提 供
HPCの歩み50年(第46回)-1994年(a)-
並列ベンチャーの雄とも言うべきTMCとKSRの2社が相次いでChapter 11(連邦破産法第11章、日本の民事再生法に相当)を申請したことは驚きをもって受け止められた。他方、IBMはSP2を、ConvexはExemplar SPPを発表した。ベクトルでは、日本電気が第3世代のCMOS機SX-4を発表し、Cray ComputerはCray-4を華々しく発表した。日本のNWTはGordon-Bell賞のPerformance部門のHonorable Mentionを受賞した。なおこの年にアメリカでは第1回Petaflops Computing会議が開かれ、NWTより1万倍高性能なコンピュータの可能性を議論し始めた。日本では当時sub-TFlopsのプロジェクトが四苦八苦していたことを考えると、アメリカの先見の明には脱帽せざるをえない。
社会の動きとしては、1/17ロサンゼルス大地震、2/3細川首相が「国民福祉税」7%を新設する案を発表したが、翌日撤回、4/6ルワンダ虐殺始まる、4/22トップ・クォーク存在確認、4/26中華航空機、名古屋空港で着陸失敗、4/29羽田孜内閣成立、5/6ユーロトンネル開通、6/25(社会党連立離脱で)羽田内閣総辞職、6/27松本サリン事件、6/30村山富市内閣成立、7/8向井千秋、宇宙へ、7/16-22シューメーカー・レヴィ第9彗星が木星に衝突、7/30官官接待が報道される、9/2関西国際空港開港、12/10新進党結成、海部党首に、12/28三陸はるか沖地震。この年、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した。
東大理学部とNUS (National University of Singapore)との提携から、NUSのComputational Science学部のExternal Examinerを依頼され、3月31日から4月6日にシンガポールに出かけた。私は単なる外部評価委員のようなものかと思っていたが、もっと責任ある立場で、学生の学期末試験の採点を見せられ、チェックさせられた。NUSは世界に先駆けて「計算科学学部」(定員600人?)を作ったが、何を教えるかは大きな問題である。教員の会議にも参加したが、物理出身の教員は「学生は物理の基本が分かっていない」といい、化学出身の教員は「化学の基本訓練が出来ていない」といい、数学出身の教員は、「数学を使いこなせない」といい、コンピュータ科学出身の教員は「コンピュータの基本が分かっていない」などと、それぞれ自分の分野の教育不足を嘆いていた。学校の時間は限られているので、これはなかなか難しい。ただ就職はよいとのことであった。後藤プロジェクトにいたWongさんが,jserverとktermを動かしてくださったので日本語のemailを送受信することができた。
9月には小沼通二教授(慶應大)からの依頼で、UNESCO PAC (Physics Action Council)のWG2 (Working Group 2)に日本代表として加わることになり、物理研究および教育におけるネットワークの活用について働くことになった。
4月20日に、統計数理研究所の創立50周年記念事業の研究集会に招かれ、「超並列計算機と統計計算」という講演を行ったが、「データ数をnとしたとき、多少多くてもO(n)の計算ならパソコンで出来る。O(n2)以上でないとスパコンの出番はない。」などという話をした。今ならビッグ・データを語るところであろう。
私生活では、6月22日に牛久市刈谷の自分の土地に新築したマイホームに引っ越した。
日本の学界の動き
1) Gordon Bell賞
H. Miyoshi(元NAL)らは、” 120 Gflops on a 140 processor Numerical Wind Tunnel”で、Gordon Bell賞のPerformance部門でのHonorable Mention(佳作)を受賞した。Gordon Bell賞で日本の組織が出た最初であった(1992年のPrice-Performance賞にHisao Nakanishi, Purdue Universityという名前はある)。
2) 情報処理学会
3月10~11日に、札幌駅近くの札幌ソフトウェア専門学校を会場として、Hokke(HPCとアーキテクチャの評価に関する北海道ワークショップ)第1回 (Hokke 94)を開催した。これは情報処理学会HPC研究会と計算機アーキテクチャ研究会との合同研究会で、とくに性能評価に重点をおいて研究発表および討論をしようとするものである。この時期は市内でも雪が多く、歩くのには苦労した。筆者は、雪でも滑らない靴をHokke用に買ったほどである。このワークショップは現在まで継続している(開催時期は12月に変更)。
HPC研究会は名称変更して2年目を迎えた。Hokkeおよび下記のSWoPPを含め5回開催された。年間発表件数は60件弱であった。
3) JSPP 94とPSC 94
