世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々



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1月 23, 2017

HPCの歩み50年(第106回)-2004年(c)-

小柳 義夫 (神戸大学 特命教授)

通常の学界活動も盛んであったが、個人的にはとんでもない事件に翻弄された。財団法人学会事務センターが経営破綻し、事務を委託していた300もの学会が大きな被害を受けた。東大のプロジェクトの特任助手であったWinnyの開発者が逮捕され、有罪の一審判決を受けたが、7年後無罪が確定した。

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日本の学界の動き

1) HPCS 2004
HPCS 2004(第3回ハイパフォーマンスコンピューティングと計算科学シンポジウム)は、2004年1月15日~16日に日本科学未来館みらいCANホールで開催された。主催は情報処理学会HPC研究会、協賛はARC研究会、日本シミュレーション学会、日本応用数理学会、日本流体力学会、日本物理学会、日本計算工学会である。実行委員長は関口智嗣(産総研)、副委員長は本田弘樹(電通大)、委員は小柳義夫(東大、アドバイザリ委員会委員長)、佐藤三久(筑波大、アドバイザリ委員会副委員長)、朴泰祐(筑波大、プログラム委員会委員長)、田中 良夫(産総研、プログラム委員会副委員長)、合田(日向寺)祥子(東海大、プログラム委員会副委員長)、高橋 大介(筑波大、財務担当)、片桐 孝洋(電通大、会場担当)であった。基調講演は“Ultrascale Simulations at the Nano-Bio Interface”(Aiichiro Nakano, U. of Southern California)であった。

このシンポジウムでは、以下のようなJSTプロジェクトのポスター展示を行った。

■戦略的基礎研究推進事業(CREST)
中島 浩(豊橋技科大)「超低電力化技術によるディペンダブルメガスケールコンピューティング」
西田 晃(東京大)「大規模シミュレーション向け基盤ソフトウェアの開発」
■計算科学技術活用型特定研究開発推進事業(ACT-JST)
中馬 寛 (徳島大)「GRIDテクノロジーを用いた創薬プラットフォームの構築 」
松岡 聡(東工大)「コモディティグリッド技術によるテラスケール大規模数理最適化 」
関口 智嗣(産総研)「仮想スーパーコンピュータセンタ利用環境GridLibの構築 」
■若手個人研究推進事業(PRESTO)
合田 憲人 (東工大)「マルチPCクラスタ上での数値最適化問題求解アプリケーションの開発」

 

2) Hokke 2004
Hokke 2004(第11回「ハイパフォーマンスコンピューティングとアーキテクチャの評価」 に関する北海道ワークショップ)は、第149回 計算機アーキテクチャ研究会と 第97回 ハイパフォーマンスコンピューティング研究会との合同研究発表会として、3月1日~3日に北海道大学学術交流会館小講堂を会場として開催された。Hokke 2004ではでは、ネットワークとプロセッサ、グリッド基盤システム、MPI性能評価、クラスタシステム、専用システム、スケジューリング、高速化手法、ストレージシステムと入出力、数値応用、グリッド応用、数値に関する35件の発表が行われた。3月1日には懇親会が開かれた。筆者は後述のSun Microsystems社のSun ERC (Madrid)に参加していたので欠席した。

3) 情報処理学会全国大会
2004年3月11日には、情報処理学会第66回全国大会の最終日にあたり、特別トラック「グリッドコンピューティングと並列化技術」が企画された。下條真司(大阪大)は「情報学の未来へ、グリッドの場合」と題して、サイエンス分野でのグリッドについて論じた。関口智嗣(産総研)は、後述のベルリンにおけるGGF10から帰国したばかりであったが、「グリッドコンピューティング研究開発とビジネス」と題し、ビジネス分野におけるグリッドの動向や標準化に関するGGFでの最新の議論を紹介した。

なお、情報処理学会事務局は3月1日御茶ノ水の化学会館に移転した。

4) Grid World 2004
2004年4月27日~28日に、東京ファッションタウンIFTホールでGrid World 2004が開催された。これはグリッド協議会主催の「2004年度グリッド協議会記念シンポジウム」と株式会社IDGジャパン主催の「Grid World Expo 2004」からなるイベントである。前者では講演およびパネルディスカッションが、後者ではビジネスセミナーと20団体の展示会が行われた。世界初のグリッドだけのイベントであった。3000人登録、2000人来場。

