世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


HPCの歩み50年

HPCの歩み50年(第36回)-1991年(c)-

4月 20, 2015 |

Thinking Machines社はSIMDのCM-1/2とは全く異なるCM-5を発表した。これはTMCの発展の鍵か失敗の予兆か? CrayはMPPに参入するという動きを示す。Convex社も、Cray互換のベクトルコ Read more…

HPCの歩み50年(第35回)-1991年(b)-

4月 13, 2015 |

並列処理が普及するためには並列プログラミングの標準化が必要である。このころ、HPFとMPIが並行して標準化と実装を始めていた。主要なコンピュータベンダが消滅しつつあったヨーロッパでは、システム開発はあきらめて、アプリの開 Read more…

HPCの歩み50年(第34回)-1991年(a)-

4月 6, 2015 |

いよいよアメリカではHPCCが国家プロジェクトとして始まった。そもそもHPCということばが広く使われるようになったのはこの頃からである。Fortran 90が規格として決定されると同時に、HPFやMPIなどのインタフェー Read more…

HPCの歩み50年(第33回)-1990年(b)-

3月 30, 2015 |

SC90においてDaniel Hillis (TMC)は「最速のコンピュータ」を高らかに謳い上げたが、程なく業務を停止するとだれが予想したであろうか。同じくSC90で「キラー・マイクロの来襲」が語られ、マイクロプロセッサ Read more…

HPCの歩み50年(第32回)-1990年(a)-

3月 23, 2015 |

超並列コンピュータ商品としてはIntelのiPSC/860やMasPar社のMP-1が出荷された。SC90においてEugene Brooksは”Attack of the Killer Micros”という講演を行い、汎 Read more…

HPCの歩み50年(第31回)-1989年(b)-

3月 16, 2015 |

スーパーコンピューティング会議SC89(ネバダ州Reno)に初めて参加した。そのテーマは、いかに日本に追いつき追い越すかということであった。アメリカは国を挙げてHPCを推進しようとしていた。Intel社はi486やi86 Read more…

HPCの歩み50年(第30回)-1989(a)年-

3月 9, 2015 |

日立、富士通に続いて、日本電気も第2世代ベクトルスーパーコンピュータSX-3を発表した。Seymour CrayはCray Computer社を設立。Cray-3の開発に取り組みはじめた。超並列コンピュータとしてはnCU Read more…

HPCの歩み50年(第29回)-1988年(b)-

3月 2, 2015 |

Cray社はY-MPを発売する一方、Convex社はC1をクロスバで結合したX-MP互換のC2を出荷。他方、Steve ChenはCrayを退社し、IBMの支援のもとにSupercomputer Systems Inc. Read more…

HPCの歩み50年(第28回)-1988年(a)-

2月 23, 2015 |

いよいよスーパーコンピュータの第2世代が到来した。CrayはY-MPを発売。富士通もVP2000シリーズを発表した。東工大がETA10を導入したことも大きなニュースである。Convex社はX-MP互換のC2を出荷した。世 Read more…

HPCの歩み50年(第27回)-1987年(b)-

2月 16, 2015 |

日本では新しいベクトルコンピュータが登場する一方、アメリカではTMCのCM-2やIntelのiPSC/2など超並列コンピュータが続々登場する。ETA 10の一号機も出荷される。最初のGordon-Bell賞はnCUBEの Read more…