新HPCの歩み(第146回)-1997年(d)-
三浦謙一はITCにおいて、富士通を代表し「日本のスーパーコンピュータはアメリカの産業に損害を与えていない」と証言した。Bill BuzbeeはSX-4排斥の動きを批判してアメリカの学界の損失であると嘆き、NCARの職を辞すことになる。中国の民間会社に売られたはずのアメリカのスーパーコンピュータが、核兵器開発などの軍事目的に使われているのではないか、という疑惑が表面化した。 |
日米貿易摩擦
1) 1996年の動き
NCARのスーパーコンピュータ調達において、1996年5月20日に、FCCが応札した日本電気のSX-4が落札したが、Cray社があった地元の議員がロビー活動を始め、7月29日にダンピング提訴を行った。アメリカ政府のITC (International Trade Commission)は9月11日にダンピング審判を行うことを表明した。
2) ダンピング認定
1997年に入り、3月31日にアメリカ商務省はSGIの子会社であるCray社からのダンピング提訴について結論を出し、日本電気と富士通がアメリカにおいてダンピングを行っていた、と認定した。
3) 懲罰関税
その結果、アメリカ商務省は8月21日、日本電気製スーパーコンピュータに対し454%、富士通製に対し173.08%、他の日本メーカ(具体的には日立製作所)に対し313.54%(足して2で割っただけ)のダンピング関税を課すことを決めたと発表した。商務省はダンピング率の算出根拠を明らかにせず、Cray社の主張をそのまま追認したようである。HPCwire 1997/7/17によると、Cray社は当初388%の懲罰関税を主張していたとのことである。NCARの入札には日本電気と富士通しか参加していないが、商務省は日本の2社がダンピングしたとの認定をもとに、対象を他の日本メーカにも広げ、平均の税率を課すということにした。(朝日新聞1997年8月22日号)SGIの子会社であるCray Research社は、8月12日の商務省のダンピング認定を歓迎する声明を出した(HPCwire 1997/8/22)。
4) 日本からの批判
これに対し日本電気は、8月22日、「適用された454%のダンピング率は、クレイ社が商務省に提出した数字をそのまま使ったものと思われ、全く根拠がない」とのコメントを発表した。また、富士通も同日発表したコメントで「このような決定は遺憾だ。スパコン市場で、日本が米国産業に被害を与えたこともなければ、その恐れも全くない。改めて、米国市場の閉鎖性を感じざるを得ない」と批判した。(朝日新聞同上)
5) ITCでの公聴会
米国ITCは、8月25日の週に公聴会を開き、Cray社が主張しているように、日本製のベクトルスーパーコンピュータの輸入が、米国のスーパーコンピュータ産業に具体的な損害を与えているかどうか検討した。日本側の公述人が証言した。
![]() |
|
三浦謙一は富士通を代表してこう証言した。写真は【わがスパコン人生】第4回三浦謙一から。「1993年1月から1996年6月の期間を考えると、アメリカ市場において、CrayやSGIが何百台ものシステムを販売しているのに対し、富士通は2台しか販売していない。1996年において、全米のスーパーコンピュータ市場において、富士通と日本電気のシェアは、合わせても1%より遙かに少ない。このような状況をみると、日本の製造業者が米国の産業に損害を与えているとか、与える恐れがあるというCrayの主張には根拠がない。
Cray製品の膨大な設置と、政府機関からの日本の業者の排除を考察すると、日本製品が日本やヨーロッパでは成功しているのに、なぜアメリカでは成功しないのかという理由は明らかである。Crayの市場独占は、アメリカ政府がけっして日本のスーパーコンピュータを購入せず、MITのような組織やアカデミアに日本製品を調達しないように圧力を掛けているという事実によるところが大きい。
Crayのロビイストは、連邦政府の資金で日本のスーパーコンピュータを実質上買えないような法律を作ることに成功した。このようなことから分かるように、連邦政府が支える市場は外国との競争に対して閉じられている。もし、このような市場が真にオープンになれば、富士通や日本電気は上記の4年半の間に少なくとも1台は売れたであろう。これとは全く対照的に、日本政府は1993年以来、少なくとも20台のアメリカ製スーパーコンピュータを購入している。
日本のメーカは、アメリカの小規模な私的企業のマーケットでは競争力を持っているが、それにも係わらず、日本のメーカはそのマーケットで脅威にはなっていない。Crayはアメリカ市場で非常に厳しい競争にさらされていることは確かである。それは、日本製のスーパーコンピュータに対してではなく、IBMやHP/Convexのようなベクトルでないメーカに対してである。ベクトルでないコンピュータはアメリカで大きなビジネスとなっており、これはCrayに対しても富士通や日本電気に対しても脅威である。」(HPCwire 1997/9/5)日本電気を代表して誰が何を証言したかは不明である。