5) 数値解析シンポジウム
第33回数値解析シンポジウムは、5月19日~21日にウェルハートピア熱海で開催された。担当は、東京理科大学矢部研究室。

6) SACSIS 2004
第2回目となる「SACSIS 2004 – 先進的計算基盤システムシンポジウム 」は、2004年5月26日(水) – 5月28日(金) に、札幌コンベンションセンターを会場として開催された。主催は、情報処理学会の計算機アーキテクチャ研究会、システムソフトウェアとオペレーティングシステム研究会、ハイパフォーマンスコンピューティング研究会、プログラミング研究会、アルゴリズム研究会、電子情報通信学会のコンピュータシステム研究専門委員会、およびIEEE Computer Society Japan Chapterであった。

基調講演は、南谷崇(東大)による「ディペンダブル・コンピューティングへの期待と課題 -安心・安全な社会の実現に向けて-」、招待講演は、George Chiu (IBM BlueGene/L)の“BlueGene/L Supercomputer”であった。チュートリアルとして、丸山 不二夫(稚内北星大)の「J2EE最新情報 」と天野 英晴(慶大)の「リコンフィギュラブル・システム最新情報」があった。

7) SWoPP 2004
2004年並列/分散/協調処理に関する『青森』サマー・ワークショップ(SWoPP青森2004)は、2004年7月30日~8月1日に青森文化会館で開催された。主催は、電子情報通信学会のコンピュータシステム研究会,ディペンダブルコンピューティング研究会、情報処理学会の計算機アーキテクチャ研究会、システムソフトウェアとオペレーティングシステム研究会、ハイパフォーマンスコンピューティング研究会、プログラミング研究会、システム評価研究会である。

新しい試みとして、「若手のための、行列のできぬ研究相談所」なる一種のパネル討論会が開催された。

8) 数理解析研究所
京都大学では1969年から毎年数値解析関係の研究集会を行っている。2004年は36回目で、11月29日~12月1日に「21世紀における数値解析の新展開」という課題で開催された。代表者は三井斌友(名古屋大)事務局は杉原正顕(名古屋大)。講演内容は講究録 No. 1441に収録されている。

9) 情報処理学会HPC研究会
ハイパフォーマンスコンピューティング研究発表会は12月17日、記念すべき第100回(数値解析研究会からの通算)を迎え、ホテル東京KKR竹橋で開催した。通常の講演のほか、歴代主査による特別講演「HPC研究会の歴史を振り返って」(一松 信,浜田穂積,福井義成,佐藤三久)やパネルディスカッション「HPC 次の一手」(司会:関口智嗣(産総研))が企画された。筆者は後者にパネリストとして参加した。

10) 筑波大学
2004年4月筑波大学は、1992年に設置された計算物理学研究センターを拡充改組し、計算科学研究センターを設置した。6月10日~11日には筑波大学計算科学研究センター創立シンポジウム(第1回「計算科学による新たな知の発見・統合・創出」シンポジウム)が開催された。なお4月に岩崎洋一が学長に就任した。

11) 名古屋大学
文部科学省は「21世紀COEプログラム」を2002年度から募集しているが、2004年度採択の28件のなかに、名古屋大学「計算科学フロンティア」(リーダー金田行雄)があった。期間は2008年度までの5年間。筆者は、このCOEプログラムの評価&アドバイザリ委員を委嘱された。

12) MDGRAPE-3
理化学研究所は2004年3月にRSCC 「理研スーパー・コンバインド・クラスタ」を設置し、Linuxクラスタを中心に、ベクトル計算機と専用計算機(MDGRAPE-2)を組み合わせた複合型のシステムを4月から提供し始めた。さらに、8月、理研の高速分子シミュレーション研究チーム(リーダー:泰地真弘人)はStanford大学で開催されたHot Chips会議において、MDGRAPE-3チップのサンプルを製作したと発表した。250 MHzでは160 GFlops、350 MHzでは230 GFlopsの性能を有する。MDGRAPE-3は2006年に完成する予定で、タンパク3000プロジェクトで活用される。

13) GRAPE-DR
東京大学、情報通信研究機構、NTTコミュニケーションズ、国立天文台、理化学研究所による研究グループ(研究代表平木敬)は、2004年5月、2004年度科学技術振興調整費に採択され、「GRAPE-DRプロジェクト」に着手したと発表した。5年間の予定で