第6回のJSPP 94(1994年 並列処理シンポジウム)は、工業技術院・筑波研究センター共用講堂において、5月18日~20日に開かれた。筆者は実行委員長を務めた。副委員長は雨宮真人(九大、プログラム委員長)、山口喜教(電総研)、石井光男(富士通)、幹事は、岸本光弘(富士通)、中村宏(筑波大)、松岡聡(東大)。主催は情報処理学会の6研究会と、電子情報通信学会・コンピュータシステム研究会と、人工知能学会並列人工知能研究会、協賛は日本ソフトウェア学会である。
JSPPの併設イベントとして、PSC並列ソフトウェア・コンテストの第1回が開催された。これは前年のSC93やその前のSC92においてK-12として高校生まで参加していることに危機感を抱いた村岡洋一(早稲田)のイニシアチブに依るものである。第1回の実行委員会を1月22日に早稲田大学で開催し、概要を定めた。高校から大学院までの在学者を対象に、与えられたベンチマークを一番高速に実行したものを優勝とすることとした。テストベッドとしては、SP1なども候補に上ったが、その時点で可能なのは富士通の並列処理研究センターのAP1000 (64 PU)だけであった。表彰式を懇親会の冒頭に行い、3位までには、富士通から副賞(1等SUN4、2等FMV、3等 FM TOWNS)を出していただくことにした。日本クレイ社(西克也)からは参加賞用としてTシャツを頂いた。
問題はどんな問題を出すかということである。学部生(出来たら高校生にも)理解可能な問題で、並列化が可能で、正解が分かり、マシン上で問題生成が可能なことなどの要件があり、思ったより難しかった。筆者としては残念であったが、浮動小数演算ではなく、整数のソーティングを選んだ。初期値はPUに分散して与え(個数は不均一)、ソートされた結果はPUに(同数ずつ)分散して残すとした。もちろん全部のデータを一つのPUに集めてquick sortをやったら速いというのでは困るので、工夫が必要であった。そして、順位決定用の真の問題は伏せておいて、模擬問題でプログラムを作成させ、最終的に実行委員会側で真の問題(分布の違う5件、データ数4800万個)で時間を測定するとした。結果は下の表の通り。
速かったのは、一種のバケットソートであり、教科書にあるbitonic sortなどでは優勝しなかったようである。データ構造とアルゴリズムを教えている教員はため息をついた。
エントリ | 79 |
プログラム提出 | 26 |
1位 | 下國治(東大工、松岡研) |
2位 | 古川浩史(東大理、平木研) |
3位 | Michael Kirk (ANU Honour Class) |
4) SWoPP 94
第7回のSWoPPは、「1994年並列/分散/協調処理に関する『琉球』サマー・ワークショップ (SWoPP 琉球’94)」の名の下に、1994年7月21日(木)-23日(土) に、ホテル西武オリオン(沖縄県那覇市)で開催された。発表件数152(34大学、11企業、2国立機関)、参加者数300(46大学205名、25企業80名、2国立機関15名)であった。共催研究会は、電子情報通信学会からは、人工知能と知識処理研究会, コンピュータシステム研究会, フォールトトレラントシステム研究会, WSI技術とその応用システム研究会、情報処理学会からは、人工知能研究会, 計算機アーキテクチャ研究会, プログラミング-言語・基礎・実践-研究会, ハイパフォーマンスコンピューティング研究会, システムソフトウェアとオペレーティング・システム研究会で開催された。当時RWCPの金田泰の報告が残っている。筆者は家内とともに参加し、終了後、島内を観光した。
余談であるが、懇親会の日の午後のコーヒーブレークには、山のような「サーターアンダーギー(砂糖+油+揚げ、沖縄名物の揚げ菓子)」が出された。皆で「陰謀だ」とささやきあった。「13分料理消失事件」の記憶がまだ残っていた。懇親会での爆食いを防ぐためだったのであろう。
5) 数値解析シンポジウム
第23回数値解析シンポジウムは、6月8日(水)~10日(金)に、宮城県秋保温泉ホテルクレセントで開催された。参加者106名、講演42件。
6) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所の研究集会「数値計算アルゴリズムの現状と展望II」は、山本哲朗(愛媛大学)を代表として、1994年10月25日~27日に開催された。26回目である。報告書は講究録No. 915に収録されている。
7) INSAM シンポジウム
広島大学理学部大規模非線形数値実験室 (INSAM, Institute for Nonlinear Sciences and Applied Mathematics) は、Paragon XP/S4 (56)を、1993年に導入した。これを記念するシンポジウムが、6月24日に大学近くの広島テクノプラザで開催された。筆者は、「並列計算の展望」と題して講演した。
8) PCG’94
