世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


12月 9, 2015

Gene Amdahl、個人的賛辞

HPCwire Japan

John L. Gustafson

先日の他のすべての酷いニュースの中で、驚くべき素晴らしい人間を失ったという事実が1面から押し出されている可能性がある: Gene Amdahl氏が11月10日に92歳で亡くなった。我々はいかなる時でも最大のコンピュータ設計者であった一人を失ったのだ。実際、1960年代のIBM System/360の設計は彼のもので、計算機設計の記述において「アーキテクチャ」という言葉を初めて使った。

ニューヨーク・タイムズ紙は、この人物いついて非常によく書いている。(http://www.nytimes.com/2015/11/13/technology/gene-amdahl-pioneer-of-mainframe-computing-dies-at-92.html)  私は彼の名を冠した法則の話を出版した数年後に、Geneと個人的に知り合ったのだが、ここで彼の広く知られていないか、もしくは彼の死亡記事では記載されていない事について、HPCwireの読者にお伝えしたいと思う。

IBMがGene Amdahlのアイデアに賭けた時、おそらくそれはいつの時でも最大のビジネスにおける賭けであった。彼らは文字通り、古い36ビットのデザインからスケーラブルな32ビットのデザインへの重要なスイッチへ会社を賭けたのだ。IBMは賭けに勝ち、数十年間、コンピュータ業界において支配的なプレーヤーになり、今日まで、IBMはAmdahlの命令セットと設計思想を持ったコンピュータを販売している。他に誰が50年以上も続いている命令セットを設計したと主張できるだろうか? 彼はIBMにおいて全員からのフルサポートを持っていた訳ではなかった。彼はそのために闘わなければならなかった。企業政治はどこでもそうであるように、非常に強烈であり、Geneが先頭に立っているハイリスクな変化に誰もが賛同しているわけではなかったのだ。彼はアカデミックな人間ではあったが、企業政治を誘導しIBMを膨大な取り組みに向けることに非凡な才能があることが判明したのだ。

System/360および後継のSystem/370のようなメインフレームの設計をできるくらいに独創的である必要がある。Amdahlは2度発明しなければならかった、それも2つの完全に異なる方法で! 彼がIBMを去り、競合となるコンピュータを作る会社(Amdahl Corporation)を設立した際に、彼は彼自身の特許に対抗しなければならなかった。IBMへのロイヤリティは、彼のビジネスを正常に競合することから遠ざけるので、彼は白紙状態から彼は始め、彼の初期の知的財産権を踏まないような、より高速でより安価な新しいアプローチをすべて作ったのだった。これにより、Amdahl Corporationは、成功する事業となったIBM互換の命令セットを持った計算機を作る企業のひとつとなったのだった。

私はGeneに一度何故System/360の設計において同じ時代にバロースのマシンのいくつかがサポートしていた並列計算をサポートしなかったのかと尋ねたことがある。彼は並列計算機のための命令がどんなものか分からなかったからだと答えた。誰かは考えていたかもしれないが、彼が並列計算の考えに反対していたわけではないのだ。これはGene Amdahlに関する神話のひとつであろう: 彼が根本的に並列計算に反対していたという。彼は、人々を彼のことを考えさせることとなった1967年のAFIPS会議におけるDaniel Slotnickとの有名な議論を無念に思っていた。

私もこの歴史的な議論を見たかったと思っています。Single-Instruction Multiple Data (SIMD)のILLIAC IVは完成時には256プロセッサ搭載できるものだったが、1966年に最初のパスが完成した際には、64プロセッサのバージョンでさえ、息を呑むほど大胆な並列設計であった。Amdahlはこの頃、単一CPUの時分割メインフレームを紹介していたので、舞台はできていた。AmdahlはSystem/360でのオペレーティング・システムの経験を基に、ILLIAC IVのようなSIMDコンピュータのオペレーティング・システムは25から45パーセントのプロセッサ・サイクルを取るだろうと予測していた。彼のオーバーヘッドのスライドでは、固定サイズのプロセスに2つの速度を適用するための標準的なエンジニアリング式を提示し、ILLIAC IVは、64プロセッサを有するにもかかわらず、2倍から4倍の高速化しかできないだろうと主張したのだ。この論争の影響は大きかった。3年後のRANDレポートにおいてWillis Wareはこれを参照し、Geneのプレゼンテーションからの代数式を含んで、それを「アムダールの法則」と呼び、そしてその名前が定着したのだった。

後にGeneは私に、彼の主張を、晩年に信者でサポーターになった、分割された命令ストリームを持つ分散メモリシステムに適用するつもりではなかったと教えてくれた。彼と私は超並列技術の技術諮問委員務めたが、彼は大規模な並列処理への現代的なアプローチの熱狂的な支持者にはなれなかったのだ。

多くの計算機アーキテクチャの本や記事もまた、良く均整の取れた計算機は「メガフロップ当たり1メガワード」もしくはそのようなものを持つべきだというAmdahlの「ガイドライン」を指摘している。私は長年、このガイドラインのオリジナルの元を追跡しようとしているが、どこにも見つけることができない。なので、丁度一緒にランチをとることになっていたので、私は単純に彼に尋ねてみることが実現した。彼の答えは驚くべきものだった。「私はそんなことは言っていないよ。」また、彼はそれが良いガイドラインだと思っていなかったのだ! 私は、業界のアイコンであることの危険性のひとつは誤った帰属であると考えている。ペタフロップスからエクサフロップスへの時代の中で我々は確実にその比率から、かなり遠ざかっているので、安堵している。

これを書いている時に私はオースティンでSC15会議に出ており、展示ホールのディスプレイのエンドレスな広さのようなものを見つめている。このトレードショーのフロアにあるすべての企業は、その存在の一部もしくはほとんどをGene Amdahlが数十年前に構築した基礎に負っているはずである。彼は最初のコンピュータアーキテクトであり、私は素晴らしいメンター、そして友人として彼がいないことを寂しく思うだろう。

(画像出典: Computer History Museum)