(a) 2008年に2 PFlopsの計算速度を実現することと、
(b) 40 Gbps ネットワークを高度利用した科学技術研究データ処理システムを構築すること

を目標としている。GRAPE-6は、天体の問題を解くための専門コンピュータだったが、GRAPE-DRは天体シミュレーション、分子動力学計算、ゲノムの解読など、幅広い分野で利用できるようにするとのことであった。

従来のGRAPEシリーズとは異なり、重力相互作用計算に特化したパイプラインをLSIチップに集積するのではなく、多数の演算器を集積する設計であり、より汎用性がある、と述べている。

14) 福岡システムLSI総合開発センター
百道(ももち)における福岡システムLSI総合開発センターの開設(11月4日)を記念して「科学技術立国の明日をになうハイエンドコンピューティングの将来展望」というシンポジウムが11月17日~18日に開かれ、筆者は基調講演として「High Performance Computing の歩み」という講演を行った。

15) 日本IBM科学賞
日本IBM科学賞は1987年に日本IBM創立50周年を記念して創設された賞で、「物理」「化学」「コンピュータサイエンス」「エレクトロニクス」の4分野から計数名の若手(45歳以下)を表彰する。賞金は1件300万円である。2004年から筆者は審査委員会委員に任命された。委員長は江崎玲於奈氏、委員には白川英樹氏もおり、ノーベル賞でも持っていないと肩身の狭いような委員会であった。前年までは6名に授与していたが、今年は予算の関係で5名に減らすことになり、分野が4つなので、どこが2名とるかという問題となった。結果的にコンピュータサイエンス分野で、五十嵐健夫(東大情報理工)、牧野和久(大阪大基礎工学)両氏に決まり、筆者としてはうれしかった。この委員は2012年まで続いた。2012年には分野の再編成をするというので、「計算科学」を提案したが、結局この賞そのものがなくなってしまった。受賞者総数は147名であるが、その後各分野のリーダー的な役割を担っている方々が多い。

16) Winnyの金子氏逮捕
Winnyは、MS Windowsで動作する、純P2P (Peer-to-Peer)技術に基づくファイル共有ソフトであり、金子勇により開発・配布されていた。前に述べたように、2001年から始まった科学技術振興調整費(現在の科学技術イノベーション創出基盤構築事業)「新興分野人材養成」において、東大情報理工学系研究科は「ソフトウェア創造人材養成プログラム」が採択されていた。金子氏は、2002年1月、このプログラムの特任助手として任用された。金子氏は2000年度から始まったIPAの「未踏ソフトウェア創造事業」で2000年、2001年に採用された程のプログラミングの天才であり、ソフト開発指導の受講生の評判もよかった。金子氏が、Winnyのベータ版を公開したのは、東大在職中の2001年5月であったが、大学での演習指導などでWinnyに触れることはなく、私的に開発したものであった。

Winnyは高い匿名性を持っていたので、違法なファイル交換にも用いられ、京都府警ハイテク犯罪対策室は2003年11月27日、著作権法違反の疑いで2人のユーザを逮捕した。2004年5月10日(月)には、この事件の幇助の容疑により金子氏自身が東京で京都府警に逮捕された。武市正人研究科長は直接の上司にあたるので、副研究科長である筆者が対応に当たり、直ちに調査委員会を立ち上げた。5月11日(火)朝には大学内の捜索をするということで、府警の警官らが押っ取り刀で東京に駆けつけ、大学近くに宿を取った。当日、筆者も早起きして、彼の研究室の家宅捜索に立ち会った。建物の前には、報道カメラマンが列を作った。府警の捜査員はコンピュータやインターネットについてかなり勉強をしているようだったが、捜索の様子にはとんちんかんな印象を受けた。パソコン2台などとともに、何枚かの紙切れを押収していった。金子氏の逮捕は、違法行為にも使える道具を作った者に法的責任(とくに幇助罪)が問えるか、ソフト開発者が萎縮するのではないかなどという大論争を巻き起こした。大学の調査委員会としては、逮捕容疑に関する法律的な判断や技術倫理に関する判断については調査の対象とせず、大学の業務との関係について調査し、業務に害を与えたことはないことを確認した。

