は2月、AP3000を設置した。1997年6月13日、富士通は300 MHz のUltraSPARC-IIを搭載したAP3000 Model U300を発表した。
3) 日立(Dongarra講演会、Stuttgart、HPCセンター筑波)
4月、日立製作所はJack Dongarra教授の講演会を開催した。教授がHPC Asia(後述)のためソウルに行く途中に捕まえたものである。4月25日(金)の11時から日立システムプラザ新川崎2階講堂で、”Problem Solving Environments and NetSolve: A Network Server for Solving Computational Science Problems”という公開講演を行い、多数の聴衆を集めた。筆者が司会を務めた。午後は秦野の日立神奈川工場を訪問し、関係者と意見交換を行った。Dongarraは、NetSolveというバーチャル化したソフトウェアライブラリのアイデアを公表したばかりであった。NetSolveのモデルは、client、agent、serverから構成されている。
1995年のところに書いたように、SR2201はCambridge大学に224ノードのマシンが導入された(Rmax=51.13、Rpeka=67.20、1997年11月のTop500で65位)が、ドイツStuttgart大学計算センターに、32ノードのマシンが設置され、4月に稼働を開始した。残念ながら32ノードではTop500には入らない。
筑波情報システム営業所内に12月HPCセンター筑波を開設し、SR2201/16を無償利用するサービスを始めた。
4) 日本シリコングラフィックス・クレイ株式会社
1997年1月、日本クレイ社も日本シリコングラフィックス社と統合され、日本シリコングラフィックス・クレイ株式会社となった。社長には、日本クレイの社長であった堀義和が就いたが、1997年4月に日本コダックの社長に移った(2005年6月まで)。なお、1998年からは日本シリコングラフィックス株式会社。
1997年2月14日、都内のホテルで盛大な披露パーティーがあり、筆者も出席した。奇妙だったのは、Tシャツにジーパンというグループと、スーツ姿のグループとが、水と油のように、混じり合うことなくそこここに散らばってはいたことである。もちろん、前者はSGI関係者、後者はCray関係者である。こんなことで一つの会社になれるのかと危惧したことを覚えている。この披露パーティーのため来日したSystems Technology担当副社長のRon Bernal(前MIPS Technology社長)が、直前の2月12日、営業担当者とともに東京大学を訪問し、平木敬、田浦健次郎と筆者が対応した。SGI社の今後の製品ロードマップについて紹介して頂いた。
京都大学化学研究所は、1997年1月、スーパーコンピュータシステムとして、Cray T94/4128やSGI Origin 2000 (128 CPU)などを導入した。Origin 2000は、コア数128、Rmax=40.25 GFlops、Rpeak=49.92 GFlopsで、1998年6月のTop500で93位tieにランクしている。
5) シャープ(DDMP)
シャープ社は1991年頃、三菱電機と共同してデータ駆動プロセッサDDP(ピーク20 MOPS)を開発していたたようであるが、1997年4月、新世代のデータ駆動メディアプロセッサDDMP(Data-Driven Media Processor)を開発中と報道された。膨大なマルチメディア情報を超低消費電力で高速・並列処理する非同期プロセッサであり、秋から生産を開始するとのことであった。その後、1998年12月9日、DDMSをコアにしたLSIを、アメリカのCadence Design System社と共同開発すると発表する。
6) ソニー
1997年7月17日、ソニーはメモリースティックを発売した。最大記憶容量は128 MB×2であった。
7) インテル株式会社(社名変更)
半導体最大手の米Intel社の日本法人インテルジャパン株式会社は、2月1日付で社名を「インテル株式会社(Intel K.K.)」に変更すると1997年1月22日発表した。
8) パシフィック・ハイテック(Turbolinux)
日本のパシフィック・ハイテック社は、12月、Turbolinux日本語版1.0を発売した。
標準化
1) HPF Forum (HPF 2.0)
HPF Forumは、1997年1月31日にHPF 2.0を公表した。これは、The HPF 2.0 LanguageとHPF 2.0 Approved Extensionsから成る。前者はすべてのHPF実装において1年以内に実現することが期待される仕様で、プロシージャ呼び出しにおけるデータ分散の簡単化や、データ並列におけるREDUCTIONクローズや、新しいルーチンなどを含む。後者は高度な仕様であり、必ずしもすべてのコンパイラが実現することは期待されていない。INDIRECTマッピングやSHADOW領域(日本では「袖」とか「のりしろ」とか呼ばれる)、動的なデータ分散(REALIGNなど)、ONクローズ、非同期I/Oなどである。
これをもってHPFFは解散し、あらたに設立されたユーザ主体のHUG(HPF User Group)に引き継がれた。
2月24日~26日には、第1回のHPF User Group Conference (HUG’97)が米国Santa Feで開かれた。日本からは妹尾義樹(日本電気)、太田寛(日立)、末安直樹(富士通)の3名が参加し、JAHPF(HPF合同検討会)の活動について報告した。JAHPFについては「日本の学界」の章に書いた。