1985年から慶応大学で開かれてきたPCGシンポジウムは、10回目の1994年、国際シンポジウム PCG’94 “Matrix Analysis and Parallel Computing”として3月14~16日、慶應義塾大学理工学部で開催した。Tony F. Chan (UCLA), Ian Duff (RAL), Gene H. Golub (Stanford), PerChristian Hansen (UNIC), Youcef Saad (Minnesota) , Anne Greenbaum, Howard C. Elman (Maryland), Tom Manteuffel (LANL), Beresford N. Parlett (UCB)など海外から10名ほどの招待講演があった。建部修見は筆者と連名で分散メモリ並列コンピュータ上のMulti-Grid preconditioned CG Methodの実装について講演した。
9) WCCM III
第3回計算力学世界会議(WCCM III)が、千葉市の幕張メッセで8月1~5日に開催された。この世界会議はIACMが4年ごとに開催し、米国で第1回、ドイツで第2回が開かれたのに続く会議であった。どういう経緯であったかは忘れたが、筆者は8月1日の夜に、パネルの司会を頼まれ、4人でパネル討論会をやった。筆者は司会者として”Future Vision to Large Scale Parallel Computing”というパネル発題を行い、反復解法においては、収束性と並列性の両立が難しいことを指摘した。が、夕食後ということもあり、参加者も少なく、あまり盛り上がらなかった。
10) Japan-US Workshop for Performance Evaluation
1991年8月の第1回に続き、第2回 US/J Performance Evaluation Workshop (Kona, Hawaii, 9/19-22)が開かれた。ハワイ島KonaのHilton Waikoloa Resortは広大なリゾートホテルで、ホテル内を電車やボートで連絡していた(歩いても大した距離ではないが)。到着日の夕食に日本側参加者数名でイタリアンレストランに行ったら、「ドレスコードに合わない」と断られた。「ハワイでドレスコード? 何を着ていけばいいの?」と聞いたら、「襟の付いた服を着てこい」とのことであった。確かに、われわれのTシャツは襟のないやつであった。頭に来たので、ルームサービスを取って、部屋で気炎を上げた。
アメリカ側の委員長は前回と同様にGary M. Johnson (George Mason University)、日本側は島田俊夫に代わって筆者が務めた。参加者は、以下の通り。
アメリカ側:Gary M. Johnson, David Schneider (Cornell University), Dian Rover (Michigan State University), James Hack (NCAR), Gary Montry, Kevin McCurley (SNL)
日本側は:小柳義夫(東大)、関口智嗣(電総研)、佐藤三久(電総研)、長嶋雲兵(お茶の水大)、福田晃(奈良先端大)、村上和彰(九州大)
プログラムは以下の通り。
9月19日(月)
19:30 | Welcome and Overview | Johnson |
9月20日(火)
7:30 | Breakfast | |
8:00 | Introductions | Johnson/Oyanagi |
8:30 | Recent Trends in U.S. Performance Evaluation Activities | Johnson |
9:00 | Recent Trends in Japanese Performance Evaluation Activities | Sekiguchi |
9:30 | Application Requirements for Parallel I/O | Schneider |
10:00 | Break | |
10:30 | Performance and Algorithm | Oyanagi |
11:00 | Analysis of Parallel Algorithm-Machine Combinations | Rover |
11:30 | Scalablity Metrics for benchmarking parallel computer systems | Sato |
12:00 | Lunch | |
13:30 | Computational Challenges for Simulating the Earth’s Climate System | Hack |
14:00 | Performance evaluation of workstation and supercomputer using a program for eigenvalue problem | Nagashima |
14:30 | Benchmark Design and Analysis | Montry |