拘置理由開示法廷が5月18日に京都簡裁であり、金子氏は今回の逮捕・拘留が不当との上申書を提出した。6月3日に保釈され、大学の調査委員会は翌日本人から聞き取り調査を行った。Winnyの開発は全く私的な作業として行ったもので、大学関係者にほとんど話したこともない、とのことであった。金子氏は、裁判に集力するため辞職を申し出た。ソフトウェア創造人材養成プログラムとしては大損失であった。初公判は2004年9月1日、京都地裁(氷室真裁判長)で始まり4時間にも及んだ。金子被告は起訴事実を全面的に否定した。2006年9月4日、第25回公判が開かれ、結審した。12月13日、罰金150万円(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡された。弁護側、検察側両者が控訴したが、2009年10月8日に大阪高裁で逆転無罪となった。2011年12月19日、最高裁第三小法廷は検察側の上告を棄却し、無罪が確定した。しかし氏は、2年も経たないうちに、2013年7月6日急性心筋梗塞で急逝した。

17) 日本学会事務センター破産事件
日本応用数理学会はHPC分野をカバーする学会の一つである。筆者が日本応用数理学会副会長であった2004年度に、同学会が会員管理、会費徴収、発送などを委託していた財団法人日本学会事務センター(事務センターと略す)が破産し、何百という学会が重大な損害を被った事件が起こった。詳しくは筆者の「応用数理」(2011年3月)上の記事、『学会事務センターの破綻とその後』を参照。各種学会の運営に関係される方は他山の石としてください。

事務センターとは中小の約300の学会の事務を代行するために、1971年に設立された文部省(当時)所管の財団法人である。錚々たる学界の重鎮が役員を務めていたが、その運営は数名の常務理事が行っていた。応用数理学会も設立当初から事務センターと契約を結んだ。サービスが非常によかったので、学会としては安心して事務を委託していた。

2004年7月3日(土)4日(日)の各紙に「事務センターが学会の預かり金16億円を流用し、6億円以上の債務超過に陥っている」という記事が出た。事務センターは、バブル崩壊中の1992年、金融機関から約10億円の融資を受け、文京区本駒込に4階建てのビルを建設した。毎年4500万円の返済が必要であるが、それを財団法人としての収益からではなく学会からの預かり金から支払っていた。料金の割にサービスがよかったのは自分の足を食べていただけのようである。当時、矢川元基応用数理学会会長は海外出張中であったので、副会長である筆者が対応に当たり、安達悠子事務局長とともに東奔西走した。

翌7月5日(月)、事務局長は直ちに預け金から1000万円を移算するよう要求した。当時本学会の預け金は1300万円ほどあったと考えられる。翌6日(火)、事務センターから担当者が本学会事務局に来訪し、事情説明と、なるべく引出額を少なくしてくれとの要請があった。しかし学会運営のためにどうしても必要だからと数回電話の後、12日(月)になってやっと入金された。

8月6日(金)、事務センターは民事再生法の適用を東京地裁に申し立て、地裁は保全管理命令を出した。9日(月)に地裁は民事再生法の申請を却下し破産の方向が決定した。事務局長は単身事務センターに乗り込んで、粘りに粘って同学会の預かり金は600万円余りという概算額を得た。1000万円移算したので残金は約300万と試算していたが、その後300人ほどから会費が納入されていたものと思われる。事務センターは8月17日(火)午前9時に破産した。保全管理人はこの日より破算管財人となった。

この日の午後3時から新宿厚生年金会館で破産管財人からの説明会があり、筆者と事務局長が出席した。負債総額は30億(約半分は各学会からの預かり金)であること、預かり金は一般債権で、抵当や税金や労働債権などより順位が低く、ほとんど戻る見込みがないことなどが説明された。学会から見れば自分たちの資金管理を任せてあるだけで、所有権は自分たちにあると考えていたが、単一口座で管理されていたため、破産となるとそのようには見なされないことが分かった。また、個人の横領などの事実は見られず、理事や会長の刑事および民事の責任も追及できるか分からないということで、学会関係者は激怒した。「てめーら、腎臓でも目ん玉でも売っぱらって金返せ」などというような怒号が巻き起こったが、辣腕の管財人に「大学の偉い先生方が何をおっしゃるんですか」とたしなめられた。

9月28日(火)に、筆者と事務局長で本学会の預り金に関するデータを事務センターに引き取りに行った。多くの学会の関係者が駆けつけており現場は大混乱であった。破産時(8月17日)の本学会の預かり金の帳簿残高は6,324,363円、負債(本学会が払うべきだった金額)が250,340円、差引き破産債権は6,074,023円と確定した。