2) MPI 2.0
MPI Forumは4月25日にMPI 2.0を承認した。このForumは30以上のベンダやユーザの組織から成る。Ver. 2.0では、並列I/O、動的プロセス、一方的通信、C++とのバインディング、Fortran 90のサポートなどを含む。最終版は6月末までに公開される。SC97で、Pallas社はMPI-2の世界初の実装を発表した。1998年3月のMPI Forumで小規模な修正を行い、2.1版に更新する予定。
3) Fortran (Fortran 95, Fortran 2000)
Fortran 90のマイナーな改訂版であるFortran 95が国際規格(ISO/IEC 1539-1:1997) として発行された。HPFに由来するforallや、ユーザ定義のpureとelementalプロシージャが追加された。FORTRAN 77の大失策である、DOループの制御変数にREAL変数やDOUBLE PRECISION変数を許す仕様が削除された。
DO X = 0.0, 1.0, 0.1 |
と書くと、内部表現によって11回反復になったり10回反復になったりするからである。これも77からの仕様であるが、IFブロック内への外からの飛び込みも禁止された。その他、恐らくIBM 704用のFORTRANからあったPAUSE文や、Fortran 66で導入されたHollerith定数(3HABCのような文字型データ)なども削除。ちなみに、Hollerith定数はパンチカードを使ったTabulating Machineの開発者で、IBMの前身の一つの創立者であるHerman Hollerithを記念して名付けられたものである。
対応する日本工業規格も改正原案作成委員会での作業を 1998年3月に終え, 6月の情報部会での審議も無事終えて,1998年 10月20日に制定された。日本規格はJIS X 3001-1:1998 である。
1996年のところで述べたように、Imagine社は、NAG、富士通、Absoft社と協力して、Fortran 95のサブセットで構造化に徹した“F言語”を提案した。F言語をFortran 77からHPFへの橋渡しという位置づけもなされた。
ISO/IEC JTC1/SC22/WG5 (Fortran)が、1997年2月10日~14日にLas Vegasで開催され、Fortran 2000の仕様が決定した。Fortran 95とは異なり、今回は大幅な改定である。主要な特徴は次の通り。
高性能科学技術計算 |
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非同期I/O IEEE浮動小数点演算の例外の取り扱い 区間演算 |
抽象データ型・ユーザ拡張 |
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割り付け可能な成分 派生型データのI/O オブジェクト指向:constructor/deconstructor, inheritance, polymorphism |
Parameterized derived type プロシージャへのポインタ |
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他の特徴 |
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多言語対応 Cとの相互運用性 |
実際にはFortran 2003として2004年に制定される。
4) OpenMP
OpenMPは共有メモリ並列コンピュータを利用するための標準的基盤で、KAIのDavid Kuckのイニシアチブで開発された。The OpenMP Architecture Review Board (ARB)は1997年10月にOpenMP for Fortran 1.0を初めて公表した。SC 97(後述)で大々的に発表された。1998年10月にはC/C++用のOpenMPを発表。OpenMP for Fortran 2.0は2000年に発表された。2002年にはC/C++用のVer. 2.0を発表など。
5) Co-Array Fortran
CAF (Co-Array Fortran)は分散メモリ上での並列処理を記述するためのPGASモデルによるFortranの拡張であるが、これもこの頃はじまった。R. W. Numrich (SGI) はScientific Programming 6, 275-284 (1997)に“F--: A parallel extension to Cray Fortran”という論文を発表し、FORTRAN 77の最小限の拡張で並列処理を記述することを提唱した。F--はF-minus-minusと読むそうである。続いてJ. L. Steidelとともに、Fortran 90の拡張として、SIAM News 30, 7, 1-8 (1997)に”F--: A simple parallel extension to Fortran 90”を発表した。このアイデアはCray T3EのFortran 90コンパイラに実装された。Co-Array Fortranという語を用いるのは1998年頃からのようである。
性能評価
1) NAS Parallel Benchmark
1997年に発表されたNPB 2.3はMPIで実装された。
アメリカ政府の動き
1) PITAC第1期発足
