「スーパーコンピュータ博物館」をつくりたい!
スパコン業界と呼ばれるHPCコミュニティに30年以上もいると業界の変化を肌で感じることが多い。恐らく同じ感触を持った方も多いと思うが、一番は、30年間コミュニティの顔ぶれが変わらないのだ。その意味するところは、新しい人(特に若者)が入って来ず、今いる人間は年々年を重ねて高齢化し、さらにはここに来て退職する人が後を絶たず、コミュニティの規模が縮小しているということだ。この状態が続くと日本のHPCコミュニティが衰退し、恐らく数十年後には消えてなくなるかもしれない。それも世の流れと言われればそれまでなのだが・・・
成長する世界のHPC市場
何故日本のHPCは衰退しているのだろうか?諸外国ではどうなのだろう?世界的にはHPC市場は毎年拡大している。私が手伝っているHyperion Researchのレポートでは、2022年の世界HPCサーバ(スパコン含む)市場規模は154億ドル、約2兆3千億円にもなる。2026年までの5年間の年平均成長率6.8%と推測されており、特にスーパーコンピュータと呼ばれる大規模システムは年平均成長率は7.7%と予測されている。世界ではスーパーコンピュータは戦略物資いわゆる兵器と同じだと考えられており、HPCを持っていなければ他の国に技術的、経済的に負けてしまう。ここ十年くらいでアメリカ、EUばかりでなく、BRICSやアジア圏でもHPCが拡大している。
日本のHPCの歴史
日本のHPCの歴史は他国と比較して非常に長い。詳しくは小柳義夫先生の「新・HPCの歩み」シリーズをご覧頂きたい。日本は常にアメリカとスーパーコンピュータの技術開発を競い、抜きつ抜かれつを繰り返してきた。TOP500と呼ばれるスーパーコンピュータのランキングリストでは、世間的にはスーパーコンピュータ「富岳」が世界1位を取ったのが有名になったが、これまでに航空技術研究所の「数値風洞」、筑波大学の「CP-PACS」、東京大学の「SR-2201」、海洋研究開発機構の「地球シミュレータ」、そして理研の「京」コンピュータが世界1位を取ってきた。特に1996年11月のリストでは1位から3位までが日本のスーパーコンピュータであったのは驚きだ。実は20年くらい前までは中国はこのスパコン競争には入っていなかった。中国が旧に台頭してきたのは2010年くらいからだ。このようにスパコンは日本のお家芸でもある。
一般社団法人スーパーコンピューティング・ジャパンの設立
なのに!現在のHPCコミュニティの衰退を見ること苦しい。スーパーコンピュータが華やかだった1980年代、日本でスパコンのイベントを開催するとアカデミックも民間企業も一緒に参加して数千人規模での開催となっていた。ところが、今はアカデミア系と民間系のコニュニティが分離してしまい、各イベントの規模が小さくなっている。業界が成熟したからと言えるかもしれないが、アメリカ、EU、中国、シンガポールでのHPCのイベントは今でも数千人以上の規模の集客がある。もう一度アカデミアも民間も一緒になって日本のHPCコミュニティを盛り上げたい、そんな思いで今年3月に一般社団法人スーパーコンピューティング・ジャパンを設立した。
この社団法人を使って目指すのはHPCコミュニティの再興だ。HPCコミュニティには4つのタイプがいる。HPCを開発する「HPC開発者」(メーカー)、HPCを使う「HPC利用者」(研究者。開発者)、HPCを買って運用する「HPC運用者」(基盤センターなどの計算機部門)、HPCを売る「HPCセールス」(ベンダー、SIer含む)、そしてHPCをサポートする「HPCエンジニア」(メーカー、SIer)である。この中で「HPC利用者」にとってはHPCは道具に過ぎず。求めるのは計算結果だ。製造業では特に、自分たちがHPCを使っているという認識がないかもしれない。次に「HPC運用者」はこの「HPC利用者」のための最適な計算機と環境を提供する。これらの役割の中で一番人口減少が著しいのが「HPC開発者」と「HPCエンジニア」である。両者は基本的にメーカーに所属している。
「HPCエンジニア」の地位向上を目指す