他方、NCARの科学計算部門長であるBill Buzbeeも8月27日の公聴会で、詳細な陳述を行い、HPCwire 1997/8/29に全文が掲載されている。要するに「Cray ResearchのThe final Best and Final Offer (BAFO)は、1996年2月28日に提出されたが、技術的な問題が山積みでUCARにとって受け入れがたい危険がある。他方、the Federal Computer Corporation (FCC)から提供されたBAFOのSX-4/32は、故障も起さず高い性能を示した。UCARの選択は明らかである。」ということであった。Cray Research社は、9月12日付で長文の反論をHPCwire上で行った。要するに、SX-4はダンピングされているから、そもそも比較にならない、というようなことのようである。
6) 導入中止
これを受けてNSFは8月29日、NCARにおけるSX-4の導入中止を決定した。「商務省がダンピングを最終決定した以上、公正で開かれた調達を原則とする財団としては、センターの調達を認めることはできない」として、米国際貿易委員会(ITC)によるダンピングの最終決定を待たずに、日本電気製スパコンの導入中止を決めたと発表した。(朝日新聞1997年8月30日)
7) ITC(米国際貿易委員会)の裁定と上訴
ITCは産業被害の有無を調査し、「日本のスーパーコンピュータはアメリカのスーパーコンピュータメーカーに脅威を与えている」と9月26日に判定した。日本電気とその子会社HNSX Supercomputers社は、この決定を不服として米連邦国際通商裁判所(The U.S. Court of International Trade)に訴えたと発表した。国際通商裁判所は、国際貿易および関税問題に関する事件を取り扱う、特別の一審裁判所である。NHSX副社長のSamuel W. Adamsは、「アメリカ市場はアメリカのベンダが独占していて、日本のスーパーコンピュータは市場から排除され、ほとんどシェアがないことを考えると、脅威を与えているというITCの決定は全く根拠がない」と述べた。(HPCwire 1997/11/7) 1998年12月、この上訴は受け入れられ、ITCの判定を差し戻すが、ITCは再びダンピングの判定を行う。
8) 日米交渉
日本とアメリカ合衆国は10月から、日本のスーパーコンピュータに対するダンピング関税について交渉を開始する予定であった(実際は11月7日開始)。堀内光雄通産大臣は、商務省が公式の調査が始まる前に日本電気がダンピングしていると指摘するなどアメリカ側の調査が透明性を欠いていると主張した。東京にあるアメリカ政府関係者は、調査は十分透明であると反論した。
9月下旬の日経新聞には、「NEC, クレイとの和解交渉が決裂」と出ていたが、両社はなにか交渉を行っていたのであろう。
9) Bill Buzbeeの感想
NCARで1987年からスーパーコンピュータ調達チームを率いてきたBill Buzbeeは、SC 97 の最中に開かれた、IJSA(The International Journal of Supercomputer Applications)誌の編集委員会でずいぶん悲観的なことを言っていた。彼は、アメリカ、ヨーロッパ、日本などの天気予報用のコンピュータの性能を比較し、アメリカが如何に劣っているかを指摘した後、アメリカのHPC全体について、こう述べた。
“Leadership in the development and application of high performance computing has moved offshore and will remain there for at least five years.”「HPC開発やHPC応用における主導権は(アメリカの)手の届かないところに行ってしまい、少なくとも5年は戻らないであろう」
「5年経ったら良くなるのか」という質問 (ほとんど茶々) もあったが、「だから at least と言っているだろ。」と答えていた。このあと、彼が引退するとの噂が聞こえてきた。
Bill Buzbeeは、2022年4月22日、85歳で死去した(写真はこの訃報から)。
中国政府の動き
1) 銀河3号
1997年6月、中国の国防科学技術大学は銀河3号(Yin-he 3)を開発した(HPCwire 1997/6/27)。アーキテクチャは不明。ピーク性能は13 GFlops。同大学はすでに天気予報、地震研究などの科学技術アプリを開発している。
2) 米中問題
1997年6月にアメリカ国務長官Madeleine Albrightは議会に対し、中国の民間会社に売られたはずのアメリカ製のスーパーコンピュータが、核兵器開発などの軍事目的に使われているのではないか、という疑惑を表明していた。その頃までに46台のアメリカ製スーパーコンピュータが中国に売られていると推定されている。(HPCwire 1997/6/27)
これに対し中国は9月、スーパーコンピュータの一つをアメリカに返還することに同意した。商務省は、1996年2月に北京の中国科学院に出荷されたSun Microsystemsの2.7 GIPSのコンピュータが、中国軍が運営する長沙の国防科学技術大学に転売されていたことを発見した。この程度の性能のコンピュータは、中国の民間会社に売る場合には許可は要らないが、軍事的なユーザに売る場合にはアメリカ政府の許可が必要である。中国政府はアメリカのスーパーコンピュータは天気予報のような非軍事的な目的に厳しく限定している、とこのような疑惑を否定していた。1995年に当時のクリントン政権はロシアや中国へのコンピュータの輸出規制を緩めていた。(HPCwire 1997/9/19)