アメリカでは、1997年2月11日、大統領令により直属の諮問委員会(PAC、Presidential Advisory Committee on High Performance and Communications, Information Technology, and the Next Generation Internet)が設置された。1998年7月に、この委員会はPITAC (President’s Information Technology Advisory Committee)と改名される。この委員会は、HPC、通信、ITおよび次世代インターネットについて、OSTP (Office of Science and Technology Policy)を通じてNSTP (National Science and Technology Council) に助言を与えるものである。2001年9月まで、Sun MicrosystemsのBill JoyとRice大学のKen Kennedyが共同議長を務めた。メンバは以下の通り。
Eric A. Benhamou, Ph.D. |
3Com Corporation |
Vinton G. Cerf, Ph.D. |
WorldCom |
Ching-chih Chen, Ph.D. |
Simmons College |
David M. Cooper, Ph.D. |
Lawrence Livermore National Laboratory |
Steven D. Dorfman |
Hughes Electronics Corporation |
David W. Dorman |
AT&T |
Robert J. Ewald |
Learn 2 Corporation |
David J. Farber |
University of Pennsylvania |
Sherrilynne S. Fuller, Ph.D. |
University of Washington School of Medicine |
Hector Garcia-Molina, Ph.D. |
Stanford University |
Susan L. Graham, Ph.D. |
University of California – Berkeley |
James N. Gray, Ph.D. |
Microsoft Research |
W. Daniel Hillis, Ph.D. |
Applied Minds, Inc. |
William Joy (co-chair) |
Sun Microsystems |
Robert E. Kahn, Ph.D. |
Corporation for National Research Initiatives (CNRI) |
Ken Kennedy, Ph.D. (co-chair) |
Rice University |
John P. Miller, Ph.D. |
Montana State University |
David C. Nagel, Ph.D. |
Palm, Inc. |
Raj Reddy, Ph.D. |
Carnegie Mellon University |
Edward H. Shortliffe, M.D., Ph.D. |
Columbia University |
Larry Smarr, Ph.D. |
University of California – San Diego |
Joe F. Thompson, Ph.D. |
Mississippi State University |
Leslie Vadasz |
Intel Corporation |
Andrew J. Viterbi, Ph.D. |
QUALCOMM Incorporated |
Steven J. Wallach |
Chiaro Networks |
Irving Wladawsky-Berger, Ph.D. |
IBM Corporation |
会合は以下の通り。
議事次第のURLL |
日程 |
場所 |
February 27-28, 1997 |
NSF Board Room (Room 1235) |
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June 24-25, 1997 |
NSF Board Room (Room 1235) |
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第3回 |
December 9-10, 1997 |
NSF Board Room (Room 1235) |
March 11, 1998 |
NSF Board Room (Room 1235) |
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May 19, 1998 |
NSF Board Room (Room 1235) |
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第6回 |
November 4, 1998 |
NSF Board Room (Room 1235) |
第7回 |
February 17, 1999 |
NSF Board Room (Room 1235) |
September 2, 1999 |
NSF Board Room (Room 1235) |
