世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


8月 21, 2013

現代のGPU:グラフィックの歴史

HPCwire Japan

Alex Woodie

Atari 2600と天河-1の共通点は何があるだろうか?想像することは困難かもしれないが、実は両方のシステムはその時代の最先端のグラフィックプロセッサを使っている。 これは、今日のスーパーコンピュータアーキテクチャの最も重要なハードウェアコンポーネントの一つであるGPUの非常に興味深い進化を示している。

Techspotのグラハム・シンガーは最近、GPU歴史の大変魅力的なシリーズをまとめた。このシリーズでは1950年代の最も早期の3D作品から今日のGPGPU市場まで網羅している。シンガーはGPUの歴史を4つの異なった物語に分けた。

シンガーの最初の連載では一般消費者向け3Dグラフィックスの初期である1976年から1995年まで続く期間を振り返った。1951年初頭より3Dグラフィックスシステムは構築されていたが、MITが海軍用にWhirlwind(旋風)フライトシミュレータを構築した際に、ある開発者は今日のGPUのための基盤となり、1970年代半ばに急成長した消費者向けコンピュータ市場用のグラフィック3Dシステムを作っていた、とシンガーは書いている。

RCAが1976年に作成した「Pixie」ビデオチップは、62×128の解像度でビデオ信号を出力することができた。 1977年にはテレビ・インタフェース・アダプタ(TIA)1Aを持つAtari 2600ゲームシステムが発表された。 Motorolaは、IBMが1981年にPCで使い始めたモノクロおよびカラーディスプレイアダプタ(MDA / CDA)カードの基礎となったMC6845ビデオ・アドレスジェネレータを発表し、一年遅れで追随した。

Chips and Technologiesが開発した拡張グラフィックスアダプタ(EGA)は、1985年からMDA/CDAカードに対する競合として提供を開始された。 同年、3人の香港からの移民が設立したArray Technologyは、すぐに社名をATI Technologies社に変更し、同社はWonderシリーズで何年もグラフィックボードやチップの市場をリードした。

1992年には、SGIが2Dおよび3GグラフィックのオープンAPIであるOpenGLをリリースした。 OpenGLがワークステーション市場を牽引したので、Microsoftは独自のDirect3D APIで新興ゲーム市場を独占しようとした。 Matroxのシンプル・インターフェイス、クリエイティブ・グラフィックライブラリ、Cインタフェース(ATI)など、多くの独自APIが市場に導入されたが、それらは最終的に道半ばで挫折する事となる。

一方、1990年代初頭はグラフィックス市場にとって大きな変動の時期であり、多くの企業が参入、その後に合併もしくは事業から撤退していった。 この時期に設立されたNVIDIAは勝ち組となった。

シンガーのシリーズの第2世代は、1995年から1999年まで続く。この世代は、1996年11月にリリースされ、すぐに市場の約85%を占めるようになった3Dfx社のVoodooグラフィックスカードによる市場の完全支配によって特徴付けられる。 2Dをレンダリングするだけのカードは、ほぼ一夜にして老朽化した、とシンガーは書いている。

3Dfx社は1997年に株式を公開したが、その予算志向のVoodoo Rushボードの立ち上げは完全に失敗した。 そして同社は利益を高めるために自らのグラフィックボードを売却することを決定し、Rendition、ATIやNvidiaなどの競争他社をさらにいっそう助けることとなった。

Nvidiaは、Direct3Dの互換性とベンチマーク性能で最上位の性能を持つRIVA 128(リアルタイム・インタラクティブ映像・動画アクセラレータ)を1997年に発表し、将来の成功のための基礎を築いた。1997年末までに、Nvidiaはグラフィックス市場のほぼ25%を獲得した。 Nvidiaは、1998年にSGIに訴訟を起されたが、1999年に和解し、SGIがNvidiaに彼等のプロフェッショナル・グラフィック・ポートフォリオへのアクセスを認めた。以降、Nvidiaは明らかに強くなっていった。 これは結果的にSGIの倒産を早めた「仮想的な知的財産の漏洩」だった、とシンガーは書いている。

ATIとNvidiaとの戦いは、2000年から2006年までを綴ったシンガーのGPUの歴史の第3時代に記されている。 この時代では、Voodoo 4 4500のようなカードはNvidiaのGeForce 2 GTSやATIのRadeon DDRが提供するグラフィックス性能を追随することが出来なかったため、3dfxはますます影が薄くなった。

NvidiaとATIは、一対一となって、スペキュラシェーディング、ヴォルマティック・エクスプロージョン、屈折、波形、頂点ブレンディング、シャドウボリューム、バンプマッピングと仰角マッピングのような今では一般的となった機能を備えたグラフィックスカードを提供していった。

汎用GPUの到来は、2007年に始まったようだとシンガーのGPUの歴史の第4時代の冒頭に書かれている。 NvidiaとATI(後にAMDが買収)の両方が、グラフィックカードにこれまで以上に機能を詰め込んでおり、これらを利用したHPCワークロードの実践は一般的になった。

しかし、NvidiaがCUDA開発環境を発表し、AMDがOpenCLを使用することによって、この2つの会社はGPGPUで異なる路線を取るだろう。 Nvidiaは最初の専用GPGPU、Teslaを発表しHPC市場でかなりの市場とマインド・シェア(心理的なブランドシェア)を獲得した。