これまで日本には大手スパコン開発メーカーが3社あった、NEC、富士通、日立だ。日立は早々にスパコン開発から撤退し、富士通も「富岳」以降、独自路線から撤退の模様だ(「富岳NEXT」でどうなるか・・)。残るはNECだけ。スパコン開発を止めれば「HPC開発者」もいらなくなる。これまで開発メーカーでは自分たちのシステムをサポートするために自ずと「HPCエンジニア」を育てる必要があった。開発を止めれば必然的に「HPCエンジニア」も減少する。だが、スパコンの独自開発は無くったが、実際にスパコンが無くなる訳ではなく、HPCをサポートする「HPCエンジニア」は常に必要で重要な存在だ。今では減少した「HPCエンジニア」の争奪戦になっており、逆に「HPCエンジニア」がいなければ大型案件に参加できない状況になっている。そんな「HPCエンジニア」の地位向上を目指し、本社団法人では「HPCエンジニア」の資格制度の整備を目指している。
スーパーコンピュータ博物館
もうひとつの本団体の目的は「スーパーコンピュータ博物館」の設立と運営だ。実はこれだけ計算機技術と文化があるにも関わらず日本には計算機博物館が無い。一部のメーカーや各センターが自主的に展示をしたり、また情報処理学会が自主展示の機関を集めて仮想的な「分散コンピュータ博物館」としてコレクションしているのみだ。しかし、これらは国立科学博物館のような本来の博物館的ではない。その国立科学博物館でさえ、計算機の展示はほんの一部しかない。アメリカにはシリコンバレーに有名はComputer History Museumが、イギリスにはBletchley ParkやThe National Museum of Computingが、ドイツにはHeinz Nixdorf MuseumsForumがある。なのに、日本にはきちんとしたコンピュータの博物館がない・・・なぜだろう?この計算機博物館については和田英一先生が、京都コンピュータ学院校友会機関誌に掲載した記事がある。計算機に特化した博物館はこれからの日本にとても重要だと考えている。博物館ではこれまでの日本の歴史を紹介するだけでなく、計算機の仕組みや実際の動きを子供たちや若い人達に体験してもらうことで、次の世代を育てる重要な役割がある。そんな博物館をいつの日か日本にも作りたい。できれば世界でも有数のスーパーコンピュータの保有台数を誇る茨城県つくば市に2,3年以内に作りたい。それが我々の夢だ。
「京」コンピュータ
本社団法人の事業に共鳴していただき、今回富士通株式会社殿から「京」コンピュータの開発プロトタイプを譲り受けることになった。「京」はご存じのように「事業仕分け」で「二番じゃだめなんですか?」で一躍有名になったスーパーコンピュータだ。政府が約1200億円の巨費を投じて開発したこのスーパーコンピュータは2011年のスパコンのランキングTOP500で2回首位を取り、2019年まで、神戸の理化学研究所計算科学研究機構(現:計算科学研究センター)で運用されてきた。今回富士通から譲渡して頂いたのはこの「京」の開発プロトタイプで長い間、富士通長野工場に展示されていたものだ。展示のために前扉が外されており、アクリル板で内部構造が分かるように装飾カバーが施されている。その本体と一緒にプロセッサSPARC64 VIIIfxのウェアーを含む展示品も譲って頂いた。
クラウドファンディング
今回譲って頂いた「京」コンピュータ本体を含む展示品は先日 富士通長野工場から都内の倉庫まで移送したきたのだが、なかなか費用が掛かる。展示品なので稼働はしないと言っても精密品ではあるため、スパコンを多く手掛ける運送会社に依頼し、エアサス付きの精密機械用トラックで移送するためだ。今回の移送とこれから計画している2回目の移送、そして倉庫の保管代として総額約100万円程度が掛かる見込みだ。我々が設立した一般社団法人は設立したばかりでそれほどの資金力がない。そこで今回クラウドファンディングを立ち上げた。クラウドファンディングでは、支援して頂いた方にお礼として感謝状と支援者リストを金属板に刻んだ「支援者銘板」にお名前を刻み、博物館設立の暁にはこの銘板を展示する予定だ。是非ご支援頂けば有難い。
本社団法人では会員募集中だ。入会金1,000円、年会費3,000円である。最後に本社団法人では来年3月12日~13日の2日間、「スーパーコンピューティング・ジャパン 2024」と題したイベントを東京で開催する。会員は参加費が無料だ。30年前に存在した同名のイベントを再興して行きたいと考えている。何とか日本のHPCを底上げする活動ができないか皆で協力して行きたい。