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第9回 |
February 25, 2000 |
NSF Board Room (Room 1235) |
第10回 |
May 18, 2000 |
NSF Board Room (Room 1235) |
第11回 |
September 19 – 20, 2000 |
NSF Board Room (Room 1235) |
February 7-8, 2001 |
NSF Board Room (Room 1235) |
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May 10-11, 2001 |
NSF Room 555 |
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September 25, 2001 |
NSF Room 555 |
第5回ではDavid Kahaner (ATIP)が、High Performance Computing in Asiaという1時間のプレゼンを行っている。
1997年末ごろ、共同議長のKen Kennedyがいろんな人に以下の3つの質問をしているということで、筆者の所にも流れてきた。面白いので紹介する。
a) 政府機関は SX-4 や VPP を買うべきか? アメリカの会社がスーパーコンピューティングの頂点に立っていることは、本当にアメリカの安全保障にとって重要なのか? [ロビイストにだまされているのではないか?] b) 現在のcommodity chipとは別のアーキテクチャ(ベクトルやMTAなど)の研究に投資すべきか? c) Petaflops は本当にやる意義があるか? |
日米スーパーコンピュータ摩擦を考えると、なかなか意味深長である。
PITACではHPCCプログラムとNGIの計画立案について評価検討し、1998年に中間報告、1999年2月に最終報告を出している。最終報告では、連邦政府のITに関する研究開発が、リスクの高い長期的な課題よりも、即効性のある短期的な効果を期待したものが多い、と批判し、全く新しい視点から大規模な研究開発を実施する必要がある、と指摘している。最近(2015)、某国では「大学はもっと即戦力となる研究を行うべき」などという議論が行われているが、そんなことだからアメリカにかなわないのだ。
一方、並行して、1997年度からPITACはアメリカ政府の実施しているこれらの研究開発計画の評価、検討を2年間に亘って進め、21世紀に向けて、IT関連研究開発をさらに強力に推進すべきであると報告している。これを受けて、アメリカ政府は、21世紀情報技術戦略(IT2)を発表した。
奇しくも同じ1997年に日本で発足した、諮問第25号に基づく科学技術会議の情報科学技術部会に対応するものであるが、こちらは「一部会」であるのに対し、PITACは大統領直属の諮問委員会である点が大きく異なっている。予算への影響力も格段に異なる。
2) NSF PACI
NSF (National Science Foundation, 全米科学財団、日本の旧文部省もしくは学術振興会に相当)は、1995年のHayes Reportに基づいて、1996年にPACI (Partnerships for Advanced Computational Infrastructure)構想(1997-2004)を進め、アメリカ中から提案を求め選考過程に入った。9つほどの提案があったそうだが、まず6つに絞られた。そして更に4つが残った。これは、なんと現存の4センターであった。落ちたのは、UCLAとOhio State U.だとかいう話である。この4センターの中から2センターが選ばれる。各センターとも外部評価を行ってアピールするなど、どこの国もやることは似ている。Illinois が危ないとか、San Diego が危ないとか、いや Pittsburgh が危ないとか、いろんな噂があるようだ。Cornellが危ないという話は聞かなかった。SC96でCTC (Cornell Theory Center)所長のMalvin Kalos とも話をしたが、自信ありげであった。
しかし1997年1月ごろCTCが落ちそうだという噂が流れた。1月24日、Cornell大学の研究担当副学長Norman R. Scottは声明を発表した。「NSFはまだ結論を出していないが、昨日のNSF幹部との会合で、CTCが4つの提案の中で最高評価は得ていないという印象を受けた。心配であるが、決定が明確になれば大学は必要な措置を講じる。CTC所長のKalos博士は今朝所員に対し状況説明を行い、『万が一、CTCが最終選考に残らなかったとしても、おそらく98会計年度およびそれ以降にもNSFからつなぎの運転資金を得られるので安心してほしい』『CTCの指導部は他の連邦予算などを強力に求め、地元の連邦議会議員とも情報を交換している。今のところ、所員をクビにするような事態には至らないと確信している』と述べている。」(HPCwire 1997/1/24)Kalos所長は、1月27日~28日に東京で開かれる計算科学国際シンポジウムISPCES’97で招待講演を行う予定であったが、出席をキャンセルした。体調もよくなかったとのことであるが、とても留守にできる状況ではなかった。
1997年3月にNSFは2つの提案を採択したと発表した。NCSA (National Computational Science Alliance)とNPACI (National Partnership for Advanced Computational Infrastructure)である。