15:00 | Break | |
15:30 | Performance Prediction of Scalable Shared Memory Parallel Computers by using Analytic Modeling | Fukuda |
16:00 | Application Requirements, Architectural Trends, and Programming Models for High Performance Computing | McCurley |
16:30 | How Do We Measure the Performance Inherent in Architectures? | Murakami |
17:00 | Adjourn for day |
9月21日(水)
8:00 | Breakfast | |
8:30 | Discussion of Performance Evaluation Conference – purpose and goals | |
10:00 | Break | |
10:30 | Performance Evaluation Conference planning – standing committee – program committee – solicitation of contributions – logistics – publication of proceedings – publicity/advertising – cycle of closed and open meetings – next planning meeting for open conference |
|
12:00 | Break | |
午後 | Informal Discussions(要するに遠足) |
9月22日(木)
8:00 | Breakfast | |
8:30 | Summary Discussion | Johnson/Sekiguchi |
10:00 | Break | |
10:30 | Individual Writing | All Participants |
12:00 | Working Lunch – Assembly of Summary Notes Draft | All Participants |
13:30 | Conclusion | Johnson/Oyanagi |
WSも2回目となると、お互いに相手の立場を理解し、話が通じるようになってきた。
次回は、日本でオープンなワークショップをやろうということになり、計画を立てた。1995年に別府のSWoPPに併せてPERMEAN’95として開かれた。
遠足としてキラウェア火山に行きたかったが、かなり遠いということだったのであきらめ、Konaで水中展望船に乗った。
11) Ninf
電子技術総合研究所ではこの頃、関口智嗣を中心としてNinf (A network based information library for global world-wide computing infrastructure)の開発が始まった。従来のライブラリがソフトウェアを自分の使うコンピュータに実装して問題を解くのに対し、RPC(遠隔手続き呼び出し)によって直接に解が得られるような環境を作ろうとするものである。関口によると、1993年から始まった原子力試験研究のクロスオーバー研究において、応用分野のユーザが自分でライブラリを使いこなすことが困難であることから、このようなインフラの必要性を感じて始まったとのことである。POOMA 1996 やHPC研究会(96-HPC-60)で発表しているので、公開版ができたのは1996年頃と思われる。サービス指向という点でグリッド技術の走りであるが、欧米でのグリッド開発とほぼ時を同じくしており、先駆的であった。
その後2000年頃、Ninfに対してセキュリティや情報サービスなど様々な要素技術においてグリッドの標準技術を導入したシステムNinf-Gが開発された。2004年3月には、Globus Toolkit Version 2のCおよびJava APIを用いて実装したNinf-G2が公開された。
同種のシステムとして、テネシー大学/ORNLのJack DongarraとHenri Casanovaらが開発したNetSolveがある。いつから開発が始まったかはわからないが、v1.1を1996年1月に公開している。
12) 電子技術総合研究所
EM-4に続き、細粒度通信機構をもつ並列コンピュータEM-Xを1994年夏に稼動させた。同じ頃、実時間並列計算機CODA(64プロセッサ)も開発されていたが、詳細はよく知らない。
13) 日本IBMのHPCユーザーズ・フォーラム