9月22日(水)には日本地形学連合の呼びかけで破算被害学会の第1回勉強会が東大農学部で開催され筆者が出席した。とにかく、今回学会には一銭も戻らない危険が高く、理事への刑事責任追求も賠償請求も事実上難しいとのことであった。この場で被害学会連絡協議会を立ち上げた。11月27日の第2回勉強会で協議会の活動が始まった。11月29日(月)に東京地裁で債権者集会があり、筆者と事務局長が参加した。説明によると、破産原因は営業活動にはなく、ビル建設時の借用、借金の返済、子会社のユーティリティセンター設立費用、大阪や本郷の事務所開設費など計約12億円ということであった。また、新聞報道以前に37の学会が3億円以上引き出しており、情報が漏れていた可能性も指摘された。ただ、この時期は会費納入の締め切りであり、もともと移算の多い時期ではある。破産時の常勤理事6名についての調査も報告され、退職金の一部を返還したものもあるが、自己破産した理事もいるとの報告があった。光岡理事長と木田会長から計5000万円、学界関係の理事や監事から各100万円程度の和解金を払う用意があることも報告された。この席で光岡理事長が「返還要求の増加で破綻した」と陳謝したが、まるで顧客の学会の責任で破産したかのような言い方は不愉快であった。

和解金の問題を処理するために、年が明けて「和解交渉委員会」を設置し、配分方法の議論を始めた。2005年3月7日(月)には第2回の連絡協議会が開かれ、和解の状況が報告された。元理事等からの和解金は5650万円ということであった。最初、2004年6月21日以降に預かり金の返還を受けた学会を配分先から除外しようという案が通りかけたが、筆者は強硬に反対し「和解というのは、不満はあるにせよ、関係者全員が多少の取り分があるものであって、一部の当事者が、落ち度や不正がないのに、失うだけで何も得るものがないというのでは、和解の意味がない。それなら本会は和解に加わらない。」と啖呵を切った。様々な議論の末、6月21日以降預かり金を受けた学会の被害額には1/2のウェートを付けて、被害額に比例して和解金を配分する案が決定された。まあ妥協できる案であった。2005年6月15日(水)、東京地裁より破産廃止決定(破産による法人の廃止)がなされ、一連のゴタゴタは全て終了した。わが応用数理学会は、6,074,023円を失い、和解金179,184円を得た。毎年の繰越額が吹っ飛ぶ程の損失であった。日本応用数理学会は会員管理、会費徴収、会誌等の発送だけを限定的に委託していたからこの程度で済んだが、事務局そのものを学会事務センターに委託していた小さな学会は、その日から路頭に迷い、理事のポケットマネーで年会開催の費用をまかなったところもあるとのことである。

事務センターは文部省(後文部科学省)所管の財団法人であり、一般の会社よりは信用度が高いとして多くの学会が業務の委託を行っていたが、この期待はもろくも崩れた。文部省の監督責任は大きい。ただ文部省の天下り組織というわけではなく、官僚経験者は2人だけで、それも事務センターの建て直しのために最終段階で送り込まれたようである。破産債権者集会などというものはニュースやドラマでは見ていたが、まさか自分が当事者になるとは思わなかった。元理事の一人はさる被害学会の事務局長に納まったという噂を聞いたが、ルカ福音書16章1~8節のたとえ話を思い出した。『そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』(新共同訳)

18) 公共哲学京都フォーラム
これはHPCと関係がないが、どういうわけか、2004年12月10日~13日に京都リーガロイヤルホテルで開催された公共哲学京都フォーラム「物語論」に招待され、「物語としての科学」という講演を行った。講演録が「シリーズ物語り論2」として2007年に東大出版会から刊行されたが、この中の筆者の文章の一部がさる私立女子大学の入試問題に採用された。問題文10ページのうち、半分は筆者の文章の引用であった。作家になったという程ではないが、ちょっと誇らしい気持ちになった。「著者はここで何を言いたいか。次の3つから選べ」などという設問があったが、著者としてはどれも違う、という印象であった。事後に了解を要求され、著作権料は入らなかった。そういうものらしい。

次回は、日本の企業の動きと標準化。日本電気はSX-8を発表、富士通は「ペタスケール・コンピューティング推進室」発足させる。グリッドの標準化が精力的に進められる。

 

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