NCSAはIllinois大学のNCSA (National Center for Supercomputer Applications)を中心とし、Boston大学、Kentucky大学、Ohio Supercomputer Center、New Mexico大学、Wisconsin大学などからなるコンソーシアムである。
NPACIはUCSDのSan Diego Supercomputer Centerを中心とし、Caltech、Michigan大学、Texas大学TACC (Texas Advanced Computing Center)などからなるコンソーシアムである。これらのコンソーシアムには全米で100に及ぶ組織が含まれている。写真は、National Center for Supercomputer Applications(左)と、San Diego Supercomputer Center(右)で、Wikipediaから。
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この2つのパートナーシップは10月(1998年会計年度の冒頭)に発足した。NCSAは中心となるIllinois大学のセンターと同じ略号であり、NPACIはPACIと紛らわしい。
PACIの2つのコンソーシアムにより、大学の研究者はTFlops級のスーパーコンピュータや巨大なlinuxクラスタなど強力な計算資源へのアクセスが可能になった。とくにグリッドにより異なる計算資源の連携が可能になることが強調された。NSFはPACIのパートナーとなったサイトにはvBNS (1995)の接続を提供すると述べた。
1984-5年に設立された5つの大学のスーパーコンピュータセンタ(Cornell, NCSA, Pittsburgh, SDSC, Princeton)のうち、前に書いたようにPrincetonは既に外されていたが、NCSAとSDSCはPACIに選ばれ、CornellとPittsburghが敗れた。PSCの運営母体であるCarnegie Mellon大学とPittsburgh大学の学長は3月NSFに書簡を送り、他の財源を探すので、つなぎの運転資金の面倒を見てくれと要請した。1997年5月、Pennsylvania州から前年より$0.5M増の $2Mの資金を提供された。PSCとNCSAとが合併するのではないかという噂も流れたが関係者は強く否定した。
3) NSFネットワーク
1997年5月23日、Al Gore副大統領は、NSFが$12.3Mを全米の35の研究機関に支給して、vBNS (the very high speed Backbone Network Service) に接続すると発表した。これにより、合計64機関がvBNSでつながれることになる。これは、毎年$100Mをつかって、現在のインターネットより100倍速いネットワークで、100以上の研究機関を繋ぐNGI (Next Generation Internet) initiativeの一環である。
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また、Internet2プロジェクトは1996年、EDUCOMの後援の下、34の大学の研究者らによって始まったが、正式な組織は1997年、University Corporation for Advanced Internet Development (UCAID) という非営利団体として発足した。その後名称を Internet2 に変更し、”Internet2″ を登録商標とした。1997年3月に、North CarolinaのResearch Triangle Parkにおいて、OC-24(2.4 Gb/s)のネットワーク(North Carolina GigaNet)を設置した。Internet2としては最初のプラットフォームである。10月にはジョージア州もつなぎ、12の組織が高速ネットワークで結合された。また、ニューヨーク州でも、NEWERNet 2000という非営利団体がInternet2の一部となる高速なネットワークを構築した。この後、Internet2は全米に広がっていく。
4) ASCI Red
1996年のところで述べたように、SNL (Sandia National Laboratory)のASCI Redは、1997年6月のTop500リストにおいて、Rmax=1.068 TFlopsを達成し、前回1996年11月の1位筑波大学のCP-PACS (368 GFlops)を抜いてダントツの1位を獲得した。岩崎洋一センター長は、昨年4月の記者発表で、「ローマ大学などでも高速コンピュータの開発計画が進んでいるが、少なくとも二三年はCP-PACSが世界最高速だろう」と述べていた(日本経済新聞1996年5月1日)が、CP-PACSの天下は7ヶ月で終わった。格子ゲージ専用機としてはまだ世界一であるが。1997年6月12日に全キャビネットが納入され、1997年11月のTop500では9152ノード(Rpeak=1.830 TFlops)でRmax= 1.338 TFlopsを達成した。
ASCI Redはその後1999年にプロセッサをPentium II Xeon (333 MHz)に差し替え、メモリも増やして2.379 TFlopsまで増強された。ボードごと替えたものと思われる。
5) ASCI-ASAP Initiative