2015年4月に明らかになった、国防科学技術大学や関連のセンターへの高性能半導体の輸出禁止(Xeon PhiやNVIDIAなど)を連想させる。この場合は、前年2014年8月に、中国国内の公開の場で、「天河2号を原爆のシミュレーションに使い、経済的にも、時間的にも非常に有効だった」などと発表していた。
1997年2月ごろ、SGI社がロシアの核兵器研究所に4台のスーパーコンピュータを許可なく販売したことが問題となり、米国商務省が調査に入った。同じころ、The Wall Street Journalは、SGI社が中国の兵器研究所にコンピュータを販売したと報じた。
インド政府の動き
1) C-DAC
Indian Institute of Scienceは1990年にCray社のスーパーコンピュータを発注したが、アメリカ政府はこれを許可せず、1993年に断念した。C-DAC(the Center for Advanced Computing、政府の研究機関、Pune)のVijay Bhatkar所長は、Reuterの記者に、Sun UltraSPARC WSをノードとして、100 GFlopsのスーパーコンピュータを1998年3月までに構築すると明らかにした。将来はTFlopsスケールに達する計画である。
これまでC-DACはParam 8000(1991年)を始め、30台以上のParam 9000シリーズ(1994年)を製造し、世界中で使われている。
世界の学界の動き
1) PLAPACK
このころ、Robert van de Geijn (U. of Texas at Austin)らは、並列化された線形計算ライブラリPLAPACK (Parallel Linear Algebra Package)を開発し、その設計思想をSC97で発表した。1997年、MIT Pressから、” Using PLAPACK — Parallel Linear Algebra Package”を出版した。ICPP98 (February, 1998)では”PLAPACK: High Performance through High Level Abstraction”という発表を行っている。
2) FFTW
FFTW (The Fastest Fourier Transform in the West)が3月24日Matteo FrigoとSteven G. Johnson (MIT)によって公開された。自動チューニングによるライブラリの一つである。
3) Gustavson法
IBM社のThomas J. Watson Research CenterのF. G. Gustavsonは、IBM Journal of Research and Development、Vol. 41 (1997), Issue 6, p.737-755に“Recursion leads to automatic variable blocking for dense linear-algebra algorithms”という論文を発表した。通常Gustavson法と呼ばれているが、Linpackのような密行列の計算において、再帰的に変数のブロッキングを行うことにより、性能が向上することを示した。
4) ScaLAPACK
Jack Dongarraらの開発しているMIMD用の線形計算ライブラリScaLAPACKは、1.5版を1997年5月1日に、1.6版を11月15日に公開した。
5) Tomasulo(Out-of-Order実行)
1960年代に、Robert Tomasuloは IBMでOut-of-Order実行の基本原理を確立し、IBM System360/91に実装した。冒頭に述べたように、Tomasuloはこの功績を受けて1997年IEEE/CS Eckert-Mauchly Awardを受賞した。この賞は、ENIACを設計製作したJohn Presper Eckertと John William Mauchlyの名にちなんで、ACMとIEEE/CSが共同して「コンピュータとディジタルシステム分野への卓越した貢献」に対して贈るものである。
6) SB-PRAM Project(ドイツ)
どのような背景があるのか不明であるが、ドイツの巨大な共有メモリ並列コンピュータ計画が話題になっていた。HPCwire 1997/4/25によると、ドイツのSaarlandes大学コンピュータ科学科のコンピュータ・アーキテクチャおよび並列処理研究所では、アクセス時間が全く同一な共有メモリ(CRCW-PRAM-Model)に基づくMIMD並列コンピュータを開発するとのことである。クロックが8 MHzということなので、それならまあできるのかもしれない。プロセッサとメモリ・モジュールはbutterfly networkで結合されている。最終目標は、64個の物理的プロセッサ(2048個のバーチャルプロセッサ)で2 GBの大域的メモリを持つ。完成したらインターネットを通して自由にアクセスできるようにするとのことであった。1997年には、4プロセッサのプロトタイプができたとの報告がある。
次回は前半の国際会議。昨年にCP-PACSは世界一の座を占めたが、世界的には日本はまだ神秘の国であった。われわれは、日本のHPCについて情報発信を続けた。ヨーロッパ中心のHPCNに暗雲が漂い始めた。
![]() |
![]() |
![]() |