日本IBM社のHPCユーザーズ・フォーラムの「パラレル研究分科会」は第2回の定例会を箱崎で2月24日に開催した。SP1利用のワークショップは3月から7月まで行われた。自社開発のソフトウェアを、二三日の作業で数倍以上の速度向上を実現したチームもあったが、逐次計算と結果が合わずデバッグに苦労したチームもあった。第3回定例会はHPFをテーマに3月30日に大和の東京基礎研究所で開催した。基礎研究所から開発中のHPFのデモもあった。
5月13日には箱崎で拡大定例会を開き、IBMのV. NaikがSP2およびNASベンチマークについて発表し、ワークショップの5チームからはSP1の利用報告がなされた。6月23日には東京理科大学(神楽坂)で定例会を開催し、日本Marc社の構造解析、ESIアジアの衝突解析、河村氏(理科大)の流体解析の並列化の報告がなされた。ワークショップでは、並列向きのアプリは一段落し、アルゴリズムの工夫が必要なアプリが課題となってきた。
9月27日にIBMの箱崎AVホールでIBM HPC Forumが開催された。D. Bailey 氏(当時NASA)を講演に招待した。厳格な方で、自分は公務員なので旅費、謝金は受け取れないが、その代わりNWTを見せてくれというので、航空宇宙技術研究所にお願いして、前日見学を行った。また、Sup’Eur 94(後述)のコンテスト受賞者からも呼ぼうということになり、Parallel Tools部門においてオープンなHPFコンパイラ“Adaptor”で優勝したDr. Thomas Brandes (GMD)を招待して、”Experience with HPF for Real Application on IBM SP System”と題して話していただいた。かれはNWTの見学にも同行した。筆者は、「パラレルコンピューティングの基礎と今後の動向」と題して基調講演を行った。
14) JSPS NUS共同セミナー
東大理学部と国立シンガポール大学(NUS)とのJSPS二国間交流事業で、12月5日~8日にNUSで開かれた。筆者は”Multigrid Preconditioning for CG-like Algorithms”という講演を行った。その後しばらくシンガポールに滞在して14日に帰国したが、3日間休んだだけで18日からLBNLにPDGの用事で出かけた。LBNLに滞在中、昼食の食べ物をテーブルから取ろうとしてぎっくり腰になり、往生した。無理をするものではありませんね。Back painという英語を覚えた。薬屋には棚一杯に鎮痛剤が売られていて、アメリカが鎮痛剤帝国であることを実感した。
15) SCJ 94 中止
2月、93年から延期されていたSupercomputing Japan 94の中止が発表された。前にも述べたが、主催のMeridian Pacificは倒産してしまった。
16) ISR Workshop ‘94
1994年9月14日、日本の会社ISR (社長Raul Mendez)は、青山テピアにおいて科学教育教会と共同でワークショップ「情報ハイウェイへの道」(または「HPCとネットワーク II」)を開催した。講演および展示で構成されていた。テーマはHPCというより通信やネットワークであった。
17) CP-PACSプロジェクト
筑波大学のCP-PACSプロジェクトは、紆余曲折はあったが、順調に進んでいた。1994年8月22~26日にシンガポールで開かれたTENCON’94 (IEEE Region 10’s Ninth Annual International Conference)において、中村宏らは講演 “Pseudo Vector Processor for High-Speed List Vector Computation with Hiding Memory Access Latency”においてPVP-SWPCおよびPVP-SWSWの基本原理を発表し、浮動小数演算におけるメモリ・レイテンシを隠すことにより疑似ベクトル処理が可能であることを発表した。日立はPVP-SWを組み込んだPA-RISCプロセッサをHARP-1Eというコードネームで開発した。
省際ネットワークへ
TISNは加入組織が増え、1994年にはKDD大手町ビルにWIDEとTISNが拠点を置き、相互接続の高速化を図った。
1994年6月の科学技術会議政策委員会の報告書「研究情報ネットワークに関する当面の進め方について」において、日本の研究情報ネットワークがバラバラに構築され、効率的な資源の活用が図られていないと指摘している。日本全体として、総合的に最適なネットワーク環境を整備することの必要性が述べられている。このため国際電信電話株式会社(KDD)を中心に、3年計画で1997年3月まで分散経路サーバおよびネットワーク相互接続の研究および実証実験を行うことになった。TISN会員のうち、文部省以外の組織は、1995~1996年にIMnet(省際ネット)への移行を完了した。1996年7月24日に、TISN解散記念パーティーを挙行した。
世界の動きなどは次回に。SC94は、TMCやKSRの不振にもかかわらず活気にあふれていた。
(タイトル画像:NEX SX-4 出典:一般社団法人情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館」)