エネルギー省は、ASCI計画において大学との連携を重視し、ASAP(Academic Strategic Alliances Program)という計画を10年間にわたり総額$250Mで進めている。これは、
a) ASCIに関連した問題のために働こうとするビジョンを持った有能な人材を引き込み、
b) ASCI Programを成熟させることのできる経験に富んだ技術者・研究者のプールを作る、
ことを目的にしている。ちなみに、ASAPは”as soon as possible”の省略形としても使われ、この計画の緊急性を象徴している。
1997年7月31日、エネルギー省長官(Secretary of Energy)のFederico Peñaは、California工科大学、Chicago大学、Utah大学、Stanford大学、Illinois大学Urbana-Champagne校の5大学を選定したと発表した。ASCIの目的は、アメリカの核兵器維持管理のためのスーパーコンピューティング計画であるが、ASAPに参加する学術機関は、核兵器に関係した研究を行うのではなく、DOEの研究所と協力して、高度なシミュレーションを開発する。(HPCwire 1997/8/1, Caltech News)
6) NERSC(T3Eの増強)
Lawrence Berkeley National Laboratory内のNERSC (The National Energy Research Scientific Computing Center) は、1997年4月4日、Cray Research社との間で合意ができ、現在160プロセッサのT3Eを、512プロセッサのT3E-900に更新すると発表した。稼働は夏の予定である。稼働すれば、ピーク性能は約500 GFlopsで、公開の(unclassified)資源としてはその時点でアメリカ最大となる。
1997年11月のTop500では、コア数512、Rmax=268.80 GFlops、Rpeak=460.80 GFlopsで、5位にランクしている。その後、1998年11月のTop500では、コア数692、Rmax=444.00 GFlops、Rpeak=622.90 GFlopsに増強され、12位にランクされている。
7) Petaflops Initiative
同Initiativeでは多くのワークショップが開催されてきたが、1997年にはPetaflops algorithms Workshopが開催された。
8) NCAR(Exemplar?)
1月7日付のNew York Times紙によると、NCARは$1.5Mの予算で、ConvexのExemplarの購入を真剣に検討しているとのことである。後述のように、落札したSX-4の行方が定まらないのにそんなことがあるか、と思ったが、Bill Buzbeeは直ちに事実無根と反論した。(comp.sys.superによる)
9) RIKEN-BNL Research Center
アメリカのBrookhaven National Laboratoryでは、理研と共同して、1997年10月1日にRIKEN-BNL Research Centerを設置した。センター長はノーベル物理学賞のT. D. Lee(李政道)教授。理論部門と実験部門から成り、1998年度は理論部門から発足し、QCDに基づくハドロン物理の理論的研究において国際的中心となることを目指す。Columbia大学の0.4 TFlopsのQCDSPに加えて、日本の資金によりBNLに0.6 TFlopsのQCDSPを建設し、全体で1 TFlopsとする予定。
10) チップサイズのスパコン?
12月17日付けの朝日新聞によると、Clinton大統領は16日、チップサイズのスーパーコンピュータを開発するプロジェクトにDoDが$14M(約18億円)、民間での新技術開発にDoCが$82M(約100億円)支出すると発表した。チップ一つで現在の大型コンピュータの25000倍もの計算能力を持つようになると述べた。実用化には8年以上掛かるとのことである。予算が少なすぎる印象がある。ペタフロップスのことであろうか?
11) ロシアへのスパコン輸出
1997年2月ごろ、SGI社がロシアの核兵器研究所に4台のスーパーコンピュータを許可なく販売したことが問題となり、米国商務省が調査に入った。
1997年10月31日付のNew York Times紙が報じたところによると、連邦大陪審は、16台のIBMの高性能スーパーコンピュータが、ロシアの核兵器研究所に許可なく売られた疑惑を捜査しているとのことである。この研究所は1991年までArzamas-16と呼ばれていた閉鎖都市Sarovにあり、ソ連の水爆などの核兵器の開発研究拠点と言われている。モスクワにある仲介者を介してスーパーコンピュータを購入したもようである。ロシア政府原子力省の関係者は「われわれは合法的に行動している」と疑惑を否定した。IBMもこの販売を合法的と考えており、ロシア市場への参入は魅力的であった。ロシアの文民はある種の高性能コンピュータを買えるが、核兵器施設への販売はアメリカの承認なしには非合法である。
次回は日米貿易摩擦、中国やインドの動き、世界の学界の動きなど。日本のスーパーコンピュータがダンピングを認定され、NECは454%の懲罰関税が課せられ、NCARでのSX-4が遂に破談になる。
(アイキャッチ画像:NEC Cenju-4 出典:一般社団法人 情報処理学会Web サイト「コンピュータ博物館」)
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